表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
52/58

鬼子のうた

 ——おまえ、だれ。


 素朴な声音に、私は目を開いたまま固まった。

 見上げる小さな(あたえ)。その顔は、まるで知らない者を見るような色をしている。


「誰って……(ゆずりは)ですよ。朝美(あさみ) 楪です。分からないんですか?」


 急に不安がよぎった。間の氷柱(つらら)に顔を寄せ、自分の姿を確かめる。

 もしや、私も知らぬまに小さくなっていたり、歳を取っていたり……そんな冗談のような変化があるのではと焦ったが、映るのは見慣れた自分だった。湾曲した氷面に輪郭こそ(ゆが)んではいるが、最近の私の顔に違いない。


「ゆずりは? しらない」


 淡々と、與は首を振る。


「えぇ……まさか、記憶喪失?」


 尋ねてみても、返ってくるのは理解のない瞳だけ。

 段々と心配になってくる。


「あなたは、與くんですよね?」

「そう。あたえ よる——って、おしえてもらった」

「教えてもらった……?」


 変な返しに首をひねる。

 自分の名前を『教えてもらった』とは、どういう意味だろう。

 意味を図りかねていると、目の先で意識に引っ掛かるものがあった。與の足。與は何故か着物を着ていたのだが、その足に履き物はなく、氷の床にひたりと触れていた。

 足先から、肌が薄く凍りづいている。


「與くん、足!」


 慌ててしゃがみこみ、氷柱の隙間から手を差し込む。今度は怪我をしないよう慎重に、小さな足を包んで温めようとしたが……なんと、私の手まで吸い付くように凍りついた。


「痛っ……!」


 冷たいなんてものではない。肌に食い込むような鋭さが、指先を締めつけてくる。

 驚いて顔を上げると、與が小さな眉をひそめて私を見ていた。


「おまえ、あほだろ」


 (あき)れたように吐かれた、一言。


(この子、ぜったいに與くん!)


 言葉も、語尾の抜け方も。こんなにあどけない顔なのに、私を見下した調子が完全に與だった。

 確信はこんなふうに訪れるのかと、少しだけ気が抜ける……いや、()抜けている場合ではない!


 私は張り付いた手を引き()がそうとした。しかし、どうにもならない。無理に引けば皮膚ごと剝がれそうで、力の加減も分からない。

 冷たさが骨まで伝わり、ズキズキと心臓のように痛んだ。


「どうしたら……」

「むりだろ」


 すぐそばで、興味のない淡々とした声が落ちる。

 氷柱越し、ほとんど同じ目線の高さで、こちらに向けられる目がある。

 皮肉げな雰囲気に、懐かしいと、安堵(あんど)を覚える余裕はさすがにない。


「そんな、他人事(ひとごと)みたいに言ってないで、與くんも何か策を考えてください」

「むだ。そこだけ解かしたって、おれはここから出られねぇもん。おまえだけ助ける義理もない」


 取りつく島もない。

 さらっと乾いた口調で、與は唇の端を持ち上げる。小さな身体に変わらず宿る嘲弄の精神。


(そういうとこだけ! 相変わらずですね!)


 言いたいことをぐっと抑え、一人で奮闘する。

 だが、結局、凍りついた手も與のからかうような目も、何ひとつ変わらず。

 足を突っ張っていた姿勢のせいか膝が限界に達してしまい、私は観念して腰を下ろした。

 座り込んだまま、うなだれる。どうにもこうにも手詰まりだ。


「……そもそも、與くん、なんでこんなところにいるんです?」


 すこし不機嫌な声で、半ば八つ当たりのように尋ねていた。

 それでも與は、眉一つ動かさずに答えた。


「知らね~。おれ、なんも覚えてねぇの。気づいたら、ここにいた」

「何も覚えてないことないでしょう。さっき、名前を教えてもらったって、言ったじゃないですか。その相手が、ここに與くんを閉じ()めた人なんじゃないんですか?」


 私の問いに、與はきょとんとした顔をした。


「え、(さえ)が?」


 唐突に出てきた名前が、数秒、沈黙を生んだ。互いに丸い目で見つめ合う。

 記憶喪失らしき與の口から出てきたのは、菫連木(すみれぎ)室長の名前だった。覚えているではないか。


「冴……って、菫連木 冴、ですよね?」

「そう、冴」

「菫連木さんが、與くんに名前を教えてくれたんですか?」

「そうだけど……前の話」

「前って、いつです?」

「前は前。おれの唄も作ってくれた」

「うた?」


 疑問の声で復唱する。

 瞳を開いた與は、甘えるように首を傾けた。


「聴きたい?」


 状況にそぐわず、屈託のない瞳が私を揺らす。

 與の目は期待に澄んでいて、見慣れない幼さから、つい(うなず)いてしまった。こんなことをしている場合では……と、半瞬遅れで気づいたが、取り消す間はなかった。


 與は目を閉じた。睫毛(まつげ)が白く凍りつき、かすかに震えている。

 小さな唇は白い息とともに、ぽつり、ぽつりと音を鳴らした。

 それは——バラッドだった。


 

 むかし、むかし。

 水豊かなる里ありき。

 湖を(いだ)き、山に護られしその地には、

 ひとつの誓ひありといふ。


 龍神、湖に棲まひ、

 雨を降らせ、風を鎮め、

 里に実りと平穏とを授けたり。


 されど、契りは重し。

 百年に一度、処女(おとめ)ひとり、

 命のままに、捧げよと。


「我は()らはん、処女の命を。

 それを糧となし、里を護らん。

 されど(たが)へば、水も命も、

 ひとしづく残さず、奪ひ尽くさむぞ」


 さなきだに、かく言ひ遺して、

 龍は深き湖に沈みたり。

 里の長、悩みつつも頷きて、

 その契りを、代々守り継ぎたり。


 されども——ある百年の節目にて。

 生贄と定められし娘、

 湖より戻り来たり。


「鬼のをりぬ。

 龍神は、鬼に喰はれ給ひぬ。

 その鬼こそ、われを救ひ給ひしなり」


 娘の声、届かず。

 狂ひ言として捨て置かれ、

 腹に命を宿したるまま、

 娘は人の世より姿を消せり。


 山奥にて、ひとり母となりて、

 娘は産みたり。

 鬼の子を——(つの)を持ち、牙を持つ、

 金の(まなこ)の異形なる子を。


 なれども、母の手はあたたかく、

 抱きしむ腕に偽りはなし。

 ひそやかに、静やかに、

 その命を育みたり。


 しかれども、鬼の子の噂、

 風に乗りて里長の耳に届きぬ。

 恐れたる長は、家人と兵を率ゐ、

 討伐に赴きぬ。


 母の見つむる先にて、

 鬼の子は裂かれ、焼かれ、

 灰となりて消え()せたり。


 母は命乞ひしによりて、

 かろうじて命を拾ふ。

 されど、()は深く、

 復讐の時、呼び来たれり。


 里長の館に忍び入り、

 眠れる()の子の枕辺に立つ。

 母、口を開きて——

 ぽろり、

 金の眼を落としたり。


 それは、鬼の子の遺されし眼なり。

 母はそれを、眠る子の左の眼に、

 深く、深く、埋め込みたり。


「この血、すべて絶やし給へ」

 母は(ささや)く、命の呪ひ。


 夜明け前、館には血流れ、

 里長の一族、ひとり残らず喰ひ尽くされぬ。


 母もまた、その血を引く者なりき。

 されど、それをも止めはせず。

 すべてを終へて——

 ひとつのみ、遺されぬ。


 ひとりきりの、小さき化け物。

 抱く腕なく、呼ぶ声なく、

 赤き血と憎しみのなかに、生き残れり。

 

 

 

 いとけない声が、氷の空間に染み渡る。

 子供の声でありながら、どこか遠くを旅してきたかのような、風に削られた石のような響きだった。


 語り終えた與は、凍る睫毛を上げる。

 その表情は、悲しみを越えた静謐(せいひつ)さに満ち、澄みきった水面(みなも)のような眼差(まなざ)しだった。


 身体の奥で、恐怖がひしひしと膨らんでいく。凍てつく手の痛みすら忘れた。

 唄の中に描かれたものが、どれだけ悲劇であり、どれだけ無惨で、そして——どれだけ與という存在の根を語っていたかを、思い知ったからだ。


「それが……與くんの……」


 鬼になった理由ならば。

 

——與さんは、望まずして怪異に引きずり込まれた、言わば怪異事件の被害者だ。

 

 脳裏に、いつかの菫連木室長の声が浮かんだ。

 あの説明で、與の過去を、表面的には私も知っているつもりだった。

 しかし、真実は。

 

——與くんは、どうして鬼になったのか。聞かせてもらえませんか。

——んなもん覚えてねぇよ。


 無神経にも私が尋ねた、あのとき、與はどんな思いでいたのか。

 與の瞳に一瞬だけ浮かんだ揺らぎが、今になって胸を()くほど鮮明に思い出される。後悔の念に、自分への怒りがせり上がってきて、息が詰まりそうだった。

 

 目を伏せ、押し黙る私を見て、與がくすりと笑う。


「怖かった?」


 なにか、勘違いをしている。違う、と言いたかったのに、声が出なかった。

 與は無邪気に話し続ける。


「怖いかもなぁ? おれも初めて聞いたとき、怖かったもん。少しだけ~」


 けらけらと笑い声が響く。

 幼い與は、どこまで理解しているのだろう。自分の過去と捉えているのか、それとも彼にとっては、ただのおとぎ話なのか。

 当惑する私の顔をうかがいながら、與が尋ねた。


「おれから、逃げたくなった?」


 金と黒の瞳が、まっすぐに射抜いてくる。冗談めかした声音のなかに、鋭い針のような何かが交じっていた。

 

「まぁ、今のおまえ、逃げられねぇけどな」

 

 小さな唇の端が()り上がる。からかいと挑発を込めた笑みだった。

 私は與の目を見返す。真正面から。その見慣れた色の、見慣れない幼い瞳を、逃すことなく見据えた。


「與くんから逃げたいなんて、思ってないです」


 與は底意地のわるい笑みを浮かべる。


「え~? おまえ、おれの唄、ちゃんと聴いてなかったな?」

「聴いてました」

「じゃ、難しくて分かんなかったか。おれがバケモノ、って話なのに」


 無垢(むく)な声に、うっすらと(あざけ)りが(にじ)んだ。

 その笑い方は、いつもの彼と重なる。

 思い出された面影に、私は胸の底に沈んでいた想いを、そっと掬い上げるようにして唇を開いた。


「與くんは、バケモノじゃないです。怖くもないですよ」


 はっきりと否定する。

 與の目が、(とが)るように光った。


「——これでも?」


 ぎりりと、與の額に角が生える。禍々しい力が、彼の幼い姿を塗り替えていく。

 皮膚に浮かびあがる赤黒い血管、深く刻まれた眉間の溝。

 金の眼に宿る光は、まるで獲物を測る捕食者のように恐ろしく狙いを定める。


「これでも、怖くねぇって言えんの?」


 突如立ち上がった與は、勢いよく氷柱を掴んで顔を寄せた。

 ただ、黒い眼は、私を試す色だ。

 そこから瞳を逸らさなかった。

 そのまま、強く答える。


「——はい」


 たじろぐように、與の目が揺れた気がした。


「……前は、怖かったかも知れません。でも、今は……與くんを知ってます。與くんがどういうひとか、知っているから、怖くないですよ」


 自然と、声にやわらかさが混じった。與の見た目のせいか、幼い子を諭すような響きになっていた。

 不思議な余韻が、氷に閉ざされた空間に、薄く漂う。


 しばらく黙っていた與は、気が削がれたように、するりと姿を戻した。

 そして、何を思ったのか、私の腕にそっと触れた。

 怪我のせいでまだ細く流れていた血を、指で掬うようになぞりあげる。

 走った痛みに私が震えている隙に——ぺろっと。舐めた。血のついた指先を。

 

「っ?」

 

 どういうことか。驚き戸惑う私に、與は笑う。悪戯(いたずら)を成功させた子供のような笑顔で、すっと屈んだ。

 張りついた私の手の上に、彼の(てのひら)が重ねられる。

 ふわりと、温かさが。

 

「えっ……?」

 

 春の陽だまりのような熱が、凍りついていた手をゆっくりと解かしていく。濡れる感触に、指先が動いた。


「貰った血のぶんの力。おまえ、これで逃げられるだろ?」


 幼くも上から目線な声は耳をすり抜けていた。胸の前に引き寄せた手を、私は閉じたり開いたり。かじかむ指先は、震えながらもきちんと動く。

 遅ればせながら、ハッとした。


「鬼の力、使えるんですかっ?」

「おれ、使えないなんて言ったか~?」


 むかつくような声音で見下ろしてくる與は、しかし、私の記憶よりずっと小さい。

 閉口しかけたところで、すり抜けていた声を引っぱり戻し、私は思いつく。


「私の血をいっぱい飲んだら、この(おり)も壊せるんですか?」

「それは無理。おまえの血、全部なら、いけるかも知んねぇけど? そこまでして壊す気ねぇよ」

「どうして! 與くん、このままだと凍って死んじゃいますよ。私の血なら、いくらでもあげますからっ」

「要らね~。おれ、血は好きじゃねぇから。血が好きなのは、アイツ。緋乃縁(ひのふち)——」


 その言葉の途中で、與は口を閉ざした。表情に疑問の影が差す。

 数秒遅れて、私も理解した。


「緋乃縁? って言いました? 椿(つばき)くんのことは分かるんですか?」

「……いや、分かんねぇ。誰だっけ……?」


 與の首をかしげる姿に混乱する。

 分かるわけではない?

 けれども、それならば、思い出しかけている?


「緋乃縁 椿(つばき)は、赤い眼のひとですよ。與くんと同じ、鬼の」

「ん~?」

「あっ、それなら、白月(しらつき)くんは? 真神(まがみ) 白月。白くていい子で……狼の! 『ヨルさん』って呼んで、與くんを慕ってくれてます」

「……あ~……うーん?」

 

 表情に変化はない。思い出しているのか、反応が乏しい。

 懸命に與の記憶を引き出そうとするが、與はやがて面倒くさそうに息を吐いて、腰を落とした。


「どうでもいい」


 諦念の言葉が(こぼ)れた途端、辺りの空気が一段と冷え込んだ。

 與の身体に、白い氷が這い始める。今まで緩やかだったものが、急速に、彼を包み込んでいく。


「與くん!」


 叫ぶと、彼は淡泊な顔つきで口を開いた。


「なんでそんな必死なんだよ? おまえこそ、くっちゃべってねぇで、早くここから逃げろよ。俺より、おまえのほうが先に死にそうじゃん」


 眉を上げて、目を細める。私の気持ちなど理解しないと言わんばかりだった。


「俺は別に、ここで終わってもいい」


 その足先から、氷が厚く張りついていく。


「やめてください! 與くんがそんなこと言うせいで、氷がっ……」

「大体なぁ~……冴に(だま)されて働いてたようなもんだろ~?」

「なんの話をしてるんですっ? そんなことより、壊す手伝いを!」


 氷柱を蹴って檻を破ろうとするが、びくともしない。私は焦りを募らせるばかりで、與の(つぶや)きには大声で返していた。

 與は膝を抱え、身体を丸める。眠ることを選んだかのように、呟きは(かす)れて独り言めいていく。


「全部の化けもんを倒して、ヒーローになったら……鬼でも、みんなに受け入れてもらえるって……冴が、くだらねぇ話を聞かせてくるから。……だから」


 だから——。

 

 その先の答えが、私の胸で、弾けた。


「私からしたら、與くんはヒーローです! 與くんは、私を救ってくれたじゃないですかっ」


 涙のように(あふ)れ出た声が、氷の檻に反響する。


「こんな所まで迎えにきた私を、與くんは思い出せないんですか! 仲間なのに、忘れちゃったんですかっ?」

 

 言葉が震え、目頭に力が入る。必死に感情を抑えようとしたけれども、もうダメだった。止まらない。

 冷静に押し込めたはずの想いは、與が沈黙を守るなか、私の口を勝手に震わせていく。


「朝美 楪は書類仕事が得意で、仕事は真面目です! ちょっと失礼な態度かも知れませんが、警察官として與くんのことを尊敬しています! 與くんにとって——」


 言いかけて、息が止まる。


 反応のない與。届かない言葉。

 必死だったはずの心が、ふと、ある真実に触れた。


 彼は私を救ってくれた。

 私にとって、與は特別な存在だった。


 でも——彼からしたら?

 

 與からしたら、私の存在は、彼をこの世に繋ぎ止めるほどの価値を持たない。

 その事実が、懸命だった私の意志を、冷たく貫いた。


「……あ……」


 声にならない吐息が漏れる。

 腰が抜けるように、その場にへたり込む。

 

 なぜ、私が来てしまったのだろう。

 あの場で私しかいなかったとはいえ——室長からの連絡を待つなり、なんなり、他の策を考えるべきだった。


——私なんかでは、引き戻せない。


 悟ってしまった答えが、ゆっくりと心を冷やしていく。

 彼に掛けたい言葉は、もう見つけられなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ