赤と金の捜査官
いまだかつて、こんなにも派手な赤髪の警察官がいただろうか。いや、いない。警察官すべてを調査したわけではないけれど、保守的な公務員でこの髪色は一般的じゃない。
パトカーでやって来た若い男性警察官は、赤髪の彼と初対面らしかった。いわく、
「與捜査官は、赤みがかった茶髪の方でいらっしゃると伺っておりました」
赤みがかった茶髪。控えめに表現するとそうなるのか。それで許されるのか。
私は手錠で連なった彼——與捜査官を見上げた。日光を赤く反射する頭髪は、駐車した目前の家へと向かっていた。繋がれた私も必然的に連れられている。
「そちらの方は……?」
若い男性警察官は、遅れて手錠に気づいたようで疑問の顔を見せたが、與捜査官に黙殺された。それ以上は私に言及することなく、パトカーへと戻らされた。応対からすると、與捜査官のほうが上の立場になるようだ。
広々とした住宅の庭を横目に、玄関へと歩いていく。庭の手入れは行き届いているが、どこか暗い。生垣が赤々とした葉を茂らせて、周りを囲っているせいだろうか。
無風の中、赤い葉がざわつく気配だけが、じわりと背を撫でる。空は青く澄んでいるというのに、ここだけ異様に鬱々とした影が落ちていた。
私はなぜここにいるのか。タイルを踏みしめながら浮かんだ問いに、そろりと與捜査官の背中へ声を掛けた。
「あの……私って、事情聴取で呼ばれたんですよね?」
反応はない。與捜査官は玄関の重厚なドアを開け、室内へと入っていく。追いかけるように私も靴を脱いだ。
スリッパはなく、出迎える人間もいない。ストッキング越しに触れる床が、ひんやりとしていた。
「ここはどこですか? 捜査官さんは、私を迎えに来てくれたんでしょうか?」
迷いなく進む與捜査官の長い脚に引っぱられ、私の足はもつれそうになるが、彼が止まる気配はない。彼は一階のドアを次々と開け、各部屋の中を確認している。確認といっても何かを調べたり触ったりするわけではなく、さっと室内を見回すだけで次へと移っている。私の問いは聞き流しているというよりも、彼の耳に聞こえていないような。
鎖で繋がれた私をペットのように引き連れて、広い一階を回り尽くすと、今度は二階へ。デザイン性の高い階段の手すりは華奢な鉄製で、彼の速度に合わせて上がるには心許ない。
「あの、もっとゆっくり……」
申し入れは叶うことなく、階段を上がりきってしまった。二階も下と同じように回っていく彼の後ろを、私は半ば諦めの気持ちで追った。無人の家を黙々と見て回るのがなんの儀式か分からなかったが、一通り作業が落ち着いてから声を掛けなおすことにした。
——しかし、
ぞわっと襲い掛かった寒気に、全身が鳥肌立った。何か見えない影に踏み込んだかのような、不吉な気配が肌に染み込んでいく。
一瞬止まった心臓が、激しく脈を打ち返す。それと同時に、足裏からは力が抜け、体は底冷えするようだった。
どこからともなく迫りくる恐怖に、ただ息を潜めて耐えるしかない。
小さく身を縮こませる私の横で、彼の足が止まる。振り向いた彼は片眉を上げ、怪訝そうに私を見下ろしたが……ふと、目許の険しさを解いた。
「どうした?」
問いかける声に、私は彼と瞳を合わせた。
金の眼が私を見ている。胸の恐怖を掻き立てるような恐ろしい瞳だけれど、それは私を案じているらしかった。
「ぁ……」
恐るおそる開いた私の唇は、意味のある言葉を発せられず、震えた掠れ声だけが小さく漏れた。
金の眼は、私を見ている。瞬きひとつせず、じっと待つように。その瞬間が永遠に続くように、彼は静かに待っていた。
どれほど止まっていたのか分からない。暗い闇の底に取り残されたような心地が、金の眼と見つめ合ううちに、その眼に灯る金の光を取り込むようにして解れていった。
怯えきっていた心が落ち着くにつれ、恐怖の矛先がはっきりとする。まだ少し動きの悪い指先を無理やり動かして、私は彼の背の向こう——廊下の奥に見えるドアを指さした。
「あの部屋が……こわい、です」
奥まった暗がりに存在する濃色のドアは、ぽっかりと空いた穴のようだった。
私の指先をなぞって、彼は背後に目を投げた。片目をすがめて薄く息を吐くと、
「あの部屋か」
私に問うたのか独り言なのか判断のつかない呟きをした。頷いてみせた私に、彼は瞳を往復させる。背後のドアと私を、行ったり来たり。
「お前は、ここで待ってろ」
数秒、彼は思考する時間を置いてから、手錠を外そうとした。私は脊髄反射で彼の腕を掴んでいた。
「あ?」
チェーンを外そうとした手が止まる。ぎゅっと掴んだ彼の腕は頑丈で、わずかに昨日覚えた畏怖が重なった。
身を下げた彼の顔は困惑に染まっている。金の眼は私に近づいたが、昨日のように蔑む色はなかった。
「なんだよ?」
「ひ、ひとりで待つのは……怖いです」
「はあ?」
何を言ってるんだ。私は何歳だ。自分でも(はあ?)と思うが取り消せない。
背の高い彼に、私はまるで小さな子供になってしまったような気持ちで、縋りついていた。
「このまま、繋いだままでいいですから」
「俺、あっちの部屋に行くんだけど?」
「それでも、このままでいいです。一緒にいましょう」
「えぇ~?」
私の頑なな主張に彼は不本意な声を出したが、チェーンから手を離した。
「怖いんじゃねぇの? なんでついてくんの?」
與捜査官は、疑念を唱えつつも濃色のドアへと向かっていく。彼の大きな背中を盾にすると、闇に手招くようなドアが隠れて、少しばかり安心できた。
ドアは近くで見ると、錆色の木製だった。ドアノブに手を掛けた彼は躊躇なく引き、覚悟を決めかねていた私を嘲笑うように、扉はあっさりと開かれた。
彼の背から、そっと顔を出してみる。妙に真っ暗な室内に戸惑ったが……
(この部屋、窓がない?)
二階の廊下は、窓から射し込む陽光によって光を確保している。一階からの吹き抜けとなる階段は、採光性に優れた天窓があしらわれていた。各部屋も大きな窓が設置されていたかと思う。
なのに、この部屋だけ窓がない。
暗さに順応した眼で視線を壁に沿わせると、窓らしき形の枠を見つけた。窓枠の向こうには堅牢なシャッターが降りている。
(何も、ない)
緊張感を裏切って、室内は無だった。無垢材の床はカーペットもなく、家具もない。備え付けのクローゼットらしき扉が壁にあるだけ。
肩透かしを喰うほど、何もない。生活の気配も人の体臭もなく、気になるのは、かすかに鼻にくる青臭い匂いくらい。
空っぽの空間。なのに、なぜ。
なぜ、こんなにも寒気がするのか。
「……捜査官さん」
胸を締めつける不安に耐えられず、盾となる背中に呼びかけた。
「何もないみたいですし、早く出ましょ……?」
振り向かない彼の横顔を、遠慮がちに下から覗き込んだ。そこで、私はハッと息を呑んだ。
何もない部屋の、存在しないはずの何かを睨みつけるような金の眼が——燃えるように煌めいていた。まるで太陽の炎を閉じ籠めたかのような、畏れ多い輝き。光が揺らめくたび奥で黄金の火花が弾け、燃え盛る焔のように明滅する。見る者を焼き尽くすほどの熱を孕みながら、どこか冷たい。凛とした美しさと、荒ぶる焔の異質さを同時に宿し、私は囚われるように目が離せなかった。
「捜査官さん……?」
彼方にそそがれる瞳を呼び戻そうと、彼の肘に手を触れた、刹那。
指先からぞわりと這う、言葉にならない感覚が脊髄を駆け上がった。彼の内に巣食う何かが理性の皮膜をすり抜け、私の内側へ忍び込もうとする。
本能が拒絶する。逃げろ、と叫ぶ。
けれど、金の瞳の奥に燃える焔から、どうしても目を逸らせないまま——
世界が、裏返った。