白銀に青
雪山の空は、鮮麗な青。
冴え渡る空気が色を研ぎ澄ませたかのように、吸い込まれそうなほど鮮やかに広がっている。
ゲレンデでは純白の雪が陽光を受けてキラキラと光り、色とりどりのスキーウェアに身を包んだ人々が、曲線を描きながら滑降していく。
その中に、華麗な滑りを見せる女性スキーヤーがいた。軽やかにターンを決め、滑らかに雪面を駆け抜ける姿は、見惚れるほどの優雅さを持っている。
吹き上げる粉雪、鋭く刻まれるスキーの軌跡。颯爽と風を切る長い黒髪の女性は——
私、朝美 楪ではない。
残念なことに、ゲレンデの下の方、スキーでよろよろと平面を危なっかしく進んでいるのが、私である。
「お前、ふざけてんの?」
呆れた声が降ってきた。振り向くと、與が片方のスキーを軽く傾け、じれったそうにこちらを見ていた。
「真剣です」
私はキリリと胸を張るが、直後バランスを崩しかけ、握っていたストックを慌てて突いた。
與は盛大にため息をついた。
それでも、なんとかリフト乗り場までたどり着く。
與もスキーを履いているが、動きには一切のブレがない。すぃーっと滑る横顔はまるで何も感じていないかのように涼しげだった。妙に器用なところは少しばかり腹立たしい。
「お前、そんなんで向こうのゲレンデに行けんの? ソリ取ってこいよ」
「ソリを持ってリフトに乗ってる人なんて一人も見ませんよ」
言い返しながらも、足許がおぼつかない。スキー板が雪を滑る感覚にまだ慣れない。慎重に身を屈めてリフトの座席に腰を下ろすと、金属のバーがガシャンと音を立てて降りた。
リフトが進み、私たちは徐々に地面から引き離されていく。
スキー場の喧騒が遠ざかり、白銀の世界が視界いっぱいに満ちる。雪面に刻まれた幾筋ものシュプールが細い線となって伸びていた。
宙に浮いた足を眺める。
下を覗けば、ふっと寒気が膝のあたりを撫でていく。反射的に身をすくめた。
風が強い。
眼下には人々が行き交っているが、リフトの高さまでくると、世界は一転して閑散とした寂しさに包まれる。
見渡すかぎり白い雪と、黒い木々、冴えた青。
吹き抜ける風は冷たく、雪山の静けさにはどこか張り詰めた険しさがあった。
足に纏わる冷気を振り払うよう、強めの口調で與へと問いかける。
「警察手帳を見せて、スノーモービルでも借りればよかったのでは?」
「無理。今回の捜査は極秘」
言いながら、與は片肘をリフトのバーに乗せ、退屈そうにゲレンデを見下ろした。
與の顔を横目に、私は息を吐く。ここしばらく、與は露骨に態度がわるい。ふたり並んでいるが、間には分厚い氷の壁があるような気がする。
なぜ、こんな雪山で、いまいち雰囲気のわるい私たちがリフトに揺られながら足をぷらぷらとしているのか。
それは、連続行方不明事案を捜査するためだった。
——朝美さん、ちょいといいかな?
こんな言い出しで菫連木室長が声を掛けてきたとして、「ダメです」「困ります」と返したところで意味はない。ということを、私は最近になって学んだ。
「はい、なんでしょう」
「荷物を纏めておいで。数日は宿泊するつもりでな」
素直に返事をした私に、菫連木室長から急な下命が。菫連木室長は穏やかに微笑んで続けた。
「今すぐN県に向かってくれ。與さんと一緒に」
私は思わず瞬きをする。
「……え?」
「気になる行方不明事案があってな。連続で、二人いなくなってんだ。どっちも同じスキー場の名前が出てるんだが、遭難じゃないらしい」
行方不明。脳裏で神隠しを重ねた私は、どきりと拳を握っていた。
「詳細は送る。行きの車で確認して、與さんと共有してくれ」
にこりと笑う菫連木室長の表情が、「行ってこい」ではなく、「行かないという選択肢はない」と告げていて、半ば強制的に私たちは送り出された。
雪山での遭難は珍しくない。冬山登山にスキーやスノーボード、地元の住人でさえ吹雪に巻き込まれて消息を絶つことがある。しかし、道中で確認した今回のケースはそれらとは異なっていた。
忽然と消えた——らしい。
らしいというのは、どうも行方不明の事実自体が曖昧だからである。
このゲレンデにやって来たらしい男性が二名、続けざまに消息不明となった。これはスマホの位置情報が示した最後の地点がこのゲレンデであっただけで、ここで消えた証拠にはならない。
遺留品はない。二人の関係性も確認できていない。ただし二人の滞在日はずれているので、面識があるとも思えない。
遭難を疑われたが、捜索隊も手掛かりを掴めない。二人とも、この地でスマホの電源を落とし、みずから消息を絶ったと見ることもできる。
ニュースにすらならない事案。
まるで、足跡すら残さず吹雪に呑まれたかのような、曖昧な懸念。
だからこそ、私たちが派遣されたのだ。
特異事件捜査室が動いていることは内密に。特異はここの地元警察と折り合いが悪い、とのこと。
「——言っとくけど、」
リフトが終着点を迎えようとしたとき、隣から独り言のような声が聞こえた。
「お前が転ぼうが滑り落ちようが、俺は知らねぇから」
「えっ?」
「じゃあな~」
軽い声でストックを持ち上げた與は、リフトを降りる足で滑っていってしまった。
私は危うげにリフトを降り、足許を確かめながらゆっくりと進む。
視線を落とした先には——目が眩むような急斜面。
「………………」
ごくり。生唾をのむ。
雪面はどこまでも白く、滑らかで、果てしなく続いている。上から見下ろす傾斜は想像以上にきつく、ただ立っているだけでも足がすくむ。
與の濃紺のウェアは、すでに彼方にある。しなやかな動きでスキー板を操り、雪面を切っている。
弾かれるように加速したかと思うと、雪煙を上げながら小さくなっていった。
私は、硬直したままストックを握りしめた。
(これは、どう考えても無理では?)
膝が笑う。顔面蒼白になるのが分かる。
滑るどころか、一歩踏み出した途端に転げ落ちる未来しか見えなかった。




