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隠された真実

 再び訪れた霧島家の邸宅は、薄暗い空気とともにその存在感を放っていた。

 重厚な扉が静かに閉じられ、外界との隔たりがよりいっそう際立つ。

 霧島 沙羅は、案内された部屋のソファに腰掛けていた。柔らかな髪を肩に垂らし、どこか無機的な瞳で虚空を見つめている。與は立ったまま、私だけが座ってテーブル越しに彼女と向かい合った。


「捕まえた男が白状しました」


 正面に沙羅を見る。


「彼は、『予言のためにやった』と」


 昨夜捕まえた男が、『予言を叶えるために、危害を加えようとした』と認めた。

 認めたと言っても、正当な聴取ではなかったと思われる。男は不自然なくらいすんなりと認めたのだ。

 尋問したのは椿だった。どうやったのかと尋ねた私に、「秘密じゃよ」と微笑むのが意味ありげだった。

 

 私と向き合う沙羅の表情は、微塵も揺らがなかった。確信を持ってぶつけた私に対し、彼女は他人事であるかのように反応が薄い。


「なんの話でしょうか?」


 声も平坦だった。本当に心当たりがないかのように、自然に首をかしげた。


「しらばっくれても無駄だ」


 與が鋭い語気で口を挟んだ。彼の視線は鋭いが、沙羅は微笑すら浮かべず、正面から受け止めた。


「知りません」


 沙羅の表情は変わらない。

 私は彼女をじっと見つめる。これほど揺るがないのは、本当に関与していないからなのか。それとも——。

 與が舌打ちをした。


「いい加減にしろ。これはガキの悪戯(いたずら)で済ませられる問題じゃねぇ。ここで認めないなら、俺らは()()()()()踏み込む」


 與の声は脅すように低く響いた。抑揚を抑えながらも、言葉の端々に容赦なく叩き潰す厳しさがある。

 子供であっても決して許さない。明瞭な意思があった。


 沙羅は身じろぎし、薄く唇を()む。

 彼女の大きな瞳には、言葉の意味を測りかねる戸惑いが揺れていた。

 状況が分からない。けれども、その戸惑いの奥に潜むものは——恐怖だ。

 隠しきれず表れ出したのは、小さな戦慄(せんりつ)。これ以上に言葉を重ねれば、何かが崩れてしまいそうだと(おび)えるような。

 暗闇のなか、出口の見えない迷宮に迷い込んだかのように、彼女の瞳には不安が滲んでいた。


 與は、その揺らぎを見逃さない。

 静かに、ゆっくりと、沙羅の意識を(から)めとるように言葉を紡ぐ。


「分かってんのか? 正直に認めて謝罪する機会は、今、この一度きりだ」


 沙羅の肩がぴくりと動く。

 泣きそうな瞳が、與ではなく私を捉えた。

 しかし——。


「私は、神様に選ばれた。……特別なの」


 認めることのない声は、かすかに震えていた。

 だが、それは恐怖の震えではなかった。迷いのない意思で、まるで天から垂れる細い糸に(すが)りつくような声だった。


 重い沈黙が降りる。沙羅は唇を水平に閉ざし、彫像のように固く黙り込んだ。

 ため息をつく與の諦念に、私は仕方なく彼と立場を変わる決意をする。

 この先は彼に任せるしかない。『素直に認めて謝るなら、(ゆる)したい』という私の希望は、もう途絶えた。

 私が諦めようとしたとき、


 ギィ……

 

 扉が、重々しく開いた。

 湿り気を帯びた木の軋む音が、空気をさらに冷たくする。


 入ってきたのは、霧島家の主人と夫人——沙羅の両親として、写真で確認していた二人だった。

 主人である父親は、(くぼ)んだ目に激しい憔悴(しょうすい)を見せ、引き結んだ唇の端に苦悩を滲ませる。母親は青ざめた顔をしていた。

 二人は無言のまま、沙羅の姿を見つめる。

 その眼差しには、言葉にできないほどの切迫した重さがあった。


 母親が震える指先で胸を押さえ、深く息をつく。

 伏し目がちに、父親が口を開いた。


「……わたくしが、お話します」


 その言葉は、冷えた水のように静かに落ちた。

 沙羅が困惑するなか、父親がゆっくりと語り始めた。


「……行方不明などでは、なかったのです。この子は——誘拐されていたのです」


 沙羅は目を見開いた。


「うそ、ちがう」


 すぐさま否定する声は、喉の奥から絞り出されるように沙羅の口から零れる。


「違う……私は神様に選ばれたの。向こうの世界にいたの」


 沙羅の細い手が、胸の前で握られる。

 父親は私たちに弁明しながら、沙羅へと正しく言い聞かせるように語った。


「誘拐犯から連絡があった。お前を無事に返す代わりに、時間を置くことなく二百万を払えと……」

「違う違う違うっ」


 沙羅は耳を塞ぎ、激しく叫んだ。切羽詰まった声は理不尽な現実へと抗議するが、瞳には絶望が透けて見える。

 小さな身体が壊れそうなほどに、受け止めきれない現実への葛藤が浮かんでいる。

 

「そんなこと……そんなこと、あるわけない!」


 叫び声とともに涙を流す沙羅は、初めて歳相応の弱さを(さら)した。

 彼女を抱き止めるように寄った母親が、涙を拭う。母親も、苦悩の表情で泣いている。

 父親は冷静であろうとしたのか、私たちへと向いて震える声で言葉を継いだ。


「金額が低かったこともあり、身代金はどこからも不審に思われず用意できました。『警察には連絡するな』と脅迫してきたメールに、写真が……それを見て、一刻も早く救わなければならないと……」

 

 証拠として残してあったのか、父親は送られてきたと思われる写真の画像を私と與に提示した。

 スマホの画面に映るのは、薄暗い部屋の中央に転がされた裸の少女。沙羅なのだろう。

 目隠しをされた彼女が、救いを求めるように闇へと手を伸ばしている——。

 

「娘はすぐに戻ってきました。ですが、犯人は『他にも写真がある』と言っていた。誘拐を公表するなら、その写真が世間に(さら)されると思え——と。私たちは、あの子の未来を思い、誘拐の事実を隠そうとしたのです……」


 父親の言葉が途切れた瞬間、沙羅は激しい衝動に駆られたかのように、母親の手を振り払って体を引き離した。「違うっ!」と、ガラス細工が割れるような声が室内に響いた。


「私は、神様に——」

 

 言葉は、空虚な欠片(かけら)のように途絶え、細い身体がわななく。

 それでも、その言葉を握りしめるように沙羅は口を開き直した。


「私は神様に選ばれたの。(ひど)い目になんてあってない!」

 

 涙が頬を伝い落ちる。


「私は特別だから、神様に攫われたの。神様の声も聞いたの。少しのあいだ寒いのを我慢したら、特別に帰してくれるって……ちゃんと、聞いたの! 私は特別だって、聞いたの!」

 

 特別だ、と。その言葉を繰り返すたびに、部屋の空気が張り詰め、幻想と現実の境界が揺らいでいく。

 父親が、悲しみを(たた)えた眼差しで、沙羅の頭を包み込むように抱き寄せた。

 

「……すまない」


 沙羅は首を振り、涙に濡れた手で、父親の抱擁すらも拒もうとする。

 

「いや……いやっ……」

 

 否定を唱える声は掠れ、薄い布が裂けるようだった。

 

 ——真実が、彼女を壊してしまう。

 誘拐事件を世間に隠そうとしたのに、彼女が語る嘘のせいで上手く隠せなくなった。だからこそ、両親は——いや、おそらく霧島家に携わる全員が——ひとつの決断に至ったのだ。

 

 嘘に付き合い、沙羅を護る。痛ましい事実を、彼女の幻想へと変えるために。 

 彼らは神隠しの物語を創り、演じることを決めたのだ。

 おそらく、手段を選ばず情報を収集し、辻褄(つじつま)を合わせてきたことだろう。


 すべてを悟った私は、與を振り仰いでいた。

 占いや予言のやり方から推測するに、沙羅も心のどこかでは理解しているのかも知れない。でも、語られた真実を前にしても、彼女は涙ながらに拒絶し続ける。この先の正解を、私は見つけられずにいた。

 真実を公にして捜査を進めるべきか。沙羅の未来のために、すべてに目をつぶるべきか。それとも、彼女の幻想に加担した者たちを裁くべきか——。

 

 背後に佇む與は、私と視線を交わした。

 目が合う刹那、抑えがたい感情を秘めた瞳が、ゆらりと暗い影を宿した気がしたが——私を捉えた途端、(かすみ)のように消え失せていた。

 重ねた瞳に、與は低く押し殺した声で口を開く。


「お前は、赦すって言ったな?」

 

 確かめるように、與の強い目が私を見つめる。


「え……?」

「お前を襲った人間は、両親か使用人が手を回したんだろ。脅迫めいた予言だけじゃなく、周囲がしたことも、お前は赦せるのか?」

 

 唐突な問いに、私は困惑しながらも(うなず)いた。

 

「それは、今朝も話しましたよね……?」

「赦せるんだな? 『はい』なら『はい』って言え」

「はい。與くんが護ってくれたおかげで、すり傷ひとつありませんから」


 分からぬままに、それでもはっきりと返せば、與の瞳に凶悪な決意が(ひらめ)いた。

 

「なら——この先は、()()のやり方で片付けるか」

 

 金の眼は、咬みつくように尖った。

 声音は鳩尾(みぞおち)に落ちるような低く恐ろしい響きだったが、同時に、その奥に根付く炎のような怒気を伝えた。


「お前、今度は冴に告げ口すんなよ?」


 與は、ゆるりと口角を持ち上げる。それは私を脅している。

 けれども、そのかすかな笑みが、私を安心させるためにくれた彼の優しさだと思ってしまうくらいには、(ほだ)されていた。

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