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人攫い

 とすんと背中から落とされた先は、車のトランクだった。

 ほんの数分で近くのパーキングに着いたかと思えば、青のスポーツカーに放り込まれた。

 視界の端で得た情報から、(売り飛ばされる!)と犯行を確信した私は、閉じられそうなバックドアを邪魔するように身を起こした。


「待ってください! 私を売り飛ばしてもお金になりませんっ」

「ん~?」


 トランクを閉じようと手を掛けていた彼は、飛び出る勢いだった私の肩を押さえた。私はその手を逆に(つか)み、渾身(こんしん)の思いで説得を試みる。


「私、生まれて一度も告白されたことがなく付き合ったこともなく、恋愛から遠くかけ離れてて、だから攫う価値なんてないかと!」


 自分で言っていて(むな)しさも湧いたが、(健康な臓器はある!)不要な事実を悟らせまいと、口早に自己卑下して彼の意識を()らした。

 彼は目を合わせ、一秒無言になってから、


「あ、そっかぁ。お前、人間じゃん。トランクだとキップ切られんな……?」


 思いついた顔で再び私を抱きあげた。

 解放! と思いきや、またしても肩に引っ提げられ、私の体は助手席へと移された。近づいた長躯(ちょうく)(おり)のように被さり、手際よくシートベルトで私を固定していく。

 間近でぶつかる金の眼に私がおののいていると、彼は邪気のない表情で右の拳を突き出した。私と彼のあいだに。仲間同士の拳コツン?


「左手、こうやって出せる?」

「えっ? ……こ、こう?」


 なんだなんだ。素朴な質問みたいに()かれて、流されるまま左手を……

 カチ。差し出した私の手首に、ものすごく軽い響きで、ものすごく重々しい物が掛けられた。


「……て、手錠っ?」

「お前、ほんと優秀だな~? えらいえらい」


 心ない讃辞(さんじ)を受け取ることなく動揺していると、彼は手錠の反対側を、シートベルトを引き出した部分に掛けた。横断歩道を渡る小学生よろしく片手を上げた私を見て、彼は唇を薄く曲げる。


「じゃ、地獄の果てまでドライブすっか」

「ま、まま待って!」


 制止の声は閉まるドアに遮られた。

 反対に回った彼は軽快な動きで運転席に着き、エンジンの重低音が体に響きわたる。出足からギュン、と加速した衝撃に、思わず「うえぇぇぇっ」と喉が鳴った。


 こういうとき、アクション映画だと車から飛び降りたりする。悪者から逃げるために、ジャンプしてコロコロっと地面に身を転がしたり。


(——いや無理! 素人にはできない!)


 私が冷静のカケラを取り戻したときには、車は住宅街から大通りに抜け、高速道路へと入っていた。

 たちまち速度が上がり、車窓の景色が流れていく。いま飛び降りたら死ぬ。後続車に()かれるか、体を地面にバウンドさせてボロボロになる自分が見える。……その前に手首を繋がれていた。八方塞がりだ。

 

 懸命に知恵を振り絞ってみるが、なんの解決策も出てこない。混乱する頭で口を開いた。


「あの、私ぜったい何にもならなくてっ……た、助けてくれたらお金くらい払いますから! 貯金も全部どうぞっ……」

「ん~? お前、俺に金くれんの?」

「はいっ、どうぞ!」

「へー? 助かるわ。今月の金、昨日()っちまってさぁ。さんきゅー」

「いえ、お気になさらずっ……助けてくれれば、それでもう十分ですから! 命より大事なものなんてないので」

「そうだな~?」


 一生に一度あるかないかの命乞いは、非常に軽く緩い空気で打ち返されている。交渉成立のはずが一向に速度の落ちない車に、(え? あれ?)私は困惑の目で高速出口を見送っていた。

 流れゆく外景から車内に目を戻すと、彼は自身のポケットから携帯を取り出していた。折りたたみの、今時ガラケーの。

 振動しているそれを、私の膝上に、ぽいっと。


「えっ?」

「通話」

「えっ?」

「通話」


 動画の巻き戻しみたいな。

 遅れて『通話に応じろ』の指示を理解した。どうして私が。

 膝から拾い上げた携帯を開く。ディスプレイには『ウィオラ』とカタカナの名前が表示されている。人攫いのボスかも知れない。海外っぽい名前に戦々恐々とする私をよそに、スピーカー越しの会話が始まった。


《こら。お前さん、また無線を忘れただろ》

「俺も今気づいたわ」

《あのなぁ……》


 (あき)れる長息の音に、記憶が結びつく。昨日の電話のひとだ。ゆるりとした柔和な話し方の男性。名前のわりに日本語が流暢(りゅうちょう)だ。


「——で、本題は?」


 ふいに、隣の彼の(まと)う空気が張り詰めた。声音は低く、目つきは何かを(にら)むように鋭く研ぎ澄まされる。

 隣に座る私はぞっと身を震わせた。


《おそらく、事件だ》


 通話向こうの声も引き締まった。


「おそらく? ……また勘かよ」

《俺の勘は百発百中でね》

(さえ)は論理的に話せねぇの?」

菫連木(すみれぎ)

「菫連木ボスからは、論理的にご説明いただくことができませんかねぇ~?」

《まぁ、細かい説明は置いといて。先日、被疑者死亡の殺人事件があったんだが……知ってるかい? 片城(かたしろ)事件だ》

「ああ、バラバラ殺人事件か。複数の女を殺して、遺体を切断したやつ? 犯人死亡で行き詰まってんだっけ。捕まる前に自殺したか~?」

《自死じゃあない。どうも複雑でな。被害女性のうち最後のひとりが抵抗して被疑男性を死に至らしめた——との見立てが出てたんだが……そうなると、その被害女性はどこへ行ったんかな? っつぅね》

「逃げたんじゃねぇの。警察に捕まると思ってさ」

《にしては痕跡が無さすぎる。首を絞めて殺されてんのに、被害男性に抵抗の跡もない。……現場に居た(もん)は全員の遺体が確認されてんのよ。処分された部位もあるが、被害女性の全員が全身を分割されたと見て間違いない》

「……()が犯人を殺したか?」

《そう、それが問題だ》


 不穏なワードが、戸惑う私の耳にも入ってくる。

 彼の横顔は薄く冷笑を帯びた。


「現場は」

《C県片城市憧形(しょうけい)——。二階建ての灰色の家だ。俺が近所の身内に連絡する。別の(もん)に鍵を取りに行かせるから、現場で受け取ってくれ》

「了解」


 車のサイドミラー、ウィンカーが光った。目的地を変えたらしい彼は、ハンドルを切って車線を移った。


《お。そういや(あたえ)さん、例の子は——》


 電話先の男性はまだ何か言おうとしていたように思う。しかし、隣の彼は話が終わったと判断したのか、先にこちらへと手を伸ばして通話を切っていた。

 車内には、タイヤがアスファルトを擦る音だけが薄く響く。

 自分の未来を案じ、冷や汗でじっとりとした手を握りしめる。緊張で頭が働かない。事件、死亡、バラバラ——恐ろしい言葉ばかりが耳に残っている。


(なんとかして逃げないと……)


 加速する車からどうやって脱出するかを思案し、やはり停車して降りる瞬間を狙うしかないとの結論に至った。

 ピリピリとした横の空気に怖気(おじけ)づく思いで息をひそめていると、やがて車は一般道へと合流した。


 緩やかなカーブを(えが)く並木道を通り、車は広々とした高級住宅街へと入った。

 道の両脇には洗練された邸宅が見え、それぞれが大きな門と高い塀で囲まれている。格子のシャッターに護られた高級車はツヤツヤと光り、住む人々の成功を物語っていた。


 停車したのは、ダークグレーの角ばった家の前だった。

 風に揺れる木々の影を踏む者はなく、静まり返っている。

 鉄の門扉には、絡む蔦のような模様。どこか息が詰まるような閉塞感が喉を押した。

 色彩の抜けた薄暗い箱が、ひっそりと佇んでいる。窓越しにその景色を見た途端、背筋に寒気が走り、ぶるりと震えた脚を手で押さえた。


(……車から降ろされた瞬間に、なんとしても逃げる)


 (ひる)む心を叱咤(しった)する。

 せめてもの救いは、太陽が燦々(さんさん)と照りつけていることだ。闇夜よりは人目につきやすい。脱走のタイミングを慎重に見定めなければ。

 横でエンジンを切った彼は、変わらず冷たい鋭さを携えていたが……


「あ」


 運転席のシートベルトを外した大きな手が、ぴたりと止まった。シュルシュルと巻き戻るベルトの音が、間の抜けた彼の声のあとに鳴った。

 こわごわと様子をうかがっていた私と目を合わせて、彼は信じられない発言を。


「お前のこと、忘れてたわ」


 たった今私の存在を思い出したと言わんばかりの顔が、ハッと笑みを漏らした。唖然(あぜん)とした私の顔がおかしかったのか、彼はけらけらと笑う。


「お前、存在感ねぇな~? 静かすぎだろ」


 ええぇぇぇ。大声をあげたい意思を、なんとか抑えきった。

 こっちは命懸けで恐怖と戦っていたのに、まさかの()()()()()()()。差し迫った状況下でこんなにも決死の思いでいるのに……

 忘れられていたっ?


「どうすっかなぁ……べつに連れてきゃいいか?」


 車から降りた彼が助手席に回った。彼は小さな鍵で手錠の片側を車から外し、すこし考えてから……彼のベルトに垂れていたチェーンらしき物へと引っ掛けた。車から降り、並んだ私を見ると、


「ははっ、ペットみてぇ」


 面白そうに笑った。こちらは何も面白くない。どちらが繋がれているのか、なんなら彼がペットのポジションにも思う。……などと胸中で思い惑ううちに、逃げる好機を逃していた。


(しまった、油断させられた!)


 ふざけた雰囲気に()まれていた自身を責めたくなったが、ここで私の失敗を覆すための奇跡が起こった。

 通りの向こうから、パトカーがやって来ていた。胸が跳ねる。


(助かった……!)


 希望の光に緊張が解ける。

 エンジン音に、彼が振り返った。連なるように停まったパトカーに、彼は焦り逃げるかと思われたが……反応が薄い。平然とする彼を疑問に思ったが、私にとってはすぐにでも警察官に救いを求めることのほうが重要だった。


 ——助けてください。人攫いです!


 パトカーの助手席から降りた警察官が、急ぐようすで駆けてくる。私が助けを乞う前に、そのひとが大声を出していた。


「遅くなり、大変申し訳ございません!」


 かしこまった言いぶりの警察官は、私を見ていない。てっきり私の危機を察知して飛び出してきたのかと思ったが、繋がれた手錠に気づいている感じは微塵(みじん)もなく。赤い彼しか見ていない。

 狼狽(うろた)えた挙動の若い男性警察官は、彼に向かって尋ねた。


「室長よりご連絡を頂いております。失礼ですが、與捜査官でいらっしゃいますでしょうか?」


 カチリと緊張の帯びた問いに私が面()らっていると、彼は胸の内ポケットに手を伸ばした。ダークチョコレートの色をした革の——財布にしては薄すぎるパスケースみたいな物を取り出して、ぱかっと。縦に開いてみせた。

 真横に並ぶ私にも、ちらりと中身が見えた。上面には彼の顔写真(黒髪だ)と名前や階級らしき文字。

 そして、下面には。


「け、警察っ?」


 すっ頓狂(とんきょう)な声をあげてしまった私に、背の高い彼が「うるせぇな……」顔をしかめて私を見下ろした。

 こちらを向いた顔写真の彼と目が合う。黒い髪はさておき、濃紺色の制服を正しく身につけた猫眼の青年は、紛うことなき目前の彼だった。

 下面には金属製の逆三角形に近いバッジが権威を誇示し、『POLICE』『警察庁』との印字まで、しっかりと入っている。


「警察だったんですか、あなた!」


 びっくりして本人を見上げれば、『あたえ捜査官』と呼ばれた彼は眉を寄せる。


「はぁ? お前、俺のことなんだと思ってたんだ?」

「人攫いかと……」


 気が抜けて口にした私の言葉に、彼の眉頭はかすかな(ゆが)みを見せた。

 不快にさせたのでは、と。失言を取り消そうとしたが、彼は唇を斜めにして鼻先で笑った。


「あぁ、俺が怖くて(おび)えてたか。だから、お前、あんなに静かだったわけ」


 ひやりと、背筋を冷たくさせる彼の笑い方に、緩んでいた心が強張る。

 冷然と見下ろす金の眼を細めて、彼は改めるように、手中の警察手帳を私へと示した。


「申し遅れました。本職、特異事件捜査室の與と申します」


 妙に慇懃(いんぎん)に名乗ってみせると、彼は腰を屈めて私の瞳を覗き込み、低く絡みつく声で囁いた。


「人攫いの鬼じゃねぇよ?」


 笑い声に取って代わったセリフは、私をからかう意味で言ったのだろう。近づいた金の眼にびくりと反応した私を、彼はたしかに見ていたから。

 ただ、笑う彼の眼は鋭いままで、何か別の意図があるようにも感じてしまった。まるで彼ひとりにしか分からない謎々をかけられたような。不吉な暗号を、胸の奥へと忍ばせるような——。

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