表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/58

あくたの正義

「よくやった」

 

 菫連木室長の第一声は、それだった。

 

 対象の青年が(たた)られたのは、本人が語っていた『神の島で噂を試した』ではなく、島の端にあった小さな(ほこら)を破壊したことが要因だった。

 動画はネットにアップロードする目的で撮影されたが、のちにやりすぎたと思い断念したらしい。菫連木室長に話を回した父親も、ここまでは知らないと思われる。

 対象の青年から、妖狐退治の記憶は消去した。父親が頼んだ神職のお祓いによって解決したと、青年は勘違いしている。

 恐怖の記憶を失い、安易な解決を得た青年は——おのれを省みることなく平常に戻った。

 

 それを、菫連木室長は「よくやった」と言った。

 


「……まぁな、気持ちは分かるさ」

 

 翌日の昼休憩の時分、捜査室のデスクで手作り弁当を食べていた私に、菫連木室長は声を掛けた。與と白月が昼食のため外出していて、捜査室は二人きりだった。

 菫連木室長は食事をしていない。彼は私の起案した報告書を眺めていた。

 唐突な声掛けに、私は食事の手を止めて菫連木室長へと目を送った。言わんとする話題は察した。朝から與は、あからさまに菫連木室長に対して不敬を働いている。白月も思うところがあるようすだった。本日の捜査室の空気はよくない。

 

「朝美さんも、納得いってないんだよな?」

「………………」

 

 否定はできなかった。黙りこくった私の顔に、菫連木室長は苦笑した。

 

「襲ってきたのは、祠に(まつ)られてた狐の怪異って仮定されてるな? この報告書の話は、朝美さんが調べてくれたのか」

「……はい」

「神様ってのは、厄介なもんだ。かつての信仰から力を得たものの、現代では(ないがし)ろにされて(ゆが)んだもんが多くてな。参ってるよ」

「……怪異に関係なく、今回の件は礼拝所不敬罪に当たると思われます。動画を確認したのだから、逮捕しても——」

「必要ない」

 

 菫連木室長は短く言い放った。語尾にはなんの揺らぎもない。反論を許さぬ声音に、空気がわずかに張り詰めた。

 直後、彼は思い直したように微笑む。


「特異は、怪異から人々を護り、公共の秩序と安寧を維持するために在る。我々の正義のためにも、余計な不条理は呑み込んでくれんかな?」


 声色はやわらかくなったが、私の心に届くものではなかった。

 菫連木室長の語る正義は慰めにならず、今この場においては無価値だった。


「ところで、」

 

 私の沈黙を破るかのように、菫連木室長は視線を()らして口を開いた。


「今夜、空いてるかい?」

「今夜、ですか? なにかトラブルが……?」

「あぁいや、違う違う。今日は取り立てて何もないから、早めに切りあげて朝美さんの歓迎会でもどうかと思ってな」

「かんげいかい……」

 

 話の流れが唐突すぎて、未知の言葉のように響いた。

 菫連木室長は笑顔を浮かべる。

 

緋乃縁(ひのふち)さんも、朝美さんの歓迎会なら喜んで、と。……まぁ、言ってる俺は、会食があって参加できないんだけどな。代わりに俺の(おご)りだ。予算に制限はつけんから、好きな店を言ってごらん。どんな有名料亭でも取ってあげるよ」

 

 ニコニコと返答を待つ菫連木室長に、私は難しい顔を返した。そんなことで、私もみんなも(ほだ)されやしない。訴えたい気持ちは胸に仕舞って、私は返答をずらした。

 

「パッとは思いつきません……」

「焦らんでも。帰るまでに言ってくれたらいいさ。明日は休みだ、ゆっくりできるとこがいいかもな……?」

 

 特異事件捜査室に入って、初めての週末。警察官だから夜勤があるのかと思っていたが、勤務形態は週休二日の毎日勤務らしい。菫連木室長も、「特異はホワイトだ」と言っていた。

 しかし、疑問が浮かぶ。

 

「あれ? 私と與くんが出会ったのは、日曜だった気がするのですが……あの日は與くん、お休みでした?」

「ん?」

 

 首をかしげて尋ねた私に、菫連木室長はふんわりと笑った。

 

「あぁ。休みであってもどこにいても、気になる事件があったら呼び出すから。その日は前日に重要な事案があってな。それの関係で……」

「………………」

 

 まったくもってホワイトではない。

 思うだけで、口にはしなかった。

 

「まぁ、店については考えといてくれ」

 

 席から立ち上がると、菫連木室長はコートを羽織った。外出を告げて出ていく颯爽とした背中を、私は微妙な表情で見送った。

 止まっていた手を動かす。甘い卵焼きを口に含んで考える。行ってみたい店などない。白月にでも希望を()いてみようか……。

 

「——せっかくじゃから、主君が破産するまで饗宴(きょうえん)(ふけ)るのもよいのぅ」

 

 背後から、古めかしい響きの声が突如として響いた。

 予期せぬ声に心臓が跳ねる。肩を上げて固まった私は、しばらく息を止めていたが……おもむろに緊張を解き、吐息を鳴らして振り返った。

 

椿(つばき)くん……」

「おはよう、お嬢さん」

 

 (とが)める私の目に、背後に立っていた椿が悠然と微笑んで頭を下げてみせた。

 艶やかな声は、新たな日の幕開けをしみじみと告げる響きだが——時計を見てほしい。今は昼だ。

 

「こんな時間に、『おはよう』じゃないですよ。……あれ? いつから居ました?」

 

 目を丸くする私を見下ろして、椿はクツクツと喉を鳴らす。端整な顔が笑うさまは一見して美しいが、行動が突飛なため惚れぼれすることもできない。

 

「くだらぬ騒擾(そうじょう)は片付いたかえ?」

 

 緋色の瞳がゆるやかに細まり、愉悦にも哀れみにも見える色を帯びる。

 笑う唇は、戯れに問うた。形のよいその唇に、私はしばし意識を奪われたが、

 

「……もしかして、椿くんは、分かってましたか?」

 

 はたりと取り戻した意識で、椿を見上げる。赤い虹彩(こうさい)は光を(まと)い、私を試すように(おど)かしている。

 

「はて、なんの話じゃろう?」


 私は言葉なく見つめた。

 互いに無言で、何かを突きつけるように見つめ合ったが、その時間は椿の吐息が終わらせた。

 

「神に向けて正義を吠える、無知な(えのこ)は、なんとも滑稽じゃろう?」

 

 それは肯定だった。婉曲(えんきょく)的に認めた椿を見上げたまま、私は眉を寄せた。

 

「真実を知っていたとしても、見捨てられなかったと思います。白月くんは」

「ほう、そうかえ。それで満足せず、頭を悩ませるのじゃから……野暮な狼藉じゃと思うがのう?」

「………………」

 

 人を——救った。

 そこに間違いはない。きっと、あの行動に正義はあったのだろう。私たちの立場からすれば、あれで正しかった。

 頭では分かる。分かるが……報われないこの気持ちは、どうしたらいいのか。

 理不尽を受け入れようとするたび、胸の奥に沈めようとする感情が、静かに(うず)く。

 

 私はただ無言のまま、心の奥底で渦巻く想いの行方(ゆくえ)を探していた。

 

 赤い眼から視線を落とし、指先に力を込める。迷いながらも、ふと、心のどこかに一筋の光が()し込んだ。


 報われない、受け入れられない——ならば、どうすべきか。


 答えは、思いがけずあった。はじめからあったではないか。

 私はゆっくりと目線を上げ、赤い眼を見据えた。

 

「……祟りましょうか。もういちど」

 

 私のそれは、正義の警察官が言うセリフではなかった。

 ただ、椿は興味深げに笑っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ