神祟りの島
神の島に踏み入る者、断じて右回りに巡るべからず。
これを破らば、亡者の影まとわりつき、ついには死の淵へと誘われん——。
日本海の潮騒が耳に響く。
離れ島に続く赤い橋のたもとに立ち、私は足を止めた。
「あれが、『神の島』……」
遠くを眺める瞳で呟く声は、波音に紛れる。私の目の先まで長く伸びる橋は、まるで海に浮かぶように架けられ、朱塗りの欄干が青黒い波間に鮮やかだった。
湿った潮風が頬を撫でる。どこかざらりとした感触があるのは、荒々しい海の塩気のせいだろうか。
「すっげー!」
波音に負けぬ大きな声に、私は振り返った。背後では、白月が無邪気に瞳を輝かせていた。
「おれ、日本海は初めて見た! 海の色がかっけーな!」
そうだろうか。
全体的に色彩が褪せた景観を眺めつつ、私は首をかしげる。
しかし、喜びに跳ねる白月は可愛らしい。感想には共感できなかったが、嬉々としてスマホのカメラを回す彼にだんだんと感化され、私も侘びさびを感じるような錯覚が。
「白月くん、私が撮ってあげますよ」
「ありがと、ユズさん!」
島と橋を背景に、白月へとスマホを向けて、シャッターを切る。潮風に髪が揺れる瞬間が、画面に収まった。良い構図で撮れた。
満足する私の後ろから、特徴的な声が低く、深海から這い出るように響いた。
「お前ら、はしゃいでんじゃねぇよ」
ポケットに手を突っ込み、潮風に目を細めながら與が通り過ぎる。偉そうに言った與であるが、ここに来るまでの新幹線内で彼は眠っていた。通路を挟んで彼の横顔を見ていた私は知っている。
ハッとした白月が濃紺のジャケットを追いかける。私も追随した。
橋は丈夫な作りだが、渡る足許がかすかに揺れる気がする。実際に揺れているわけではない。波が岩にぶつかり砕ける音と、潮の流れが視界の端を横切るせいで、まるで自分の体が海で揺らぐような錯覚に陥るのだ。
「——で? ここが、なんだって~?」
用心したくなる足許から目を上げると、與が私を振り返っていた。
「與くん、聞いてなかったんですか?」
「聞いてた、大体は。馬鹿なガキどもが祟られたっぽいから、調べろっつ~話だろ」
「そのお馬鹿さんの一人が、長官のご子息ですって」
「くだらねぇ事案ばっか引き受けてくんだよなぁ~、冴は」
與の吐息が流れていく。彼の言うとおり、今回の件は、お偉方から菫連木室長へと内々に依頼があったものらしい。
息子と共に観光したグループの仲間が、次々と大怪我を負っている。事件に巻き込まれたり、事故に見舞われたりしているというのだ。
聞けば、彼らは『神の島』と呼ばれるこの観光地で、肝試しをしたらしい。いわゆる——
「ホラチャレですね」
「は?」
眉を上げる與に説明をした。
『神の島』は、右回りに巡ると非礼行為となり、死者の霊に取り憑かれるとの言い伝えがある。近くの崖が自殺の名所で、死体が流れ着く関係からそんな謂れがあるのだろう。非礼行為については有名というほどではない。ここまでの道中で調べたが、マニアックな部類に入るようだった。
「しょうもねぇなあ……」
「ですねー……」
呆れる金の眼は、遠くの海へと送られた。その感情には私も同意する。
「ヨルさーん、ユズさーん、はやくー!」
二人して足を緩めていたが、先を行く白月から呼ばれて速度を戻した。
橋を終え、島に入る。続く石段を登ると、背の高い松の木々が影を落としていた。昼間だというのに薄暗く、ひんやりとした空気が漂っている。苔むした岩の隙間から、名も知らぬ草がひっそりと伸びていた。
人の気配はない。平日の昼間のせいか、観光客も見当たらない。聞こえるのは風のざわめきと、時折どこかで鳴く鳥の声だけだった。
「えーっと、こっちが噂の右回りですね?」
私が石畳を示してみせると、與と白月が足を踏み出した。迷いなく。非礼な方へ。
「えっ!」
驚きの声をあげる私に、二人が同時に振り返った。
「うん?」
「あ?」
「なぜ、そっちへ行くんですっ?」
きょとりとした白月と、胡乱げな與が、私の問いを受けて目を合わせた。
「なぜって……」
「調査だろ。試しにやってみたほうが早ぇーじゃん」
開いた口が塞がらない。あえて非礼行為をやっちまおうと言うのか、この人たちは。
「来たくなきゃ、そこで待ってろよ」
驚愕の私を置いて與が足を進める。白月も後ろ髪を引かれるようすながら、率先して與の前を進んでいく。
「ま、待ってください!」
私も慌てて足を動かした。どこからともなく香る潮の匂いと、木々の青い匂いが混じり合う。石畳を踏むたびに、かすかに湿った感触が足裏に伝わってきた。
置いていかれまいと、與の夜色の背中についていく。
「走ると転ぶぞ~」
「走ってません。早足です」
「あ、そう。転んで怪我しても置いてくからな〜」
「祟られた私をひとり置いていくんですかっ」
「その場合は祟りじゃねぇだろ」
與と前後でぐちぐち言い合っていると、前方で白月の笑う声がした。非礼行為にしては明るい行程だった。
時間にして三十分ほど、島を回りきった私たちはスタートの石段まで戻ってきていた。
「……何もないですね」
「ま~、そんなもんだろ」
拍子抜けした私とは対照的に、與と白月は予測どおりとばかりに平然としていた。いくらなんでも無為すぎる。わざわざ複数の県を跨いでやって来たというのに。
「あの、もっとこう……何かなかったんでしょうか? お二人とも、怪しい影を見かけたりしませんでした?」
一般人の私には感じられなかったが、実はもう取り憑かれているのでは。期待(?)して尋ねるが、二人とも首をひねった。
そうか、何もいないのか……。
「死者の影ならそこらじゅうにいるけど?」
「おれも、影の匂いはたくさん感じる」
「いるじゃないですかっ!」
事もなげに話す二人に、図らずしも大声でツッコんでいた。
(なんなんだ、このひとたち。死者の影がいるのは当たり前なのか)
人間離れした彼らの感覚に辟易する。
與は辺りを見回してから、私に向いた。
「つってもなぁ~、非礼行為をした俺らに取り憑く感じはねぇよ?」
「……本当ですか? すでに私の背に張り付いていたりしませんか?」
「ん~?」
私の肩を見つめて、與は目をすがめた。
「あ~……まぁ……なぁ……」
「なんですかっ? なんでそんな曖昧な反応するんですか!」
騒ぐ私の横で、半笑いの白月がスマホを取り出していた。菫連木室長から連絡があったらしい。白月の言葉から、通話の内容がおぼろげに届いてくる。
何やら椿の名が出ていた。
通話を終えた白月が、小さく舌打ちする。彼にしては不快げな顔をしていた。
「……どうかしました?」
私が問いかけると、白月は眉を下げて大きくため息をついた。
「すぐに戻ってくるよう、スミレさんに言われた。息子の警護につけって」
「え? ご子息の警護は、椿くんがすることになりましたよね?」
「あのやろー、放棄しやがった」
「え……」
風が木々の間をすり抜けて囁くなか、私の漏らした声が吸い込まれていく。
残念な大人の代表格、椿の話を受けて、私たちは呆然と立ち尽くすしかなかった。
(来たばかりなのに……帰る?)
周囲は厳かな静寂に包まれ、いにしえの影が纏わるように、神妙で重い空気が漂っていた。




