清白の狼少年
特異事件捜査室のメンバーは、もう一人いるらしい。
たびたび名前が出ていたので、私もなんとなく分かっていた。
「明日、白月を紹介する」
前日のうちに與から宣言されていたため、その日は朝から緊張していた。
白月——その名は、地下で鎖に繋がれていた白い人狼の名だった。牙を剝く大きな口が、脳裏に焼きついている。
家から出勤してきた私は、開かれる捜査室のドアを戦々恐々として通った。
どんな恐ろしい姿を見ても、動じずに凛然として向き合うのだ!
「おはようございまー……す?」
私の凛々しい覚悟は、出端からハテナマークにすり替わった。
捜査室に入ったばかりの私の靴先に、白い塊があった。なんだこれは。
疑問の目で見下ろせば、それは白いパーカーを着た人間だった。うずくまる姿に、すぐさま地下で会った人狼が思い出されたが……どうも小さい。
くしゃくしゃとした白金の頭は、その姿勢のまま喋った。
「先日は、怖い思いをさせて、すみませんでした」
声が若い。見た目もただの少年に見える。平身低頭を文字どおり体現するその白い少年は、どうやら土下座をしているらしかった。
驚きに固まる私の前で、平に平に頭を下げる。
「ゆるしてください!」
「あの、顔を上げてください。その件は、私にも非がありましたから……」
「——だよな!」
謝罪を止めようと慌てて屈んだ私の顔前で、唐突に白い頭が跳ね上がった。謝罪のわりに表情は晴れやか。
「おれは覚えてねーんだけど、『怖がらせたなら謝りなさい』ってスミレさんに言われたから、謝った!」
「……そうですか、それはどうも」
「けど、ヨルさんは『あの女がわりぃ』って言ってたから。お互い様だな!」
「………………」
閉口する私をよそに、少年は満足そうな顔で立ち上がった。外見はごくごく平均的な学生。髪は白いが、他に人狼の面影はない。
少年は軽快な足でミーティングテーブルを回り、自分のデスクに戻っていく。さも用は終えたと言わんばかりだが……何かと足りていない気がする。配慮とか、マナーとか。せめて自己紹介くらいしてくれても。
「あっ。おれ、真神 白月。よろしく、ユズさん」
心の声が届いたのか、にかっと開いた口が名乗った。私も名乗ろうとしたが、先んじて名前を呼ばれた。すこし短い。
「朝美 楪です。よろしく、……白月くん?」
「おう」
屈託なく笑う顔は愛想がよい。笑顔の口は鋭い犬歯をちらりと覗かせているが、人間の範囲内。恐怖心は湧かない。
私の覚悟は徒労に終わった。
彼の後を追って、私もデスクの島へと向かう。菫連木室長の席はひとりだけ離れているが、残りの席は集まっている。私は空席だったデスクをひとつ貰っている。
自席にバッグを置いてから、私は部屋奥へと足を向けた。長ソファに寝そべる長躯。頭に被る濃紺のジャケットを、勢いよく剝ぎ取った。
「っ、眩し……」
捜査室は十分な光に満ちている。照明にやられた與が呻いたが、私は非常に冷たい気持ちで見下ろした。
「おはようございます、與くん。『あの女がわりぃ』とは、どういうことでしょう?」
「あ~~?」
寝起きの顔が、悪鬼のごとく険しい。不愉快いっぱいで私を睨め上げる彼が、白月の言う『ヨルさん』であろう。與のフルネームは『與 代籠』だ。
「俺のジャケット、返せ」
「もうじき始業時間ですよ。……昨日、帰らなかったんですか?」
「うるせ〜」
会話が成り立たない。私の持つジャケットへと手を伸ばしてくる與が眠たそうで、多少の罪悪感と同情からジャケットを返した。
すると、背後から白月の声が。
「ヨルさんなら、さっき来た。二日酔い。たまにある」
「………………」
べりっと、再度ジャケットを奪い取ってやった。下から文句が聞こえるが、冷徹な心が遮断した。
「まったく……」
呆れの息をこぼしつつ、私も自席へと戻る。ジャケットは隣の席である與のデスクに置いた。
ノートパソコンを起動させる私の向かいでは、白月の眺めるスマホから、動画の音声らしきものが届いてくる。本当に学生のような、ありふれた少年感。地下の姿はまったく重ならない。
「実況動画ですか?」
コミュニケーションがてら声を掛けてみると、白月の目が上がった。よく見れば、眼の色が淡い。グレーと言えるだろうか。
「ホラチャレ見てる」
「ほらちゃれ?」
白月がスマホの画面をこちらに向けた。画面のサイズからして文字は見にくいが、動画の雰囲気としては肝試しのようなものだった。
「あ。ホラーチャレンジ?」
「そう」
「ホラー系が好きなんですか?」
「んーん、怪異が関わってるかも知れないから、最近は見るようにしてんだ。スミレさんが話してたから」
「……えらい」
なんと、公共の安寧を見守っていた。
自然と漏れた私の褒め言葉に、白月が少し自慢げに笑った。
「おれだって特異の捜査官だからな!」
まさか最後のメンバーがこんなにいい子だとは。感動に近い気持ちで白月の誇らしい笑顔を見ていたところ、
「——なぁ、」
背後から、両肩を掴まれた。與がこちらに来ていたのは、意識の端で把握していた。
直上に顔を上げる。上下逆さまで向かい合う顔は、険悪さが抜けて気怠い。
「(近いな……)目は覚めましたか?」
「いや、むり。珈琲ほしい」
「……『お願い、楪ちゃん』と頼むなら、用意してもいいですよ?」
「お願い楪ちゃん」
「はぇっ?」
まさかの、陥落した。思いがけず変な声が出た。
衝撃を受ける私に、向かいで白月がため息をつく。
「ヨルさん、お酒つえーのに……アホみたいに飲むから、こうなる」
彼は、残念な大人を眺める目をしていた。
私の肩を解放した與が、緩慢な足取りで隣席に着く。
私は席を立って給湯スペースへと向かった。素直に頼まれた以上、用意しないわけにもいかない。
「白月くんも、要ります?」
「おれは自分でやる」
給湯スペースで並ぶと、小柄だと感じた白月は私よりも身長があった。
私は、地下で跳躍した獣の影を思い出していた。
「ユズさんって、ここに住まねーの?」
インスタント珈琲の浅いアロマが漂うなか、白月が尋ねた。
捜査官の彼らは、このビル内に住居があると聞いている。自宅からの通いは菫連木室長と私のみ。菫連木室長からは引っ越しを勧められている。でも、
「……あの家が、私の家なので」
思い出の詰まった家を、私は出られそうにない。
「通うのって大変そうだなー」
「慣れれば平気ですよ」
「帰りはヨルさんが送ってる?」
「え? ……あ、はい」
捜査室に入って三日しか経過していない私だが、昨日、一昨日と連続で送られている。断りを入れてもなんだかんだ却下されるのだ。
「ユズさんは、ひとりにすると事件を起こすって言ってた。ヨルさんが」
用意した珈琲を手に戻ろうとしていたが、白月の言葉に眉を寄せて足を止めた。出来上がったばかりの珈琲を、與の頭に掛けちゃおうかと思うくらいには不満をいだいた。
「與くんは、白月くんにまでそんなことを言ってるんですか」
「ヨルさんは、酔うとなんでも喋る」
「困ったひとですね」
残念な大人に向けて二人でため息を流していると、捜査室のドアが開いた。
スーツをビシッと着こなした我らの上司、菫連木室長だった。
「おはようさん。今日はみんな揃って……ないな。緋乃縁さんは、いつもどおり遅刻か」
緋乃縁 椿は始業時間に間に合った例がないとのこと。なんなら私が知る範囲では昼に来る。残念な大人の仲間入り。
「早速で悪いが、話を聞いてくれ」
菫連木室長の言葉に、私の向かいで空気が締まる。
視線をやると、幼さの残る白月の横顔が、キリリとまっすぐ上司を見つめていた。
(真面目だ……!)
真剣な捜査官の彼に、私は心の底から感心していた。朝の覚悟は、すでに絶大な信頼へと生まれ変わりつつある。
白月の強い瞳を受けて、菫連木室長が頷く。
「——たぶん、事件だ」
明朗たる声が、新しい事件の始まりを告げた。




