あやかし捜査官?
捜査室に入った與が最初に見つけたのは、黒のポニーテール。
長髪が躍動感ある軌跡をえがき、振り返った楪は「あっ」と口を小さく開いた。
「捜査官さん、こんにちは。……数時間ぶりですね?」
「お前、何してんの?」
挨拶もなしで食いぎみに尋ねる與を、楪は瞳を上げて見返す。少しばかり與を観察するように眺めてから、ムッと唇を困ったように突き出した。
「職を失いました」
「は?」
「職を、失いました」
「……?」
ゆっくりはっきり発音されても意味が分からない。與が疑問に眉を寄せると、楪はため息をこぼした。
「本日、仕事に行ったところ、私は退職を推奨されました。犯人は分かってます。あなたの上司が、強力な圧を掛けたと聞きました。……なので、自主退職したその足で、説明を求めてここまでやってきて、菫連木さんに捕まりました」
つらつらと言いきってから、楪は背後に横目を送った。
窓を背にデスクについた菫連木が、書類から顔を上げて人のよい笑みを見せたが……どこか強圧的。
「最終的に承諾したのは、朝美さんだろ?」
にこやかに会話を返す菫連木に、楪は「そうですが……」と、納得尽くでないながらも、提案を受け入れたようすで頷く。
「期待してるよ、あやかし捜査官さん」
陽光を背に、いっそう眩しい笑顔を浮かべる菫連木。
状況をいまいち追えていない與も、うっすらと察する。菫連木が手を回して、楪を捜査官に引き抜いたらしい。そういうことを、当たり前にやってのける男ではある。
それはさておき。
「あやかし捜査官~?」
聞き覚えのない間の抜けたワードに、與は片眉を跳ね上げた。
楪が與に目を戻す。どうしてか、彼女が答える気でいる。
「分かりやすいのを、私が考えてみました。捜査官さんが、『バケモノ殺し』なんて言うから……イメージアップで。流行りっぽくて可愛いですよね?」
「はあ? 『バケモノ殺し』なんて外で言うわけねぇじゃん。俺は、お前のために分かりやすく説明してやったの。怪異の存在は秘匿。公的には『特異捜査官』」
「えっ……特異捜査官なんて、普通は聞いたことないですよ? ピンと来ませんよ?」
「お前が無知なだけ」
唇をきゅっと結んだ楪が、與を小さく睨め上げる。昨日のモノトーンとは打って変わって、マスタードカラーのカーディガンを羽織っていた。秋の陽射しに映える黄金色。
咎めるように與を見上げていた楪は、ふと思い直したように瞳をやわらげ、声を少しだけ落とした。
「バケモノ殺しでは、ないです」
與をまっすぐに見上げたまま、押しつけることなく、相手の心にそっと置くように、楪は言葉を紡いだ。
「捜査官さんが救ってくれたから、このお仕事に興味を持ちました。私でも、誰かを救えたらいいなと——そう思います」
楪の声は真摯だった。
しかし、それを素直には受け取れず、與は視線をわずかに逸らした。
「救ってねぇよ。お前の妹は、お前が自分で還しただろ。忘れるの早くねぇ?」
與の憎まれ口が、空気に溶けていく。
楪は眉をひそめることなく、むしろ、ふっと口許をほころばせると、まるで兄弟が拗ねるのを見守るように優しく笑った。
「捜査官さんが救ったのは、怪異じゃなくて私ですよ」
からかう色はひとかけらもない。ただ静かに、その声音には、確かな信頼が滲んでいた。
與が返す言葉に詰まるのを見て、楪はさらに小さく微笑んだ。楪の瞳には、すべて分かっているような、やわらかい光が揺れている。
「私を救ってくれて、ありがとう」
楪の言葉が、與の胸の奥深くへと落ちていく。
その刹那は周囲が遠ざかり、まるで『赤い深淵』を覗いたかのように霞んでいく。
彼女の穏やかな声だけが耳に残り、淡く響き続けていた。
——ありがとう。
この仕事で、この言葉を貰ったことは、一度としてない。
與は困惑したように眉を下げ、唇をかすかに開いた。何かを言おうとして、けれど言葉が見つからない。
悪態のひとつも浮かばず、與はなんとも言えない顔をするしかなかった。胸の奥底で渦巻く、名前もつかない感情を、持て余したまま。
「——あの、ところで、ちょっといいです?」
沁みるような空気を割って、楪が声量を戻した。
キリッとした声で伺いをたてる楪に、半瞬遅れで與が反応した。
「あ?」
「気になってたんですけど、『お前』って呼ぶのはやめません? 何かしらのハラスメントを感じます」
「……は?」
「は? じゃないですよ。これから同僚になるんですから、與くんは私への言葉遣いに気をつけてください」
何を言われたのか。理解できずに與は瞬きをした。
今しがたの余韻はどこへやら。唐突に繰り出された不平不満に対して、脊髄反射で文句を返そうとしたが、妙な引っ掛かりが。
「與くん? お前、なに馴れなれしく呼んでんの?」
「え、だって私たち、立場は同じようなものですよね? 椿くんにそう聞きましたよ?」
「……おい、椿くんって誰だよ」
答えを知りながらも、與は低い声で確認する。楪は背後を振り返った。
「あちらの捜査官さんですが?」
いつのまにか中央のミーティングテーブルに着き、優雅に紅茶を飲んでいた緋乃縁が、ひらりと手を振った。椿くん。分不相応にも程がある。
「………………」
「これからよろしくお願いしますね、與くん!」
無言の與をよそに、楪は明るい声で手を差し出す。
與は目を細めただけで、握手には応じない。親しげな友好の掌は、相手なく孤独に止まっている。
楪は手を戻すことなく、ほんの少し考えるように與を見つめる。
「……あの、訊きたいことが、ひとつ」
控えめな声が、ぽそっと。
「與くんは、私のことが好きなんですか?」
ふいに與へと直撃する謎の問い。呆れと困惑で思考がぐちゃりと乱れる。
一拍だけ大きく跳ねた心臓を黙殺して、與は楪を見下ろした。
「……なに言ってんの?」
「私、朝のことを振り返ってみたんです。『警察官の伴侶に向いてる』からの、『ほっぺにちゅー(?)』って……もしかして、告白?」
「はあっ?」
声量の跳ね上がった與に、離れたデスクから菫連木が「與さん、うるさいよ」と注意した。目は上げずに書類へと判を押している。
声の大きさには、楪も首を縮めていた。
「……違いました?」
「違ぇわ。勝手に訳わかんねぇ解釈すんな」
小首をかしげる楪へ、與が即座に答える。
しかし楪は、好意を否定されたことに納得がいっていないようす。
「だったら……なぜ、頬にキスを?」
「唇は触れてねぇじゃん。俺は軽く味見しただけ——」
「………………」
「………………」
急な沈黙が降りる。與は何かとてつもなく致命的なことを言った。ハッとして言葉を切ったが、大した意味はない。
與と楪のあいだにある空気が、神妙に冷え込んだ。
「こらこら、おふたりさん」
口を挟んだのは、菫連木だった。
「いつまでも喋ってないで、仕事してくれよ。與さんはまず俺に、独断行動についての説明。朝美さんは、さっき話したとおり報告書に。いいかい?」
「はい」
実直な返事をしたのは楪のみ。
與は顔をしかめてから、楪を睨んだ。
「お前、冴に今回のこと喋ったなぁ?」
「内緒なんて聞いてませんよ?」
刺さる視線をさらりとよけて、楪はミーティングテーブルに着く。用意されていたノートパソコンを開いて、速やかに仕事モード。
與は、ボスが座るデスクまで説教されにいく。その気怠い背筋を横目に、緋乃縁がクツクツと笑っていた。彼だけは仕事を始める気配がない。
かくして、特異事件捜査室は新たに一人の仲間を迎えたのだった。




