表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/58

お姉ちゃん

 與は、壁に打ち付けられた頭が痛むのを感じた。

 腕もどこか折れている。背中もやられている。

 ——甘く見ていた。

 

 楪と別れて捜査室に戻ってから、あらゆる手を使って事件の詳細を把握した與は、菫連木(すみれぎ)の許可も取らずにここへ戻ってきていた。

 

 何かがおかしいと感じていた。性格が控えめなわけでもないのに、存在が抜け落ちるような(はかな)さ。持ち前の気質と彼女が(まと)う雰囲気の齟齬(そご)

 與の頭には、生命力の感じられない楪の姿があった。

 

 ——()()に、精気を吸われている。

 その何かは、すでに予想がついている。

 翌日まで待つ、そんな選択肢はなかった。


 

 うなだれていた顔を上げ、(きし)む身体を無理やりに立ち上がらせる。與は開かれたドアの先を見た。闇に慣れた目を白が貫く。

 

 世界は裏返っていた。周囲は果てなく遠ざかり、赤い闇に囲われる。

 赤き世界の中央に開かれたドア。なんの変哲(へんてつ)もない眩しい部屋のなか、ベッドの上に、それは在った。


 黒い(カゲ)。しかし、ただの影ではない。形を定めず、微細な粒子の群れがざわざわと(うごめ)いている。

 まるで小蠅(こばえ)が無数に群がっているかのように、不規則なノイズがちらつき、時折その輪郭は不明瞭に(ゆが)んだ。

 (カゲ)は、断続的にブツブツと音を発している。微細な粒子のさざめきの中に、誰かの(うめ)き声や(わら)う声のようなものが混じり、存在しないはずの無数の気配をざわめかせる。

 楪は、応えるように(カゲ)へと(うなず)いていた。

 

「蓮ちゃん……うるさく言って、ごめんね? お姉ちゃん、『外に出よう』なんて、もう言わないから。ずっとここに居てくれていいから……ね、私がずっと護ってあげるから」


 幼子(おさなご)に掛けるような甘やかな声で、楪が語りかけている。

 

 

 ——朝美(あさみ) 蓮花(れんか)は、長年、自宅に引き籠もっていた。

 彼女が殺害された事件の日、彼女は楪との口論から自宅を飛び出した。だが、行き場がなかったのか、自宅から離れた公園で独りいたところを、犯人に襲われたとみられている。

 それまでの二件の事件と異なり、性的暴行ではなく——殺されている。犯人は、朝美 蓮花から激しい抵抗を受け、脅迫で突きつけていたナイフを刺してしまったと供述している。

 

 

「近づくなっ……」

 

 (かげ)に触れようとしていた楪を止めようと、與は手を伸ばした。

 近寄る與を察した楪は、勢いよく振り返った。

 

 跳ね上がった楪の腕が、ひらめく。

 空気を切り裂くわずかな音を発して、銀の(やいば)が、與の目前に鋭い一閃(いっせん)を走らせた。

 

「来ないでっ!」

 

 叫び声をあげて牽制した楪の手には、折りたたみ式のナイフが握られていた。

 與にナイフの先を向けたまま、楪は悲しみに顔を歪ませる。

 

「約束したじゃないですかっ……」


 喉が張り裂けそうな声で、楪は訴えた。

 

「蓮ちゃんには、会わないって……約束したのにっ……」

 

——蓮ちゃんに手を出そうとしたら、私が止めますからね。なんとしても。

 

 與は車中の会話を思い出しながら、楪の震える手を眺めた。握られたナイフを目にして、そっと眉を寄せる。

 

「やっぱり……お前だったか」

 

 そのナイフは、楪が羽織るコートのポケットに仕舞ってあったようだった。

 そして、その折りたたみ式のナイフを見るのは、與は二度目だった。

 

「……()()、昨日の公園に落ちてたな」


 ひくりと、楪の肩が反応する。與を見つめる瞳が、楪の動揺を映した。

 

「——お前、あの公園に、わざと居たな?」

 

 揺れた瞳を見つめ返しながら、與は核心を突いた。

 

 事件の報告書には、犯人が所持していたのは固定刃の小型ナイフとあった。與は写真も確認した。昨日の公園で與が見た物ではない。

 他の凶器は資料に挙がっていない。それはつまり、あの場にいた誰かが隠蔽した可能性を示唆(しさ)する。

 もとより、折りたたみ式のナイフの持ち主は——。

 

 楪の顔から、血の気が引いていく。小刻みにわななく唇は色を失い、答えることもできずにいる。

 與は静かに続けた。

 

「偶然じゃないんだろ? 頻繁に——いや、もしかしたら毎日、あの時間、わざわざ公園に立ち寄ってたんじゃねぇのか」

「………………」

「犯人は、現場に戻る。あの公園は、唯一、犯人が目的を達成できなかった場所だ。執着があってもおかしくねぇな?」

「………………」 

「髪をおろしてたのは、妹に似せたかったからか? 昨日と今日で、雰囲気が(ちげ)ぇよな。犯人をおびき出して……お前、殺そうとしてたか」

「私はっ——」


 ふいに声を張りあげた楪が、強くナイフを握りしめた。言い返そうとしたが言葉を詰まらせ、本来の思いを呑み込んでしまったかのように声量を弱めた。

 

「だって……蓮ちゃんが、怒ってるんです」

 

 楪の瞳が、與を見上げている。

 

「私が叱ったから……蓮ちゃんが、あんな目に遭って……こ、殺されてっ……」


 見上げる双眸(そうぼう)は、張り詰めた糸のように危うい緊迫感があった。

 

「ずっと、怒ってるんです……『お姉ちゃん、うるさい』って……ずっと、怒ってるんです。……だから、私も同じ目に遭えば……それか、ちゃんと復讐してあげたら……」

 

 楪は、ナイフを握る手を見下ろした。銀の(やいば)を、まるで一筋の希望に(すが)るような目で見つめた。

 

「そうしたら、きっとまた、いつもみたいに……『ごめん』って。『お姉ちゃん、だいすき』って……言ってくれるはずなんです。……蓮ちゃんは、昔から……優しいから、」

 

 ——(ゆる)してくれるはずなんです。

 

 最後の言葉は、うまく音に成らなかった。

 胸の想いに声を詰まらせた楪は、掠れて裏返った訴えをこぼし、唇を()み締めた。

 伏せていた視線を、ゆっくりと上げる。


「捜査官さん、お願いです。蓮ちゃんを見逃してください。蓮ちゃんは、誰も傷つけたりしません。私が、護るから……お願いです」


 楪の瞳に、決意の色が浮かんだ瞬間。呼応するように、(カゲ)がざわりと揺らいだ。

 ノイズのように蠢いていた黒い粒子の群れが、楪の足許へとしがみつくように寄り、輪郭を濃くしてゆく。

 それは、彼女を護るように立ち昇り、一瞬だけ女の顔を象った。

 だが、それと気づいたときには、また無数の粒子に還って消える。


 楪の口から、低く強い声が漏れる。


「蓮ちゃんを殺すなら、私が、あなたを殺します」


 言葉とともに、影のざわめきは倍加した。

 異様な湿度を帯びた空気が、與の肌に纏わりつく。

 枯葉が擦れるような叫び声がする。彼女に(かば)われた(カゲ)は、強く黒を増した。

 

 與は目の前の光景を見つめる。ホテルの駐車場で見た、彼女の泣きそうな顔がそこに重なる。

 闇の粒子を背負った楪の瞳に、ためらいはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ