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闇色の秘密

 就寝前に、私は家の照明をすべて消す。外出の前に()けた、すべての照明を。一部屋を除いて。

 入室しない蓮花の部屋だけは、いつも明かりがついている。延々と(とも)っている。

 

 自分の部屋のベッドに入って、私は息を潜める。真っ暗な室内は、目が慣れるにつれ、ゆっくりと闇色の濃淡で浮かびあがる。

 無音ではない。

 隣の部屋からは、今夜も声が聞こえる。

 

「お姉ちゃん、うるさい」


 感情を削ぎ落とした平坦な口調に、わずかな(いら)立ちと拒絶が(にじ)んでいる。低く抑えられた声なのに、胸の奥に突き刺さるほどの圧がある。

 冷たく突き放すような響きが、繰り返される。

 

「お姉ちゃん、うるさい。お姉ちゃん、うるさイ。お姉ちゃん、うるさい。お姉、チャン、うるさ、イ」

 

 カタっ、ガタっと、机やイスを乱暴に扱う音が鳴る。壁は薄くないはずだが、家鳴(やな)りのような軋みを伴って、家中がかすかに揺れて響いている。

 蓮花が、怒っている。

 

「………………」

 

 目を閉じることなく、闇を見つめる。

 鳴り響く音の世界に、独りぼっちではないと感じる。

 

 蓮花が——いる。

 

 

 安堵(あんど)の気持ちが全身に染み渡ったころ、闇のしじまを裂くように、玄関のチャイムが唐突に鳴り響いた。


「っ……」


 まどろんでいた心臓が、一瞬にして跳ね上がる。不意打ちの音が私の暗闇を揺るがした。

 ピーンポーン、と。馴染みある電子音で、しかし鋭く響いたその音は、異様だった。あまりに遅い。ヘッドボードにあったスマホを取って見るが、時刻は二時を回っている。

 こんな時刻に訪ねてくる人など、いるはずがない。それなのに、チャイムは確かに鳴った。


 静寂の中に残るかすかな余韻が、じわじわと不安を滲ませていく。

 慎重に身を起こした。心臓はまだ速く脈打っている。

 ドアを開けて、廊下にそっと足を下ろした瞬間、ひやりとした感触が肌を刺した。

 思わず息を呑むが、それでも足を引っ込めることなく、一歩、また一歩と踏み出す。裸足の足裏が冷たい床に触れるたび、寒気とは違う、得体の知れない悪寒が背筋を這い上がってくる。


 家の中は闇に沈み、静寂に包まれていた。

 だが、たった今鳴ったばかりのチャイムの余韻が、耳の奥にしつこく張りついている。

 誰が、なぜ、こんな夜更けに——。


 鼓動を押し殺しながら階段を下りきり、玄関へと足を進めた。

 玄関の壁に掛けてあったコートを羽織る。リビングに設置された、外部カメラのモニターを確認する発想はなかった。

 胸のなかには、確信めいた予感があった。

 防犯でドアに掛かるアンティークのチェーンが、手錠の鎖に似ていた。

 

「……どうか、しましたか?」

 

 そっと開いたドアの隙間から、外へと尋ねてみる。

 わずかに開かれたその隙間から、筋張った手がドアを掴んで引き開けた。チェーンによって止まったが、相手を確認するには十分だった。

 

「捜査官さん……」


 ぽつりと零れた音が、彼の存在を明確にした。

 街灯の薄明かりを拾った、赤銅色の髪。覆いかぶさるほどに大きな影を生む、夜色の長躯(ちょうく)。私と重なる視線の先には——色違いの虹彩(こうさい)

 金の眼が、静かに私を威圧した。

 

「開けろ」

「……どうしてです?」

 

 有無を言わさない彼の瞳に向けて、薄く笑ってみせる。ドアノブを持つ私の手は震えている。

 

「こんな時間に、女性だけの家を訪れるなんて、いくら警察でも……」

「死にてぇのか」

 

 力の入った彼の手がドアを引き、伸びきったチェーンが強く音を立てた。

 物騒な彼のセリフに、警察を呼ばなくては——ああ、この彼が警察ではないか——無意な思考が回る。

 

 物騒なセリフに反して、彼の目は真摯に私を見ていた。

 誤魔化せない。一縷(いちる)の望みも打ち砕くほど、真実だけを見据える目をしている。

 

 ドアの隙間から差し込まれた彼の手が、チェーンを掴んだ。ギリッと()り音を立てて、金属の鎖が引き千切られた。

 目をみはった私の先で、金の眼が強く煌めき——額の皮膚が、(とが)るように()り上がっていた。

 

 私の手を振り払って、ドアが大きく開かれる。動揺する私の横を、(あたえ)捜査官はすり抜けた。

 

「どこだ」

「ま、待ってくださいっ……」

 

 ためらいなく踏み込んだ足は、大きな音で廊下の床を(きし)ませた。與捜査官は、リビングや和室へのドアを含めて一瞥(いちべつ)を回し、私の肩あたりに目を送る。

 

「上か」

 

 何かに導かれるように、彼の目は階段のほうを捉えた。引き止めようとした私の腕は払われていた。

 與捜査官を追いかけるが、迷いなく階段を上がっていく彼の足に追いつけない。震えていた私の脚は、もたつく動きで必死に階段をのぼった。

 

 私が二階に上がったときには、與捜査官は蓮花の部屋の前に辿(たど)り着こうとしていた。

 そして、その瞬間——ガシャン、と。けたたましい音が廊下を突き抜けた。

 床に置かれていた、蓮花のための夕飯プレートが、與捜査官の足によって弾き飛ばされていた。

 陶器が砕ける鋭い音と、スープが床に飛び散る生々しい音。闇に沈む床はよく見えないのに、無惨な光景がありありと浮かぶ。

 

 それでも、與捜査官は躊躇(ちゅうちょ)などしない。蓮花の部屋のドアを、勢いよく引き開けた。

 

 ——空気が()ぜるような、鈍い衝撃音。見えない巨大な拳を(たた)きつけられたかのように、與捜査官の体が弾け飛んだ。

 廊下の壁に打ちつけられた彼の体が、重力によって床に落ちるのを、私は目を見開いて見ていた。

 

「うぁ……油断した……っ」

 

 掠れた文句には、血を吐くような音が混じる。開かれたドアから溢れた光が、廊下の壁を背に座り込む與捜査官を見せた。

 無事だ——その事実に、安堵ではなくハッと焦燥を覚えて駆け寄っていた。

 與捜査官にではなく、蓮花の部屋へと。

 

「蓮ちゃんっ……」

 

 

 この部屋に入るのは、いつぶりだろう。

 蓮花の葬式が終わって、家に帰ってきて——ひとりぼっちで(たたず)んだ、あの時が最後だろうか。

 この悪夢はいつ()めるのだろう、と。()けた明かりを消せずに、ドアを閉じた、その時。

 蓮花が、帰ってきたのだ。

 

——お姉ちゃん、うるさい。

 

 ドアの向こうで、あの子の声がしたのだ。

 怨みの籠もった、低く床を伝うような声が、最期の言葉を、はっきりと。


 そうだ、きっと。

 私を呪うために、帰ってきてくれたんだ——。

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