表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/58

緋色の警告

 與捜査官は、非常に気分を害されたようすで捜査室を出ていった。

 最後は怒りの笑みだった。

 

「お前だけは、今後なにがあっても助けねぇわ」

 

 警察官にあるまじき捨てゼリフまで吐いていった。

 私はキーボードを鳴らし始めたが、思い出し笑いのように唇から息をこぼしていた。天の邪鬼。似合う。ふふっ。

 勝手に笑みを鳴らす唇に、

 

(あれ? こんなふうに笑うのって久しぶりかも……?)

 

 ()り固まっていた精神が、少しほぐれるような感覚があった。誰かと気兼ねなく話す機会を、最近は得ていなかったのか……。

 思考の表層をかすめた疑問は、ふいに別の音によって()き消された。

 

 ——クスっ、と。

 打ち込む文字の狭間で、呼気の音が聞こえたのだ。笑うような。

 私じゃない。

 

 びくりと振り返った。たった今まで、空気の揺らぎひとつ感じられなかった背後から、気配がした。

 デスクが並ぶスペースには誰もいない。その奥に鎮座する可動式の棚の(かげ)から、クスクスと笑う声がする。

 

「だ、誰ですかっ?」

「おや、驚かせたかのぅ?」

 

 陰のなか、すらりと立ち上がる者があった。

 注意して見れば、壁に寄せられたソファがある。死角のような陰から現れたのは、黒髪の——。

 

「あっ」

 

 緋色(ひいろ)の眼に、すぐさま思い出した。年寄りぶる不審な青年。私が拾った(くすねた)警察手帳の持ち主。

 気づいた私に、青年は薄く微笑んで首を傾けた。

 

「じつに短い逃亡劇じゃったのう」


 からかいの声が、(うた)うように響いた。なんの話か。戸惑う私を気にせず、彼はゆるりとした足取りでこちらまで歩いてくる。

 

「えっと……?」

「——あぁ、名乗っておらんかったか」

 

 青年の(まと)う、長いトレンチコートの裾が揺れる。

 

緋乃縁(ひのふち) 椿(つばき)じゃよ。お見知りおきを、お嬢さん」

 

 近づいた青年から、ふわりと花の香りがした。廊下で衝突したときにも感じたが、(ほの)かに甘い。

 ひのふち、つばき。警察手帳の中身を見ているので、字面もぼんやりと浮かぶ。赤色がイメージされる名前だったはず。

 私を細く見下ろす双眸(そうぼう)も、この世の者と思えない赤い虹彩(こうさい)をしている。

 

(まさか、この人も……?)

 

 鬼ですか? などと、不躾(ぶしつけ)に尋ねるわけにもいかない。名乗り返す発想もなく、おののく気持ちで私は青年の端整な顔を見上げていた。

 青年は鷹揚(おうよう)とし、やわらかく唇を開いた。

 

「先刻の無礼を詫びよう。うちのシロが、お嬢さんを(おびや)かしたようで……我が不行き届き、慚愧(ざんき)に耐えぬ。(ゆる)しておくれ」


 青年は手を胸に当てると、うやうやしく頭を下げた。礼儀正しい所作は、不審な第一印象と格差があった。

 赦す、とは。青年の謝罪が何を指しているのか、理解できずに私は狼狽(うろた)えたが……遅れて、脳裏で繋がるものがあった。

 

「しろ……もしかして、地下の白い狼のような……」


 バケモノのこと。

 言いかけて、言葉の先をつぐんだ。青年は何を思うでもなく、唇に微笑を乗せたまま応えた。

 

「あの()は未熟でのう……。時に自制がきかぬのじゃ。斯様(かよう)に危うい者を用いるのは、いかがなものかのぅ……?」


 小首をかしげる青年の顔は麗しく、整いすぎていて話の内容があまり頭に入ってこない。遅れおくれで言葉の意味を拾うが、私が反応する前に青年が口を開いている。私はうまく話せていない。

 

「——さて、お嬢さんや」


 (つや)やかな声が、張り詰める。緊張というよりも、ぴんと張られた弦をつまびくような声音。

 目を合わせる瞳は、私をじっと捕らえて放さない。

 

「先人からの警告じゃ。我らの主君は、(さか)しき男じゃからのう、気をつけなされ」

 

 ——赤い。鮮血で染めたみたいな眼は、そこに得体の知れない魔が潜んでいるかのように、(あや)しく恐ろしく在る。

 コ……コ……と、時計の針が音を刻んだ。

 口腔(こうくう)に溜まる唾を()み、私は小さく口を開いた。

 

菫連木(すみれぎ)さんのことを言ってるんですか……?」

「そうじゃよ。——ただし、お嬢さんが取り分けて用心すべきは別の者じゃ」

「……?」

 

 青年の微笑みが、わずかに変化した。

 

「怪異と呼ばれるモノが、人の想いを糧に力を得ると、聞いたじゃろう?」

「……はい」

「あれは、言葉が足りておらぬ」

「え……?」

 

 疑問に惑う私の顔を、青年は(あわ)れみの微笑で見つめた。

 

「鬼は、人を()ろうてこそ、人外の力を得る。お嬢さんが(ほだ)されかけておる『鬼まじり』も——しかり」

 

 朗々とした声は、まるでおとぎ話を語るように響く。どこか幻めいたそれは、私の頭を玲瓏(れいろう)たる音色で揺らした。

 

「あの者は、数多(あまた)の人を喰らった化け物じゃよ」

 

 誰のことを話しているのか——問わずとも、私の脳裏には、はっきりとその正体が浮かんでいた。

 赤い闇を背に、凶悪な笑顔を浮かべた鬼の顔。(とが)る爪と、額から伸びる片割れの(つの)。容赦なく打ち下ろされた警棒が鳴らした、鼓膜にこびりつくような音。

 忘れては、いない。

 

「まさか……」

 

 引き()る頬で、できそこないの笑顔を返した。そんなわけない。そんなひとじゃ——ない。

 冗談と受け流すには、口内が乾いていた。否定しようとした私の唇は震えただけで、何も音を成さない。

 なにより、否定できるほど、彼を知りもしない。

 

 青年の赤い眼は、不憫(ふびん)な者を見るように私を眺めていた。

 

虚言(そらごと)ではない。あれは、鬼が()まうだけの(から)の肉体じゃ。その証拠に、あの者は、身内をすべて喰い殺しておる」


 言葉を、失った。

 ひゅっと喉だけ鳴ったが、私の唇が言葉を紡ぐことはなかった。

 

 ——身内を、すべて、殺した。

 

 心の臓が冷える心地で、私は自分の身を抱くように片腕を回した。

 力が入る私の手に目を落として、青年は微笑みの唇を深める。

 

「ゆめゆめ忘れるなかれ——鬼の花嫁御(はなよめご)よ」

 

 窓から、赤い()()している。

 禍々(まがまが)しくも美しい赤の眼は、陽を(いと)うように細く細く私を見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ