疑わしきは追いかけて
與 代籠は車のハンドルに両腕を預け、顎を乗せた。
とあるホテルの地下駐車場。車は停めたまま、次の行動も決めかねている。彼は楪を送るはずだった。
何故ここにいるのか。
「早くっ、捜査官さん! 何してるんですかっ!」
隣で與のジャケットの肘を引っぱる者がいる。せっついているのは楪だった。
今にも助手席のドアを開けんばかりの楪とは違い、與は落ち着いていて動かない。のように見えて、そうでもない。與は混乱のなか考えていた。
「……お前さぁ、ここ、どこか分かってんの?」
尋ねる與は、駐車場に貼られたポスターを見ていた。
『ホテル』
『空室確認』
『ご予約』
『誕生日や女子会に』
並ぶ広告文に目を流す。一見は楽しげなアミューズメントホテル。だがしかし、おそらく子供は宿泊できないタイプのホテル。
送る道中、高速道路のパーキングエリアに寄って軽食を取ったあたりから、楪が唐突に與を急かした。
「あっち、高速を降りて!」
「は? まだ降りるとこじゃ——」
「早く!」
せっぱ詰まったような声にせき立てられ、気づけばホテルの駐車場に入っていた。つまり。
「俺、公務中なんだけど」
導き出された結論。
與が婉曲な断りを入れているうちに、楪はドアを開けて降りていた。外から運転席まで回り込み、ドアを開けようとして……開かない。ロックが掛かっている。楪はドアハンドルをガチャガチャと鳴らしながら、「開けてください」と積極的に與を降ろそうとしている。
與はひとまず窓だけ下げた。
「俺、これでも警察官なんだわ」
思いつく建前を唱えてみる。與の主張に、楪は「はいっ?」と声をあげて眉根を寄せた。
「今はほとんど疑ってませんから。早く降りてください!」
下がった窓から腕を突っ込んだ楪が、内側のドアロックに手を伸ばして解除した。ドアを開けて引っぱり出そうとする楪のベクトルに、與は抵抗しているような、していないような。
「お前さぁ、もっと雰囲気よく誘えねぇの? こんなガツガツ来られてもなぁ〜」
「なんの話をしてるんですかっ! 早くしないと見失っちゃいますよ」
「んん〜? 見失うって……何を?」
「犯人!」
きぱっと発言した楪を、與は目を点にして見下ろした。
「……犯人?」
「えっ! 捜査官さん、見てなかったんですか? さっきの女の人、首を絞めた犯人ですよっ?」
愕然とした顔で見上げる楪の様子に、與はうっすらと察した。ものすごい勘違いをしていたのでは。
深く省みることなく意識を切り替える。
「犯人——って、朝に見た女のこと言ってんの? 男を絞め殺したヤツ?」
「そう、その人!」
「………………」
「さっきのパーキングにいたんです! 男の人と一緒にシルバーの車で……あっ、男の人は別の人でしたけど。でも、女の人は夢に見たとおりの……」
興奮したように話す楪の勢いは、説明の途中でふと醒めたように尻すぼみになった。
夢。そのワードに自分で言って引っ掛かったようで、楪は目許に困惑を見せる。
「お前、夢で見た犯人を追いかけてんの?」
與に言語化されて、ようやく楪は力の入っていた肩を下ろした。自分でも何をそんなに意気込んでいたのか分からない。そんな戸惑いの見える顔つきだった。
楪は掴んでいた與の腕を離す。
しかし、その手は下がることなく宙でとどまった。
「夢……なんですよね?」
駐車場の冷えた空気に、楪の不安げな声が溶けた。
解放された與は車に戻ろうとしていた。背に掛かった問いに、ドアへと手を掛けたまま半身だけ振り返る。
「夢じゃねぇって言ったら?」
口の端に冷笑を浮かべ、與は余計な問いを返していた。
伏せられていた楪の目が上がる。困った顔で與を見ると、わずかに首をかしげた。
「夢じゃないなら、あれはなんですか?」
「死者の怨念。あそこで殺されたヤツらが遺した、幻みてぇなもん——って言ったら、信じんの?」
「……幽霊ってことですか?」
その言葉を口にした楪の声が、コンクリート壁に鈍く反響する。
無人の地下駐車場は頼りない照明に照らされているだけで、奥まった隅には闇が沈んでいる。かすかに焦げた排気ガスの残り香が空気に滞っていた。
「……魂はねぇよ。怨みの残像だ。それを覗いただけ」
「残像……」
楪は瞳を上に向ける。與の言葉を咀嚼しているのか、思案するような表情を見せた。
「それって……要するに、あの女の人が本物の犯人ってことになりません?」
え。
與は思わず、すっ頓狂な声を出しかけた。
楪は半端な位置にあった手を顎に寄せ、神妙な顔で言葉を続ける。
「あの家は本物の事件現場だったんですよね? 幻のとおりにあの場で男の人が亡くなっていたとしたら……さっき見た女の人が犯人って話になります」
「あ〜……いや、見間違えじゃねぇ? 女の腕で男の首なんて絞められるわけねぇだろ。やっぱ夢だなぁー」
面倒事を避けようと適当に応えて、與は図らずしも疑問を持った。
女の腕で男の首など絞められるわけがない——こともないが、與が見た状況下で行われるには難度が高い。
與はすでに菫連木へと報告している。女が男を扼殺した。人が殺していた。特異事件捜査室は関係ない、通常の事件。そう伝えてあったが、ここに来て激しい違和感が生まれていた。
與は、女が男を絞め殺した瞬間までしか見ていない。
「……お前も、見たよな?」
「何をです?」
「女が男を殺すとこ。人が、人を殺してたよな?」
ぱちっと瞳を瞬かせて、楪は停止した。短く黙してから、そろりと眉を八の字に下げる。
「私には、女の人は人間じゃないように見えました」
静かに、忌避すべき言葉かのように囁いた。
否定が返ってくると思わなかった與は、片眉を上げて怪訝な顔をする。
「なんで? あれは普通の女だっただろ」
「説明しにくいですが……言うなら、人っぽくない?」
「説明になってねぇ〜。もっと具体的に言えねぇ?」
「人形のような笑顔で……声も変でしたよ? できそこないの人間みたいな。……あ、足許でわらわらしてた人影も。あちらはさすがに人間じゃないですよね?」
「人影ぇ? そんなんあった?」
「いました。女の人の足下から伸びる、四体の人影を見ました」
「……本気で言ってんの? 俺を引き止める嘘じゃねぇ?」
「嘘じゃないです。私に捜査官さんを引き止める必要性ないです」
照れることなく、はっきりと答える楪の顔。嘘を言っている顔ではない。
勘違いは忘却の彼方に投げるとして、與は新たな混乱状態に陥った。怪異と人間の区別がつかないなんてことは今までにない。考えられる可能性としては……。
「女が取り憑かれてた?」
女を次々と殺していた男は、実は五人目の被害者となる者を捕まえていた。そして、先に殺された四人の怨念に、最後のひとりが取り憑かれ——男を殺した。
しかし、女は自分がいた痕跡を消して逃亡している。死者の影にそこまでの知恵があるだろうか。目的を達成した影が女から離れ、正気にかえった女は証拠を隠滅して逃げ出したとみなすほうが……
與の思考が収束する前に、楪が口を開いた。
「首を絞めた犯人は、もう捕まってるんですか?」
「いや、まだ。特定もできてねぇ。……お前ニュース見てねぇの?」
「長らく見てないです。転職して忙しかったので。今朝は久しぶりに見ました」
どうりで事件現場だった公園をのこのこ歩いていたわけだ。昨日のことを思い出した與は、変なところで合点がいった。
かといって、詳細を知らない楪に事件を説明する気はない。
「あの、捜査官さん。やっぱり追いかけるべきじゃないですか?」
「追いかけてどうしろっつ〜の?」
「……手錠を掛ける?」
「証拠も令状もなく逮捕できるわけねぇじゃん。そもそも人が犯人なら俺の管轄じゃねぇし〜?」
たとえ取り憑かれての犯行だとしても、殺したのが人ならば、捕まるのも人に変わりない。與が干渉する意味はない。
今度こそ車に戻ろうとドアを開けた與は、身を屈めたが、
「犯人かもしれない人を、野放しにしておくんですかっ?」
声を張りあげた楪に意識を取られた。
ああそうか、こいつも連れていかないと。置いていってもいいか。それはあとあと面倒か。だったら朝と同じように有無を言わせず攫っていく?
振り向くことなく悩んだ與の腕は、強い力で再度引っぱられていた。
「あなたは警察官じゃないんですかっ」
非難の声が、與の鼓膜に刺さった。與は不快感から腕を振り払おうとしたが、できなかった。流した目の先で捉えた楪の顔が、
——涙をこらえるような顔だった。
「管轄じゃなくても、犯人かも知れない人がいたら調べるべきじゃないんですか。黙って見逃すなんて、そんなことをしたら犯人は誰が捕まえるんですかっ?」
矢継ぎ早に問いかける楪のセリフは、警察を非難するものとしては月並みだった。
公共の安寧も不正もどうでもいい。警察官らしき使命などない與の胸に、その程度の言葉が響くことはない。
ただ涙の浮かんだ瞳だけが、與の心を異常なほど強く惹き込んだ。
「犯人を見逃すなんてしないでください。警察官としてよりも、人としてっ……」
それ以上の言葉は続かなかった。
訴える勢いから涙をこぼしてしまいそうな楪の口を、與は掌で塞いでいた。
「むぐっ」と、場違いな声が漏れる。抵抗もせず、楪は静かになった。掌の上に覗く目。楪から非難の瞳が返るより早く、與はしぶしぶ頷いていた。
「——分かった」
険しくなりかけていた楪の目が、きょとりと丸くなる。
「(え?)」
「……追いかけてやる、から、いったん黙れ」
「(ほんとですか!)」
もごもごと動く唇。楪に黙る選択肢はないと思われる。けれども楪の表情は、ぱっと明るくなった。
涙の気配が消えた瞳から目を外して、與は嘆息する。
(あ〜あ。めんどくせぇことになったぁ……)
数十分前に楪を送ってやろうとした自分を、小さく呪った。




