第3話 次の予言
狂気の公衆会を通り過ぎると、いくらか通りやすくなった。占い師がいるのはある酒場の地下だった。昔ながらの腰ぐらいまでしかないドアを押し退けて入った。
いくつかある丸テーブルにはすでにほとんどの団体客で埋まっていた。ちょうどひと仕事終えた後の一杯で盛り上がっているのだろう。
経年劣化している燭台が照らす淡い光の中を突き進んでいった。ジュリアーノお嬢様は私の言う通り何も言わずに歩いてくれた。
通り過ぎる客が私達を見て下衆な言葉を投げかけたが、ナイフのように睨みつけると小動物みたいに縮こまって酒を飲んでいた。
カウンターには何人かの飲んだくれがいたが、私達には気にも止めず目の前にいる胸元を大胆に開けたウェイトレスを口説いていた。
酒場のマスターはスキンヘッドで屈強な肉体をしていた。かつてはヤンチャしていたのか、頭部から頬にかけてミミズバレが出来ていた。
私は彼に近づくと、「地下のワインが飲みたい」と囁いた。
「どんなワインがいいんでしょう?」
マスターはグラスを磨きながらそう尋ねた。「一番上から三番目の酒を」と返すと、彼はグラスを置いて「どうぞ」と奥にある扉のドアを開けた。
これが占い師に会うための合言葉だった。しかし、お嬢様はあまり理解していないのか、「酒なんか飲みたくないわよ」と小声で訴えていた。
地下へと続く階段は決して快適なものではなかった。空気は下水にいるかのように不快だった。壁のあちこちからネズミが走り回っているような物音が聞こえ、心なしか悲鳴も聞こえた。
マスターと私は慣れた様子で降りていったが、ジュリアーノお嬢様は相変わらず慣れていないのか、ブツブツと文句を言っていた。
そうこうしているうちに地下の入り口に着いた。鉄製だった。マスターがドアをノックすると「合言葉は?」と聞こえてきた。スキンヘッドがこっちを見てきたので、私は「樽の上に蛇」と返した。遅くないうちに錠が開く音がして開いた。マスターがドアを押して中に入るようにジェスチャーした。
私とジュリアーノお嬢様が中に入ると、さっきまでの陰鬱な階段とは思えないくらい妖艶な空間が広がっていた。
東の国から仕入れたと思われる絨毯が敷かれ、天井には細やかに作られたアクセサリーがぶら下がり、コンソールテーブルの上には小動物の剥製や木像が置かれていた。その中央に豪奢なテーブルクロスが敷かれたデスクを見つけた。その前に一人の女性が座っていた。
派手めの口紅とアイシャドウを付けた女、ムーラは私達を見ると「ようこそ。無事に生き延びれてよかったわ」と安堵した様子で水晶を磨いていた。
彼女こそがジュリアーノお嬢様に『死の予言』を告げた人物なのだ。
「ねぇ、いちいちこっちに向かうの面倒なんだけど。どうせやるならドバーーとまとめて出してくれない?」
ジュリアーノお嬢様は両腕を組んで注文したが、ムーラは「駄目よ。そんなに出したら紙が真っ黒になっちゃうわ」と洒落なのか本当なのか分からない返しをした。
「さぁ、無駄話している暇があったら早く次の予言をお願いします」
私は一刻も早く帰りたかったので、ムーラに催促させた。彼女は「せっかちね。まぁ、いいわ。早く紙をここに」とテーブルを指差した。
ポケットから折りたたまれた白紙の予言の書を拡げると、ムーラは手をかざした。そして、何かを呟き出した。
お嬢様は隅の方に寄って様子を伺っていた。近くに怖い顔をした鬼の仮面がぶら下がっていることに気づいて怪訝そうな顔をして遠ざかっていた。
お嬢様の観察をしながら紙の方にも注視した。白紙だった紙が段々文字らしきものが表れていた。焦げたような臭いがしているという事は表面を特殊な力を使って炙っているのだろうか。
なんてことを考えていると、文字が現れた。
『夜の蝶が舞い降りる』
そう書かれた。
「『夜の蝶』……? 何よこれ、まさか鱗粉で死ぬってこと?」
「じゃあ、屋敷の窓を全て閉めた方が良さそうですね」
私はお嬢様の頭の中で浮かんだ考えを尊重するためにあえて合わせる事にした。ムーラはそれを見抜いているのか、「そうかもしれないしそうではないかもしれないわ」と肯定とも否定とも言い難い答えをした。
「はぁ、馬鹿らしいわ。早く帰って、美味しいケーキでも食べましょう」
ジュリアーノお嬢様は半分怒ったような口調でさっき来た階段を戻ろうとした。が、ムーラが「ちょっと待って」と呼び止めた。
「なに?! まだ何か用?!」
「今、外に出ると危ないわよ。『晒し首』の連中がたくさんいるでしょ?」
確かにムーラの言う通りだ。またあの悍ましき集会を通るのは危険だ。
「では、お願いします」
「うん」
私は紙を回収して再びポケットにしまうと、ムーラはお嬢様の方に向けて手をかざした。
「えー? またアレ? けっこう大変なのよ」
「我慢してください。お嬢様。さぁ、私に捕掴まって」
私はジュリアーノお嬢様の腕を引いて横並びに密着させた。お嬢様は「痛いわよ! もっと優しく扱いなさい」と苦言を述べていた。
「ではいくわよ……転送」
ムーラは私達の前に手を振るような仕草をした直後、目の前の景色が急速に変わった。それは光の速さのごとく勢いで凄まじい風が飛んだ。扉も壁も通り抜けていき、周囲に電光がピカピカと輝いているのを感じながら進んでいった。
「あびびびびびっ!!」
お嬢様は暴風に負けてしまったのか、大口を開けていた。その顔はとても令嬢とは思えないくらい崩れていたが、これはこれで可愛い思った。そうこうしていると、見覚えのある屋敷が見えると、ある一室に着いた。
何もかもきらびやかだった。先程の地下室とは比べ物にならないくらいの豪奢な絨毯に宝石のようなシャンデリア、テーブルの上にはテディベアが何個も並んで置かれていた。
ジュリアーノお嬢様の部屋だった。毎回ここに来るとお嬢様の甘美な香りに酔い潰れてしまいそうになる。
「はぁ、全く! 今日は凄い疲れた! スカーレット、早くこの貧乏臭い服を脱がしてっ!!」
お嬢様は今日一分のストレスが溜まって爆発したかのようにプリプリしながら洋服を脱ぎ始めた。私は慌てて彼女の着替えを手伝った。
ふと頭の中にムーラが予言した『夜の蝶』という言葉を思い出した。
夜の蝶――もしかしたらアレかもしれない。もし私の推測があたっていたら早く手を打たないと。下手したら最悪の事態を招く事になるかもしれない。