第20話 付き人失格
「お嬢様!」
私はジュリアーノお嬢様の背中を追いかけた。お嬢様は足早に外へと向かっている。
「お待ちください!」
「付いてこないで!」
お嬢様の張り詰めた声は私の両脚を動かなくさせる力を持った。
「お嬢様、お待ちください」
私の呼びかけにお嬢様はようやく足を止めてくれたが、背を向けたままだった。
「何よ。あなたもマリーの事を付き人にしたいんじゃないの?」
「そんな……なぜそう思うのですか?」
「聞いたのよ。あなたがマリーと仲良さそうに話しているって」
心臓に矢が刺さったような心地だった。一体いつどこでお嬢様はそんな噂を耳にしたのだろう。うまく返せずに戸惑っていると、お嬢様は「ほらね」と鼻で笑った。
「みんな私を嫌っているのは分かっているわ。お父様もお母様もレッドベーカーもグリナールも私を置いて逃げちゃったし……でも……」
その後に続く言葉が急に奪われたかのように黙ってしまった。私は馬車でお嬢様と交わした約束を思い出した。何がなんでもお嬢様の味方であると。それを裏切ってしまった事にショックを受けているのではないか。
「お嬢様、あの約束は今でも変わりません! 私はお嬢様のために命をかけて、あの赤い仮面の魔の手から救いました!」
「本当かしら? あなたもお父様の報酬が欲しくておべっかしているんじゃないの?」
お嬢様は完全に疑心暗鬼だった。自分以外の人間を信用していないみたいだった。
「そんな事はありません。私は今でもお嬢様の味方です」
「うるさい! そんな言葉、聞きたくない! どうせご機嫌を取るための嘘に決まってる!」
「どうしてそんな風に思うのですか? 私はこの身に変えてもお嬢様をお守りすると……」
「ルーリ王子とマリーをくっつけようとしていたじゃない!」
言葉を失ってしまった。なぜその秘密の計画を知っているのだろう。
「……誰から聞いたんですか?」
「平民の生徒会長からよ」
カッサンドラが? いつなぜそんな情報を手に入れたのだろう。もしかしたらたまたま目撃しただけなのかもしれない。一刻も早く生徒会長を問いただしたい所だったが、今はお嬢様の信頼を取り戻す事が最優先だった。
すると、私の手が勝手に動き出した。手に硬いものがあたる。取り出してみるとナイフだった。
てっきり赤仮面に奪われてしまったかと思ったが、奴の力が失ったタイミングで元に戻ったのだろうか。
『殺せ』
私の頭の中で何かが囁いてきた。まさかこいつは――。
『殺すんだ。それがお前の役目だろう?』
やはり、そうだ。元々の私、『殺し屋』の自分が目を覚ましたのだ。私は手にナイフを持ちお嬢様のガラ空きの背中の方を向けた。
お嬢様はまだ気づいていないみたいだった。このまま走ったら殺せる――あぁ、なんて事を考えているんだ。殺せる訳ないじゃない。殺したくもない。
だけど、頭の中にいる殺し屋の私はひたすら連呼していた。殺せ、殺せ、殺せと。
「……スカーレット? どうしたの?」
お嬢様が振り返ろうとする。まずい。この状態で見てしまったら、完全にお嬢様の信頼を失ってします。
そんなの嫌だ。
「うわぁああああああ!!!」
私は覚悟を決めた。ドレスの裾を引いて汚らしい生脚を見せると、思いっきりナイフを突き刺した。
「……え?」
ちょうどよくお嬢様は私の脚を刺した時に振り返ってくれた。状況が読み取れないのだろう、口をポカンと開けて茫然としていた。
「私は! なんて! 情けない! 付き人! お嬢様を! 守れない! なんて! 失格! 失格! 失格! 失格……」
私は自分の戒めを込めて何度も突き刺した。痛みは感じたがお嬢様が自分への信頼を失った衝撃の方が辛かった。だから、血飛沫が出ようが片脚が動けなくなろうが、全然苦ではなかった。むしろ軽いくらいだ。
「スカーレット! やめなさい!」
何回目かも分からない脚への攻撃にトドメを刺そうと振り上げようとした時、ジュリアーノお嬢様が血相を変えて私のナイフを持つ手を掴んだ。
「離してください。お嬢様のドレスが私の汚い血で汚れてしまいます」
「ドレスの代償を片脚で払うつもりなの? いくらなんでもやり過ぎよ」
「いえ、むしろ軽すぎます。お望みとあらば首を切ることだって」
「馬鹿っ!」
私の頬にスパンッと強烈な一撃が加えられた。脳がグワンと揺れると、さっきまで聞こえていた殺せというコールは消えていた。お嬢様の方を見るとルビーの瞳が歪んでいた。
「これ以上私を苦しませないで」
その言葉はいつもにも増して重みがあった。私の手は力を失い、ナイフはホロリと落ちていった。背後からカチャンと金属音がした。
「……申し訳ございませ、ぐっ、あっ……」
緊張の糸が切れたからか、片脚が急に痛み出した。お嬢様は「世話の焼ける付き人ね」と自慢のドレスの裾を切って巻きつけていた。
「お嬢様」
「全く手といい、足といい、あなたの罪滅ぼしは過剰し過ぎて、怒りたくても怒れないじゃないの」
お嬢様は愚痴でもこぼすようにシルクの生地を何の躊躇もなくグルグルと巻いていた。ふと脳裏に医務室のベッドで起きた事を思い出した。
「お嬢様、二度もお手を煩わせてしまい申し訳ございません」
「いいわよ。別に。でも、三度目は見棄てるわよ」
お嬢様はギュッと固く結び目を作ると、ヨッと私を抱きかかえ――え?
(ええええええええ?!)
ジュリアーノお嬢様がなぜ私をお姫様抱っこしているんだ。徒歩で歩くのもかったるいと文句を垂れ流しているお嬢様が私を優しく抱きかかえるなんて――明日は天変地異が起きるのだろうか。
「お、お嬢様。なぜ?」
「早く馬車に辿り着きたいからよ。その脚じゃあ半年かかるわよ」
半年はさすがに言い過ぎだと思うが、お嬢様の気遣いが何より嬉しかった。顔を一切直視できないけど、ほんのりと伝わってくる温もりが心地良かった。母に抱かれた赤ん坊はきっとこんな心地で眠ったに違いない。
この時、この瞬間をいつまでも留まりたかった。たった数分――廊下からエントランスを抜け馬車に乗り込むまで――という限りなく短い時を感じながら一生を終えたいくらいだった。
もしかしたら明日は最悪な事が待っているかもしれない。今日みたいに仲直りができないかもしれない。今この時こそが私の生涯で最高の幸せ―そんなネガティブな事を考えながら馬車は我が家へと向かった。




