8話「シェオルグ」
東雲ツルギは結局、徒歩で来た道を戻ることになった。都市の交通管制システムが二次災害の防止を理由に停止しており、カーシェアリングサービスも停滞していたからだ。
彼はどこに最寄りのシェルターがあるのかを知らなかったので、とりあえず二人と別れたカフェのあたりまで戻ることにした。道中、あの怪獣の砲撃による被害が見受けられた。かなり広範囲の市街地が被災し、遠くでは火の手が上がっている。
果たしてそれが被害を抑え切れた結果といえるのかどうか――判断が付かないまま、ツルギは走ってカフェまで戻った。
人々の上げる喧噪が聞こえてくる。どうやら大勢の人間が集まっているようだが、ツルギには何の集まりなのかわからない。ただ奇妙に確信できたのは、聞こえてくる声から感じられるのが人命救助に必死だとか、火事を見る野次馬だとかのそれではないことだ。
彼はその音に込められた感情を知っている。
怒り。
憎しみ。
かつての記憶――戦場となった地球で幾度となく聞いてきた怨嗟の声。
嫌な予感がした。
走って、走って、走って。
超人である自身の体力に感謝しながら、東雲ツルギはその場所にたどり着いた。
あのカフェの前に、みっしりと人集りができていた。ぱっと見た限りでは、このあたりはさほど大きな被害を受けてはいなかった。炸裂した砲弾の破片が住居の窓ガラスや壁を破壊して街角に瓦礫が散乱しているにもかかわらず、流血している怪我人や死者の姿は見受けられない。
だが剣呑な空気は明らかに、この地域が非日常によっておかしくなっていることの証左だった。
怒声が聞こえる。
「出て行け、化け物!」
「お前が怪物を呼び込んだんだろ!」
「俺は見たぞ! こいつが不思議な力を使うのを!」
「くそっ、おかしいと思ってたんだ! こんなところにシェオルグがいるなんて!」
「クソ女が! ガキの姿してれば誤魔化せると思ったのか!?」
聞くに堪えない罵詈雑言であった。ツルギは神妙な顔つきになると、人混みを掻き分けていった。何度か肘を入れられたりしたが、構うことなく突き飛ばしながら前進する。
そして東雲ツルギは見た。
目も冴えるような青銀の長髪、宝石のように光を透かす竜の角――触れれば折れてしまいそうなほどに華奢な少女を、憎しみに染まった人々が取り囲んでいるのを。
その青銀の髪を見た瞬間、ツルギはほとんど本能的に叫んだ。
「エンダー!」
「わたしには、あなた方に危害を加える理由がありません。先ほどの怪獣騒ぎにも、わたしは一切関与していません」
エンダー・カレルレヤはツルギの方に視線を動かすことなく、淡々と事実を述べていた。その白い頬には傷一つないのを見て取って、少しだけ彼は安心した。だが、ツルギの安堵はそう長く続かなかった。
殺気だった人々に囲まれていようと、シェオルグの少女――実年齢はともかくそう呼ぶべきだろう――は平常心を保っているようだった。
しかし少女の平常心はかえって人々の敵意を煽っただけのようだった。人混みの中の誰かが叫んだ。
「嘘だ! 俺は聞いたぞ! 怪獣兵器の作り方を広めたのは自分だってこの女は言ってた!」
それはツルギに対する事情説明の時の会話だった。自分に対する気遣いが、こんな事態を招き寄せたことに気づいて、東雲ツルギは血の気が引くような思いに囚われた。思わずツルギは叫んでいた。
「違うっ! 彼女は関係ないっ!」
「なんだこいつも仲間か!?」
「ああ、そうだ!」
顔も知らない誰かが殴りかかってきた。その拳を避けながら、ぱっと身を翻してエンダーの前に躍り出る。暴力に対して暴力で応酬すれば、群衆がどういう暴走をするかわからないから、ツルギはあえて殴り返さなかった。
怯え一つ見せていないエンダーに苛立ったように、敵意に満ちた群衆がじりじりと二人を取り囲む包囲の輪を狭め始める。
ツルギは少女へ声をかけた。
「どうしてこんなことになってる?」
「彼らを砲撃から守るためにフォースシールドを張ったのが不味かったようですね。あれでシェオルグとして悪目立ちしました」
「人助けじゃないか、それ」
愕然としてツルギがそう呟くと、本当に仕方のない子を見るような目でエンダーは彼の顔を見上げてきた。
「知りませんでしたか、シェオルグは割と民衆に嫌われています」
「……すまない、知らなかった」
「いえ、いいのです。わたしも教えていませんでしたから」
そう言って微笑むエンダーは、本当に愛おしいものを見るように彼を見ていた。しかし状況が改善しているわけではないので、ツルギは気が気ではなかった。最悪の場合、暴徒の群れを殴り倒してでも包囲を突破する覚悟はあった。
「エンダー、僕が合図したら走ってくれ」
「いえ、その必要はありません。そろそろです」
何のことだと言いかけた瞬間だった。パァン、と甲高い音が鳴った。それが銃声だと気づいて、東雲ツルギは目を見開いた。真っ先に疑ったのはエンダーが暴徒に撃たれた可能性だった。
思わず彼女を抱きしめるように庇おうとして。
「ツルギ、落ち着いてください。味方です、一応は」
心底、面倒くさそうな顔のエンダーに見咎められた。
ツルギはわけがわからず、銃声がした方を見やる。そこにいたのは、全身をプロテクターで固めて防弾ジャケットを着込んだ警官の一団であった。彼らが手にしているのはあえて装薬式らしいショットガンであり、先ほどの銃声は空砲だったのだろう。
暴徒鎮圧用の盾と思しきもの――微妙な空気の揺らぎから察するに、見えざる不可視の力場を発生させているようだ――を構えた彼らは、整然とした陣形で、盾を構えながら前進し始めた。まるで中世の騎士のように全身を鎧で固めた警官たちを見た途端、殺気立っていた暴徒は逃げ出し始める。
『今すぐ解散しなさい! これ以上の密集状態は、暴動と見なして鎮圧対象になる!』
拡声器から流れてくる音声は、暴徒たちに対する最後通告だった。
「市警察は化け物の味方をするのか!?」
「〈カロンデルタ〉の恥さらしめ!」
『解散しろと言っている!』
足並みをそろえて前進してくる警官隊に気圧されて、二人を囲む暴徒が散り散りになって逃げ始めた。総崩れになっていなくなっていく彼らを見て、東雲ツルギは自身の灰色の髪を掻いた。
「えぇーっと……騎兵隊の到着ってやつかな?」
「西部劇ネタが通じるのはよっぽどの映画マニアだけですよ?」
くすくすと笑うエンダーは何故か機嫌がよさそうだった。ひとしきり笑ったあと、彼女は不意に真剣な表情でこう言った。
「ツルギ、それと覚悟しておいてください。まだ終わりではありません」
どういう意味か尋ねる暇もなかった。その次の瞬間には、全身を装甲で固めた市警察の合間を縫って、見慣れた人影が出てきたからだ。
栗色のボブカット、赤みのかかった瞳、可愛らしいたれ目がちな顔つきに筋肉質で引き締まった肢体。白いパーカーにハーフパンツ姿の少女が、威圧的な警官隊と不釣り合いな印象のまま、するりとツルギたちの前に現れた。
リリィだった。
「すいません! 〈カロンデルタ〉の市警察を引っ張ってくるのに時間がかかってしまって……エンダーさん、怪我はありませんか?」
彼女はこともなげにそう言って、にこにこと笑いながらこちらに近づいてくる。その姿がまるでヒーローオタクのときの姿そのままだったので、ツルギは違和感でどうにかなりそうだった。
ツルギは心にわき上がった疑念を隠そうともせず、ただ思うがままに問うた。
「君は一体、何者なんだ?」
「ツルギ……」
彼の猜疑心をなだめるようにエンダーが声をかけてきたが、リリィの返答の方が早かった。
「あたしは地球帝国から派遣されてきた粛清執行官の巨神騎士……リリィ・フェルディエ・ドーンヘイルです」
相変わらずの人懐っこい笑みを浮かべたまま、少女騎士はこう名乗りを上げた。
「わかりやすくいうなら、あなたの後輩です。東雲ツルギさん――いいえ、〈ケルベノク〉」