7話「レイディアント・ビースト」
それは当初、宇宙港に入港してきた一隻の貨物船の積み荷だった。与圧エリアに入った民間輸送船の内部で眠りに就いていたそれは、はるか彼方の操り主が遠隔操作装置を作動させると、長い長い眠りから目覚めた。
その肉体を構成するのは高次元結晶体アカシャ・セル。自在に空間を歪曲させ、エネルギー保存と質量保存の法則さえ超越してみせる神の血肉。それは無機物のようでありながら有機体として振る舞う異形であった。
それは量子通信で命じられたとおりに内側から輸送船のコンテナを突き破って、その威容を露わにした。宇宙港のドックは、破壊されたコンテナの残骸が破片となって飛び交い、無重力空間を逃げ惑う港の職員の悲鳴でいっぱいになっていた。
突然、宇宙港に現れた怪物は平べったい大きな頭部を持つ以外、地球に生息していた霊長類ゴリラに似ていた。全高三〇メートル、前屈姿勢の筋肉質な胴体に、一対二本の短足気味の短い歩行脚と、歩行脚のつま先に届くほど長大な前足を持った巨獣。
暴虐の主は、その名を〈ハンマーヘッド〉という。
その体表を覆う白銀の甲殻の隙間からは無数の瘤が迫り出している。甲殻の隙間からのガス噴射で推進力を得た怪物は、その巨体を感じさせない軽快さで宇宙港の床に着地する。
逃げ遅れた港の職員をぷちぷちと踏み潰して血の花に変えながら、怪物は歩行脚の先端の指で床をしっかりと掴んで。
自らの節くれ立った肉体から隆起した肉塊めいた瘤に力を込めた――バチバチと電流が走ったあと、瘤は無数の砲弾として射出された。
ケミカルヘッド・ボム。電磁力によって射出された生体砲弾、その数二〇〇発超。砲弾そのものに眼球と制御翼がついたスマート弾頭は、正確に逃げ惑う人々をロックオンして飛翔し――砲弾内部に装填されていた薬液が混ざった瞬間、巨大な火炎の花を咲かせた。
爆ぜる。爆ぜる。爆ぜる。
飛び散った瘤の破片に人体が切り裂かれ、穴だらけにされ、宇宙服の防護も空しく一〇〇人以上の宇宙港の職員、および寄港していた宇宙船乗組員が死んでいった。
ぐちゃぐちゃになった死骸と瓦礫が散乱する中、ナックルウォークして歩行する怪獣が宇宙港の隔壁を突き破った。
与圧区画も何もかも無視して、巨大な化け物が〈カロンデルタ〉市街地に侵入する。
突如、壁面を突き破って現れたRBを、〈カロンデルタ〉にやってきた観光客たちが呆然と見上げる。彼らの大半は長い宇宙生活に疲れ、リフレッシュを求めて都市船にやってきた普通の人々だった。
それはつまるところ無差別テロの格好の餌食であることを意味した。広々とした空間に躍り出た巨獣は、操り主の命じるがまま、再装填された全身の瘤――生体砲弾を発射。
二〇〇発超の生体砲弾が巨獣の全身から放射状に広がって、〈カロンデルタ〉の宇宙港施設を覆い尽くしていく。
雷鳴のごとき爆発音が響き渡り、死が連鎖した。悲鳴すらかき消す爆音の中で、粉みじんになった建材の欠片と人体だった肉片がシェイクされ、ピンク色の液体になって一G環境下の地面にぶちまけられていく。
全身の瘤を撃ち終えた〈ハンマーヘッド〉の血肉は、無尽蔵のエネルギーをもたらすアカシャ・セルの恩恵によって、次々と充填されていった。
ぼこぼこと肉腫が甲殻の隙間で盛り上がり、新たなケミカルヘッド・ボムを形成。二〇〇発超の生体砲弾を撃ち終えてから、全身の再装填が終わるまでのインターバルはわずか一六秒。
尽きることない爆撃の申し子――それが〈ハンマーヘッド〉である。
かつて人類がレイディアント・ビーストと呼んだ天敵も、今となっては効果的な無差別テロの道具に過ぎない。その結晶頭脳に埋め込まれた遠隔操作装置の受信機は、恐るべき怪獣を悪意に満ちた人間の手先に変えていた。
再装填が終わった生体砲弾を周囲にまき散らし、念入りに宇宙港周辺の生存者の息の根を断っていく〈ハンマーヘッド〉――そんな化け物の姿を見て、悲鳴を上げる目撃者すらもう残ってはいない。
もくもくと黒煙が上がる中を歩む怪物に対して、唐突に熱線が突き刺さる。〈カロンデルタ〉防衛軍の汎用攻撃機が放った荷電粒子ビーム砲だ。着弾地点をプラズマ化させるビームのシャワーが体表で爆ぜた。レイディアント・ビーストの甲殻は傷一つつかなかったものの、生体砲弾に誘爆したことで小規模の爆発が起き、〈ハンマーヘッド〉は身をよじって苦しんだ。
摂食器官を持たず口腔のない化け物が放ったうなり声は、全身の筋肉を振動させたことに伴う威嚇音だった。
六機の汎用攻撃機の編隊はなおも果敢に、航空機にとっては至近距離といえる距離――敵を目視できる距離は、高速飛行する航空機にとっては至近距離と言って差し支えない――で攻撃を続行する。敵が全身から砲弾を放つ化け物なのは、この短時間の暴れぶりでわかっている。
下手に距離を取れば市街地にまで被害が及ぶから、彼らは危険とわかっていても近距離で爆撃を行うしかないのだ。六機の汎用攻撃機が一斉に誘導ミサイルを放つ――頭部を狙った誘導弾が爆ぜて、怪物は身をよじって痛みに苦しんだ。だが、傷が浅い。
あくまでコロニーを守護する防衛軍の持ち物である汎用攻撃機は、高出力・高火力の火器を使用できない。運用上、高すぎる火力を用いれば、都市船である〈カロンデルタ〉そのものに穴が開いてしまいかねないからだ。
それに対して、最初から無差別な虐殺を繰り広げるのが目的の〈ハンマーヘッド〉は、火力に制限がない。
そして即死させることができなければ、レイディアント・ビーストは無尽蔵のエネルギーを元手にその肉体を修復してしまう怪物だ。
『くそっ、効いてないぞ!』
『各機、散開! 目標から攻撃が来る!』
『回避、回避っ!』
六機の汎用攻撃機が回避運動を行うが、至近距離で空爆を行っていたのが仇になった。二〇〇発超のケミカルヘッド・ボムのうち、約八〇発が彼ら目がけて飛んできた。空中で炸裂する近接信管だった生体砲弾は、航空機の天敵といえる性能を誇っている。
汎用攻撃機が防御のために張ったバリアも空しく、無数の砲弾が爆ぜて――その破片と爆風が押し寄せ、汎用攻撃機の張った防御を貫いていく。ズタズタに引きされた機体はねじれ、ひしゃげ、そのパイロットと運命を共にしながら落ちていく。
火炎の花を六つ、空中に咲かせながら〈ハンマーヘッド〉が嘲笑うようにうなった。
それは操り主の悪意のままに、市街地に向けて次の砲撃の準備を始めていた。閉鎖空間に市街地を作っているコロニーシップは、内部からの爆撃を想定して作られてはいない。現時点でシェルターに入れた住人は少数のはずであり、まだまだ〈ハンマーヘッド〉は殺すことができるのだ。
ふしゅるるる、と全身の筋肉が収縮し、笑い声を上げた。
――刹那、まばゆい光が弾けて。
〈ハンマーヘッド〉の目を潰したその輝きは、青く燃え盛る炎のような怒り。次の瞬間、巨大な握り拳が怪獣兵器の頭部を殴り潰していた。ぐしゃり、と鈍い音がして、全身に生体砲弾を持つ怪物の身体から悲鳴のような鳴き声が漏れ出す。
分厚いガントレットに覆われた巨神の右手が、特大の打撃武器となって怪獣の頭部を破壊したのである。慣性制御によって速度と質量を乗せた一撃は、ミサイルの集中砲火ですらかすり傷しか負わなかった〈ハンマーヘッド〉の頭部を肉塊に変えていた。
ずぅん、と地響きを立て、〈ハンマーヘッド〉の肉体が崩れ落ちるのと同時に、地面に黒い巨神が降り立った。
それは外骨格のような黒の装甲を身にまとい、全身に青く輝く光の筋を携えて。
刀剣のように鋭い頭部が、複眼で人類の天敵を見据えた。
それは二〇〇〇年前、失われたはずの超人の姿。
〈禍つ光〉――レイディアント・ディザスターと共に散った悲劇の英雄、西暦四一〇〇年代の社会において最初の巨神と呼ばれるもの。
超越者、人を超えたもの、天使の輪を持つもの。
――〈ケルベノク〉は知っている。
この程度ではレイディアント・ビーストは死なない。すぐに復活する。ゆえに彼はとどめを刺すために必殺の兵装を取り出した。
〈ケルベノク〉の両手に備わったガントレット・ジェネレーターから、一振りの刃が手首と並行方向に突き出る。それは光り輝く超高熱の刃であり、一対二振りの剣でもある兵装だった。表面に超高温プラズマをまとった刃は、それ自体が未知の物質によって構築された必殺の斬撃兵装だ。
その超高熱による溶断を可能とする斬撃から〈炎の剣〉と呼ばれる刃が、振りかぶられた瞬間だった。
頭を潰された〈ハンマーヘッド〉の肉体が突如起き上がる。ナックルウォークに用いる前脚で体重を支える化け物は、装填を終えていたケミカルヘッド・ボムを一斉射。
『何ッ!?』
どんなに威力があろうと所詮は榴弾に過ぎないケミカルヘッド・ボムは、〈ケルベノク〉の装甲を傷つけるには至らない。だが化学反応によってもたらされる凄まじい熱と光は、巨神の視界を潰すには十分である。
次の瞬間、殴打が来た。レイディアント・ビーストが標準的に備える重力・慣性の制御による、膨大な慣性質量を一点に束ねた打撃――言わば自身の肉体を運動エネルギー兵器に見立てた一撃が、〈ケルベノク〉の胴体を打ち据える。
ナックルウォークできるほど肥大化した怪獣の拳は、まるでボクサーのパンチのように巨神を打ち据えた。
『がっ』
吹き飛ばされた〈ケルベノク〉は空中で体制を立て直し、天使の輪を展開――その背後に輝く光背を出現させ、重力制御によってぴたりと空中で静止する。
先のケミカルヘッド・ボムの一斉射によって、被害は宇宙港の外にも広がっていた。流れ弾で遠方の街並みが燃えているのがわかった。
それはたぶん、東雲ツルギが観光客として無邪気に歩き回った市街地であり、そこに住まう人々にとっての日常だった何かだ。三六〇度すべてへと誘導式の生体砲弾を射出する〈ハンマーヘッド〉は、呼吸するように殺戮をまき散らす怪物だった。
最初の一撃で仕留めきれなかった自分の未熟を恥じつつ、〈ケルベノク〉は目の前の敵へと吶喊した。
〈ハンマーヘッド〉は再生を終えた頭部――その名の通りシュモクザメに似ている――で巨神をにらみつけ、悪あがきとばかりに装填を終えたケミカルヘッド・ボムを発射しようとする。
だが、遅い。
『――終わりだ』
すでにここは、〈ケルベノク〉の間合いだった。ガントレット・ジェネレーターより展開したブレードが、横凪ぎに怪獣の胴体をスライスする。それ単体では圧倒的な強度を誇るアカシャ・セルの外骨格も、〈炎の剣〉の敵ではなかった。加熱・溶断された肉体が爆ぜるように崩壊を始めて、ガラスのように砕けた体組織が重力に従って地面へ落下していく。
あまりに多くの人間を殺傷した怪獣の最期は、そんな風にあっけないものだった。
その光景を見下ろしながら、光輪を背負う黒い巨神は、ただ悲しげに燃え盛る市街地を見やる。あの炎の下でどれだけの人命が失われたのか、考えるだけで胸が引き裂かれそうだった。
燃え盛る都市に、消防隊のサイレンの音が響き渡っている。
身長二〇メートルの巨神は人間くさすぎる仕草で、その光景を見つめて。
炎の中、〈ケルベノク〉の身体が砂のように崩れて、粒子状の光になって解けていく。さらさらと崩れ去った黒の巨神の中から現れたのは、どこにでもいそうな少年の姿だった。
東雲ツルギは周囲を見渡したあと、生存者が一人もいないのを確認して――自嘲するように呟いた。
「またヒーローごっこをしてるのか、僕は」
瓦礫の山と挽き潰された屍肉彩る地獄の中、かつて少年だった超人は泣くことすらできなかった。
涙は涸れ果てていた。