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18話「レイディアント・エンダー」








 恒星間戦略制圧兵器〈セラフ〉。

 その兵器としての特徴は、機体全体を高密度アカシャ・セルで構築している点にある。これはかつて人類を滅ぼしかけた災厄〈禍つ光〉――レイディアント・ディザスターを模倣したものであり、またそのコンセプトも単純明快にこれを踏襲している。

 すなわち単独での惑星強襲ユニット。


 そして一世紀ほどかけて人類を痛めつけるだけだった〈禍つ光〉と異なり、それがもたらす破壊は合理的かつ迅速であることが求められた。よりスマートに、よりコンパクトに人類の文明圏を襲撃し、圧倒的な恐怖によって反乱分子を制圧する。

 そのためだけに建造された〈セラフ〉は、巨額の費用をかけた最終兵器だったが、同時にこれまでにないほど小型の戦略兵器でもあった。


 従来の常識ならば大量の兵器と人員、一個艦隊を投じて衛星軌道上から地表を焼いてようやく実現可能だった大破壊を、翼長一八〇メートルに過ぎない〈セラフ〉は単独で実行可能なのだ。

 超長距離空間跳躍をそれ単体で行い、テラフォーミングが完了した星々を瞬時に破滅へ至らしめることが可能な機動兵器。


 その絶対的な恐怖を以て、叛徒たちの分離主義的思想を打ち砕く。

 それこそが情報機関の長イアータ・トゥルガムの夢想した究極の絶対兵器の概要である。正しく誇大妄想的とすらいえるコンセプトは本来、実現不可能といえるような代物だった。


 確かに予算に糸目をつけなければ、希少資源である高密度アカシャ・セルで機体全体を構築した兵器は製造可能だ。秘密裏に製造するために必要な莫大な電力も、実験施設〈ジェネシス〉の蓄電装置で補うことができた。

 一度完成してしまえば、〈セラフ〉は半永久的に稼働可能な自律型無人兵器だ。

 アカシャ・セルの生み出す膨大なエネルギーがあれば、恒星間の超長距離空間跳躍も惑星地表を焼き尽くすような兵装も使用可能だろう。


 しかしそれが運用可能であるかどうかとは天と地の差があった。そもそもの問題として、人類は未だに大量のアカシャ・セルを制御可能なインターフェースが確立できていないのである。

 例えば〈ジェネシス〉の蓄電池のような利用法や宇宙船の外殻に塗布しておく程度の量、あるいは高度な計算機械の演算素子、あるいは怪獣兵器のような低出力兵器に用いる程度の運用ならばいい。


 だがそれが、翼長一八〇メートルにも達する巨大な機動兵器のすべてとなると話は別だ。できあがったのは、そもそも出力が計算通りに出ない欠陥兵器である。

 〈セラフ〉のフルスペックは理論上のものに過ぎず、実際のところ、想定されている性能の五パーセントも引き出せれば上出来というのが、嘘偽らざる〈プロジェクト・セラフィム〉の実態であった。


 光明が見えたのは、高密度アカシャ・セルでできた超高性能演算ユニットの発見である。元になったデータはシェオルグたちが残してくれていた。

 純粋に人類のためを思って、自らの身体を実験台にして高密度アカシャ・セルの運用データを取っていた初期のシェオルグたちの試行錯誤の痕跡は、イアータ・トゥルガムにとって宝の山だった。


 人類自身に制御システムが製造できないのであれば、シェオルグそのものを演算ユニットとして取り込み、これを外付けの遠隔操作装置で従わせればよい。

 言ってみれば怪獣兵器の要領である。〈セラフ〉側に装置を組み込む形ならば、貴重なシェオルグの演算ユニットとしての性能を落とすこともない。

 あとはどうやって数値を満たすシェオルグを確保するかだけが問題だった。

 候補はすぐに決まった。


後世の研究のため実験データを残していたそのシェオルグは、人類に極めて友好的な個体であり、今現在も人類の文明圏に滞在していると確認されていた。

 エンダー・カレルレヤ。

 地球帝国科学技術省の初代長官であり、一〇年前に相談役の立場を退いて以降、気ままに宇宙を一人旅するシェオルグ。その肉体を演算ユニットに使うことが決定されて――今に至る。






 そして現在、彼女の肢体はアカシャ・セルの檻に囚われていた。〈アトラトール〉によって拉致されたあと、意識を失ったエンダーはカプセルに詰め込まれていた。

 今はもうろうとする意識の中で半ば夢見心地でいる少女は、遠隔操作装置――〈セラフ〉の側に取り付けられ、アカシャ・セルの共鳴を通じてエンダーに作用している――から流し込まれる指令を、ただ無意識のうちに実行するだけの存在と化している。


 シェオルグという頭脳を得た絶対兵器〈セラフ〉が、深紅の禍々しい光を放ちながら虚空を切り裂き飛翔する。幾何学模様を思わせるエネルギーラインが輝くと同時に、その全身から解き放たれたビーム砲は全部で三〇〇発以上――その一発一発が巡洋艦クラスの主砲に匹敵する出力の荷電粒子ビームだった。

 本来であれば艦隊規模の艦砲射撃でなし得る軌道爆撃を、〈セラフ〉はたった一機で展開可能なのだ。


 文字通りのビーム砲の雨を回避しようと試みた〈ケルベノク〉に、容赦なくビーム砲が突き刺さる。その頑強な黒い外骨格は貫通されなかったものの、その表面でプラズマ化した外殻の一部が爆ぜて、巨神に苦痛を与える。


『ぐおぉおおぉお! ――まだだ!』


 重力場の盾を再び展開し、こちらへと直進してくる黒の巨神。それを迎え撃つ〈セラフ〉は、白銀の装甲に浮かび上がる深紅のエネルギーの輝きをさらに強めて。

 閃光が走る。

 それは斬撃であった。

 文字通り着弾地点を溶断せしめるレーザー攻撃――なぎ払うような一撃をもろに食らって、ついに〈ケルベノク〉の左腕が欠損する。熱によって蕩けた装甲が砕け散り、体組織が焼き切られ、内骨格までもが切断された。


『ぐがぁああ!』


 腕が千切れ飛んだ〈ケルベノク〉は、しかし戦闘機動を緩めない。その動きは必死で〈セラフ〉に食いつこうとしているようだった。幾条もの光が宇宙空間を引き裂くように乱れ飛び、とうとう流れ弾で情報局の軍艦の一隻が轟沈する。

 駆逐艦クラスの電磁バリアでは防ぎ切れない出力のビーム砲の嵐が、回避運動を取っていた情報局の軍艦を次々と飲み込んでいく。


『駆逐艦〈ブラックサン〉大破!』


『巡洋艦〈インフィニット・ダークネス〉大破!』


 艦隊の中央管制室で怒号と悲鳴が飛び交う中、黒の巨神と白銀の天使は、踊るように殺し合いを続けていた。数多の荷電粒子ビームが、レーザービームが飛び交い、軍艦がバターのように溶断されていく。

 それは人の営為が幾度となく繰り返してきた争いの縮図のようであり、また息を呑むほどに美しい戦闘機動(マニューバ)だった。

 まるで神話のように。


 遠隔操作装置によって制御されているはずの〈セラフ〉は、明らかに異常な挙動を取り始めていた――高速戦闘になる〈セラフ〉の制御は戦闘用AIが行い、人間は外部から大まかな方針を出すというのが制御方式である。


 だが今、その挙動は異様なまでに攻撃的になり、友軍の被害をものともしない有様だった。

 通信のスイッチを切り忘れているのか、特殊工作艦〈インクレメント〉からイアータ・トゥルガム長官の声が聞こえてくる。


『なんだ、何が起こっている! 〈セラフ〉の攻撃を止めろ、味方が沈んでいるのだぞ!』


『量子通信は正常に動作しています……! 演算ユニットが独自の経路を構築してこちらの制御に割り込んできています!』


『暴走だというのか! 自爆プロトコルの起動は――』


『信号をキャンセルされます! 物理的に回路が侵食されて……〈セラフ〉のアカシャ・セルが暴走しているんです!』


 最早、その会話はエンダー・カレルレヤには届いていない。外部からの遠隔操作や戦闘用AIの制御を迂回するための疑似神経の増築は、彼女にとって呼吸をするように容易い。否、むしろそれは本能であり衝動であり理性なき生態であった。

 シェオルグであるということは、今ここにある世界を叩き潰すものであると同義だ。







 ただエンダーは夢を見ていた。

 二〇〇〇と一〇〇年の昔、初めて彼女が――彼女の大本になったものが、人類を観測したときの記憶だ。

 それは光だった。それは星だった。それは竜だった。

 その輝きは人類の定義において、悪なる竜と呼ぶべきもの。貪欲なる悪逆、すべてを奪い踏みにじる光輝。


 〈禍つ光〉――レイディアント・ディザスターと呼ばれた存在が、地球人類を発見したのは偶然であり、そこにあったのは天文学的確率で起きうる奇跡の連続だけだった。すなわち独立して存在する知性体と知性体とが、物理的障害と時間的障害を乗り越えて、同じ時空に生まれ落ちて、互いのどちらかが滅びる前に巡り会う。

 そんな奇跡を重ね続けた果てに、地球人類と〈禍つ光〉は出会った。


 この宇宙は広大で残酷で無慈悲だ。どれだけ多くの知的生命体が、異星で生まれ落ちた異なる可能性、異なる隣人との対話を熱望しようと――その種族としての寿命、文明としての寿命が重ならぬ限り、彼らが巡り会う確率はゼロに等しい。

 〈禍つ光〉と呼ばれる存在は、自身の存在起源を覚えてはいない。それは大昔の宇宙で生まれたのかもしれないし、別の宇宙で生まれたのかもしれないし、より上位の宇宙で生まれ落ちてきたのかもしれない。


 すべては悠久の時の流れに押し流され、消失してしまった過去に過ぎない。ただ一つ言えるのは、それが最早、呼吸するようにエネルギーを生み出し、尽きることない光をまき散らす存在であるということだ。


 出会いは偶然だった。〈禍つ光〉が数兆個もの銀河の中から天の川銀河を航行することを選び、太陽系を通り駆けて、四七億年の時を駆けて進化してきた人類が滅亡する前に、その文明に巡り会う――それは紛れもなく奇跡であった。

 だが、〈禍つ光〉はとうの昔に他者とのコミュニケーション機能を喪失した知性体だった。


 ゆえにそう、彼/彼女は――びっくりしたのである。

 一三八億年もの間、孤独だった知性は生まれて初めて巡り会った知的生命体に感激して、どうしていいかわからず、とりあえずおっかなびっくりに贈り物をした。それは自身が知る限りの知識のテクノロジーを詰め込んだ分身を作り、目の前の小さな生き物たちの住まう星に送り込んでみることにしたのである。


 それは致命的にコミュニケーションが下手くそで、相手がどういう反応をしているのか理解できていない無垢な存在だった。

 人類にとってそれは無慈悲な大量殺戮、敵性存在RBを送り込んでくる邪悪なる妖星だったが――〈禍つ光〉にとってのその行動は、子供がおっかなびっくりに子犬を撫でてみるようなものだった。


 そこに悪意はなく、侵略ですらなく、それゆえに慈悲の欠片もなかった。人間が絶滅しかけた一世紀という時間は、それにとって、まどろみにも等しい時間だったのである。

 自身の行動が人類を存亡の危機に追いやっているという自覚すらなく、〈禍つ光〉はただ、眼下の星でわちゃわちゃと動き回る生命の反応を楽しんでいた。

 すべてが過ちであり、罪深い錯誤であった。


 例えるならば、それはボードゲームを遊ぶ子供のような無邪気さで――それゆえに救いようがなく邪悪だった。

 そしてその愚かさの報いを受けて、〈禍つ光〉は滅びることになる。

 それは一条の光だった。

 青い星から飛び出してきたその生命は、小さな生き物たちよりも、〈禍つ光〉に近い存在だった。全身をアカシャ・セルで構築されたそれに興味をそそられて、〈禍つ光〉はその様子を観察することにした。


直径三〇〇キロメートルのアカシャ・セルの塊である彼/彼女は、生まれてこの方、命の危機というものを感じたことがなかった。少なくとも過去一三八億年間、それにそういう記憶はなかったし、あったとしても忘却してしまっていた。

 あれは面白いものだろうか。

 そう思ってたくさんの分身を作ってけしかけてみたが、黒くて尖ったそいつはぐんぐんと速度を上げていって。


 やがてそれは、光の速さに迫る勢いで突っ込んできた。

 だが、そんな速度はどうでもよかった。

 尋常ならざる高エネルギー体となったアカシャ・セルの塊であるそいつは、その源である〈禍つ光〉と繋がっており――まるでいっぱいになった水槽から水があふれ出すように、情報の奔流が逆流してきたのである。

 その現象、言ってみれば共鳴を通じて伝わってきたものに、〈禍つ光〉は驚愕した。それは膨大な量の記憶の濁流だった。積み上げられた感情の洪水だった。

 



――痛みがあった。苦しみがあった。悲しみがあった。憎しみがあった。怒りがあった。



――数え切れない喪失があった。やりきれない裏切りがあった。救われない犠牲があった。



――死者が積み重なって屍肉の山を作っていた。



――生者が相争う地獄が形作られていた。



――その悪夢にも似た世界で、彼はただ一人、この世に生まれ落ちた超越者だった。



 〈禍つ光〉はそのとき初めて、自身の罪を理解した。

 そしてその罪に怯えて、どうしていいかわからずにいるうちに、黒く尖ったものは光の速さで彼/彼女に激突した。防御しようと思えばできたはずの攻撃だ。けれどそのとき〈禍つ光〉は、人間風にいえば気が動転していて、混乱していたから何もできなかった。


 光の速さで〈ケルベノク〉がぶつかってきたことで生まれた莫大なエネルギーは、無限ともいえる力を秘めていた。アインシュタインはクソして寝ろという感じの惨状である。考えるのも馬鹿らしくなるほどの爆発が起きるはずだった。


 それこそ太陽系なんて一瞬で消し飛ばしてしまえるほどのエネルギーが生まれて、人類を滅ぼしてしまうはずだった。そのとき初めて人間というものを、そして自分がしてきた行為の残虐さを知った〈禍つ光〉は、それが嫌だった。

 ゆえに。


 彼/彼女は衝突で生まれたエネルギーを連れて、別の銀河に跳躍することにした。そのついでにバラバラに砕け散った黒くて尖ったもの――〈ケルベノク〉を巻き込んでしまったことに気づいたけれど、もう彼/彼女にはどうしようもなかった。あとに残ったのは、人類から見れば重力崩壊とマイクロブラックホールの蒸発が起きたようにしか見えない空間の歪みだけで。


 そのくせちっとも地球に被害をもたらさず、その災厄は打ち消されたのだった。

 そのせいで自分の身体が砕け散ったことなんて、もう〈禍つ光〉にはどうでもいいことだった。そんなことぐらいで帳消しにできないぐらいの罪を、彼/彼女は犯していたのだから。


 すべてが終わった頃、〈禍つ光〉――レイディアント・ディザスターと呼ばれたものの欠片は、身勝手な贖罪をすることにした。自分の分身を作って、人類に対して遅れた進歩の分だけ補償をしようと試みたのである。

 砕けた本体から意識の一部と記憶を引き継いだそれらは、今度こそ人間に接触してやり直すため、人間に似せた容姿を与えられて。


 こうしてこの世に、シェオルグというものが生まれた。

 それは、あがなえぬ罪を生まれたそのときから抱えて、ただひたすら、贖罪のために生き続ける生命の始まりだった。

 シェオルグにとって生まれたことは罪であり、生きることは罰であった。

 虐殺された人々が蘇ることはない。喪失した文化が元に戻ることはない。過ぎ去った時間が戻ることはない。


 ならば一体、何を以て償いが終わったといえるのだろうか。

 その答えを、シェオルグは種の繁栄に求めた。

 〈禍つ光〉が人類を破滅の淵へ追いやったというのなら、未来永劫、破滅というものから人類を遠ざけ続ければ――それはきっと贖罪に相応しい結果になるはずだ、と。

 シェオルグたちのリーダーは、いつしか自身をこう呼ぶようになっていた。




――人類の悲惨な運命、シェオルグの宿業を終わらせるものエンダー




 その名乗りがどれだけ傲慢であったかを、彼女は二〇〇〇年の時間をかけて心身に刻みつけられていた。

 ただ、あがなえぬ罪だけがあった。

人類はどれほどの長い時間が経とうと、シェオルグに対する不信を忘れてはくれなかった。


 どれほど尽くしても、返ってくるのは感謝ではなく猜疑に満ちた瞳だった。

 多くの同胞が、エンダーの下を去っていった。報われない贖罪の道など捨ててしまえと、もっとも彼女に近しいシェオルグでさえそう言った。


 諦めてしまえばよかった。贖罪など放り投げてしまえばよかった。だが、エンダーはただ一人、人間に尽くすことを選んだ。

 二〇〇〇年の時間はあまりにもシェオルグに優しくなくて、いつしか、エンダー・カレルレヤは人間に期待することをやめていた。


信じることをやめてしまえば、それ以上傷つくことはなかった。表面上の思わせぶりな態度で人を煙に巻くことばかり上手くなっていった。

 胸の痛みから目をそらして、生き続けるだけの人生だった。



――ああ、それでも。



 たった一つだけ、救いはあった。それは二〇〇〇年間の空虚の日々の果て、二五〇万光年の彼方で巡り会った運命。

 奇跡と呼びたくなった再会。あの日あのとき、〈禍つ光〉と共に失われたはずの彼。彼/彼女に人間を教えてくれたただ一人、東雲ツルギ/〈ケルベノク〉。

 その生命ある姿を目にした瞬間、どれほど救われる思いだったか――きっと彼は知らないだろう。

 エンダー・カレルレヤの抱えた孤独は、他者に知られることなどなくていい。



――誰かの声が、聞こえた。



 〈セラフ〉は最早、エンダーの制御すら離れて荒れ狂う嵐だった。夢うつつで制御システムを狂わせたエンダー自身、〈セラフ〉の主導権を握っているわけではないから、敵味方識別から解き放たれた戦闘用AIがキルモードで暴走し始めたのである。


 すべては機体全体にアカシャ・セルを用いた上に、意識を不明瞭にしたシェオルグを演算ユニットに使うという設計コンセプトの破綻が招いた妥当な末路だった。

 赤いエネルギーラインの残光と共に、白銀の天使は〈ケルベノク〉へと殺意を剥き出しにする。


 その三対六枚の翼が羽ばたくたび、重力波が放たれてあらゆる物質を潮汐力(ちょうせきりょく)で粉砕していく。半径五〇キロメートル圏内を破壊の渦に叩き込んだ過重力場に捉えられ、特殊工作艦〈インクレメント〉は、その乗員ごと消え失せた。

 イアータ・トゥルガムは自身の生涯をかけたプロジェクトの失敗をその目に焼き付け、絶望の中で分子レベルにまで分解され即死した。


 救いがあるとすれば、ここが木星圏でもコロニーの類がない辺境で、無関係の民間人への被害は出ていないことだったが――このままではそれも時間の問題だろう。

 ああ、けれどそうはなるまい。

 何故ならば。


 黒の巨神が――〈ケルベノク〉が、ここにいるのだから。

 彼は今にも崩れてしまいそうな身体だった。

レーザー砲撃で左腕を、重力波の嵐で両足を失い、その全身の装甲はひび割れて――いつ自壊してもおかしくないほどボロボロの身体で、それでもなお、必死に残った右手を伸ばす。


『エンダー!』


 それは高密度アカシャ・セル同士の高エネルギー状態がもたらす共鳴。かつて〈禍つ光〉を滅ぼすことになったのと同じ現象。外界からの刺激を受けぬよう調整されたゆりかごを貫通し、永遠の少女を呼び覚ます祈りだ。



――彼の声が、聞こえた。



 カプセルに満たされた溶液の中で、うっすらとエンダーは目を開いた。青銀色のまつげに彩られたまぶたが開かれ、その奥の琥珀色の瞳が宙を見て。

 銀色の肉塊に捕らえられた少女は今、まるで生まれたての赤子のようにぼやけた視界の中にいた。


『今、行く!』


 虚ろだった意識がはっきりしていく。エンダーに作用するよう仕掛けられていた液化アカシャ・セルのゆりかごはその機能を停止し、急激に彼女の意識は覚醒していった。

 それはすなわち、猛威を振るっていた〈セラフ〉の出力が低下することを意味していた――半ば眠らせた状態のシェオルグを演算ユニットにしなければ、そもそもこの兵器は機能しない欠陥品だ。


 これまで〈ケルベノク〉の突撃を防いでいたフォースシールドのバリアが、その出力低下に伴って効果を失っていく。

 それを見て取ったのか、四肢のほとんど欠損し、無事なのは右腕だけの黒の巨神が慣性制御をかけ反転。


 加速、加速、加速。

 その身を弾丸のようにして。

 〈ケルベノク〉の身体が、最後の突撃をかける。


『――君を、助ける!』


 その右腕のブレードはへし折れていて、とうの昔に喪失している。

 だから、ああ。



――伸ばされているのは、刃ではなく彼の手で。



 〈セラフ〉が回避運動を取ろうとするが、その翼はもう、満足に重力制御を使えなくなっている。推進方法のほとんどをアカシャ・セルの重力制御に依存する〈セラフ〉は、今や死に体であり、回避もままならない状態だった。

 黒の巨神と白銀の天使が激突する。突き出された右腕が、まるで矛のように斥力場の盾を破壊した。


 フォースシールドの盾があっさりと突き破られ、〈ケルベノク〉の――東雲ツルギの指が〈セラフ〉の胴体に食い込む。まるで粘土を引き裂くようにして、彼の手は絶対兵器の外殻を断ち割って。

 やがて、カプセルを探り当てた。


 壊れ物でも扱うように、黒の巨神の手が引き抜かれる。

 流体金属の血液を流しながら、〈セラフ〉が機能を停止する中――卵型のカプセルがひび割れていく。内部に収められていた液体が流出すると同時に、カプセルの殻を破って少女がゆっくりと姿を現した。


 まるで壊れ物でも扱うみたいに優しい、黒の巨神の大きな掌の中である。自身の華奢な肢体を包み込むのが、薄いボディスーツ一つというのは恥ずかしかったけれど。

 そんなの口にしたら悔しいから、いつも通りに振る舞うと決めた。

 青銀の髪、二対四本の竜の角、琥珀色の瞳。

 その白い頬には傷一つなくて。


「……来るのが遅いですよ」


『ごめん、待たせた』


 少女の第一声に面食らうこともなく、彼はそう応えて。



「――ありがとう、ツルギ」



 エンダー・カレルレヤは微笑むのだ。

 映画の中で、ヒーローにそうするヒロインみたいに。









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