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15話「リジェネレイター」





――守りたいものばかりが、こぼれ落ちていく人生だった。





 東雲ツルギの歩んだ一〇〇年間は、そういう虚無だけが積み重なった一世紀だ。

 請われれば世界中のどこにでも駆けつけた。国家も民族も宗教も超えて、人間の生命と尊厳をこそ彼は守りたかった。それがたとえ、いつか残酷な運命によって失われてしまうものだとしても。


 戦って、戦って、戦って――多くの人の生命を守ろうとした。

 けれど戦場の現実は残酷で――いつだって彼は手遅れになってから駆けつける火消し役だった。多くの都市が消えていった。多くの人間が家屋諸共に燃やされていった。誰かが願ったはずの平和な日常は二度と戻ってこなかった。


 ゆえに彼は守り切れた命の数よりも、失われていった命の数をこそ数え続ける。もう二度と自分と同じ思いをする人を出したくないから、はるか彼方の〈禍つ光〉より送り込まれるRBを始末してきた。

 故郷も家族も友達も失って生きる人生は、そうでもしなければ耐えきれないほどに悲しみに満ちている。


 ツルギの戦いはそうして積み重なった痛みの物語であり、誰かの嘆きを止めるためだけに費やされた一〇〇年間だった。何より救いがなかったのは、その嘆きを作り出すのが必ずしも〈禍つ光〉やRBだけではなかったことだ。


 焔の記憶――RBの落着とそれに伴う天災で首都に壊滅的な被害を被った西南アジア某国。行政機能の混乱に乗じて起きた軍部によるクーデターは、瞬く間に隣国の軍事介入を招いた。それは地域の平和維持を名目にした露骨な内政干渉であり、誰の目から見ても明確な侵略行為だった。


 だがすでに加盟国の半数が致命的な被害を受けていた国際連合はその機能を停止して久しく、地域大国の横暴を止められるような実行力ある国家は残っていなかった。

 RBの落着と破壊活動によって瓦礫の山になった首都は、今や政府機能が麻痺したも同然の状態だ。首都機能移転が間に合わなかった都市は、今や軍事侵攻してきた隣国の軍と、クーデターを起こした軍部の市街戦の舞台になっていた。

 銃火が瞬き、砲声が鳴り響き、逃げ惑う市民の声が響き渡る中。


 東雲ツルギはその現場に居合わせていた。

 RBの駆除のため派遣されてきた彼は、この時点で半世紀以上、数多の戦いを経験してきたけれど――これほどまでにはっきりした侵略の現場に居合わせたのは初めてだった。


 宿泊していたホテルに砲弾が撃ち込まれた時点で、彼はもう無関係ではいられなかった。人が死ぬ、何の意味もなく戦火の犠牲となって消えていく。

 堪らず駆け出そうとした彼の肩を掴んだのは、東雲ツルギ――否、対RB用戦力〈ケルベノク〉のお目付役として同行してきていた地球軍のエージェントだった。

 幼い頃、ツルギによって救われた難民の一人だったという彼は、今年で三〇歳になる大人だった。少なくとも半世紀以上も生きているツルギよりも、彼はこの世界の政治の力学に対して敏感だった。


「東雲さん、落ち着いてください。ここであなたが戦えば、それは明確な侵略行為と見なされます。そうなれば今後のRB駆除作戦にも影響が出るでしょう」


「明らかな侵略戦争が始まっていても、僕には何もするなということか……」


「はい。あなたのエゴによって、これから先、助かるはずの一〇〇〇万人の命が、そしてあなたが積み上げてきた信頼が無に帰すのです……耐えてください」


 ごぉん、と遠くで雷鳴のように鳴り響く爆音の中。東雲ツルギはそうして、救えない誰かの存在を胸に焼き付けられていった。

 お目付役の彼が間違っていたのではない。ツルギの憤りが間違っていたわけでもない。ただどうしようもなく、彼は正義の味方みたいにみんなを救えるような存在ではなかった。


「……すまない」


 その言葉は誰に向けたものだったのだろう。彼は目の前で起きている人間同士の殺し合いに対して、何もできなかった。ホテルの窓から見える焔の下で、何万もの人間が死んでいくのだとしても――それを止めることを許されなかった。

 きっと彼に許されているのは、正義の味方ごっこだけなのだ。







 追憶の痛みの中、そう自覚して――東雲ツルギは目を覚ました。

 ぼやけた視界は広く、人間としての目よりも性能に優れていた。それが〈ケルベノク〉としての巨神の身体、複眼による視覚だと気づく。

 最初に感じたのは、胸に開いたうろだった。一度は途絶えたはずの命を何故、自分が保っているのかを不思議に思いながら、立ち上がろうとして。

 そんな簡単なことさえできないほど、身体がボロボロになっているのに気づいた。

 意味を成さない電波の悲鳴を上げるほどの苦痛。


『ぐ、おぉ……』


 手足が動かない。まるで血管のように全身の隅々にまで行き渡っていた青く発光するエネルギーラインは、今にも消えてしまいそうなほど弱々しくなっている。

 周囲に敵の気配はなかった。身長二〇メートルの黒の巨神は床に倒れ伏しており、その手足は指一本ぴくりとも動かない。胸に穿たれた穴を中心に焼き切られた体組織のダメージは凄まじく、〈ケルベノク〉から身体の自由さえ奪っていた。

 そして思い出す。リリィ・フェルディエ・ドーンヘイル――〈アトラトール〉が連れ去った彼女の姿を。


 エンダーがどこにもいない。胸に穿たれたプラズマの焼却痕も、じりじりと自分の身をゆっくりと焼き焦がしていく太陽光線も気にならぬほど、ツルギは消耗しきっていた。

 それでもなお、彼は覚えている。自分に対して助けを求めた少女の声を――何故、リリィがエンダーを連れ去ったのかなどどうでもいい。何故、地球帝国が牙を剥いたのかなどどうでもいい。ただ彼は、今度こそ守るべき何かを見いだせた気がしていた。


 脳裏をよぎるのは、彼女に拾われてから過ごした、素っ頓狂で馬鹿馬鹿しくて、それでも楽しかった日々の記憶だ。それは彼が過ごしてきた一一七年間の歳月から見れば、ほんの些細な二ヶ月にも満たない時間である。

 ああ、だけど。

 それが愚かな感傷に過ぎないとしても、たった今、東雲ツルギが立ち上がる理由には十分だ。


『……うご、け』


 だが、肉体はすでに力尽きたとばかりに動こうとしてくれない。焼き切られた体組織の修復を急ぐ――青く弾ける巨神の光が、〈ケルベノク〉の身体を癒やしていく。ようやく動くようになった首を回して周囲を見渡すと、二体の巨神の激突の余波で施設全体が傷ついていた。

 蜘蛛の巣のように入った亀裂があちこちに広がって、取り返しが付かないダメージを施設全体に広げているようだった。


 いつしかツルギは、自身の身体を焼いていたはずの太陽光線すらエネルギーとして取り込み始めていた。白熱する太陽の輝きを、黒の巨神の外骨格で受け止めて、膨大な電力に変換していく。彼の血肉を構成する超常の細胞が、みしみしと身体を軋ませながら再生していくのがわかった。


『うお、おぉおおお……』


 指が動く。ギギギ、と体中の関節が軋みを上げて、ボロボロに焼却されたはずの肉体が再稼働する。肘が動く。膝が動く。手足が動く――ならば立ち上がれるはずだった。一G環境下の〈ジェネシス〉において、黒の巨神にかかる重力の縛りは莫大だ。一二〇トンをゆうに超える彼の肉体が立ち上がるための膂力が、再生された体組織から生み出されていく。

 両腕で身体を支え、ゆっくりと上半身を起こす。片膝をついて両足に力を込めて。



――立ち上がる。



 巨神の身体が再び動く。胸に開いたプラズマの焼却痕を、仮初めの血肉が埋めていく。彼がリリィに敗れてから、どれほどの時間が経ったのかはわからない。だが、実験施設〈ジェネシス〉の破損状況から見て、悠久の時が流れたわけではあるまい。

 何よりまだ、彼が身体に取り込んだペンダント――エンダー・カレルレヤの贈り物であるそれは、彼女の居場所を指し示している。おそらくはアカシャ・セルを通じた超光速通信の類なのだろう。


 傷はまだ完全に癒えていない。だが、そんなものは長い宇宙空間を旅する間に癒やしていけばいい。そうするだけの力が自分にはあると、東雲ツルギは信じた。

 床を蹴って空中に飛び上がり、施設に開いた大穴を通り抜け、天使の輪を展開して――重力制御による推進を開始した彼は、ただ発信機の示す方角目がけて飛翔する。




 今度こそ、誰かを救うために。










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