13話「巨神〈アトラトール〉」
降下艇に乗り込んだあとのエンダーとリリィは無言だった。今回の実験施設〈ジェネシス〉への潜入作戦において、降下艇に重視されているのは誘導ミサイルなどの迎撃を受けない、という意味でのステルス性と降下艇そのものの頑強さだった。
どのみち、水星軌道上の施設に近づいた時点で〈ジェネシス〉の側からは探知されているのだ。自らの存在を知らせないこと自体は不可能だったし、太陽から五八〇〇万キロメートルしか離れていない水星軌道上は、吹き付けてくるエネルギーの量が段違いだ。強烈な放射線と荷電粒子の嵐に遭わないよう気をつけていても、太陽の機嫌次第ではどう転ぶかわかったものではない。
狭苦しい降下艇の内部。エンダーとリリィの二人は身を寄せ合うようにして、席に着いている。
『本機はこれよりアカシャ・セル恒星球殻実験施設〈ジェネシス〉へ発進します。乗員は二名、シートベルトの着用を確認――』
AI制御の降下艇が発進シークエンスに入った。巡礼船〈光輝号〉の格納庫のハッチが開き、眼下の星――水星の衛星軌道上を漂う実験施設へと降下艇が射出される。
『――発進します』
がくん、と一瞬だけ振動。加速Gはなかった。慣性制御モジュールが働いて、乗員への負荷を最低限に抑えているのだ。エンダーの小柄な身体と白いドレスは、軍用機の機内に比べてあまりに不釣り合いだった。夜会に出る貴族令嬢とでも名付けた方がよさそうな格好なのだ。
だが、ここにそれを突っ込む人間はいない。シェオルグであるエンダーに対して、人間と同じようにあつかう方が異端なのだ。
そしてリリィもまた巨神騎士であり、巨神の姿になる前から生身で宇宙活動ができる超人だ。
降下艇の発進と同時に、エリュシオン級高速巡洋艦は強力なジャミングを行い、敵の防空設備――おそらく存在すると予想されていた――を無力化する手はずになっている。
『目標地点到着まで四五秒。衝撃に備えてください』
アナウンスが流れる間、エンダーはツルギのことを考えていた。
彼に渡したペンダントはエンダー自らアカシャ・セルを加工して作った量子通信ネットワーク使用の逸品だった。今回のように放射線と荷電粒子の嵐が予想される過酷な環境でも、問題なく動作するよう設計されている。あれがあれば、また離ればなれになるようなことがあっても安心だとエンダーは思う。
『目標地点到着まで一五秒。衝撃に備えてください』
妙だった。予想された対空砲火の類は一切感知されていない。いくらここが兵器にとって過酷な水星軌道上だとは言っても、賊が拠点にするような施設跡地に何の備えもないのは不自然だった。
『目標地点到着まで五、四、三、二、一……』
瞬間、強烈な逆噴射の反動が機内に襲いかかってくる。続いて強い衝撃。降下艇が〈ジェネシス〉表面に取り付いた証拠だ。
『目標地点に到着しました』
エンダーは急いでシートベルトを外すと、両手で抱えていた手提げ鞄を片手に立ち上がった。見ればリリィはすでにシートベルトを取り外して、ハッチの傍に待機している。
「エンダーさん、行きましょう」
「ええ、どうぞ」
与圧されていた機内が、ゆっくりと減圧していく。肉体を防護フィールドで覆っているエンダーとリリィはそんな状況でも生身で平気だった。言ってみれば彼女たちは、すでに極薄の見えざる宇宙服を着ているようなものなのだ。
降下艇のハッチが開く。真空の宇宙空間に音はない。水星の昼の側、太陽からの熱と光が吹き付けてくるここは灼熱地獄だ。
そんな場所を見た目、生身の少女二人が歩いているのは、どこか幻想的な光景だった。
二人は連れだって地面――実験施設〈ジェネシス〉の外壁に降り立った。重力制御で一G相当の疑似重力をかけての歩行――靴の裏側に張り付いていた水分が気化し、じゅっと熱せられた音を立てる。
だが、それだけだ。
炉のような〈ジェネシス〉の外壁を歩く二人は、やがて出入り口に当たるハッチにたどり着いた。
高温に熱せられている状態で一五〇〇年以上放置されていたはずの〈ジェネシス〉は、しかしながら老朽化している様子が見受けられなかった。生物の代謝する細胞組織のような知能化建材が、自己複製を繰り返しながら絶えず自己を修復し続けているのだ。代謝によって生まれる廃棄物は、〈ジェネシス〉内部でリサイクルされるから排泄物の心配もない。
はるか昔にエンダーが設計したシステムは、これだけ長い間、放置されていても生きていた。
その事実に、遠く離れていた我が子が元気に暮らしていたような感動を覚えながら、エンダーは出入り口に当たるメンテナンス用ハッチに接続。
手を触れることなく無線通信でハッチを開いた。鈍い振動と共にハッチが開き、人間が出入りできるほどの空間が開いた。
先行したのはリリィだった。外壁を歩いてハッチの内側に進んだ少女に続き、エンダーも中に入る。
ハッチを閉めたあと、エアロックが与圧されたのを確認してエンダーは口を開いた。
「空気の成分に異常はありませんね。空気循環システムも正常に稼働しているようです」
「わあ、助かる~! こう、バリアフィールドで防護し続けるのもしんどいので、それってすごく助かります!」
「……ここのエアロックにアクセスした履歴があります。履歴から洗い出した追跡はわたしがしますので、付いてきてください」
内部の通路は綺麗に清掃されていて、とても一五〇〇年以上、放置されていた施設とは思えなかった。ここはある意味、シェオルグたちが人類に無償の技術提供をした初期、犯してきた過ちの集大成のような場所だ。
西暦二六〇〇年代の宇宙開発が推進された時代の遺物、遺跡と言ってもいいような代物である。そんな場所だというのに、ここの施設はあまりに正常に稼働しすぎていた。如何に知能化建材による代謝機構があろうと、管理システムはその限りではない。
過酷な水星軌道上にあって、すべてが無傷で何のエラーもなく稼働しているとは考えづらかった。
そして元来、太陽のエネルギーすべてを受け止め、電力として消費するための恒星球殻の一部である〈ジェネシス〉は、極めて高効率のエネルギープラントだ。
太陽系のお膝元、それも過酷な極地環境である水星の衛星軌道上で何者かによって整備されていたというなら――それは反体制勢力によるものではあるまい。
嫌な予感がした。
「綺麗に清掃されていますね。この施設が建造されたばかりのときを思い出します」
「……えっ、エンダーさんってここの建造当初からいたんですか!?」
「ええ、ざっと一五〇〇年前の話ですが。当時は人類の復興と宇宙開発がセットで語られていて、太陽の傍で膨大なエネルギーを生む〈ジェネシス〉のような施設も建造を試されていたんです。まあ結局、人類にとっては不要な発明の烙印を押されたようなものですが」
「あー、今ってジェネレーターは対消滅炉か縮退炉が普通ですもんね。こういう大きな施設は要らなくなっちゃったんですねー」
物質をエネルギーに変換する対消滅炉と、マイクロブラックホールを利用してホーキング放射からエネルギーを得る縮退炉は、共に凄まじいエネルギー効率と出力を誇る動力源である。これがあれば、わざわざ恒星球殻など建造する必要がないほどに。
それもこれも元はシェオルグの発明である。ある意味、身から出た錆で恒星球殻の夢は死に絶えたのだ。
「そういうことです」
二人で喋りながら歩くこと三〇分程度。
道中、妨害らしい妨害はなく、セキュリティらしいセキュリティも何もなかった。異常だった。賊が逃げ込んだというのにこれはあまりに静かすぎる。
それぐらいは軍事について専門ではないシェオルグにもわかる。エンダーは手提げ鞄の中身を強く意識した。敵の正体がわからないままなのは危険な兆候だった。
「……妙ですね」
「静かすぎますね。でも〈アトランティス〉が見張ってますから、今さらここからは逃げられないはずですよ」
「隔壁を開きます。ここが最深部です」
もう何度目かになるかわからない隔壁を開ける。建造時のマップでは、この奥に実験施設〈ジェネシス〉の最深部――外壁表面に張られた高効率ソーラーパネルからの電力を溜め込むための蓄電装置と、そのコントロールルームがあるエリアだった。
高さ四メートルほどはある隔壁が、ごごご、と音を立てて開く。隔壁の向こうにはドーム状の空間が広がっていて、吹き抜け構造になっている施設の壁にくっつくようにしてコントロールルームが存在していた。
まず目を惹くのは、青く煌めく宝石のような半透明の素材で作られた巨大なモニュメントの群れだ。一本一本が高さ八〇メートルはあろうかという蓄電装置が、まるで高層ビルのように林立していた。
古代エジプトのオベリスクを思わせるそれらが何本も並んでいる様子は、この施設を古代の神殿か何かのように錯覚させるほどに荘厳である。
ぼぉっと光を灯している蓄電装置は、エネルギーを物質化した光として保存するアカシャ・セルの塊だった。
「きれい……」
そう呟いたリリィを横目に、エンダーは苦いものが口の中に広がっていくのを感じた。ここはシェオルグである彼女にとって、忘れ去りたい過去の一部なのだ。
そして次に気がついたのは、この施設の電力がどこか別の場所に送られていたという事実だった。アカシャ・セルで構築された蓄電池が真新しく、エネルギーの充填率も思ったより低かったのだ。
「リリィ、おそらくつい最近まで、この施設の電力はどこか別の場所で使用されていたと思われます」
「えっ、それってどういう――」
「蓄電池が新品同然なのです。アカシャ・セルで構築された蓄電池は劣化しませんが、一五〇〇年間もほったらかしの施設で、こんな綺麗に輝くようなことはあり得ません。何者かがここをエネルギープラントとして利用していたのでしょう」
「……何のために?」
リリィの問いに答える術をエンダーは持っていなかった。頭部の角から飛ばした電波で施設の管理システムにアクセスし、直近の移動の痕跡をトレースする。
隔壁のゲートから続いている移動の痕跡は、階段を登って二階の部分にあるコントロールルームへ続いていた。
「コントロールルームの方にデータログが続いています。行きましょう」
「じゃあ、あたしが先導しますのでエンダーさんは後方の警戒をよろしくお願いします」
そう言うが早いか、ぱっと身を翻してコントロールルームのある通路を駆け上がるリリィ――爆発物などを警戒していないのは、それだけ彼女が頑強な肉体を持つことの証左だった。その素早い動きに驚きつつ、エンダーも彼女に続いて階段を駆ける。
エンダーがコントロールルームのセキュリティを解除した瞬間、リリィの頭上から天使の輪が出現した。彼女が巨神の力の持ち主である証、ツルギと同じ異能の持ち主。たとえ扉の向こうに対戦車火器があろうと無傷で済むであろうバリアを展開し、リリィは勢いよくコントロールルームに踏み込んだ。
室内には人影が一つ。
「動くな――!」
銃撃はなかった。爆弾による自爆もなかった。
突っ込んだリリィが見たのは、ガシャン、と音を立てて床に崩れ落ちる人型――何の変哲もない、一体の自動人形。成人男性を模したと思しき体躯の人形が一つ、床に転がっているだけだった。
栗毛の少女はひとしきり、その人形を眺めたあと、心の底から困惑しきった声を出す。
「えっ?」
何これ、という顔でエンダーの方を振り返るリリィ。もちろんエンダーとて困惑していたので、答えらしい答えなどどこにもないのだが。
はめられた、と気づく。これまでエンダーたちが追跡していた高速艇に乗っていたのも、外部からの侵入を示すデータログも、この自動人形が移動した痕跡だったのだ。
何のためにそんなことをしたかを考えて、エンダーは血の気が引くような思いに囚われる。
明らかに、今までのすべてが、エンダー・カレルレヤをここに連れてくるためだけに仕組まれていた。
自分がまんまと罠にはまったことを理解した瞬間、声が響いてきた。
『サプライズ演出は気に入っていただけましたかな、エンダー・カレルレヤ長官……ああいや、今は元長官とお呼びするでしたか』
放送設備を通じて話しかけてくる男の声――こちらの神経を逆なでするような慇懃無礼な響き。
エンダーは顔をしかめた。科学技術省の知己にこんな喋り方をする輩はいなかったので、必然的に相手は地球帝国の別の部署の人間ということになる。
シェオルグである彼女に執着するような組織を、エンダーは一つしか知らなかった。
「一五年前に、一度聞いたことがある声ですね。確か木星のパーティで……」
『おお、覚えてお出ででしたか、光栄の極みですカレルレヤ様。私はイアータ・トゥルガム、現在は地球帝国情報局の長官をしているものです』
「……なるほど、一五年前からずいぶんと出世したようですね、イアータ・トゥルガム。思い出しました、地球帝国情報局のシリウス方面の支部長だった男です」
「えっ? 情報局の長官? なんでこんな場所に……」
栗毛の少女騎士は明らかに混乱していた。彼女が想定していたのは、例えば地球帝国情報局の工作員や一派閥の暴走だったのだろう。まさか組織の長が出てくるとは普通思うまい。
その混乱を余所に、これまでの用意周到で迂遠な陰謀の全体像が理解できたエンダーは、深々とため息をつく。
「つまり地球帝国情報局は、わたしのような隠居シェオルグ一人を引っ張り出すために、自作自演のテロを仕掛けてきたのですね?」
『謙遜されることはありません、カレルレヤ様。あなたにはそうするだけの価値があるのですから』
「前々から地球本国は陰険だと思っていましたが……臣民を犠牲にするような外道に成り下がるとは大概ですね」
『問題ありません。彼らの命はこの日のためにストックされていたのですから。地球帝国の繁栄の礎になったという意味では、彼らの犠牲は反乱鎮圧で消費される兵士の命と等価です』
「……なるほど、トゥルガム長官。あなたが何者かは嫌と言うほど理解できました」
寒気がするほどの確信犯――行き過ぎた愛国者の成れの果てという感じ――の物言いに、辟易としてエンダーはため息をついた。トゥルガム長官とエンダーの会話を横で聞いていたリリィは、まさかの展開に顔面を蒼白にしていた。
「そ、んな――そんなバカな話ってないです! 情報局は何を考えているんですか!? これは正式なルートで抗議します、覚悟してください!」
『この件はマダム・グラシオンも承知なのだよ、リリィ・フェルディエ・ドーンヘイル。口を慎みたまえ』
「なっ――」
マダム・グラシオン――地球貴族の名前だった。おそらくリリィのパトロンないし背後にいるのが、太陽系に根ざす超富裕層たる地球貴族グラシオンなのだろう。
聞いているだけで嫌になるような権謀術数のにおいがした。最悪なのは、それに絡め取られたのが自分ということだ。
「地球貴族と情報局が手を組んで仲良く虐殺ですか。いよいよ以て、地球帝国は腐ってきているようですね?」
『深遠なる叡智と言ってほしいものですな、カレルレヤ長官』
一歩、後ろに下がってリリィから距離を取る。
まだ少女騎士の動向は不明だが、彼女の関係者がこの陰謀に関わっているならば、彼女はもう味方とは思えない状態だった。
リリィが声を荒げて叫んだ。
「そんなバカなことあるはずがないです! マダムがこんな凶行を認めるわけがないっ!」
「ではドーンヘイル執行官、彼女からの伝言だ……『すべては恒久平和のためです、リリィ。あなたの力を彼に貸して差し上げなさい、小さな騎士よ』……だそうだ」
その伝言とやらにどんなメッセージが含まれていたのか、部外者であるエンダーにはわからない。一つだけ確かだったのは少女騎士が狼狽し、目を見開いていることだけだ。
悲しそうに目を伏せて、リリィは肩を落としている。彼女自身、自分が今やどちら側に立っている人間なのか、理解できてしまっているからこその反応。
「……エンダーさん」
「リリィ。今の状況はわたしたちの誰かが悪いからこうなったのではありません。あなたに非はありません」
一息で言い切ったあと、エンダーはコントロールルームの監視カメラを見上げた。おそらくこの水星の衛星軌道上の〈ジェネシス〉に、イアータ・トゥルガムはいない。同じ施設内にいるならば、こうも余裕綽々ではいられないはずだ。
ならばどこにいる、とまで考えてエンダーは気づいた。
「超光速同時性通信――そもそもこの宙域にはいないわけですか」
『残念ながら直に会って握手とは行きませんな。何せ、私は臆病なのですよ。あなたの身柄の確保が必要だとしてもね』
その言葉にリリィの肩が震えた。
エンダーは迷うことなくコントロールルームから飛び出して、階段を無視して高所から飛び降りた。シェオルグである彼女は、一G環境下であろうと問題なく着地できる。
だが、ねっとりとしたトゥルガム長官の声は続いていた。このフロア全体の放送設備を使って語りかけてきているのだ。
『シリウス政府のような分離主義の愚か者が出てくる前に、我々は抑止力を持たねばならんのですよカレルレヤ長官。それがかつて人類を脅かした極光であろうと』
「……まさかレイディアント・ディザスターの兵器転用を? 馬鹿げています、アレは人類の手に余る存在です」
『かつてそう思われていたRBも、今や立派な怪獣兵器になりました。この二〇〇〇年間の人類の進歩は、かつて我らを滅ぼしかけた厄災をも従えるでしょう』
着地したエンダーをコントロールルームから見下ろす少女騎士が一人。彼女は何も言わず、天使の輪をその頭上に出力して――その手を顔の前にかざしている。
思わず、青銀の少女は叫んだ。
「リリィ……!」
「エンダーさんの言う通りです――あたしの意思は関係ありません。あたしは、為すべきことを為します」
不味い。
手提げ鞄の中身を取り出す。エンダーが独自開発した超空間圧縮固定法により、掌に収まるカプセルに密封した怪獣兵器――それを床に叩きつけて割った。
青白い光が弾けて、昆虫を思わせる外骨格に包まれた異形の獣が飛び出してくる。
それは瞬く間に巨大化していき、掌大の大きさだったものが全高二五メートルを超える背丈に到達。カマキリのそれを思わせる大鎌を両手からぶら下げた化け物は、威嚇するように咆哮した。
リリィは冷たい瞳でそれを眺めたあと。
呟いた。
「――変身」
燃え上がるような赤い光が満ち満ちて。
コントロールルームを押し潰しながら、二〇メートルはあろうかという巨影が顕現する。
その燃えるような光に向かって、エンダーの制御下にある怪獣兵器が飛びかかった。
恐れるように。
『ご紹介しましょう、カレルレヤ長官。彼女こそ我らが巨神騎士、かの〈ケルベノク〉の継承者――』
瞬間、閃光が走った。
『――〈アトラトール〉です』