12話「コミカル・デイズ」
結局、エリュシオン級高速巡洋艦〈アトランティス〉は巡礼船〈光輝号〉と共に逃げた敵の航路を辿っていくことになった。
宇宙港は完全に使用不能になっており、都市船内部からの自家用宇宙船への乗り降りも不可能な状態だったが、〈アトランティス〉が停泊していた軍港は使用可能だったのである。
この軍港から連絡艇を出して宇宙港の側に乗り入れ、巡礼船を出港させるというのがリリィの提案したプランだった。
〈光輝号〉は今回の追跡作戦に十分に耐えうる船であり、むしろ軍用船よりスマートかもしれないぐらいの快速船だったのである。
流石にリリィの作戦に付き合って、自分の個人資産である宇宙船を乗り捨てるような真似はしたくなかったらしく、エンダーはこの案に賛成した。
全長二〇メートルほどの連絡艇に乗り込んだツルギとエンダーは、AIの自動操縦で民間の宇宙港まで移動。
無事に〈光輝号〉のある停泊地点にたどり着いた。
連絡艇の外部カメラを見たツルギは、巡礼船〈光輝号〉の外観を始めて確認して――何せ船を下りたときは緊張感でそれどころではなかった――その威容に驚いた。
「大きいな……」
〈光輝号〉は全長七二〇メートル、流線型をした鋭い形状の宇宙船である。その名の通り、光を反射する純白の装甲に彩られており、その優美な船体はまるで大気圏内を飛行する航空機のようでもある。
一二〇〇メートルある〈アトランティス〉と比べれば半分ほどの大きさだが、エンダーとたった二人で暮らすには十分すぎるぐらいに大きな船だった。
何よりデザインが格好いい。
「格好いい船だ」
「ふふっ、そうでしょうそうでしょう。わたしの設計した船です、もっと褒めていいんですよ?」
「君って何でも作れるんだな、エンダー」
控えめな胸を張って、シェオルグの少女は自慢げな表情をしていた。
しかし少し心残りという表情で、エンダーは呟いた。
「あなたに〈カロンデルタ〉のいいところを見せる前に、この都市を去ることになったのが残念です」
「……暴徒に囲まれる経験をした街に愛着持つのって結構厳しいと思う」
「それはそう、なのですが……」
どこか抜けているエンダーの発言に苦笑しつつ、東雲ツルギは思うのだ。
この子を信じたい、と。
◆
この宇宙には数多の恒星があり、天に瞬く星々の光の大半は水素の核融合反応から発せられた輝きである。それらをいくつも内包する銀河の一つ、天の川銀河の片隅に、太陽系と呼ばれる恒星系が存在する。
人類が別銀河にまで播種する時代にあっては、最早、その星々に特別な意味を付与する客観的な意味は薄いかもしれない。そこがかつて地球生命発祥の地と呼ばれた星系であることなど、他天体に移り住んだ人類の末裔にとってはどうでもいいことだからだ。
今現在、その星々に特別な意味を付与しているものがあるとすれば、それは地球帝国と呼ばれる統一政体そのものだろう。
超光速通信技術と空間跳躍航法によって恒星間ネットワークを維持管理し、傘下の星々を支配に収めるこの恒星間文明の存在なしに、現在の銀河の情勢を語ることはできない。
今のところ、表だって地球帝国からの独立を宣言する入植地はない。そんなことをすれば恒星間ネットワークから切り離され、人類社会の大半から排除・切除されることが目に見えているからだ。そうなってしまえば脆弱な入植地など、ちょっとした天災で滅んでしまうことを、宇宙生活者であれば誰でも知っている。
その歴史の古さと豊かさゆえに反骨心を蓄えているシリウス星系などは例外中の例外と言ってもいい。そんな人類の宇宙進出の歴史において、忘れ去られた実験施設がある。
アカシャ・セル恒星球殻実験施設〈ジェネシス〉。
かつて異種族シェオルグが持ち込んだもの。魔法に等しい奇跡を可能とする物質アカシャ・セルと、その利用方法を彼らがもたらした際、実験的に建造された施設――太陽熱により自己増殖するナノマシンを原材料に、恒星のエネルギーを有効利用するため水星近郊の軌道に作られたエネルギープラント。
その最終的な表面積は二〇〇〇平方キロメートルにも達する、巨大な人工物である。
太陽から見れば黒点一つの大きさにも満たない人工物であるが、この施設が生み出す莫大なエネルギーを以てすれば、当時の人類の文明――地球一つに収まってしまうほどの脆弱な文明基盤――の進歩は容易であるとシェオルグたちは考えた。
しかしながら実際のところ、その発明が人類の発展に活かされることはなかった。
そもそも考えるまでもない話なのだ。
太陽近郊に巨大な人工物を設置できるほどの文明にとって、恒星のエネルギーとはそこまでして欲しいものではない。太陽そのものを人工物で覆い尽くし、すべてのエネルギーを文明の手中に収める恒星球殻の建造は、太陽から熱と光を得ている太陽系の星々を殺すことに等しいのである。
シェオルグたちが夢想したほど人類は貪欲になりきれず、また彼らのもたらしたオーバーテクノロジーは、恒星球殻を必要とするまでもない宇宙文明の礎を築いてしまった。
かくしてアカシャ・セル恒星球殻実験施設〈ジェネシス〉は、その存在意義ごと存在を忘れ去られ――母なる星系の中心部で、ぽつんと孤立して漂流していた。
――そんな施設に、一隻の高速艇が逃げ込んだ。
コロニーシップ〈カロンデルタ〉において行われた怪獣兵器による虐殺。その実行犯と目される人物の乗った船は、その船籍コードを艤装しながら〈ゲート〉を用いて恒星間空間跳躍を何度も実行。
実時間にして一〇〇〇時間ほどで、二五〇万光年の距離を移動してしまった。
そして高速巡洋艦〈アトランティス〉と巡礼船〈光輝号〉もまた、〈ゲート〉を通じて二五〇万光年の距離をつかず離れずで追尾している。
その結果、行き着いたのがこの太陽系――人類発祥の地である地球を抱え、宇宙進出が進んだ現在も星間ネットワークを牛耳って政治経済の中心であり続けているホームワールドであった。
人類の宇宙進出において最大の障害は、この宇宙の広さそのものだ。
二五〇万光年の距離を天文学時間経過を経ることなく、短時間の航海で終わらせる技術――空間跳躍の実用化と、それを安定して安価に実行できるようにした〈ゲート〉の開発は、シェオルグのもたらした恩恵の中でも最も優れているものの一つだろう。
その結果、作られた恒星間文明の社会が、支配と搾取の矛盾に塗れていたとしてもそれは変わらない。
本来、たとえ人類の種としての命脈が尽きるまでの時間をかけようと、決して届くはずがなかった時間と距離。
まさにその時間と距離を超越する通信と物流のネットワークがもたらしたのは、際限なく新興の外宇宙コロニーを搾取し、肥え太る旧世界という人類史の繰り返しだ。
その醜悪さに人間は耐えきれないから、外部に理由を求めてそれを悪として弾劾する。シェオルグが差別される理由は、突き詰めてしまえば永遠の余所者だからなのだ。彼らはつまるところ、どれだけ人類に尽くそうと唾を吐かれる存在であった。
物思いにふけるエンダーは、モニターに映る眼下の施設にため息を漏らした。
「……〈ジェネシス〉ですか。これまた懐かしい」
「そろそろ出発ですけど、準備は大丈夫ですか?」
〈光輝号〉の中央管制室で声をかけられ、エンダーはリリィの方を振り向いた。四〇日間以上に渡る航海の間、リリィ・フェルディエ・ドーンヘイルは〈光輝号〉に乗り込んで来て、いろいろとツルギの世話を焼いてきていた。巨神〈ケルベノク〉のファンだから、ツルギに引っ付きに来たわけではないだろう、たぶん。
自らの基本的な装い――純白のドレスを着た少女は、地球帝国の粛清執行官の制服を着たリリィを見やる。目も覚めるような藍色のコートの胸元を、豊かな胸の膨らみが盛り上げていた。
何でもいいが、リリィは発育がいい。その肢体はよく鍛えられて引き締まっているのに、出るところはとことん出ている。本当に大きいな、と感心するエンダーだった。
こつこつ、とブーツの踵で床を叩き、エンダー・カレルレヤは微笑んだ。
「ええ、わたしの準備はできていますよ、リリィ」
現在、〈アトランティス〉と〈光輝号〉は水星の軌道上を航行しており、間もなく実験施設〈ジェネシス〉とランデブーする見込みだった。
太陽からの強烈な放射線と荷電粒子エネルギーが飛び交うここは、間違いなく太陽系で最も過酷な空間の一つだ。〈アトランティス〉と〈光輝号〉が無事なのは、高出力の電磁バリアがあるからに過ぎない。
宇宙放射線に強い耐性を持つ現行人類であろうと、このレベルの放射線を直接浴びれば命に関わることだろう。現に高速巡洋艦〈アトランティス〉のクルーは、いずれも宇宙服を着て勤務に当たっており、万が一の事故に備えていた。
しかしそのような心配は、巨神騎士であるリリィと、シェオルグであるエンダーには関係ない。そういうわけなので二人はある意味、場違いなほどにリラックスしていた。
「エンダーさん、荷物はそれだけで?」
「わたしの装備はコンパクトなのです、リリィ」
そう言ってエンダーが持ち上げたのは、小柄なエンダーが片手で持てる程度の手提げ鞄だった。これから殺し合いに赴く人間の装備にしては、それはあまりに軽装過ぎた。
まるで日帰り旅行にでも行くような気軽さに、リリィはしばらく悩んでいたが。
「まあ、あたしがバッチリ守るので大船に乗ったつもりでいてください!」
結局、そういうことになったらしい。二人のやりとりを横で見ていたツルギは、なんとも言えない表情になっている。
「エンダー、やはり僕も」
「英雄殿、一度自分で決めたことをひるがえすのはよくありませんよ」
「……返す言葉もないね」
つかつかと歩いてきたエンダーは、青銀の髪を揺らしてツルギの顔を見上げた。少女は端整な白い頬に微笑みを浮かべて、右の掌を彼に差し出す――小さな手の上に乗っているのは、青い宝石が付いたペンダントだ。
「アカシャ・セルで作った双方向性の発信機です。押し込むとホログラムでわたしがどこにいるのかわかりますし、わたしの側からも探知できます。平たくいえば迷子防止のアイテムです」
「信用ないな!? 一回はぐれただけじゃないか」
「前科はあると認めるのですね?」
「くっ……」
渋々とそれを受け取った東雲ツルギを満足そうに見つめて、エンダー・カレルレヤはうんうんと頷いた。彼女は自分の作ったものが、人の役に立っているのが大好きなのだ。
「この件が終わったら、あなた専用の端末も調達しましょう。流石にわたしのハンドメイドだと公共の場で困るかもしれませんし」
「それはありがたいね。ようやく僕も人並みになれそうだ」
「…………ええ、そうですね?」
「今の間は何かな!?」
じゃれ合うツルギとエンダーの様子を、にこにこと邪気のない表情で見つめるリリィは、これから敵の拠点に向かうと思えないほど気分がよさそうだった。
ツルギは最初、彼女にどう声をかけるべきか悩んだ。彼女が奉ずる今の世界の平和に対する疑念は尽きない。その守護者として反乱分子を制圧しているというリリィ・フェルディエ・ドーンヘイルは、あまりにも彼にとって警戒すべき要素に満ちていた。
だが結局、ここ一ヶ月ほどの間、同じ船で過ごした経験が、ツルギに親近感のようなものを抱かせたのも事実だ。
だから彼はドーンヘイル粛清執行官ではなく、ヒーローオタクの少女リリィを信じることにした。
「リリィ、エンダーを頼んだ」
「任されました、さあ、行きましょうエンダーさん!」
「ええ、ツルギ。ご飯は冷凍のディナーセットがありますのでそのように」
「僕の扱いが子供みたいになってないか?」
ツルギの抗議は無視された。
談笑しながら〈光輝号〉に搭載された降下艇――ステルス仕様の軍用機らしい――に向かう二人を見送ったあと。
ぽつり、とツルギは呟いた。
「バカだな、僕は……」
こんなに心配になるのならば付いていくべきだった。歯噛みしながら、寄る辺ない放浪者は手渡されたペンダントをじっと見つめた。