11話「コミュニケーション」
結論から言えば、東雲ツルギはこの提案を断った。
地球帝国という体制に対する疑念が膨らむ一方で、リリィと志を同じくして戦える気がしなかったからだ。何よりもリリィが自分に向けてくる視線が、決して友好的な感情だけではないことに彼は気づき始めていた。
〈ケルベノク〉としての武力行使に対して、何の法的拘束や制限が課せられないのも彼の疑心暗鬼を加速させていた。
だが、エンダー・カレルレヤは違った。彼女はツルギの目の前で、リリィに対して協力を約束してしまった。
驚いたのはツルギである。自分よりよほど老獪な印象のある長命なエンダーが、まさかこんな胡散臭い話に乗るとは思わなかったからだ。
リリィが立ち去ったあと、士官用の個室は自由に使っていいと言われて、二人は置き去りにされてしまった。監視の兵一人つかないのだから、よほど信用されているか、脅威と見なされていないのだろう。
「普通、監視一人ぐらいは置くんじゃないか?」
「人間の監視などいてもいなくても同じです、わたしはシェオルグであなたは〈ケルベノク〉ですよ?」
「……それもそうか」
恐ろしく合理的なのかもしれない。ツルギは部屋に監視カメラが仕掛けられているのは把握していたが、特別、隠し立てする気もないので放置することにした。
しばしの間、沈黙が二人の間に流れる。やがてそれに耐えきれず、口を開いたのはツルギだった。
「どうしてリリィに協力する気になったのか、聞いても?」
「ふむ、逆に問いましょう英雄殿――何故、あなたは参加しないのです?」
「この世界の正しさを、信じられないからだ」
言葉にしてしまうと、思いのほかすっきりとする理由だった。彼の知っている現在の世界はとても狭い。二〇〇〇年前に人生の大半を置いてきてしまった東雲ツルギは、エンダーに拾われてからの一週間に満たない期間と、〈カロンデルタ〉を襲ったテロ、そして怒り狂う暴徒の姿しか知らないのだ。
これでは世界にいい印象など持ちようがないし、戦う理由など、その場その場の正しそうな怒りしか生まれようがない。良くも悪くもツルギはそういう人間だった。
それを聞いたエンダーは、ふむふむと頷いたあと口を開いて。
「では、わたしの理由を言いましょう――わたしはあの〈カロンデルタ〉で犠牲になった人々のこと思うと、腹が立つのです。今回のテロ事件を仕組んだ相手は、素知らぬ顔でわたしを足止めできたとほくそ笑んでいるのでしょう。我慢がならないことです」
「まだ君を狙ったテロだと決まったわけじゃないだろう」
「この推測に根拠はあるのです。そしてわたしは、何の非もなく明日を奪われた人々のために戦いたいのです」
少女の言葉には確かな怒りが宿っていた。その怒りにはツルギも同意できる。もし本当に地球帝国の権力者が起こしたテロだというなら、今回の事件は間違いなく許されざる悪逆である。
だが、わからないことだらけだった。これまでの口ぶりや周囲の反応から察するに、彼女は異種族シェオルグとして、特権を与えられつつも民意から疎まれている存在だ。
〈カロンデルタ〉市街地での暴動寸前の空気を思い出すと、どうしてエンダーが人間に好意的なのかわからなくなってくる。
不躾と思っても、問わずにはいられなかった。
「……君にあんな仕打ちする人間のために、君は何故尽くす?」
「それが我々、シェオルグの生まれた意味だからですよ、英雄殿」
エンダーやリリィから聞いたところでは、かつて異星体〈禍つ光〉の与えた犠牲と苦痛へのあがないとして、シェオルグは地球人に接触してきたのだという。今の恒星間文明の基幹になっているテクノロジーの数々は、そうして人類にもたらされたのだ、とも。
それは地球人類にとってずいぶんと都合のいい話だったが、こうしてそのありように縛られているエンダーを見ていると、別の感情が湧き上がってくる。
ツルギはしかめっ面で呟いた。
「君はひょっとして、生まれたときから損な性分なんじゃないか?」
「失礼な。人格者の鑑と言ってくれてもいいのですよ?」
「元気だな……」
ちょっと呆れつつも安堵したところで――どうやら自分はエンダーのこういう人柄に救われているらしい――エンダーが神妙な顔つきになった。
真面目な話をするという合図である。ぴっと人差し指を立てると、長命な少女は淡々と専門家としての見解を語り始めた。
「あなたが戦ったRB〈ハンマーヘッド〉は、対人兵器としては強力ですが制御に難があるタイプでした。あのタイプの怪獣兵器を運用できる遠隔操作技術は、わたしの知る限り地球帝国情報局ぐらいのものです」
「……情報機関が自国民にテロを? この時代でもそうなのか……」
「地球貴族や地球帝国情報局に基本的人権の尊重をする感覚などありませ――なんですって?」
「いや、君たちの言うところの〈破局大戦〉の時代はね、よくあることだったんだ、自作自演のテロとかが……」
「……苦労したのですね、ツルギ」
遠い目をするツルギを労るようにエンダーは優しい声になった。ちょっと泣けてきた。
「まあ、彼らのことは異世界の王侯貴族だとでも思ってください。あなたの知っている〈破局大戦〉以前の秩序や人権意識は通用しません」
また現代――西暦四一〇〇年代のことをそう言い表すのもかなり抵抗がある――に驚かされてしまった。目眩にも似た感覚を覚えながら、ツルギはため息をついた。
「ため息をつくと幸福が逃げるというジンクスを聞いたことがあります。気をつけましょう、ツルギ」
「君にそう言われると何もかもそれっぽく聞こえてくるな……」
そのときエンダーが目をすがめた。ちょっと不機嫌そうな眉をしている。
「名前」
「ん?」
「わたしはあなたをツルギと呼んでいるのに、名前で呼ばないのは不平等です」
「……〈カロンデルタ〉では呼んだけど」
「今ここで、そしてこれからも名前を呼んでください。できますか?」
急になんなんだ、この子は。
いや、子と言うほど幼くはない――下手すると二〇〇〇年近く生きてることになるのか、自己申告を信じるならば。だがそれを口にしたら本格的に怒られるのはわかりきっていたので、ツルギはしばらく視線を宙にさまよわせた。
じーっと自分の顔を見つめてくる端整な美少女の目に耐えきれなくなり、とうとう屈したツルギはうめくように呟いた。
「……エンダー」
「はい、よくできました」
エンダーは目を細めて幸せそうに微笑んだ。それがあまりにも絵になる美しさだったので、はっと息を呑んでしまう。
普段の奇矯な言動で忘れがちだが、そもそもエンダー・カレルレヤは美少女なのである。本人が口にした途端に台なしになる類の陳腐な表現だとしても、青銀の髪の少女は美しい。
その細く華奢な肢体を包むジャケットとショートパンツは、活動的でしなやかな四肢を強くツルギに印象づけるものだった。
有り体に言ってとても可愛かった。ツルギは目を閉じると、自身のまぶたを揉んで深呼吸。
気の迷いであろう、と結論づける。
「どうかしましたか?」
「いや、人生に迷いを感じたところでね」
「ツルギ、わたしに無礼な感情を抱きましたね?」
「はははは」
「笑って誤魔化さないでください」
しばらく戯れたあと、ツルギはふと忠告すべきことを思い出した。
「エンダー、リリィはシェオルグに思うところがあるようだった。気をつけてくれ」
「そこまで言うのなら、あなたがわたしをエスコートしてくだされば早いのですが――英雄殿、太陽系出身者がシェオルグに偏見を抱いているのは今に始まったことではありません」
「……太陽系から二五〇万光年離れた〈カロンデルタ〉だってこの有様じゃないか」
「地球は〈禍つ光〉――レイディアント・ディザスターによって壊滅的な被害を受けた星です。たとえ惑星外に進出しようと、その怒りや憎しみの記憶は、物語となって人々に継承されます」
「それは継承なんかじゃない、呪いだ」
ツルギが忌々しげに呟くと、エンダーは意外そうな顔で彼を見つめてきた。
「つい先日も思いましたが、あなたはあの戦争の当事者なのに中立的ですね。むしろ反戦的にすら感じます」
「一〇〇年間、人間じゃないものとして戦えば、誰でも戦うのが嫌になるよ。憎しみや悲しみは、物語にしないと取っておくことすらできないひとときの感情なんだ。そんなものに振り回されるのはもうごめんでね」
「……不躾な問いでした、ごめんなさい」
たぶん、初めて聞いた気がするエンダーからの謝罪だった。まさかそんな風に深刻に取られるとは思わなかったので、ツルギはへらへらと軽薄な笑みを浮かべて誤魔化した。
「気にしないでくれ、ただの愚痴さ――ああ、でも、そうだな」
思いつき半分でかねてから疑問に思っていたことを口にする。
「どうして君は、僕の顔と名前を知っていたんだ?」
最初に出された料理がツルギにとって馴染み深いものだったのは、西暦二〇二〇年の日本の食文化を真似た結果の偶然かもしれない。だが、彼の顔と名前を知っていたことは偶然では済まされない。
この時代に教科書や歴史には、〈ケルベノク〉の存在は記されていても、東雲ツルギという一個人の名は残されていない。
それがツルギの出した結論だった。一般人ではなかったリリィ――しかも〈ケルベノク〉の重度のオタク――が、実際に彼が変身して戦うまで、その正体に気づかずにいたのがその証拠だろう。
愚直な質問に対して、エンダーはいつも通りの胡散臭い微笑みを浮かべたままで。
「――それは、わたしがシェオルグだからです」
答えになっていない返答だと思ったが、エンダーは彼から目を逸らそうとはしなかった。
むしろじっとツルギの灰色の瞳を、琥珀色の瞳が見据えて離そうとしない。
「それは、どういう意味だい?」
「わたしは二〇〇〇年前の降臨――あなたが〈禍つ光〉と共に消え去ったあと、最初に人類と接触したシェオルグです。当時は東雲ツルギの顔も名前も、極秘事項ではありましたが、忘れ去られたことはありませんでした。それが理由です。教科書に載っているとあなたに嘘をついてしまったことは謝ります」
「そういうこと、なのか」
何かが引っかかる。理屈ではない部分で、エンダーは何かを隠していると勘がささやいていた。
それを無理矢理飲み干して、ツルギは笑った。
「――ああ、信じるよ。君が僕に向けてくれた好意は、嘘じゃないと思えるから」
嘘みたいな言葉だった。だけどそれを本当のことにしようと、今このとき、東雲ツルギはそう思えたのだ。たぶん、ツルギはエンダーのことが好きになっていた。この茶目っ気あふれる才人のことを、信じてみたくなったのだ。
「ツルギ」
その言葉を受けて、エンダーは少し照れくさそうにうつむいた。
そして、満面の笑みを浮かべて。
「――ありがとうございます」
そう言ってくれたのだ。
たったそれだけで救われた気持ちになって、何故かツルギは嬉しくなった。