10話「ファンガール・ミーツ・ヒーロー」
一方その頃、東雲ツルギは気まずい時間を過ごしていた。彼の前にいるのは、それはもう機嫌良さそうに笑う一人の少女である。士官の個室と思しき部屋を借り切っての尋問は、何故かリリィが担当することになっていた。わけがわからなすぎて怖くなってくる。
「……それで、僕への尋問は?」
「下手に尋問やるとツルギさんは暴れて逃げそうなので、あたしが担当することになりました! よろしくお願いしまーす!」
「信用ないなあ、僕は順法精神あふれる一市民なんだけど」
「ええと……〈ケルベノク〉の正体がツルギさんみたいな人だとは思いませんでした!」
一般人であることを主張したが、突っ込みを入れづらそうな雰囲気と共に目を逸らされてしまった。ちょっと悲しくなりつつ、東雲ツルギはため息をついた。
「僕は完全に無関係のエンダーのヒモだ、って信じてくれない?」
「それでいいんですか? 最初はすごくヒモ呼ばわりを嫌がってたじゃないですか」
「ふふっ、まあその通りなんだけど……実際、今の僕は無一文だからね」
「ひ、開き直りですか!?」
リリィは相変わらず打てば響くようなリアクションを返してくる少女だった。ここまで考えて、ふとツルギは疑念を持った。
「人に年齢を尋ねるのは失礼だとわかってはいるんだけど――」
「あたしは一七歳ですよ」
即答された。リリィは相変わらず無邪気な笑みを浮かべたまま、しかし心なしか無言の圧力をかけてきている。ものすごい若作りである東雲ツルギ一一七歳は、天然物の若さに泣いた。いや、ツルギとて天然の超人なのだが。
とりあえずリリィは少なくともエンダーのように外見年齢と実年齢のズレが一〇〇〇年以上あったりはしないらしい。ちょっぴり安心するツルギだった。
「ところで粛清執行官って何? すごく物騒な響きなんだけど……僕の聞き間違いだったりは」
「粛清執行官はですねー、こう、すごいパワーでわーっと反乱分子をやっつける仕事です! やりがいがあって楽しいですよ!」
ふわっとした表現でとんでもなく不穏な内容を言われた気がする。
「やりがいはあるだろうけど、こう、血なまぐさくないか!?」
「プラズマで焼けば血は出ません!」
「倫理観がだいぶ未来に生きてる……!」
「ツルギさんの現役時代と比べたら未来かもしれませんけど……今の世の中は平和そのものじゃないですか。ちょっぴり大変ですけど、基本的に楽しいお仕事ですよ! ツルギさんもなりませんか、粛清執行官!」
「無職に対する職業斡旋だったのかい、ここは……」
「真面目に聞いてください、ツルギさん」
理不尽だった。東雲ツルギは神妙な顔になると、両手を挙げた。
「え、なんですか急に……」
「お手上げのポーズ。降参だ、君が何を考えてるかさっぱりわからない」
「うーん、あたしとしては、ツルギさんのことを聞かせてもらえればそれでいいんですけどね?」
「それは友達として? それとも――」
ツルギの問いかけに、リリィは満面の笑みで答えた。
「もちろん地球帝国の巨神騎士としてです」
巨神騎士。聞き慣れない単語だったが、粛清執行官について嬉々として語るリリィの様子や、彼女が自分のことをツルギの後輩だと自称したことから推測はできる。
「つまり、君は……僕と同じなのか?」
「はい、ツルギさんと同じで――あたしも巨神になれるんです! 巨神騎士っていうのは、その名誉な役職を任じられた証なんです」
「……それで粛清執行官か。ずいぶんと血なまぐさい名誉もあったものだ」
思わずこぼれた呟きには、相応に嫌悪の感情がにじんでしまっていた。失敗したな、と思いつつリリィの顔を見る。
しかし少女の顔には傷ついた様子もなければ、ツルギに対する苛立ちや怒りもなかった。リリィは満面の笑みを浮かべるばかりで、そのよろこびの感情には陰り一つ見えない。得体の知れない不安感を得て、東雲ツルギは目をすがめた。
「そうですねー、確かにそういう意見もあると思いますけど」
「怒らないのか?」
「あたしの方が正しいのに、怒る必要がありますか?」
ツルギはその言葉の響きを知っていた。信仰者だけが放てる力強い断言――理性と良識を超えた場所にある自らの正義を疑わぬ意思そのもの。
しばし妄信的と呼ぶしかないそれは、何度も東雲ツルギの敵対者が発露させてきたものだった。
予感があった。
おそらくきっと、リリィ・フェルディエ・ドーンヘイルは彼の敵になるという奇妙な確信だ。これまで何度もそうしてきたように――今回もそうなるだろうという経験則を噛みしめながら、ツルギは困ったように笑った。
「……そうか。君は、そう考えるんだな」
「ツルギさんは二〇〇〇年間もブランクがあるから、まだその辺の感覚が掴めないんだと思います。大丈夫です、一緒にいっぱい学んでいきましょう!」
「リリィ、君はどうしてそんなに僕に入れ込んでるんだ?」
「え、だって――ツルギさんは〈ケルベノク〉じゃないですか! あたしたち巨神騎士の憧れの人ですよ、助けになるのは当然です!」
「そりゃまた……期待が重い」
二〇〇〇年後の世界にできた後輩からの重い好意に、へらへらと笑うしかないツルギだった。つまり尋問とは名ばかりで、怒れる〈カロンデルタ〉の暴徒から二人を隔離するための方便なのだというのが、彼の理解している現実である。
実際、リリィはツルギと雑談に興じるばかりで真面目に尋問する気はなさそうだった。
さて、どうしたものかとツルギが頭を悩ませているときだった。個室のインターホンが鳴って、顔をドアの方に向けたるリリィ。
「誰です? まだ尋問中――」
『あの、執行官……エンダー・カレルレヤ様がこちらにお越しです』
不本意そうな声は、ツルギの知らない若い男性のもののようだった。口調だけで伝わってくるもの――おそらく大変に不本意に、エンダーにここまで連れてくるよう役割を押しつけられたであろう声音。リリィは戸惑いをにじませて眉をひそめている。
「……ノバク少尉には荷が重かったかあ」
ぼそっと呟いて、リリィは立ち上がる。ツルギはそんな少女の様子を眺めながら、ふむふむと頷き一つ。
「雑談タイムは終わりかな?」
「残念ですけど、そうみたいですね。愛されてますね、ツルギさんは」
「その理由がわからないので意外と怖いんだ、これが。ああ、最後に一つ聞かせてくれないか?」
「何ですか、ツルギさん」
不思議そうな顔でツルギを見やるリリィの顔には邪気がなくて。
それゆえに男は問わずにはいられない。
「君は何のために戦っている?」
リリィは迷うことなく答えた。
「――この世界の平和のためですよ」
真っ直ぐでまぶしい祈りだった。
それはもう、東雲ツルギには抱くことができない感情だったから、男は何も言わずに微笑んだ。
そんな彼の影のある笑みを見て、リリィが口を開こうとした瞬間。
エンダー・カレルレヤが入室してきた。
「失礼します、二人とも――ノバク少尉、道案内ありがとうございました」
「は、はい!」
「お疲れ様です少尉、持ち場に戻ってください」
「りょ、了解しました!」
緊張でガチガチに固まっている若い士官は、気まずそうに退散していった。
腰まで伸ばした青銀の長髪をゆらりと揺らして、重力制御のよく効いている室内につかつかと入ってくるシェオルグ――竜の角を持つ少女は、切れ長の目を細めてリリィとツルギの顔を見比べて。
「ふむ……邪魔してしまいましたか?」
「うん、割と」
「態度の大きなヒモもいたものですね……!」
漫才じみたやりとりに、リリィがぷっと吹き出した。弛緩した空気も束の間、エンダーはその小さな口を開いて、この場の誰も予想していなかった言葉を紡いだ。
「率直に言いましょう、リリィ・フェルディエ・ドーンヘイル執行官。今回、〈カロンデルタ〉で起きたテロはおそらく、わたしの足止めを狙ったものです」
「……ちょっと待ってください、エンダーさんは今回のテロに関係ないんですよね?」
「ええ、テロに関わった覚えはありません。ですが今回のテロは宇宙港の施設に甚大な被害を与えました。幸い、わたしの所有する巡礼船〈光輝号〉は無事でしたが、宇宙港そのものが機能不全を起こしている以上、今後しばらくの間は足止めされてしまうでしょう」
「時間稼ぎされる要件に心当たりは?」
真剣な顔つきになったリリィに問われて、エンダーは困ったように眉をひそめている。
「実は〈カロンデルタ〉観光を終えたあとは、天の川銀河の太陽系に向かう予定だったのです」
「太陽系に?」
「文字通りの巡礼です。あそこはツルギ……〈ケルベノク〉の故郷ですからね」
「そういうことですか――アンドロメダ銀河にエンダーさんを留め置きたい相手に心当たりは?」
「地球貴族のアルドヴァラ、グラシオン、あとは地球帝国情報局あたりならやりかねませんね……彼らとわたしは利害関係が複雑なのです」
「……あなたが地球本国の方に向かうと知っているのはおかしくないですか?」
「いくらシェオルグ特権の巡礼船と言えど、航路の予定は事前に地球帝国の星間ネットワークに報告していますよ。ある程度の地位がある人間ならば誰でも知ることができたはずです」
自分を置き去りにして政治的な陰謀の話をし始めた女の子二人を眺めつつ、ツルギはなんとか現状を理解しようとした。
エンダーには政治的な敵対者が複数おり、彼らのいずれかが破壊工作を口実に都市船〈カロンデルタ〉でテロを行ったかもしれない――それもただ、エンダーを足止めするためだけに大量の死傷者を出した可能性があるのだ。
ツルギは自分の中に怒りがあることに気づいた。
うなるように質問を発した。
「教えてくれないか。今回のテロで何人死んだんだ?」
すかさずエンダーが涼しい顔でこう教えてくれた。
「死者三〇二名、負傷者七〇〇名以上……これからもっと増えるでしょう。宇宙港を狙った卑劣なテロです」
「そんな風に人が死ぬ理由が、権力闘争の足の引っ張り合いだって言うのか?」
それはエンダーもリリィも容易く答えられない、西暦四一二〇年の人類社会が抱える深い闇の一端だ。男に実感できたのは、この世界はきっとリリィの言うように平和でもなければ豊かでもないということである。
ツルギの怒りに対して、エンダーはひどく冷静だった。角ある少女は琥珀色の瞳で彼を見据えると、ただ純粋な問いかけをした。
「ツルギ、あなたが怒っているのは――人がこんな風に容易く死んでしまう現実ですか? それともそんな現実を容認してしまうわたしたちの無力さですか?」
「両方だよ。〈禍つ光〉との戦争が終わって、世界は復興して銀河にまで人は満ちあふれたんだろ? なんでそんな風に豊かな世界で、こんなくだらない理由で人が死ななくちゃいけない……!」
「あなたが思うほど、人間は同胞に優しい生き物ではないからです。この答えでは納得できませんか?」
「……ひどい話だ」
わかっていた。ツルギの憤りは、あまりにも青臭い感傷から噴き出てきた彼のわがままに過ぎない。どんなに社会が公正でも平等でもないとしても、その世界の一員として生きたことがない東雲ツルギは、二〇〇〇年後の世界では異邦人に過ぎないのだ。
しかしそんな理屈で納得するには、この虐殺は醜悪すぎた。
深呼吸して落ち着こうと試みるツルギをじっと観察していたリリィが、場の空気を入れ換えるように両手を叩いて音を鳴らした。
何事かとツルギとエンダーが視線を向けると、巨神騎士を名乗る少女は陰り一つない笑顔でこう言った。
「あたしにいい考えがあります」
「伺いましょう、ドーンヘイル執行官」
「リリィでいいですよ、エンダーさん。もし今回の事件が、エンダーさんの言うように政治的陰謀によるものなら騎士として見過ごせません。そこで気になる情報が一つありまして」
「……まさか、今回のテロの実行犯ですか?」
「はい、〈カロンデルタ〉からは逃げられちゃったんですが……〈カロンデルタ〉から逃げた高速艇は現在、地球帝国宇宙軍の哨戒網が追跡しています。今はバレないように泳がせてる段階ですけど――」
リリィ・フェルディエ・ドーンヘイルはこれから買い物に行こうと誘うような気軽さで、とんでもない提案をしてきた。
「――敵の拠点、突き止めて潰しちゃいません?」