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しま子

『むっかしー、むっかしー、浦島は~ぁ、助けた亀にぃ、連れられて~ぇ♪』



アタシの名前は、しま子。浦の浜の小さな家に母と2人で暮らしている。海に出て魚を釣るのがアタシの仕事だ。早くに亡くなった父の代わりに漁師をしていること以外は、ごくごく平凡な15歳の女の子。


「釣れないなぁ」

漁師の朝は早い。魚が活発に動き出す日の出を狙って、暗いうちから船を出さなくてはいけないから。

今日もいつもの様に母を起こさないよう、静かに家を出て沖に漕ぎだした。いつもなら暗いうちからでも動き出すアジが1匹か、2匹でも釣れている頃だけど、、、今朝はさっぱりだ。

アタシは海を覗き込んだ。朝日をキラキラと反射させ、海の中は底まで見通せるほど澄み切っている。

「今日はダメね」

こんなに澄み切っていては、魚からはこちらが丸見えだ。警戒して寄ってこないのだろう。


こんな日もある。片付けて帰ろうと、竿を握った。

グッググ!

確かな手ごたえ!しかもかなり大物の予感!期待して引き上げると黒い影がゆっくり、ゆっくり確実に水面へと登ってきた。しかし影が大きくなってくるのとは逆に、アタシの期待は小さくしぼんでいった。かかっていたのは亀だったから。

「なんだぁ、亀か、、、どうりで釣れないわけね」

亀は泳ぎがそれほど得意ではない。だから潮の流れが穏やかな時に活動している。逆に魚の方は潮の流れがあった方が釣れる。漁師の間では亀を見かけたら釣れないと言われている。

「ちょっと待ってて、今逃がしてあげるから」

針を外してやっているうちに、アタシは急な眠気を感じた。

(確かに今朝も早かったけど・・・)

でも、眠気とは違う気もする。少しづつ意識が遠のく感じではない。グン!グン!と、上から押さえつけられるような、、、船底に手をついた時には我慢が出来ず、意識は飛んだ。


どれくらい寝ていたのだろう?半時?一時?うす目を開けて見えた太陽は真上に登っているようだった。

「お目覚めになられましたか?」

よどみのない透き通った女性の声。

(だれ?)

声にならなかった。覗き込む女性の顔はとても美しく、まだアタシは夢を見ているのではないかと思ったからだ。

(これは夢?)

女性の手がおでこに触れた。ひんやりとして気持ちいい、、、夢なのに。

それに、この香り。磯には似つかわしくない甘く繊細な、まるで様々な花の蜜を集めて空気に溶かし込んだ、かぐわしい香り、、、夢みたい。


アタシはその香りの中に包まれていた。

いや!実際にアタシは包まれていた!この人に後ろから抱きつかれるような格好で、身を任せていた!

「うわっ!」

ビックリして体を起こす。

「きゃ!」

小舟が大きく揺れ、女性は小さく声を上げると慌ててヘリを掴んだ。落ちてしまいそうに思えたアタシは、とっさに彼女の体を引き寄せた。


この世のものとは思えないほど均整の取れた美しい顔。それが触れるほど近くにある、、、やっぱり夢?

「、、、きれい」

思わず漏れた声が自分のものだと気づいて、耳が熱くなるのを感じた。

(何言ってるの⁉ 恥ずかしい!)

それよりもこの人、誰⁉アタシは確かに一人で小舟に乗って沖で釣りをしていた。この人、眠っているうちにやってきたの?あたりを見回しても他の船は無い。

「フフ」

目の前の顔が優しく和らいだ。あまりに近すぎて、その吐息が首筋にかかった。

体の芯がキューっと締め上がるのを感じる。


ごくりとつばを飲み込み、カラカラに乾いた喉を潤してやっと聞いた。

「誰ですか?」

「驚かせてしまいましたね。わたくしは先ほど貴方様が釣り上げた亀です」

「は?」

「驚かないで聞いてください。わたくしは天人てんにんです。亀の化身であり、名を亀姫と言います」

(アタシきっと、まだ夢を見ているんだ)

「ほっぺたをつねって差し上げましょうか?」

いたずらっぽく笑った綺麗なお姉さんはアタシのほっぺをちょんとつついた。

(なんで、、、)

「読心など造作もない事。天人ですから」

(本当に、、、)

「ええ、」

(また読まれた⁉)

「フフフッ」

お姉さんはアタシの様子がそんなにおかしかったのか口元を手で隠して笑った。


(なんで、天人様がアタシなんかに)

目の前の笑顔が今度は少し困った表情に変わる。

「あの、喋ってもらえませんか?貴方様の声が聞きたいのです、、、それに」

お姉さんはアタシの事を抱き寄せるようにして耳元に顔を近づけて来た。

「わたくしの事は亀姫と呼んで下さいまし」

亀姫の声がすーっと耳から入ってくる。そのささやきは脳を溶かしてしまうのではないかと思うほど甘美で、女のアタシでも何もかも忘れて身をゆだねてしまう気がした。

「あ、あの!」

「はい、なんでしょう?」

「その、、、亀を、あなたを、、、」

「かめひめ」

「かっ、かめひめさんを釣り上げてしまった事は謝ります。すいませんでした」

「ふふ、」

亀姫は体を離すと、今度はアタシの目を見据えた。その透き通った青い瞳は海を思わせ、深く、深く吸い込まれそうな気がした。


「わたくしは貴方様に釣られてしまったのです。先ほど船の上から海を覗き込んだでしょう?その時、わたくしも貴方様の事を見上げていたのです。なんと、凛としたお顔かと。一目惚れでした」

(一目惚れ⁉)

アタシも年頃の自覚はある。いい人が現れて、仲睦まじく、いつまでも暮らしたい。そんな夢を想うことだってある。

けど、父を早くに亡くしたうちは貧乏だ。母一人ではやっていけないので、アタシも漁師のまねごとをして生活を支えている。恋にうつつを抜かすことなど許されなかった。

漁師というのは海の上で太陽にさらされるから肌は真っ黒だ。手拭いをほっ被りしたところで水面に反射した光が下からも肌を焼く。それに舟を漕ぐのだって力がいるし、村の女の子と比べてもアタシの腕はたくましく、悪ガキなんかには腕っぷしで負ける気はしない。そんなだから半ば恋などというものを諦めていた。

出来る事ならアタシだって!けど、突然せまられた相手は、、、


亀姫の細く白い指がアタシの頬を撫でた。

「あのっ!アタシ、女ですけど⁉」

「そのようですわね、、、」

指は頬から喉へ、そのまま鎖骨を伝い、着物の襟から胸の中へと手が滑りこんできた。

「っ!こ、困ります」

口では否定したけど、体は全く動けない。

「嫌ですか?」

「い、嫌とかそういう事じゃなく、、、女どうしで」

「男か女かなど、関係ありません。わたくしは貴方様に惚れたのです」

滑り込んできた手がアタシの敏感な部分を優しく撫でていく。

「きっ、気持ちは嬉しいのですが、アタシはただの人です。天人様とは、とても釣り合いません」

「釣られてしまったのは、わたくしの方なのですよ?釣り合いは取れていると思いますけど?」

亀姫は手を引くと、アタシのはだけた着物を整えて言った。

「わたくしと釣り合いが取れればいいのですよね?」

「え?ええ、、、?」

「天人とはどういう者か、お見せしましょう」

その言葉を最後まで聞くか聞かないかの内にアタシはまた意識が飛んでいた。


次に気が付くと小舟は桟橋に横付けされていた。

「さあ、参りましょう」

「ここは?」

蓬莱山ほうらいさん、天人達が住まう地です。」

やっぱり夢を見ているのではないか?アタシは導かれるまま雲の上でも歩くような心持で道を進んだ。

暫く歩き、辿り着いたのは立派な門。

「ここは竜宮城です。わたくしの屋敷ですよ」

こちらの疑問を先回りして答えてくれた亀姫は、手で触れることなくその立派で大きな門を開いた。

「少し、ここでお待ちいただけますか?急な事ですので、まず家人に伝えに行って参ります」

「はい、、、」

アタシは亀姫の言葉もそこそこに、門の奥に見える光景に見とれた。

昔、お坊様から聞いたことがある。そこは玉石が敷き詰められ、楼閣はまばゆく光り輝き、季節に関係なく桃の花が咲き乱れる。まさに目の前に広がる光景はお坊様から聞いた桃源郷だ。


(もしかして、アタシ死んだんじゃ、、、)

別の考えも頭をよぎった。船の上で眠りこけ、そのまま海に落ちて溺れ死んだのかもしれない。

ここが極楽浄土と言われても信じるだろう。敷地の中には小さな川も流れている。

(あれが三途の川?)

「あははは!」

子供達が庭園で遊んでいる。男の子?いや、女の子?どちらとも判断のつかない容姿だ。

その子らがこちらに駆けてきて言った。

「亀姫様と結婚するんでしょ?」

「え⁉ 結婚⁉」

「亀姫様の旦那様だぁ」

「アタシ、女だし!」

フフフと笑いながら亀姫が戻ってきた。子供達は律儀に彼女へ頭を下げると、また駆けて行ってしまった。


「どうぞ、中へ」

「あの、アタシなんかが入っていいんですか?」

「ええ、あなたはもう、、、」

亀姫は何か言いかけて、そのまま歩き出した。アタシもその後ろに続いた。

「わたくし達、天人はこの蓬莱山に生える仙桃を食べる事で不老不死の力を得ているのです」

彼女が生えていた桃の木から一つ実をもぎ取ると、アタシにくれた。目がにっこり笑い。食べる様にと促してくる。

甘いモモの香り、、、すぐにでもかぶりつきたい衝動を抑え聞いた。

「コレを食べたらアタシも不老不死に?」

「すぐに不死が得られる訳ではありませんよ。ここで採れるモモは一つ食べれば、1年寿命が延びます」

(少し怖い気もするけど、1年なら)

かぶりつくと果汁がジュワリと溢れて出た。こぼさない様に慌てて2口、3口と食べ進める。

(おいしい!)

手に付いてしまった汁すらもったいなくて、すするようにしゃぶっていると、亀姫がその白い肌の頬を赤らめて、うっとりとこちらを見ているのに気が付いた。

(指なんか舐めて、子供っぽかったかな?)


アタシは慌てて取り繕った。

「ごちそうさまでした!」

「フフ、そのモモはオノコの方ですね」

彼女が残った種をアタシから取り上げて見せてくれた。

「種の形で分かるのです。オノコとメノコとが」

その種を軽く放り上げる。同時に物凄い勢いでどこかに飛んで行き、後には光の筋が残った。

「桃の種には邪気を祓う力があるのです」

亀姫は種を持っていた指をペロンと舐めた。赤い舌が白い肌に映えて怪しさを醸し出している。

見てはいけないものを見ている気がして、アタシはどぎまぎしながら言葉を探した。

「お、オノコとメノコって?何か違いが?」

「ふふ、オノコの実を食べればその体は活力に満ち、たくましく、雄々しくなるのです。逆にメノコの実を食べれば肌は白くきめ細やかになり、女性らしい体つきへと変わっていきます」

「そんなぁ!アタシただでさえ男と間違われるのに!」

「フフフ、貴方様はそのままでも十分魅力的ですよ」

アタシが不満そうな顔をしていた為か、それとも心の叫びを読まれたのか、亀姫は微笑んで一つの実を指さした。


「あちらの樹に成るのはメノコの方です。食べますか?」

「ハイ!」

枝先に実った桃に手を伸ばすと、もう熟しきっていたのか指先が触れただけで実は落ちてしまった。

「あっ!」

ポチャン!

小川に落ちたモモが流れていく。

「すいません。貴重な桃を、、、」

「構いません。川は生命の始まり。あの桃は流れ下っていくうちに力を蓄え、いずれ命を宿すでしょう。心優しき者に拾われれば、生まれ出た子はきっと英雄になります」

「拾われなかったら?」

「そのまま力を蓄え続けて海に流れ着きます。過ぎたる力は鬼という形になって生まれ落ちるでしょう」

「鬼が生まれたら大変じゃないですか!」

「だからわたくし達、天人は時々下界へと降りて人の世を見守っているのです」


ドンブラコ、ドンブラコ・・・・・・


まだ小さな桃は流れて行ってしまった。

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