ギャルの苦悩は100万程度じゃ消えやしない
途中参戦してきた菜摘達の母親を含め、大人三人と幼児一人で食卓を囲んでみると、それはそれでなんだか楽しく思えていた。
なんでもお母さんはスナックに勤めているらしく、ひたすら喋ってるだけで給料をもらえるところが天職なのだとか。どうりでマシンガントークが止まらないわけだ。
「二人は普段なんて呼び合ってるのー？」
「玖我のオッサン！」
「おい、最近では普通に玖我さんって呼んでただろ？ なんでわざとらしく戻すんだよ。えっと、俺は菜摘とか君とかですかね」
「あんただってたまにギャルって呼ぶじゃん！ ちゃんと名前にしてよ！」
言い分がガキ大将だなこの子。付け加えれば、一番多く聞くのは『あんた』って響きなんだけど。名前どころか特徴ですらない。
「うふふっ、仲良しなのねぇ〜♪ 私のことは麗奈ちゃんって呼んでくださいね♡」
「は、はぁ……記憶の片隅にでも入れておきます」
「ちょっとママ、なに言ってんのマジで！？ あんたもさ、もしママを名前で呼んだりしたら、心底ドン引きすっからね！？」
「いや呼ばんけど。菜摘のお母さんでいいですよね。麗奈ちゃんはさすがに厳しいので」
「あーん、マサくんもつれないのねぇ〜」
「「マサくんって誰だよ！？？」」
不覚にも菜摘とハモってしまった。セリフもタイミングも寸分違わず揃ってたし。
それにしても水商売が本職なだけあって、フレンドリーと言うか馴れ馴れしいと言うか、懐にグイグイ押し掛けてくる人だな。娘も強引なところは目立つけど、こんなふうに露骨に距離を縮めたりはしない。今の微笑みにも、そこはかとなく寒気が走ってしまう。
「息ぴったりね〜。さすが、なっちゃんをここまでデレさせた人ですね♪」
「……え、この子ってデレるんですか？」
「またまたぁ〜、今もデレてるじゃないですか〜。恥ずかしくって下向いちゃって♪」
俺には怒りに打ち震えてるようにしか見えないのですが。主な原因はお母さん、あなたの言動にあるかと思われ。
確かに時折ツンデレ感が垣間見えるし、デレた素振りかと考えたりするけど、お母さんの示すニュアンスとは違う気がする。異性に言われたから照れくさくなってる程度で、特別な感情によるそれとは別物だろう。
俺達が会話してると、眉間にシワを寄せたギャルが声を荒らげて物申した。
「いい加減にしてよママ！！ そーゆーのあたしが気まずいって言ってんじゃん！！」
「あらごめんねぇ、そんなつもりじゃなかったのよ。お詫びにアイスでも買ってくる？」
「………うん」
母親から500円玉を渡されたギャルは、そそくさと玄関から出ていった。恐らく目の前の通り沿いにあるコンビニでも行くのだろう。
つーかJKってそんなんで機嫌取れんの？ チョロ過ぎやしないか？ そのうち詐欺にでも引っかかりそうで心配になってくるよ。
唖然としつつも、ざわめく感覚を拭えずにいた俺は、ふと隣から漂う心地良い香りに落ち着きを取り戻した。甘めの香水だろうか。そちらに視線を向けて最初に映り込んだのは、またもや心の奥をざわざわさせる、豊満でいかにも強調されたようなエロい胸元である。
「ちょ、麗奈さん！ はだけてますって！」
「あらぁ、ごめんなさいね〜。つい接客の癖が出ちゃってました♡」
急激に自制心を侵食してくる、男心に悪い癖だな。普通にご褒美なのが更にタチ悪い。
緊迫感の欠片も無いと感じていた空気の中、真剣な面持ちに変わったお母さんが、突如として深々と頭を下げ始めた。
「この度は娘を助けていただき、本当にありがとうございました。この御恩に報いる為にも、私にできることでしたらなんでもいたしますので」
「頭を上げてください。恩なんて十二分に返されましたので、どうかお気になさらず」
「そうはいきませんよ。金銭的な問題に加え、あの子の心までも救っていただいたのです。あなたには感謝してもしきれません」
「心……ですか？」
土下座する勢いで謝恩の意を示してるけど、俺はそこまで大層なことをした覚えがない。そう思っていたのだが、続けて語られた悲しい事情によって、少しだけ自分がしていた行動の重要性が見えてきた。
「菜摘を利用して稼ごうとした人物は、あの子にとって本当の父親ではないんです」
「あれ？ 菜摘の話と食い違いますね」
「6年前に再婚した、悠太にのみ血を分けた男性です。それでも菜摘は高校に上がる直前まで、あの人を父親として慕っていました。菜摘の純粋な心は裏切られたのです」
真相を告げる彼女の目元は、零れる涙で化粧が滲んでいる。パートナーとして選んだ相手が、愛する娘を抑圧していたなんて、自分自身でも責任を感じていたのだろう。そんな後悔の念が声色から溢れていた。
どうやら実の父親とは菜摘が3歳の頃に別れたらしく、働き方も知らなかった当時の麗奈さんは、手っ取り早く収入を得る為に夜の仕事を選んだと言う。しかし娘が10歳になった後に、客として知り合った今の旦那と再婚したとか。菜摘にとっては初めての父親みたいなもので、大いに喜んでいたそうだ。
「でも菜摘が中学生になり、悠太を身篭った辺りから、あの人は変わってしまいました。色々と出費が嵩んで大変だったのでしょう」
「なんで血の繋がりもない子供の為に——とか、不満が溜まったんですかね？」
「それもよく口にしてました。あと成長した菜摘に対し、強く当たるようになったんです」
「まさか手を出したんですか！？」
思わず両手でちゃぶ台を叩きながら、腰が半分持ち上がっていた。
自分でも何故ギャルに肩入れしてるのか不明だが、この際些細な理屈なんかどうでもいい。いつだって一生懸命で真っ直ぐ生きる彼女は、決して虐げられるような存在ではない。ましてや理不尽な暴力で支配し、穢らわしい欲望の道具にするなんざ言語道断だ。
苛立つ俺を宥めるかのように、静かで繊細な声が届いた。
「私の前では怒鳴るまででしたので、すぐには気付いてあげられませんでした。きっと菜摘は我慢に我慢を重ねていたんだと思います……」
「あの子は痛みにも屈しないでしょうね。自分の苦痛より家族の調和を優先しそうですし、とにかく優し過ぎる」
「私も同じように考え、旦那を問い詰めたところ、去年の冬にこの家を飛び出しました」
立場が悪くなったら逃げるとか、典型的なクズ野郎だな。性懲りも無く悪巧みの為だけに菜摘と接触したなんて、他人事とはいえさすがに許し難い。胸糞悪いにも程がある。
抑えきれない嫌悪感に身震いしていると、居間の扉が微かに開いてることに気がついた。
「……もう話し終わった？」
「ごめんね〜なっちゃん。やっぱり空気を読んで外してくれてたのよねー」
「当たり前じゃん。高校生にもなって500円で誤魔化されるわけないし！」
口を尖らせる元気いっぱいなギャルの姿に息が詰まり、目頭がじんわりと熱くなる。
「はぁ！？ あんたなに泣いてんのさ！？」
「なっ、泣いてねーよ！ お前みたいないい子はちゃんと報われるべきだとか、いっそ他人の100万倍幸せになってほしいとか、胸ん中で思うくらい悪かねぇだろ！」
「なんか妙に具体的にボヤいてるし……。てかあたし、今だって充分幸せだよ？」
「なに寝ぼけたこと吐かしてんだ！！ 君の幸せなんてなぁ、まだ始まったばかりなんだよ！」
「はいはい……ありがとね、玖我さん♡」
