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これは本当に単なる気まぐれだ

 暗い夜道を一人でとぼとぼ歩いていた。

 湿っぽくてぬるい空気と、街灯の明かりに(たか)る羽虫を見れば、もう夏の訪れも間もないだろうと感じる。そんなつまらない夜だった。

 不意に前方の路地付近から、虫の鳴き声に混ざると奇妙で、なんとも不自然な音がする。決して耳触りが良いと言えるものではない。

 辺りは寝静まろうとする住宅街なのに、場違いにも大きくなっていく騒ぎ声は、男女のカップルによる痴話喧嘩か。いや、どうも女性が抵抗している声らしい。他人が首を突っ込むべきではないやり取りのようだ。

 

 

「ざっけんじゃねぇよオッサン!! こっちの足元見やがって! 手ぇ離せよ!!」

 

「ふっ、ふざけんな!! 俺だって高い金払ってんだぞ!? 大人しく言うこと聞け!」

 

「イィーヤァーだぁって言ってんだろ!! い・い・か・げ・ん、諦めろボケ!!」

 

 

 どう見ても高校生くらいであろう金髪ギャルが、控えめに言って俺より倍はデコが広い中年男に、服の裾を掴まれて逃げられずに暴れている。最近流行りのパパ活だろうか。

 それにしてはギャルの必死な形相に、鬼気迫る勢いがある。デートだけで済ますつもりが、強引にホテル行きになって揉めるケースも少なくないと聞く。見ていて可哀想ではあるが、警察でも呼んで解決すべきかなこれは。

 ポケットからスマホを取り出すと、まさかのバッテリー切れで機能停止。そう言えば寝落ちするまで使っておいて、結局充電器に挿すのも忘れたまま出掛けてたわ。はてさて困ったぞ。タイミングの悪さが神がかってる。

 

 

「おい!! こっちは先に50万も払ってんだぞ? そうしたら娘を好きに使っていいって言われてんだ! 契約くらいガキも守れ」

 

「そんなん知らねぇっつーの!! なんであたしが勝手に売りもんにされてんのさ!!」

 

「それこそ知るか!! こっちは本当に金払って契約してんだから、言う通りにしろ!」

 

 

 おいおい、それ人身売買じゃないか。パパ活とかそんな甘い話じゃ済まない内容だぞ。

 ギャルは涙目になりながら抵抗を続けてるし、どうやらガチで危機的状況らしい。一刻の猶予も無いなら、出しゃばるしかない。

 

 

「あのぉー、すんません。そのギャル、100万円で買います」

 

「んっ!? 何言ってんだこの若造は!?」

 

「だから、俺が100万出すんで譲って下さいよ。倍の金額なら悪くない話でしょ?」

 

「ちょっと待てよオッサン!! なんで本人の目の前で取り引きしてんだよ!! そもそもあたしはそんなに安くねぇっ!!」

 

 

 あーもう、よく喋るなぁこのギャル子。すごくテンパってるのは分かるけど、もう少し空気を読んで静かにしていてほしいのだが。

 慌てる被害者を一旦無視して、小さな肩掛けバッグから封筒を引き抜いた。銀行員のミスが無ければ、ここにちょうど百枚の諭吉さんが入ってるはず。別に怪しい金ではない。ちゃんと法に(のっと)ったやり方で入手し、自分の口座から一部の現金を下ろしたばかりなのだ。

 

 

「ここにピッタリ100万あります。その少女を渡していただければ、この金は全部差し上げますので」

 

「なっ!? ほ、本気で言ってんのか!?」

 

「疑うのならどうぞこの場で確認してください。返せとか野暮なことは申しませんよ」

 

 

 チラつかせた封筒まで慎重に手を伸ばしつつ、ギャルの服も握りしめて離そうとしない、意外と用心深いおっさん。どちらかと言えば俺が胡散臭いのかな。状況的には仕方がない。封筒の口を広げて中を覗き込んだ途端、中年の目の色があからさまに変わっていく。

 

 

「本当に本気なのか!?」

 

「本当に本気ですとも」

 

「通報したりしないか!?」

 

「通報してもその金が戻ってくるとは思えませんから」

 

「ふん、いいだろう。小娘はくれてやる」

 

 

 ようやく男に解放され、掴まれてた服は完全に伸び切ってしまっていた。若干破れかかってほつれている箇所もある。二人の争いの壮絶さが伝わり、背筋がゾワッとしてしまうなこれは。

 その頃ギャルは応戦して疲れたのか、肩で息をしながら黙って見ていた。逃げるように立ち去る中年に用なんて無いし、とりあえず事情だけを聞いて、俺もさっさと退散しよう。

 

 

「えーっと、大丈夫か?」

 

「………100万ならいいとか思ってんの?」

 

「んなわけ。あの金は奴にくれてやっただけで、君をどうこうする気はない。手を出せばもっと面倒なことになる」

 

「くれてやった?? あんな大金、誰が簡単に捨てるような真似すんだよ!?」

 

「別に俺の金を自分でどう使おうが勝手だろ? それで女の子一人救えたんだし充分だ」

 

 

 ギャルは点になった瞳で俺を凝視している。そりゃ金が惜しくないと言えば嘘になるが、悠長に他の方法を探してる暇も無かったんだ。有り合わせで人を助けられたなら後悔は無い。

 

 

「そんで、何がどうしてこうなったわけ?」

 

「あたしにだってよくわかんねーよ」

 

「……聞き方を変えようか。なんであのオッサンと二人でいたんだ?」

 

「オッサンだって変なオッサンじゃねーか」

 

「失礼な、俺はこう見えても27歳の若者だ! そして話しを誤魔化すなよ?」

 

「………これなんだけど」

 

 

 ボソッと呟きながらギャルが取り出したのは、薄っぺらい茶封筒だった。気まずそうな表情から察するに、恐らく金が入っているのだろう。

 

 

「やっぱりパパ活してたのか」

 

「んなことしねーよ!! クソ親父に、5万やるからあのオッサンの愚痴聞いてやれって言われたんだよ!!」

 

「愚痴? なんだそれ?」

 

「知らねーよ! もう金貰ってるからって、バイト帰りに無理矢理これ渡されたんだよ! あんのクソタヌキ親父が!!」

 

「待て待て。もしかしてさっきから言ってるクソ親父ってのは、君の本当の父親か?」

 

「そーだよ!!」

 

 

 なんてことだ。この子は知らない所で肉親に身売りされてたのか。さすがに同情はするけど、こっちは100万払っててこの子も5万は手に入れてるし、損してるの俺だけだぞ。

 

 

「ま、まぁ人生色々あるよな。それだけ元気なら一人でも帰れるだろ」

 

「ちょっと待ってよ! あんた本気でなんもしないで帰んの!?」

 

「なにそれ? じゃあ俺が一晩相手してくれって言ったら、ついて来るのか?」

 

「そ、それはフツーに困るけど……」

 

「だろ? 君の貞操は100万で買えるほど安くないんだから、ここは厚意に甘えとけ」

 

「それじゃあたしがモヤモヤすんじゃん」

 

 

 思いのほか強情な義理堅さをお持ちらしい。眉間にシワを寄せて下を向く彼女からは、易々と帰してもらえる気配を感じない。

 

 

「そうだ、ご飯! あたし料理得意だよ!」

 

「………で?」

 

「あんたの連絡先教えてよ! 前もって呼んでくれれば、家までご飯作りに行くから! あ、でも食費は出せないけど……」

 

「材料費のことか?」

 

「そうそれ! 食材とか買っといてくれれば、ある物でテキトーに作れるよ!」

 

 

 なるほど、100万円で使い放題の給仕係か。いやそれにしても、こんな派手でギラギラした風貌からじゃ、料理を作ってる姿なんて想像も……できないこともないな。

 暗くてイマイチ見えなかったが、目を凝らすとメイクはそこまで濃くない。髪の色と服装を変えれば、普通の可愛い女子高生になりそう。そんな子に飯作りに来てもらうとか、益々俺が危ない大人になるだけじゃないか。

 

 

「あぁ〜……メッセージアプリでいい?」

 

「うん♪」

 

 

 最後に映った彼女の笑顔は、いつまでも頭に残るぐらい爽やかだった。下手に拒否すれば逃がしてもらえないと思い、とりあえずIDを伝えてフレンド申請を出させたものの、わざわざ使う日は来ないだろう。

 見た目からして()()()なさそうなギャルとはその場で解散し、一人で帰ってもらった。俺は帰り道に立ち寄ったコンビニで、好きな弁当だけ買って食べている。レジ袋が似つかわしくない、高層マンションの一室で。

 

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