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天使の血   作者: 葉月香
23/30

第6章 謝肉祭(3)

「サンティーノ?」


 小雪のちらちらと舞う寒い日、サンティーノはレギオンの家の扉を叩いた。


 勇気を振り絞ってレギオンを訪ねてきたサンティーノを前に、扉を開けたレギオンは一瞬信じられないような顔をした。


「あ…ひ、久しぶりだね…」


 レギオンの瞳にうかぶ戸惑いに、サンティーノはもしかしたら歓迎されていないのかと思い、赤くなってうつむいた。


「どうしているのかと思って…いきなりやってきたりして、迷惑だったかな…」


 レギオンは、サンティーノが居たたまれなくなるほどつくづくと彼を見つめた後、親しげに笑いかけた。


「何を言っているんだ、君に会えて嬉しいよ、サンティーノ。まあ、中に入れよ」


 絶好宣言のことなどレギオンは別にこだわっていない様子なので、サンティーノはほっとした。こだわっていたのはサンティーノだけだったのかもしれない。レギオンの方にはサンティーノを拒む理由はないのだ。


 サンティーノは招じ入れられるままレギオンの家に足を踏み入れた。背後から吹き込んだ風と共に入ってきた細かな雪が床に散らばった。


「私が誘った時には会いになど行かないの一点張りだったのに…大体あまり外を出歩きたがらない君がわざわざ自分だけで市街までやってくるとは意外だよ。こんなすっきりしない天気の日にずっと馬で駆けてきたのかい?」


 レギオンはサンティーノの外套を脱がせると、彼の黒髪についた雪の欠片を手でそっと払った。


「冷たい…」


 サンティーノは何も言えなくなった。ずっと恋焦がれていたレギオンがこんなにも身近に存在することに胸が詰まって、ここに来るまでの間、彼に会ったららこう挨拶をしよう、こんなことを話そうと、頭の中で練っていた言葉など一言も出てこなかった。


(レギオン、レギオン、君の夢なら何度も見たけれど…現実の君はなんて鮮やかで美しくて…午睡でもしていたのかな、奔放にはねた髪の毛が可愛らしい。それに…チュニックの隙間から覗く胸がちょっと艶かしくて…どうしよう、どきどきする……ああ、僕は何を考えているんだろう…)


 レギオンとの再会にすっかり我を忘れていたサンティーノだが、その時、階段の上の方から聞こえてきた場違いな少女の声にぎょっとなった。


「レギオン様…お客様ですか…?」


 サンティーノがうろたえつつ顔を上げると、髪を乱したまだあどけなさの残る娘が恥ずかしそうに階下の様子をうかがっている。


「私の大切な友人だ。悪いが、ちょっと下に降りて香料入りの温かいワインでも用意してもらえるかな。それだけしてもらったら、今日は帰ってもいいよ」


 レギオンが素っ気無く言うのに、娘はちょっと怒ったように頬を膨らませた。そうしてサンティーノを一瞬睨みつけると、階段を無言で駆け下り、そのまま二人の傍を通り過ぎて奥に姿を消した。


「あの子に何をしたんだ?」


 つい棘のある口調で尋ねるサンティーノに、レギオンは別に悪びれる訳でもなくさらりと言った。


「うん、あれは私が雇っている娘なんだ。まあ…私が好きだと言うから、初めての恋の指南をしてやろうとしたんだよ…それなら、ついでに血も飲んでやろうかなとね」


「邪魔をしてしまったのかな、僕は」


 ああ、やはり相変わらずのレギオンだ。内心可愛さと憎らしさがない交ぜになってしまい苦笑いするしかないサンティーノだったが、レギオンが妙にうかない顔で溜め息をつくのに、ふと心配になった。


「いや、全く構わないさ。それに…私も、何故かな、あまり食指が動かないんだ…つまみ食いでも、そろそろ血を取った方がいいとは思うんだが…」


「レギオン…どうしたんだい…? 血を取った方がいいって…飢えているのかい…?」


「いや、まだ差し迫った飢えは感じないさ。大丈夫だよ、私は」


 サンティーノがレギオンの瞳を捕らえようとすると、彼はさりげなく視線を逸らした。


 その様子に、またサンティーノの胸に不安が差した。


 レギオンはサンティーノの追求を拒否するように彼から離れると、奥の広い部屋に入っていった。サンティーノはその後を慌てて追いかける。


「レ、レギオン、君が刺客に襲われたという話を聞いたよ。一族のラウーランが長老達の命令で君のもとに送られたんだ」


「ああ、あの忌々しい悪魔の仮面はラウーランだったのか。納得だな。あいつは私をかなり毛嫌いしていたからね。よし、今度宮廷に戻った時あいつに会ったら、あの夜の借りは倍にして返してやるぞ」


 天井の高いその部屋で、金色の火の燃える暖炉の前に並べられた二つの椅子に彼らは身を落ち着けた。


 あの少女は、飲み物と軽い食事を用意してくれたが、いつの間にか家から出て行ったようだ。今度こそレギオンと二人きりになれたことにほっとしながら、サンティーノは香料の効いた熱いワインを一口すすった。


「ラウーランに報復する必要はもうあまりないと思うよ、レギオン」


 サンティーノが意味ありげな含み笑いをするのに、レギオンは問いかげるように首を傾げた。


「君の代わりと言うのはあつかましいかもしれないけれど、僕があいつに、君が味わったのと同じほどの痛みを味わわせてやった。僕に頭の中をめちゃくちゃにかき回されたあいつは、しばらく死人のように眠り続けていたよ。数日前にやっと意識は取り戻したけれど、今でもまだ呆けたようになっていて、完全に元に戻るにはもう少し時間がかかるだろうね」


「サンティーノ…」


 レギオンはしばし言葉を失った後、いきなり膝をぽんと叩いて、楽しげに叫んだ。


「おいおい、平和主義の君が一体どうしたというんだい! 全く、驚いたな、あの野蛮な狼みたいなラウーランを子羊よりもおとなしくて優しい君が叩きのめしたとはね」


 想像した場面がよほどおかしかったのか、レギオンはくすくす笑い続けている。


「でも…」


 レギオンはふと真顔になった。


「一体、どうしてそんなことをしたんだい、サンティーノ…? 君が私を案じてくれるのはありがたいけれど…私と違って、君は宮廷では受けもいいし、誰ともうまくやっていた。その…大丈夫なのかい、私の味方をしてラウーランを傷めつけたせいで、君が誰かの恨みを買ったり、宮廷にいづらくなったりすることはないのかい…?」


 レギオンらしくない気遣いだった。確かに以前よりも彼は優しくなった。


「どうしてって…そんなの別にどうでも…」


 サンティーノは口ごもった。


 すると悪戯子のレギオンは、サンティーノの足を爪先で軽く突付いた。


「そんなこと言わせるなよ…僕は、ラウーランが君を傷つけたことがどうしても許せなかったというだけだ。自分自身が彼に何かされるよりも…もっと我慢できなかった…」


 躊躇いがちに語るサンティーノの脳裏に、その時、ブリジットの優しい顔がうかんだ。


(レギオンを捕まえたいのなら、黙っていては駄目)


 サンティーノはいきなりしゃきんと背を伸ばすと、大きく息を吸い込んだ。


「だって、ぼ、僕は…レギオン、君が好きだから…君を守りたいし、君を傷つけるものは許せないんだよ。宮廷での立場など、大事な君に比べたら、僕には何の価値もない。特に、君がいなくなってしまった宮廷は、僕の目には全く色褪せて魅力のない場所になってしまった。自由な君は何の心残りもなく簡単に飛び出していってしまったけれど、後に残された僕は、今君はどうしているのだろう、ミハイとはどうなったのか、オルシーニ枢機卿や一族に睨まれて危ない目にはあっていないだろうかとずっとそんなことばかり考えて、片時も気が休まらなかったんだよ。僕はラウーランに報復したけれど、たぶん、もっと手ごわい相手でも同じようなことをしたはずだ。もしも長老達がこの先も君に対して刺客を差し向けるようなことがあれば、僕は彼らも敵にするだろうね」


 サンティーノがここまではっきりと己の気持ちを打ち明けるとは思っていなかったのか、レギオンは一瞬怯んだようだ。


「あ…サンティーノ…」


 レギオンは戸惑い、とっさに手を上げたもののどうしたらいいか分からぬように己の口元にそっと触れた。


 己の言ったことがレギオンを困らせている。サンティーノの勇気は瞬く間にしぼみそうになった。


「驚いたな」


 レギオンはしみじみと呟いた。


「内気でおとなしくて優しいだけのような君が、そんな激しい気持ちを秘めていたんだね」


 レギオンはサンティーノを初めて見るかのごとくじっと眺めた。


「ありがとう、嬉しいよ、サンティーノ。でも―」


 レギオンは眉間に皺を寄せると、おもむろに椅子から立ち上がった。そうして、暖炉の前まで歩いていき、その中で燃える火をしばしじっと見下ろした。


「ミハイのことを考えているんだね?」


 サンティーノがおずおずと問いかけると、レギオンの肩が微かに揺れた。


「ミハイとはどう…今、君達は一体どうなっているんだい、レギオン…?」


 サンティーノはレギオンの応えを半ば恐れながら、彼の広い背中を複雑な想いに揺れる目で見守った。


「そうだな、サンティーノ、やはり君には話さない訳にはいかないね」


 レギオンは黄金に輝く頭をゆるやかに振ると、思い切ったようにサンティーノに向き直った。


「実は、ミハイと私はローマを離れてスペインに行くことにしたんだ。オルシーニ枢機卿はミハイの行動を制限し、ローマではもう彼は自由に歌うことも難しくなってしまった。だから、スペイン宮廷の庇護を求めることにしたんだ」


「スペインに行くって…? ミハイと二人で…つまり、それは…ああ、そうか、オルシーニ枢機卿は君達の関係を許さない、だから彼の手の届かない所に逃げようという訳だね…?」


 一瞬呆然としてしまったサンティーノだが、理解した途端、激しく戦慄いた。


「レギオン」


 サンティーノは衝動的に椅子から飛び起きた。


「君は…君は、自分のしようとしていることが分かっているのか? ミハイと一緒にスペインまで逃げるだなんて…逃げて、それで一体どうしようというんだい…ああ、君はまさか本当に忘れてしまったのか…レギオン、ミハイは…」


「ああ、知っているとも。彼は人間だ!」


 レギオンは、サンティーノが差し伸べた手を払いのけると、サンティーノが驚くほど激しく言い放った。


怒りにも似た強い感情に燃え上がる彼の瞳に、サンティーノは絶句した。しかし、一瞬後には、レギオンは途方に暮れた子供のような顔で、サンティーノから目を逸らした。


「分かっている、そんなことは…でも、愛している」


「レギオン…」


 サンティーノは、まるでレギオンに殴られたかのようによろめいた。


「ミハイは、私が今まで欲望を満たす対象としてしか考えていなかった下等な人間と同じだとはとても思えない。ミハイの美しさにだけに惹かれたわけじゃない、私は、彼の潔さと強さ、それらと裏腹のもろさ、彼が立ち向かい乗り越えてきた運命、あの素晴らしい歌声に表れている彼という人格のすべてに魅せられたんだ。あんな人は他にはいない。私は、何と言うのか、そう、ミハイに心酔しているんだ。ミハイに比べたら、私は何と幼く、器の小さい、つまらない男なのだろう。でも、そんな私でも彼は好きだと言ってくれた。私と出会ったおかげで自分は変わることができたとまで言ってくれたんだ。歌だけを支えに生きてきたミハイがその歌以上に私を大切だと、私などのことを最後の夢だと…だからこそ、私も彼の想いに応えたい。私はミハイを幸せにしたい。馬鹿げているかもしれないが、何としても彼の夢を叶えてやりたいんだ」


 レギオンは切々と訴えた。暗闇に閉ざされた迷路に迷い込みながらも出口から差す希望の光を諦めずに探し求める人のように。


 しかし、サンティーノにとっては、それは絶望的な宣言のように聞こえた。


「レギオン…僕のせいだ、僕が君にあんなことを言ったから…ミハイと本気の恋をしてみろなどとけしかけたから―」


「いや、君のせいなんかじゃないよ、サンティーノ。きっかけはどうあれ、ミハイに恋をしたのは、この私なんだよ」


 サンティーノは激しく頭を振った。つかつかとレギオンに歩み寄り、肩を掴んで揺さぶった。その目からは涙が溢れ出した。


「ヴァンパイアの君が、どうやって人間を幸せにできるというんだい、レギオン…それは、やっぱり夢なんだよ…君は、いつかはミハイの血を奪わずにはいられなくなる…」


「サンティーノ!」


 レギオンの顔つきがたちまち変わった。威嚇するかのように牙をむくレギオンをサンティーノは胸がつぶれるような心地で見つめた。


「それは、君には関係のないことだ」


 サンティーノの表情を見て後悔したのかすぐに牙をおさめたレギオンは、口調も和らげたが、それでもサンティーノの忠告を断固として拒んだ。


「私はミハイと共にローマを去る。だから、サンティーノ、君はもうこれ以上私に関わろうとするな…私のために傷つくことも、心を悩ませることも、もうやめてくれ…」


 レギオンは肩にかけられたままのサンティーノの手をそっと離した。


「忘れるんだ、サンティーノ」


 涙に濡れたサンティーノの顔にさっと血の色がのぼった。彼は、いきなりレギオンの頬を殴りつけた。


「痛い…」


 レギオンは殴られた頬を手で押さえ、驚いたように瞬きした。


「ああ、痛いだろうさ。だけど、僕の胸はもっとずっと痛いんだぞ!」


 長い間堪え続けたものがついに噴き出したように、サンティーノは手を振り回しながらレギオンに向かって喚きたてた。


「僕の気持ちに無理矢理火をつけてかきたてたくせに、それを忘れろと君が言うのかい? 忘れられるものなら、とっくにそうしている。君のことなど見捨てよう忘れようと何度思ったか知れない。でも、どうしてもできなかったから、僕は今ここにいるんだ!」


 呆気に取られるレギオンをサンティーノは挑戦的に睨み付けた。


「スペインにでもどこにでも、行きたければ勝手に行けばいい。僕は、例え君が世界中どこに逃げても、必ず君を見つけ出し追いかけてやる」


「サ、サンティーノ、何を言い出すんだ?!」


「君なしでは、僕は生きられない…例え永遠の命を持っていても…君がいなくては、僕は死んだも同然なんだ」


 サンティーノはレギオンをねめつけたまま己の群青色の上着に手をかけた。


「君の恋人にしてくれなどと言うつもりはないよ。僕もそれは御免だね。ただ、僕は君の傍にいたい。君をずっと見ていたい」


 サンティーノは上着を床に脱ぎ落とすと、金糸の刺繍の入った淡い青のチュニックの襟をくつろげ雪のように白い首をあらわにした。


「おい…」


 たじろぐレギオンにサンティーノは迫り、彼が逃げ出さぬよう手を掴んだ。


「君は飢えかけている」


 サンティーノは猫のように妖しく目を細め、レギオンを誘った。


「それなら、レギオン、僕から飲めばいい」


 そうして、レギオンがとめる間もなく、サンティーノは鋭い爪で己の首筋をかき切った。滴る赤い血がサンティーノの大理石のような肌を鮮やかに彩った。


 レギオンは息を飲んだ。血の色彩と匂いに刺激されたのか、サンティーノの喉に釘付けになった彼の瞳孔は大きくなっている。


「馬鹿なことを…」


 レギオンは低く呻いた。その声も微妙に変化していた。


血の欲望に目覚めて、熱く。


「馬鹿なことじゃないよ、レギオン。ヴァンパイアは己を愛する者からしか飲まない。そして、僕は君を愛している」


 サンティーノはレギオンの頭に手を伸ばして引き寄せた。


「レギオン、君にとっても、ミハイから奪ってしまうよりはましだろう…?」


 ほろ苦い気分で囁くサンティーノを、レギオンは怒ったように荒々しく抱きしめた。


「自虐的だな」


 レギオンの舌がサンティーノの首筋に流れる血を舐め取った。


「せめてもの罪滅ぼし、なのかもしれないね」


 自嘲的に呟いた途端、サンティーノの首筋にレギオンの牙が激しく突きたてられた。


 サンティーノは悲鳴をあげ、反射的にレギオンの胸を押し返したが、レギオンはもう許してはくれなかった。更に強い力でサンティーノを腕の中に捕らえこみ、彼の喉を深く噛み裂き、傷口から溢れ出す血を夢中になって飲み込んでいる。


(やっぱり飢えていたんじゃないか)


 人間ならば最初の一噛みで絶命していたかもしれないヴァンパイアの死の接吻にもサンティーノはよく耐えた。


 それどころか、この濃密な触れ合いの中で、肉体の交わりにも似た快感と恍惚を覚えていた。


(レギオン、僕は君を愛している。だから、君にとめられても僕はついていくよ…君がミハイと一緒にスペインに行くというのなら僕も後を追って、そうして、君達の恋の行く末を見定めよう…)


 人間との恋など、所詮は叶わない夢だ。だが、レギオンはその夢を見たがっている。彼の目を覚ますことができないのなら、その夢に割り込んで一緒に行きつくところまで行ってやろうと、サンティーノは思っていた。


(レギオン、血が欲しいのなら、僕から奪えばいい…けれど、こんなことは、いつまでも続けられるものではない…でも、ひょっとしたら…レギオンがミハイにもう愛を感じなくなるまで、もしかしたら…ミハイの人間としての寿命が尽きるまで……ああ、何を馬鹿なことを…僕までもレギオンの夢に取り込まれかけているみたいだな)


 サンティーノはいつしか体の力を失い、気がつけば床に横たえられて、天井をぼんやりと見ていた。レギオンが起き上がって、サンティーノの顔を見下ろす。


「レギオン…」


 サンティーノが朦朧としながら呼びかけると、レギオンは血に濡れた唇を舐め、にっと笑った。そうして、再びサンティーノの上に身を沈める。


「ちょっ…ちょっと待て…レギオン、僕は、もう…」


 相当血を吸い取られていたサンティーノはもう降参したかったが、レギオンはまだ満足していなかった。再び彼の牙が食い込むのに、サンティーノは弱々しく喘ぎ、突き上げてくる快感の中、頭が弾け飛ぶのを意識した。


(ああ、こんなことなら…日頃からもっとちゃんと血を取っておけばよかったな)


 レギオンの貪欲さには、サンティーノも最後まで持ちこたえられなかった。


 大体サンティーノは、この頃レギオンのことにかまけてまともな狩りはしていなかったため、ただでさえ貧血気味だったのだ。


 どうやら途中で目を回したらしい、気がつくとサンティーノはレギオンの寝台に寝かせられていた。


「ごめんよ、サンティーノ…大丈夫か…?」


 傍らについていたレギオンがサンティーノの髪を指ですきながら囁きかけた。


「レギオン…君は…欲張りすぎだよ…」


 サンティーノは重たい瞼を上げて、己を覗き込むレギオンをはっきりと見た。


「私の血を飲むかい?」


 心配そうに言うレギオンにサンティーノは苦笑した。


「そういうことは…恋人同士しか…しちゃいけないんだ」


 血を飲めば、相手のことが分かってしまう。レギオンが自分をどう思っているかなど、サンティーノは知りたくなかった。


「本当に、いいよ。血は飲んだ方がいいのだろうけれど、それは僕がまた自分で何とかするから」


「何とかって…」


レギオンはもどかしげに唇を噛んだ。


「そんなことよりも、レギオン、僕をここにしばらく置いてくれないか」


「ここに?」


「僕はもう宮廷には戻りたくない。というよりも、君の傍から離れたくないんだ。もう、あんなふうに一人、悶々と悩みながら毎日を過ごしたくはない。君の邪魔はしないようにおとなしくするよ。君の家に住まわせてもらえないなら、この近くに下宿できる宿屋でも探すけれど…駄目かな…?」


 力なく寝台に横たわりながら、潤んだ目をして熱っぽく訴えるサンティーノに、レギオンはしばし迷うよう口を閉ざしていたが、やがて降参したように手を上げた。


「そんなふうに頼まれたら、嫌とは言えないな。全く…君には負けたよ、サンティーノ」


 レギオンは優しく笑って、サンティーノの頭をいたわるように撫でた。


「でも、さっきのように私を挑発するのはもうやめてくれよ。でないと、きっと私はまた抑えがきかなくなって、君がからからに干からびるまで飲んでしまう」


「僕の血は…悪くなかった…?」


「ああ」


 レギオンはサンティーノをしげしげと見つめた後、特別な人に対するような優しく親密な声音で言った。


「熟してたっぷり蜜の入った林檎のように甘かったよ」


 サンティーノは目を閉じた。血を失った体は冷えているはずなのに、不思議なことに頬が火照っている。


「疲れたのかい?」


「うん。少し眠るよ」


「ああ、そうしたらいい」


 レギオンはサンティーノの頬を掌でそっと包み込んだ。サンティーノの血を取り込んで、彼の体は燃えるように熱くなっている。


(レギオン、レギオン、僕は君を愛している)


 レギオンに取り込まれた、彼の一部となった自らの血の声をサンティーノは聞いたような気がした。


「おやすみ、サンティーノ」


 サンティーノが眠りに滑り落ちていくのを確認して、レギオンは寝室を出て行った。


(ああ、僕は…我ながらなんて馬鹿なことをしたんだろう)


うとうとしながら、サンティーノは己の大胆な行動を振り返り、いきなり慄いたようにそんなことを呟いた。


 すると、誰かがなだめるようにサンティーノの頭を撫でた。レギオンではない。


 薄っすらと目を開けたサンティーノは、その途端、ああ、これは夢だと思った。


(馬鹿なことではないわ、サンティーノ)


 サンティーノの視線の先に、夜の闇が漂い始めた寝室の中、ほの白く輝くような美しい女性が佇んでいた。女神ブリジット。


(ブリジット様…思わずかっとなって、僕はレギオンに迫って血を飲ませてしまったけれど…あんなことをして本当によかったんでしょうか…そりゃ、僕の気持ちは、ああなればレギオンも嫌でも分かったでしょうけれど…)


 するとブリジットは唇に指を押し当てる仕草をして、しようもない繰り言を続けようとするサンティーノを優しく制した。


(あら、サンティーノ、あなたにしては上出来だったと思うわよ)


 ブリジットの慈しみのこもった穏やかな笑顔を見ていると、サンティーノの胸にわだかまる不安も迷いもいつしか消えていった。


 サンティーノは母親に見守られている子供のようにすっかり安心し、微笑をうかべながら、再び目を閉じた。


 確かに、レギオンに思いのたけを伝えただけでも、サンティーノの胸のつかえは随分下りたようだ。


(レギオン、僕は君を愛している)


瞼の裏に鮮やかに浮かび上がる愛しい人の面影に向かって、サンティーノは久しぶりに晴れ晴れとした気分で囁きかけた。


(今は他の人を愛している君も、いつかは僕を振り返ってくれるかもしれない。未来がどうなるかは分からないけれど、でも、僕達には幾らでも時間がある。レギオン、君のためなら、僕はきっと…永遠にでも待てるよ)


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