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作者: 北 教之

・・・自分は、なんで、こんなことになっちゃったんでしょう?


・・・でも、先生、ありがとうございました。

先週、先生が話聞いてくれて、それで、急に目が覚めたっていうか。

やっと、普通の世界に、戻れたような。

でも・・・

逆に・・・怖くて・・・


自分でも勉強しました。

女房に頼んで、本買ってもらって、差し入れてもらったんです。

解離性同一性障害とか、統合失調症とか、色々、自分でも調べました。

自分のケースはどれにあてはまるのかって。


でも、自分みたいなケースにぴったり当てはまるのは見つけられなかったですね。

この手の学術書って、ちょっと時代が古いんでしょうか。

自分のケースみたいな、ツイッターだのFACEBOOKだの、そんな最近のもの、本の中では、あんまり取り上げられてなくて。

でも先生のおっしゃった、統合失調症の自己モニタリング機能の低下ってのは、確かに一番しっくりきました。

思考奪取っていうやつですね。自分の考えが他人に奪われてしまうっていう。

解離性障害とか、離人症とかとはちょっと違うような・・・そんな気はしました。

でもいずれにせよ、自分の心の問題だったんだって。

先生に言われて、やっと気づいたんです。

あの人は何も悪いことしてなかったのに。

でももう、遅いですよね。

やっちまったことは、取り返せないから。


それに、逆に、怖いんです。

自分の心の問題って、ちゃんと治るんですかね。

また自分の中に、変なものが入り込んできて、

また悪さするとか、ないですかね。


最初は、本当に、ものすごく、些細なことだったんですよ。

笑っちゃうような些細なことで。

でも、だから余計に怖いんです。

今も、気づかないうちに、そんな些細な所から、自分が壊れ始めるんじゃないかなって。


・・・たったの、一文字だったんですよ。

たったの一文字。

ただしいっていう字。正誤表とか、正義の、正。


ツイッターでしたね。いつもツイッターでした。他にもSNSはやってるんだけど、それが起こるのはいつもツイッターでしたね。

なんでかって、なんとなく、理由も分かるんです。

ツイッターだけは、自分、匿名でやってたんですよ。

家族にも内緒でした。


自分の好きなアイドルグループのことをつぶやくために作ったアカウントで。

こんないいオッサンが、10代の女の子のグループに夢中になって、

あの子がいいとかなんとか呟いているの、家族にも誰にも知られたくないじゃないですか。

だからこっそりアカウント作って、呟いてたんです。

言ってみれば、自分が、いつもの自分とは違う自分になれる、特別な空間でしたね。

・・・そう、そういう空間だったから余計に、自分の中で、うまくバランスが取れなくなっちゃったのかもしれないなぁ。


投稿の中に、制服、って書いたんですよ。

よく覚えてます。初めて、それが起きた時。

そのアイドルグループがステージ衣装で、学校の制服みたいなデザインのを着てたんで、そのことをつぶやいた投稿でした。

その、制服の、制の字が、正しいっていう字になってたんです。


笑っちゃうでしょ。私も一瞬、気づいた時は噴き出しました。なんて変な投稿しちゃったんだろうって。

でもその直後に、ぞっとしたんです。

だって、誰が、制服の制を、正しいって字に間違えますか?


手書きの投稿ならともかく、スマホからの投稿ですよ。

いわゆる誤変換の投稿って一杯あるけど、せいふくって入力して変換して、正しい服、なんて変換されるはずないじゃないですか。


これって、何かのいたずらじゃないかって、すぐ思いました。

誰かが、俺のアカウントを乗っ取って、なりすまして、ツイッターの文章をいじったんじゃないかって。

でも、すぐ気づいたんです。ありえないだろって。

意味ないですよね。そんな馬鹿なことしたって。

そもそもツイッターって、呟きを削除はできるけど、編集はできないから。

アカウントになりすまして、文章を一回削除して、わざわざ一文字だけ変更して再投稿する。

そんな手の込んだいたずらするやついるわけないですよね。


だから、一瞬ちょっと気持ち悪かったけど、自分が何かしら入力ミスしたんだろうって思うことにしたんです。

せいふく、っていうのを、せい、って入れて変換して、ふくって入れて変換して、それで誤変換に気づかなかったんだろうなって。

あんまり考えにくいけど、でも、ないわけじゃない。


それに、先週先生に言われて気づいたんです。

その誤字に気が付いたっていうか・・・誤字だって思った日って、仕事が無茶苦茶大変でね。

気づいたのも、終電近い電車の中でした。

取引先の無茶な要求にどうやって答えればいいか、帰りの電車の中もずっと考えてた。

相当気持ち追い込まれてましたね。半分パニックっていうか。


そういう精神状態が見せた、一種の幻覚、というか、まさに、自分っていうパーソナリティを維持する力が弱っていた、というか。

そういう時間だったんだなって思います。

そこに、あの文字が入り込んできた。

ただす・・・って、なんかやな言葉ですよね。なんか間違ってるのを正す。


先生のおっしゃる通り、翌日見たら、その投稿の文字が、ちゃんと制服って字に直ってました。

ホントに、その電車の中の一瞬の出来事だったんです。

ただ、あの時、背筋を冷たいものがぞっと走ったの、忘れません。

ほんとに、怖かったですよ。

自分が自分でいられる場所に、何か、知らない悪意が手を突っ込んできたみたいで。


だからね、二回目があった時に、すっかり思いこんじゃったんだよね。

自分じゃない、確かに誰かが、意図を持って、この手の込んだいたずらを仕掛けてきてるって。


二回目はね、声援っていう言葉だったです。

そう。声っていう字が、正しいっていう字になってた。


あり得ないよね。変換ミスのはずないよね。せいえんって、スマホで入れてみてくださいよ。正しいなんて文字、正しい円っていう「せいえん」くらいしか出てこないですよ。そんなの出てきたら気が付くにきまってる。その場で訂正するにきまってるじゃないですか。


そこで、自分の心を疑えばよかったんだよね。おかしいのは自分じゃないかって。

でも、逆に思い込んじゃった。確信しちゃった。

誰かが俺のアカウントを乗っ取ったって。

それでこの手の込んだいたずらをやってるんだって。


すぐに投稿削除しました。アカウントのID設定も変更しました。パスワードも変えた。

その作業しながらね、とにかく腹立ったんです。無茶苦茶腹立った。

こんな手の込んだ、タチの悪いいたずら仕掛けてくるって、こいつ、何考えてるんだって。


まずは、知り合いかなって思いました。会社の同僚とか、色々顔を思い浮かべながら、あいつかな、こいつかなって。

でもむしろありうるとしたら、ツイッターのフォロアーとか同じコミュニティの中にいる連中かもって思いましたね。

とにかく、自分の精神疾患だなんて全く思ってないから、誰かを疑うわけですよ。


ツイッターのフォロワーだとしたら厄介だなあって思いました。

当時で、フォロワーがもう500人くらいいたんです。結構熱心に投稿してたから、面白がってフォローしてくれる人多くて。

でもね、一人として顔も名前も知らないんですよ。自分、オフ会とか全然興味なくて、そのアイドルの現場でも他のファンとは殆ど交流なかったんです。

リアルでは全然接触なくて、純粋にバーチャルなネット空間だけでのお付き合い。

そういう付き合いだと、匿名だから、変な悪意とか、理由の分からない嫌悪とか、出てくるんですよ。

別に普通のコメントしたのに、勝手に一方的に削除されたりね。

何が気に入らないのか分からないけど、妙に突っかかってくる人がいたり。

炎上、まではいかなかったですけど、不愉快なことも時々ありました。


でもね、そんなことは滅多になかったし。

やっぱり大事な場所だったんですよ。自分にとってはすごく。

リアルな世界に不満がいっぱいあったわけでもないですよ。確かに、仕事はきつかったし、取引先にはかなりいじめ抜かれてたけど。

家族仲だってそんなに悪くはなかった。子供は可愛いし。まぁ子育て鬱陶しいことも勿論あるけど、でも普通の幸せな四人家族です。

ただねぇ、普通だったね。本当に。普通の人生。普通過ぎる人生。


若い頃からそんなに、趣味って言えるほどの趣味もなかったんですよ。ちょっと音楽好きで、バンドやったりしたこともあったけど、今はすっかりギターも触ってなくてね。

だから余計にね、自分、何のために生きてるんだろうって、ふっと思う瞬間あって。

そんな時にね、そのアイドルグループに出会ったんですよ。偶然。

キラッキラしててね。一瞬で落ちたんです。沼に。


コンサートとかアルバムの感想とか、大好きな推しのことを呟いてね。

同じアイドル推してる人からリプもらったり、フォローされたり、情報交換したり。

楽しい場所だった。本当に、大事な場所だった。

だから本当に、腹立ったし、悲しかったんですよ。

自分の宝物に落書きされたみたいなさ。


二回目の後は、ちょっと間が空きましたね。1か月近く、何事もなかった。

パスワード変えたおかげだって、当時は思ってましたけど、今思うと、仕事も落ち着いてたんですよ。

二回目の時はすごくしんどかった。大きなプロジェクトの契約締結直前でね。一か月の残業は100時間は確実に超えてた。

その山も越えて、だいぶ楽な期間が続いたんです。


三回目、最後の時の前後は、確かに、ほとんどパニック状態でしたね。

仕事じゃなかったです。親が要介護になっちゃって。

介護施設の手配だなんだ、かなりストレスためたんですよ。

仕事はそれなりに落ち着いてたとはいえ、そんなに休むわけにもいかないし。

そうすると女房に負担がかかるから、家庭がすごくギスギスするんですよね。

アイドルの現場にもなかなか足を運べなくなって、そうなると本当に、ツイッターが唯一の逃避場所だったんですよ。

三回目が起こった頃は、本当に、心身ともにへとへとでした。


その日ね。三回目。

自分の投稿の中の「せい」っていう音の漢字が、全部、「正しい」って字になってました。

叫びましたよ。絶叫です。

部屋の外にいた家族がびっくりして飛んできたくらい。

「誰かに殺されたのかって思った」って言われましたけどね。

本当に、ぐさっと背中刺されたみたいな気分でしたね。怖くて怖くて。


生徒の生の字も、性格の性の字も、精神の精の字も、全部「正しい」になってました。

それも、その日の投稿だけじゃない。自分の過去の投稿全部です。

性欲の性の字までが、正しいになってるの見つけてもう絶望しながら笑っちゃった。


無理だって思いましたね。親の介護問題で追い詰められていたのもあるけど。

このアカウントはもう維持できない。この執拗な、意味のない、目的も定かじゃない悪意に対抗できる気力はない。

本当に悲しかったです。なんでこんなひどいことするんだろうって。

アカウントを完全に削除しながら、泣きました。


確かに、そんなアカウントなくても生きていけるわけですよ。

仕事に支障があるわけでもない。それで何かお金を稼いでいるわけでもない。

でも、大事な場所だったんです。自分にとっては、本当に、大事な場所だった。


その時ちょっと考えればよかったんですよね。

ツイッターの投稿を削除して、変更して再投稿しているなら、過去の日付で投稿されるはずないんです。

昔についたいいねとかコメントもそのままのはずない。

そこで、何かおかしいって気づけばよかったんです。

でも、もう完全に思い込んでしまった。誰かの悪意を。


あの人が会社に来たのは、その翌日だったんですよ。

偶然ですよね。

でも、神様って、なんてひどい偶然を用意するんですかね。

何かやっぱり、自分を陥れようとする悪意がこの世にあったんじゃないかって、思っちゃうんですよ。

ネットの中とか、そういう場所に、何かそういう悪意の主が潜んでいて、獲物を狙っていたんじゃないかって。


井上正さん、でしたよね。あの方の名前。

名刺もらった時に、背筋凍りました。


取引先の課長さんでしたね。

後から聞けば、うちの会社のことすごく気に入ってくれて、上司とかがいろいろ無理なことを下請けに押し付けようとするたびに、うちの会社を守るために、窓口の担当者をいろいろサポートしてくれた方だったって。

なんであんなことしちゃったのか、本当に、自分が信じられない。


打ち合わせの席上で、出席者が何喋ってたか、全然覚えてません。

ただ、正さんを見てました。

ただ、正さんが、こっちをちらちら見てる視線ばっかり気になりました。

こいつは私を見に来たんだって思いました。

唇の端に浮かんだ微笑みが、私を嘲笑ってるように見えた。

俺のいたずらに負けて、アカウント閉鎖しちゃいましたねって。

あなたの大事な場所、ぐちゃぐちゃにしてやりましたよって。

あなたの泣き顔みたいなぁって。


自分が何をどうやったのか、全然覚えてません。

全部後から聞きました。

会議の途中で急に立ち上がって、井上さんに、アイドルグループお好きですかって、突然聞いたってのも、

井上さんが、大好きですって、ちょっと面食らいながら笑顔で答えたってのも、

その答え聞いた途端、私が奇声あげて、手に持ったパソコンで井上さんの頭ぶん殴ったってのも、

全部後から聞きました。

全然覚えてません。


井上さんにも聞いてくださったんですよね。

ツイッターどころか、家にご自分のパソコンも持ってない、携帯もガラケー使ってるような方だったって。

ツイッター乗っ取るなんてことできる人じゃないって。

井上さん、命に別状なくてよかった。


自分、どうなるんですかね。

心神耗弱だったって、鑑定結果出て無罪になっても、もう仕事は続けられないだろうな。

家族のことも、どうすればいいのか。

親はね、なんとか、介護施設に入れたんですけどね。

母の方です。要介護になったのは。

父が結構参っててね。老々介護だから。


親も、家族も、みんな自分を頼ってるんです。自分が大黒柱なのに。

なんでこんなことになっちゃったんだか。

先生に、あなたの心の問題だって言われても、まだどこかで、ちょっと考えちゃうんですよ。

井上さんじゃない、誰かが、ネットの中に潜んでいて、私をこんなところに追い詰めたんじゃないか。

何か、ひょっとしたら、人ですらないものが、私みたいな獲物を、今日も探してるんじゃないかって。


先生。

さっき、先生、そのスマホで、うちの女房から受け取ったメール、見せてくださいましたよね。

あれ、もう一回見せてくれませんか?


・・・メールの冒頭のこの字、なんていう字に見えます?

先生の、「生」の字。

ねぇ先生、何ていう字に見えます?


先生。

・・・なんで黙ってるんですか?


(了)


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