しゃべり猫
心理面への傾きが激しく、ストーリー性には欠けます。ご了承下さい。
ほのぼのとした暇つぶしになれば幸いです。
「ああ、別れたんだ、あの男。まあパッとしない男だったんもんな――」
彼はステレオの上で前足をなめながら、そうつぶやいた。
「そのパッとしない男と2年も付き合って、浮気されて振られた」
私は鏡に映った自分の顔をじっと見つめたまま呟いた。
後ろの方に大きな黒い毛玉が映っている。年々体の縞柄が消え、もはや黒猫である。
「振られたのか!?
おまえ俺の倍以上も生きてんのに全然駄目だな」
彼は私が恋人を振ったものと思っていたらしく、前足をなめるのを中断してこちらを凝視した。
彼のエメラルドグリーンの眼には、浮気をされてまで2年の時を費やす価値のある男には見えなかったのだろう。
それが正解であった。
彼の透き通った瞳はいつも私には見えないものを見ている。
6年も一緒にいる飼い猫と、会話が成立していると気がついたのは一週間程前である。
彼は猫トイレの前で、新しく買い換えたトイレの砂の砂埃がひどいと文句を言っていた。
私は言葉が理解できることに少し驚いたが、物価が上がっている事や我が家の経済状況をまじえて説教をしてやった。
一応夕食の時に、猫トイレの砂を前の種類に戻すことを母に提案してみたが、案の定父の定年による経済難を理由に却下された。これ以上の要求は自分の財布の中身を直撃しかねないとみて、私は大人しく引き下がった。
そう、結局はこうなのだ。私一人猫一匹、言葉が通じてもこの程度である。何も状況は変わらない。
だからといって、もし彼が人間の言葉で直接母に訴える事ができたとしても結果は同じであったに違いない。
お互い相手の力の無さを実感した瞬間であった。
あれから一週間。私は猫の世界に興味がわくどころか、今までしてきた飼い猫の前での傍若無人ぶりをひたすら恥じていた。
幸い彼は元々口数の多い方では無いため、何かを要求する時以外は特に話すことは無く、私の今ままでの恥ずかしい行為に対するコメントも口にすることは無かった。
私は自分から言い出して飼った猫でありながら、家族で一番世話をせず、薄情ながらそれは彼と会話ができるようになっても変わらなかった。
彼も私と会話できると分かっても、怒れば容赦なく私の足に噛みつくし、私の鞄で獣医に褒められた自慢の爪を研いだりする。
お互い今までと変わらず自分の生活をおくった。
しかし今日は仕事から帰るなり、着替えもせず机に座ったまま動かない私を見てさすがに心配になったらしい。
「何かあった?」
珍しく向こうから話かけてきた。
彼とプライベートの話をするのは初めてだった。
話しているうちに鏡の中の自分の目が真っ赤になっている事に気がついた。
急いで鏡を閉じて、机に頭をつけて顔を隠した。何だか兄弟に涙を見られるようで、彼に見られるのは恥ずかしかった。
悲しかったのでは無い。情けなかったのである。
悔やむべきはあの男では無く、あの男に惹かれた自分自身である。
25歳にもなると、失敗した原因を求めもしないのに冷静に判断してしまう。
しばらくして、ふわりと温かい毛が頬のすぐ横にあることに気づいた。
いつの間に横に来たのか。さすが猫である。
彼が隣にいるだけで空気が温かかった。
「ありがとう」
私は顔を伏せたまま、初めて彼にこの言葉を言った。
言った途端に眼の周りが余計に熱くなるのを感じた。
思えばずっと昔からこうであった。私が一人で泣いている時、彼は必ず何も言わずに隣にいる。
お互い干渉しない間柄の飼い猫は、2年連れ添った彼氏よりも必要な時に隣にいてくれる。
会話できる今も、彼は何も言わずに変わらず隣にいた。
「ねえ。魔法とか知らない? 猫が人間になれるような……人間が猫になるのでもいい。
そしたら私と付き合えるでしょ?」
かすれた声で呟いたが、すぐにバカらしくなった。25歳にもなって魔法とは……。
でも彼が恋人であったらと、本当に今は一瞬そう思った。
急に頭を上げた私に、彼は薄暗い室内でただでさえ丸い瞳を更に丸くして驚いた。
それからしばらく静かな時間が流れた後、彼はため息をつきながら前足を折り曲げてその場に座り込んだ。猫もため息をつくんだ。
「いつも眼に見えるかたちにこだわり過ぎなんだよ……。
会話できても変わんないんだ。猫というかたちを変えても何にも変わんないよ」
またしばらく静かな時間が流れた。
彼はいつでも正しい。
彼が人間になっても、私が猫になっても二人の関係は何も変わらない。
私自身が変わるわけではないのだから。またパッとしない男に惹かれるのだろう。
眼に見えない私自信の何かを変えなくては……。
私はもう泣くのを隠す事もせず、涙は頬をつたって机の上に静かに落ちた。
「でも俺もし人間になっても、男の写真に一人で話しかけてキスしてる様な女は嫌だな。なんか見てて痛いし」
寝ているふりをしていたのは分かっていたが、いざ口に出されると自分の恥ずかしい行動に顔が熱くなる。
がっつり尻尾をつかんでやろうとした瞬間。彼のほうが一瞬早く何かに反応して立ち上がった。
そして私の左手を、全ての足で踏んづけて、眼を細め鼻をくんくんさせて部屋を出て行った。
そういや夕食は鮭のホイル焼きだって言ってたな。
遠くで階段を急いで駆け下りる小さな足音と、猫の鳴き声がした。
読んで頂いてありがどうございます。
初めて小説を書き始めた時の作品です。
読み返してみると恥ずかしいですね。
書いていた時の気持ちを尊重して大きな手直しは行っておりません。文章力の無さやストーリー性の無さはご容赦を。まあこれは今もですが……。
何分間かでも、ほのぼのとした時間を過ごして頂ければ作者としては感慨無量でございます。