序 鮮血の紅炎女王
風光る春。睹河原、絳玉玉華宮にて。
柔らかな陽光に、小鳥は舞い踊る。木々の梢揺らめき、百花謳う春において、一際輝く者がいた。
紅に色づく牡丹や芙蓉よりもなお紅い、炎の如き灼熱の輝きを纏う娘こそ、戦乱の睹河原を統一し、紅炎国を成立させし者「鮮血の紅炎女王」。
柘榴赤の裙に紅赤の襦。頭頂で結い上げ、宝玉の冠と花の金釵、鈴を連ねた歩搖で飾った艶やかな黒髪を風に遊ばせ、凛と歩く彼女を周囲に侍る人々は畏れをもって見つめる。
彼女は血の覇王。弱冠十九歳にしてその両手は数多の血に汚れ、その性格は怜悧且つ苛烈。刃向かう者は情け容赦一切なく切り捨てるという。
『女王に人心非ず。龍の如き紅蓮の威光と、氷の心で天下を治めたり』
女王に人の心はない。彼女の業績の数々から、そう揶揄する者も多かった。
――だが、それを間違いと知る者が一人だけいる。
玉座に座す女王の背後に侍る、一人の男。畏れ慄く臣下と民衆の中で、彼だけが女王に慈愛と労りの視線を向ける。
何故なら男は知っていたからだ。彼だけが、女王の真の姿を知り、必ず忘れないと誓ったのだから。
片目を眼帯で隠した男は、口の中だけで囁く。
「貴女がどんなに隠そうと、俺だけは必ず本当の貴女を見つけて見せますよ、水月様」
嘆きを払い国を纏めるという偉業を成し得ながら、その手段の苛烈さのみがより広く後世に伝えられる女王。
歴史の裏で、彼女は何を思っていたのか。侍る男ひとりが心に秘めた真実とは、一体何だったのであろうか。
これは、「鮮血の紅炎女王」として長く畏れられた少女の、夢と願いの物語。
*
“睹河は龍の地。天より炎纏う龍降りし地。
業火により土地を荒らす龍を、一人の娘が月を弓とし射止めた。
娘が琴を奏でると、その音色は流水の如く涼やかに響き、暴れる龍をたちまち鎮めた。
龍はその強い力でもって、睹河を守る神龍となった。
娘は神々に祝福されて先見の力を得、龍と共に睹河の安寧を支えた。
それから何年か、幾度月の舟が空を渡ろうとも。
睹河は龍の地。龍と月巫女の力、衰えることを知らず。“
(作者不詳。水鏡宮大鏡の碑文より訳した上で引用)