**06**
*******
ーー眠っている時は夢をみるものだよ、アリスーー
チェシャ猫の声がぼんやりと響く。
だんだんと四肢が重くなる。
沈むように、ゆっくりとまどろみに襲われていく。
ーーああ、これは……おそらく夢だーー。
ふわふわと定まらない体の感覚。
自分の手足がまるで他人のもののようで自由にならない。
聞こえてくる音のすべてが何かを通しているようにどこか遠い。
不意に見つけた目の前の人。……何か言っている……。
口が動いているのはわかるけれど、声は聞こえない。
ーー泣いて、いるの?
顔はほとんど靄で見えないのに、どうしてかそう思った。
手を伸ばしたい、そう思ったけど体は動かない。
目の前の誰かはじっと私を見ている。
手が伸ばされ、長い指が私の唇をなぞると……やがてそっと唇が重ねられたーーーー。
「ーーーーーっ!?」
……体が動く。飛び起きると、そこはいつもの部屋だった。
窓から眩しい光が差し込んでいる。
カーテンを開けると清々しい朝の光が目一杯飛び込んできた。
……朝?
私、いつの間に眠ったんだろう……。
昨晩の眠る前の記憶がひどく曖昧だった。
しかし、見おろすとしっかり寝衣を着ている。
「……寝惚けてるのかな……」
どうにもはっきりしない頭を傾げ、夢を反芻する。
途端、夢の内容に恥ずかしくなり、赤面し突っ伏した。
ただの夢ってわかってはいるけれど、いや、夢だからこそ?
とてつもなく恥ずかしい。何ていう夢を見てるんだ、私。
ぶんぶんと首を振ると、コンコンとノックの音がして顔をあげる。
「ハッター先生!?」
何故か部屋の内側からノックしているハッター先生が訝しげな顔をして立っていた。
「な、なんで入った後でノック……!?」
「何度も呼んでいたんだが?返事をしなかったのが悪いんだろう」
「っ……」
確かにそれなら気づかなかった私にも非はある。というか、家主はハッター先生なのだし、私にもというより私に非があるのか……。
「入ったら入ったで君は一人劇場を繰り広げているし声をかけていいものか迷ったんでとりあえずノックしてみたんだが?」
「うっ……」
恥ずかしさに返す言葉も出ない。
ハッター先生はベッドに腰掛け、私の額に手を当てる。
「顔が赤いようだが……熱はないようだな?」
「な、な、ない!うん、ないわ!すっごく元気、大丈夫!」
その長い指にさっきの夢が思い出され挙動不審にまくし立てる。
ハッター先生はゆっくりと手をおろしじっと私を見る。怪訝な顔をしたもののそれ以上は何も言わなかった。
「……まあ、元気そうならそれでいい」
ハッター先生はそう言って部屋を後にした。
姿が見えなくなって、私は盛大に息をつく。ほんと、これじゃ一人劇場だ。……何やってるんだ。
変な夢のせいか、どうにも調子が出ない。とりあえず外の空気でも吸って気分転換しようと、外に出る。
……ハッター先生は自分も着いて行くと言ったが、一人の方が落ち着きそうだったので断った。
だいぶ不本意そうだったが最終的には何とか渋々納得してくれた。
思うに、みんな過保護過ぎないかしら。
ぶらぶら街の雑踏を歩く。
賑やかな街の人たちの声が何だか今は心地よかった。
通りの店を眺めながら歩いていると、ふと何となく視線を感じた気がした。
「……?」
しかし、振り返ってみるも誰もいない。
周りを見渡してみても私と視線の合う人はいない。
……気のせい?
そう思って再び歩き始めるとしばらくしてやっぱりまた視線を感じる。
二度目ともなると気のせいという気もしない。
足を止めて注意深く周りを見渡すと、隠れるように私を見ている人物がいた。
その人物は、私に見つかったことに気づいたようで慌てた気配を一瞬見せたがゆっくりとこちらへ近づいてくる。
ゆるくウェーブがかった黒髪をした紳士的な服装のその人は私より一回りほど年上の男性だった。
気の弱そうな下がり眉におずおずとした雰囲気、母性本能の強い人なら庇護欲を掻き立てられるとでもいう感じだろうか。
「あの……」
「……アリス、やっと見つけた……」
声を発したのは同時だった。
彼は、安堵したかのような表情で私の名前を口にする。
この人も私を知っている人?
「……あな、たは?」
だけど、何故だろう、胸がざわつく。
嫌な予感に似た重い何かが喉を通る。
出す声が掠れてしまう。
「僕はドードー。アリス、君をずっと探してた」
人の良さそうなドードーさんから伸ばされた長い指がどうしてか恐ろしく思えてしまって、反射的に私はそれを払ってしまった。
ドードーさんは理解できないといった表情をしながら、ややあって悲しげな顔になる。
「……あっ……ごめんなさい。私、あなたのことがわからなくて、あの……」
俯いたままの彼にちくりと罪悪感が生まれ、言い訳をする。
丸い眼鏡の奥の黒い瞳が泣きそうに揺れていた。
「……僕は……君に会うためにずっと……なのにどうして……」
ドードーさんはくぐもった声で呟く。
ゆらりと近づいてきて、どくんと心臓が一際大きく波打った。
「ご、ごめんなさい、急いでるから……!」
私はそうまくし立てて体を翻す。
とにかくこの場を離れたい、その一心だった。
人波を掻き分け、ぶつかりながらもつれる足を必死に動かして走る。
後ろを振り返ってはいけない、まるで強迫観念のような意識に襲われながらただ走った。