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「十秒の遅刻です」
真っ白い部屋の中、私は真っ白い男に怒られていた。
白い肌に白い髪、医者ゆえの白衣とくれば彼、ウェント先生は比喩ではなく本当に上から下まで真っ白だ。
全身白尽くしだからこそか、唯一の白ではない、赤い双眸はとても目立っていた。
「何か言い訳はありますか?」
「…………いいえ」
十秒で遅刻と言われ説教されることに言いたいことは山ほどあるけれど、彼に言い返しても労力の無駄ということを短い期間で私は学んだ。
ウェント先生は待たされるのが大嫌い、だけど自分が出向く方だと時間の概念などないかのように大胆な遅刻をする。
理不尽だけど、言っても無駄なのでやめておく。
「何か言いたそうですが、まあいいでしょう。
アリス、何もあなたが憎くて言ってるわけじゃないんですよ?
あなたは記憶喪失でしかも倒れていたと聞いています。いつどんな不調が起きても不思議ではありません。
定期的に診なければ、何かあってからでは遅いんですよ。それなのに遅刻して……その十秒に何かあったらどうするんですか」
「はーい、以後気をつけまーす」
定型的な返事に、ウェント先生は不満顔を見せたがそれ以上何も言わなかった。
「最近何か変わったことは?」
「何もないわ」
「そうですか、それは何より。何か変わったことがあれば些細なことでもすぐ報告するんですよ。では、今日も同じ薬を渡しますから忘れずに飲むこと」
「はーい」
体調は何も悪くないのだけど、記憶喪失の関係だとか、脳内がどうとかこうとかでいつも同じ薬が渡される。
きれいなグラデーションをした夢の靄みたいな色の薬をもらってウェント先生の部屋をあとにした。
「アリス、帰るなら送りましょう」
「えっ、ううん、大丈夫よ。森を散歩しながらのんびり帰るつもりだし」
「森を?それでは迷ったら大変だ、送ります」
「いや、大丈夫……って」
人の話も聞かず、ウェント先生は私の手を取り歩き始めた。
迷ったら、って……もう17になる相手にする心配だろうか。
ウェント先生は何だか異常に……そう、過保護だ。
ぽかぽかと陽気の下、あたたかい森を歩く。
木漏れ日が気持ちいい。
「あっ」
「どうしました?」
「このキノコ、ハッター先生が欲しがってたやつだ」
粉にして材料にするのを何度か手伝ったことがある。最近残り少なくなってきたな、とぼやいていたのを思い出す。
「いくつか持って帰りたいから、ちょっと待ってて」
ウェント先生にそう告げて、生えている場所を点々とたどりたながら摘んでいく。
数本摘んだところで、手を休めると
「アリス」
と、どこからか不意に声が聞こえた。
ウェント先生のものではない。聞いたことのない声だった。
声の主を探そうと辺りを見回すと、少し先の木の陰に人影を見つける。
近づこうとした瞬間、ぱしりと手を取られた。
「どこに行くんです、アリス」
「ウェント先生……。あっちから誰か私を呼んでて……」
「誰もいませんよ。あちらは危険です。さ、こっちに」
確認もせずウェント先生は身を翻した。手を握られているので私もそうせざるを得ない。
気になって振り向きつつも遠ざかる。
……あれ……?誰もいない?
確かに誰かに呼ばれて、確かに誰かいたと思ったんだけどなあ。
にんまりと笑った誰かーー何故だかそんな気がした。