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アリス、と呼ばれた声で目を覚ます。
あたりを見回せば見慣れた仕事部屋の一角。
そして見慣れた顔が私を覗き込んでいた。
「ハッター先生?」
「こんなところで眠るほど疲れているなら、今日の仕事は休んでもいいぞ」
少しひんやりとしたハッター先生の手が額に添えられた。続いて長い指が私の髪を梳く。くすぐったさに焦ってしまう。
「う、ううん、大丈夫!ごめんなさい、なんだかうとうとしてしまって……」
「いいや、大丈夫じゃあない。そうだ、そんな時はお茶会がいい。お茶会を開こう。そうと決まれば早速ヘイヤとヤマネを呼んでこよう」
「いや、だから……」
止める暇もなくハッター先生は部屋を出て行った。
ハッター先生はこうと決めたら人の話を聞かない。
そして無類のお茶会好き。意味もなく脈絡もなくお茶会を開くのが趣味だ。
本業は研究者らしいけれど、手伝っている私も、実際彼が何を研究していて何を作っているのかよく知らない。
知らなくていいのか、という気もするけれど記憶喪失だった私を拾ってくれて住まわせてくれているここ以外行くあてもないので、気にしないことにしている。
不思議と、記憶がなくてもまったく焦る気持ちがわかないのは、ハッター先生始め、時々ハッター先生の助手兼しょっちゅうお茶会仲間のヘイヤとヤマネ、みんながちっとも気にしないからだろう。
私の記憶の最初はハッター先生との会話。
この家の前で倒れていた私を介抱してくれたらしい。
ハッター先生は、これまでの一切を忘れている私にこの家の部屋を提供してくれた。ただの居候はどうも落ち着かないと言うと、先生の手伝いという仕事をくれた。とても感謝している。
かろうじて、「アリス」という響きだけが脳裏にあり、私は「アリス」なのだろうということだけが、ハッター先生のところでお世話になる前の私の唯一の過去だ。
さて。お茶会をするなら準備が必要だろう、と思いどう準備するか悩む。
変人……いや、一風変わったハッター先生はその時の気分で紅茶の種類はもちろん、お茶菓子ーー菓子ではないこともよくあるーー、お茶会の場所を決める。
ティーポットとティーカップもその時の気分で決めるからそれぞれがばらばらの柄であることもよくある。
以前、気を利かせて準備をしたら気分の柄と違っていたのか、盛大にため息をつかれたことがあった。
差し障りなく準備ができるものはないか考えながらとりあえず散らかった机の上を片付けているうちに、ヘイヤの賑やかな声が聞こえてきた。
どうやらみんな揃ってしまったらしい。
「アリス!お茶会だぜ、お茶会!」
陽気な声でヘイヤが部屋に入ってくる。
明るい金髪によく似合う、よく言えば太陽のような笑顔、言い方を変えれば能天気な笑顔。
そのヘイヤに担がれてきたのは眠そうにして……いや、すでに肩の上で眠っている小柄な少年、ヤマネ。
彼はしょっちゅう眠い眠いと言い、ぱっちり目が開いたところなんて出会ってから一度も見たことがない。
彼らがハッター先生のお茶会仲間兼時々助手だ。
一体どういう縁なのかさっぱりわからない。気が合うのかどうかも側から見ればよくわからないほど、ばらばらのメンバーだ。
「おや、気が利くね、アリス。お茶会の準備をすすめていてくれたのか」
「えっ、とりあえずここを片付けようとしてただけなんだけど……」
「今日はこの作業机でお茶会をする気分だったんだ。さすが敏腕助手はわかっているじゃあないか」
「…………うん、そういうことにしておくわ。どういたしまして」
たまたま、気分と私のしていることが合致したらしくハッター先生はいたくご機嫌だ。
ご機嫌ならそれに便乗しておくのが無難だろう。
「アリス、アリス、この菓子うまいぜ!アリスも一口食ってみろよ」
「アリス、こちらの菓子もなかなか美味だぞ、ほら」
「アリス……僕のも、あげる……よ。……美味しい……たぶ……ん」
「こんなに食べれないわよ。あとヤマネは食べてもないでしょ、たぶんって何よ」
目の前にてんこ盛りにされるお茶菓子に困り果てながら温かい紅茶を飲む。
「そういえば、この前すっげえ美味い菓子を見つけたんだ、今度それ食いながらお茶会しようぜ!」
「ああ、最近研究材料が少なくなってきたんだ、ヤマネ、ヘイヤ、また仕入れをしてきてくれないか」
「今日……も、いい天気だか……ら……ねむい……」
噛み合わない会話、人の話を聞かず自分たちの言いたいことだけを言う不思議なお茶会。
賑やかだけど、うるさいとは思わないのは、私も慣れてきたということだろうか。
そして彼らはどこに意気投合して一緒にお茶会をしているんだろう、と毎回思う。
目の前で広げられる不思議なお茶会を眺めながら自然と笑みがこぼれた。
まあこれはこれで、楽しい日々だ。