**09**
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ここ数日、何となくハッター先生と顔を合わせ辛く何かと理由をつけて部屋に篭っていた。
どうせ一人で外には出してくれないだろうし、出たところで連れ戻される。
連れ戻される時に流れる空気を考えるとそれも気が重い。
だけどいい加減引きこもるのも精神的にしんどくなってきた。
そうしてため息をついた時、階下で扉の開く音が聞こえてきた。
「おーい、ハッター!」
続いてお茶会だー、と張り切った声が聞こえるや否や、やって来たヘイヤとヤマネを勝手に拘束し、今日はヘイヤ達と買い物に行ってくるから、と強引に家を抜け出した。
来た途端連れ出された挙句、ハッター先生の文句を背に浴びるという理不尽な目に遭う二人を、有無を言わさず引っ張っていく。
訳のわからない二人は……いや、一人はほぼ寝ているけれど、困惑顔。……当たり前だ。
「どうしたんだ、アリス?今日そんな約束してたっけ?」
真剣に思い出そうとしているヘイヤにごめんねと謝りながら、しかし訳を話そうにもうまく説明できる自信がなくなんとなく誤魔化してしまう。
「ま、いっか。どこ行くんだ?」
それでもヘイヤは持ち前の前向きさであっけらかんと気分を切り替えてくれた。
この、特に突っ込まずにいてくれるところがとてもありがたい。
「ええっと……特には決めてないんだけど」
「そっか。じゃあそのへんぶらぶらすっか。何か面白いもん見つかるかもしんねーしな」
この行き当たりばったりにさえ笑顔でいてくれる懐の広い彼に救われる。
つられて笑顔になりながら、久しぶりの気兼ねない外出に気分が軽くなるのを覚えた。
「そーいや最近アリスお茶会に来ねーよな」
「う、うーんと……タイミングが合わなくって」
「アリスと……おしゃべり、出来なくて……さみしかった、よ……」
ヤマネはお茶会に一緒にいても会話出来てたのか怪しいと思うんだけど。
「ねむくても……アリスとは……お話が、できる……」
思っていることを察したのか、ヤマネは絶妙な回答をした。
聞くに、どうやら彼は寝ながらもコミュニケーションを取れるという稀有な人物らしい。
まあ何にせよ、そう言ってくれるのは嬉しかった。
「ありがとう、ヤマネ」
「ふふ……ふ……」
目をつぶりながらも嬉しそうに笑うヤマネを見てほのぼのとする。
「また今度は一緒にお茶会しよーな!」
ヘイヤの誘いに、うん、と答えようとした時だった。
「ーーーーわっ、……!」
反対方向に歩いてきた人とぶつかる。
体勢を崩した直後、更に人波が正面からやって来て、あっという間に飲み込まれてしまった。
「ヘイ、ヤ……!」
手を伸ばすも届かずどんどん歩いていた方向と反対に流されてしまう。
な、何なのこれ……!
流されながら足がもつれ、やがてよろよろとふらつき尻もちをついた。
「い、ったぁ…………って……あれ……?」
一瞬目を閉じた後、再び目を開けるとそこは先ほど歩いていた大通りではなかった。
「……森……?」
辺りを見回すと目に入る鮮やかな緑たち、穏やかな木漏れ日、爽やかな木々の匂い。
だけど今はそれらに癒される事もなく、ただこの奇妙な現象に不安感が募る。
触れた草は少しひやりとして滑らかな感触。……本物、だよね。
戸惑っていると、不意に頭上から声が落ちてきた。
「やあ、久しぶり、アリス」
「……チェシャ猫……」
見上げると木の上ににんまり顔のチェシャ猫。
器用にするすると木を降りて目の前にやってくる。
笑っているのに、ヘイヤと違って少しも楽しくならない笑顔。
警戒しながら数歩下がるとその分距離を詰めてくる。
「最近はずーっとハッターさんが近くにいるからなかなか話が出来なくて寂しかったんだよ」
内容的には似たようなことを言っているが、ヤマネの時のように嬉しくはならない。
「また夢を見なくなったんだって?」
「どうして、そんなこと……」
「ダメだよ、言ったろ?眠っている時は夢をみるものだよ、って」
何故そんなに夢にこだわるんだろう。
どことなく気味悪さが押し寄せ、嫌な汗が伝う。
そんな私をよそにチェシャ猫は剽軽に、そういえば、と続けた。
「ドードーさんとはちゃんとお話できたかな?」
「あなたもドードーさんを知ってるの!?」
「もちろんさ。だってドードーさんとアリスの縁はとっても深いからね」
私の周りをくるくる回りながら瞳を覗き込んでくる。
しなやかな体躯で動きを搦めとるように私の周りを。
くるくる、くるくる……くる、くる……。
「あ、れ……?」
やがていつの間にか、回っているのは私の目の前だということに気づいた。
ぐにゃりと景色が揺れる。
空が落ちてくる。
全ての色が一つに混ざって混沌としていく。
「ドードーさんは君のいる世界なら必要な人。例え招かれていなくても。
……さあ、アリス。しっかり夢をたどっておいで」
溶けゆくようにチェシャ猫の声が耳に滑りこんでくるのと同時に意識が遠くなっていく。
「…………アリス……」
閉じる目が最後に映した黒い髪、優しい声……。
「……せん、せ……」