狐のお面
車両通行止めとなった大通りの両脇に、祭りの屋台が連なっている。
「もしかしたら、一雨来るかも知れないな・・・」
家を出た時は気付かなかったが、遠い上空には鼠色の雲が流れて来ていた。
雑踏の中をのろのろと歩いていると、「あ、今光った!あれ雷!」という声が背後から聞こえて、思わず空を見上げる。
暗雲は、さっきよりも近くなっていた。
どこからか、数字を数える子供達の声が聞こえる。
恐らく、雷との距離を測っているのだろう。
ごろごろ、と聞こえた途端に数える声が止まり、またしばらくすると数え出す。
遠くに雷光を見つけた時には、辺りはすっかり暗くなり、風も夏の夕暮れの生温いそれではなく、雨が降る直前の冷たいものに変わっていた。
三台の山車の引き合わせを遠巻きに眺めている今も、どんどん風が強くなっていく。
小太鼓の音が競い合うように激しさを増し、それに釣られるようにして雷鼓が近く大きくなる中、くるりと踵を返して今来た大通りを戻る。
これは間に合わないかも知れない、と思った時にはすでに遅く、ぽつり、と額に冷たいものが落ちてきた。
ぽつりぽつりと寂しげに降ってきた雨粒は、「走れば間に合うかも知れない」なんて甘い考えを無視して、あっと言う間に土砂降りへ変わった。
雨宿りをしようかと思った幾つかの場所には既に何人もの先客がいて、仕方なく左手を庇変わりにして早足で歩く。
不意に、道路の反対側を走っていた少年達の方から、べちゃり、と派手な音が聞こえた。
一人が尻餅をついている所を見ると、どうやら雨で滑ったらしい。
大丈夫か?という友人の声に、のろのろと起き上がろうとしている。
もしかしたら、反射的に庇おうとして手を痛めたのかも知れない。
しかし、それ程子供ではないのだから変にお節介をやく事もないだろうと、少年達をちらりと横目で見るだけにして、水滴が滴る前髪を鬱陶しく思いながら歩みを速める。
途中、ドラッグストアで傘を買おうかとも思ったが、既にずぶ濡れになっているので店内に入るのは気が引けたし、今更傘をさしたところで大差無いだろうと思って寄るのは止めた。
濡れ鼠になって帰宅すると、迷わず浴室へ行き、少し熱めのシャワーを浴びる。
水が滴る程重く濡れた髪にシャワーを当てると、不思議とそれが心地良いものに変わっていった。
「あー・・・さっぱりしたー・・・」
風呂上がりに空調の効いている部屋へ入ると、その涼しさに思わず溜め息が漏れる。
「うーん・・・地酒の屋台もあったし、一杯飲んでくるんだったかな・・・」
とは言うものの、今は酒を飲む気にはなれず、食べ損ねた焼きそばやらケバブやらに思いを馳せた。
「ドネルケバブって食べた事無いけど、やっぱり美味しそうだったな・・・」
肉好きとしては、やはり肉料理は食べておきたかった。
しかし、欲しかった狐のお面を買えたので良しとしよう。
お面屋で買い物をするなんて、もしかしたら初めてではないだろうか。
黒い狐のお面。
アニメキャラクターや特撮ヒーローのお面がずらりと並ぶ中、明らかに浮いていた幾つかの赤般若などの能面。
その中でも狐のお面だけは数種類あって、瞳を閉じているもの、目尻の辺りに花の模様が入っているもの、飾り気無しのシンプルなもの、そして黒狐。
本当は、以前の祭で見かけた違う屋台を探していたけれど、雨が降る事を予測してか、既に居なくなっていた。
仕方なくこの屋台を選んだのだが、まさか黒い狐のお面があるとは思わず、しばらく迷った後、当初買おうと思っていたオーソドックスな白い狐のお面ではなく、黒い狐のお面を購入した。
紙を張り合わせて作った伝統的なものではなく、薄っぺらいプラスチックで出来たお面だ。
ネットショップで買っても良かったが、値段的にはほぼ同額なので、ぼったくられた訳でもないし、この買い物には満足している。
が、いつか見た顔の上半分だけの狐のお面も欲しい。
別にお稲荷さんを信仰している訳では無く、単純に狐が好きなのだ。
出来るならペットとして飼育したい程に。
いつの間にか上空を通り過ぎていた雷雨に、黒狐の幻影を見る。
黒い天狐が空を駆け回り、飛び跳ねる度に雷を起こす幻を。
そっとお面を持ち上げ、どこに飾るか悩んだ。
そう言えば、古い鏡を掛けていたフックがまだ、ぽつんと壁に残っている。
あそこにしよう。
冷えた麦茶を一気飲みしてから、黒い狐のお面をそっと壁に掛ける。
とりあえず、ここに居て下さい。
そう心の中で呟いて、ゆっくりと手を放した。
このお面は、自分にとってのスレドニ・ヴァシュターなのだ。
神棚こそ無いものの、部屋に入れば必ず目に入るこの場所こそ、お狐様には相応しい。
一つ、ぱちんと手を合わせて、「よろしくお願いします」と小さく呟いた。




