同棲は突然始まった
健太はエリスをマイカーである軽自動車に乗せた。
助手席に座るエリスを横目で見ながら、健太は天使にしては服装がイメージとは違うなと思った。エリスは白いTシャツにジーンズというラフな格好であり、健太がイメージする天使とは違っていた。しかし、あえて尋ねる事ではないだろうと黙っていた。
「食べたい物とかある?」
運転しながら健太はエリスに尋ねた。財布には千円札が数枚と小銭しか入ってなかったから、あまり贅沢は出来ないが、普通に夕食を食べるなら大丈夫だろうと考えていた。
「何でもいいわよ。あなたの食べたい物を食べさせてくれる所でかまわないわ」
エリスはそう言ったのだが、健太は逆に困ってしまった。何でもいいと言われると、自分で何を食べるか決めなくてはならなくなってしまう。エリスの口に合わない物を食べに行く可能性もある。
(何を食べればいいんだろう?回転寿司とかだと、生の魚を食べられないと困るし)
健太はとりあえず車を走らせながら考えていた。
「私は好き嫌いは全然無いから、何でも食べられるの。だから、私に気を遣わずあなたが好きな物を選んでも大丈夫よ。生の魚も全然平気だから回転寿司でもいいわ」
エリスは健太の考えを読んで言った。
健太は考えが読まれてしまったのでちょっと焦ったが、すぐに気を取り直した。
「じゃあ、無難にファミレスでもいい?」
「もちろん!」
健太の言葉にエリスは笑顔でうなずきながら言った。やがて、二人を乗せた軽自動車はファミレスへ到着し、二人は店内へと入って行った。
「いらっしゃいませ、御二人様ですか?」
「はい」
「喫煙席と禁煙席がございますが、どちらになさいますか?」
「えーと…」
健太は普段はタバコを吸うのだが、エリスを連れているので、彼女がタバコの煙を嫌がるのではないかと考えていた。
「喫煙席で!」
健太が禁煙席と言おうとしたのだが、エリスが先に喫煙席を要求してしまった。
「では、こちらへどうぞ」
店員は店内の奥の方にある喫煙席へと二人を案内した。エリスは店員の後を追ってスタスタと歩いて行く。健太もエリスを追いかけるように喫煙席へと向かった。
そして、喫煙席の中にいくつか空いていたテーブルの中から、窓際にある一つのテーブルを選び二人向かい合わせに座った。
「君、タバコ吸うのかい?」
「私は吸わないけど、あなたは吸うんでしょ?私はタバコの煙は余裕で我慢出来るから大丈夫。私に気を遣い禁煙席にしようと考えていたけど、これから私達は当分一緒に暮らすんだから、小さな事でいちいち気を遣ってたら大変よ」
「君がいいと言うなら」
健太はとりあえず納得した。その様子を見たエリスは手を洗うと言ってお手洗いに立って行った。
(ん!待てよ。彼女、今の言葉の中でとんでもない事を言ってなかったか?)
健太は先ほどのエリスの言葉を頭の中で繰り返していた。エリスはタバコの煙は我慢出来る、これから当分一緒に暮らすのだから…
「一緒に暮らすだとぉ!」
健太は思わず大きな声を出してしまった。周りにいる客が何事かと健太の方を見ている。健太は気まずそうに「ゴホン」と咳払いをしてから、タバコをくわえて火を付けてからメニューを開いてページをめくっていった。
(これは彼女の話をちゃんと聞いとかないといけないな)
とにかく、エリスには詳しく事情を聞く必要があると健太は考えたが、まずは空腹を何とかしなければならない、まずは夕食に集中する事にした。
「お待たせ、何食べるか決まった?」
「あぁ、決まったよ。君もメニュー見て決めたら?」
エリスはメニューを見る事もなく、テーブルに置かれた店員呼び出しのボタンを押した。ほどなくして店員がやって来た。
「お待たせしました。ご注文をお伺いします」
店員の言葉を聞きながら、健太はエリスが何を食べるのだろうと考えていた。一方、エリスは手で「とうぞ」という合図をして、健太に先に注文させようとした。
「じゃあ、デミグラスソースのハンバーグのライスとスープのセットで、あとドリンクバーも」
「私も同じで」
健太の注文に、すかさずエリスも同じ物を注文した。タバコを吸いながら、先ほどの会話についてエリスにいつ尋ねようかタイミングを見計らっていたが、結局尋ねないまま注文したメニューが運ばれてきてしまい、食事を始める事になってしまった。
健太は食事をしながら、何か気の利いた会話でもしたかったのだが、何しろ女性と食事など一度もした事がない人間なので、何もお喋りが出来ないまま食事を終えてしまった。
「せっかく、ドリンクバーも注文したのだから、飲み物もどんどん飲まなくちゃ」
そう言ってエリスは飲み物のサーバーへと向かった。健太もそれに続く。
健太はコーラをエリスはオレンジジュースをサーバー注いで席に戻った。食事を終えてようやく落ち着いた健太は、ようやくエリスに先ほどの会話について尋ねる事にした。
「さっき君が言ってたけどさ、しばらく一緒に暮らすって、一体どういう事?」
「あぁ、あれね。私が天使だとは言ったわね?それで話は長くなるんだけどー」
エリスの話は本当に長くなって、途中で飲み物を何度かおかわりするほどの時間がかかった。
エリスが話した内容を要約すると、エリス自身は天上界に住む天使ではあるが、階級上は天使見習いである事、正式な天使になるには試験を受けその成績で正式な天使となってからのランクが決まる事、天使のランクは非常に多く試験の成績が悪いとかなり下のランクにされてしまい上位に昇級するのは時間がかかる事、試験は健太達が住む地上界に降りて行われる事であった。
健太はエリスが天使になるための試験を受けるために地上に居る事はわかった。だが、肝心な事がわからなかった。
「さっき、俺と一緒に暮らすとか言ってたけど…」
健太は思い切って尋ねた。
「試験を受けるにあたり、一人だけ地上人の手助けを受けてよいという事になってるの、試験は終わるまでかなり時間がかかるので、それまであなたの家に居させてほしいのよ」
健太はエリスの説明で、一緒に暮らすという意味はわかったが、それでもまだ疑問があった。
「その、試験のパートナーが何で俺なわけ?それに、試験の間はなぜうちに泊まるの?ホテルに泊まってもいいんじゃない?」
健太は一番理解出来ていない部分についてエリスに質問した。
「なぜ、パートナーがあなたかというと、後で詳しく説明するけど、私が受ける試験の内容から適任者を調べて、私自身があなたに決めたの。なぜ、ホテルに泊まらないかというと、私達天使は地上界のお金を持ってないからよ」
エリスは説明したが、健太は納得したような、納得出来ないような気持ちだった。そして、重大な事に気付いた。
「お金が無いと言ってたけど、君がこっちにいる間の生活費はどうするわけ?」
健太はエリスに尋ねながら、これは大変な事になるかもと考えていた。エリスは手に持ったジュースの入ったコップを置いた。
「それは、その…」
「つまり、俺が君の生活費を出せという事だよね?」
健太はわかりきった事をあえて尋ねた。
「言いにくいんだけど、そうしてもらえたら助かるわ。試験のパートナーとうまくやって行くのも、試験のうちなの。人心掌握も天使には必要だから」
エリスはわざとかどうかはわからないが、目をウルウルさせながら少しアゴを引いて上目使いになりながら言った。
(この子、天上界で萌え系アニメか何かで予習でもしてたのかな)
健太はウルウルした瞳の上目使いで見つめられると、エリスを拒絶出来るような人間ではなかった。
「ええ、そうなの。ヲタクは萌え系に弱いと天上界で勉強してたのよ」
エリスは健太の考えを読んで言った。健太は勝手にヲタク認定されて少し悔しかったが、実際に鉄ヲタなのだからしかたない。萌え系に弱いのも事実だ。
「まぁ、あんまり贅沢は出来ないけど、それでいいなら…」
健太はお金持ちではないが、乗り鉄以外にお金がかかる趣味もないし、お金に困るような事もなく、毎月大した額ではないが貯金も出来ていた。お金の心配より、ブロンド美少女と同棲出来るという事実が勝るのは、彼女のいない青年ならしかたない事だった。
まだまだ聞きたい事あるが、もうファミレスに来てから1時間半くらいたっていた。健太はスマホをポケットから出して時刻を確認した。時刻は21時30分を過ぎていた。
「贅沢とまではいかないけど、君と俺の二人が餓死しない程度には暮らせると思う。まぁ、何とかなるだろ」
「ありがと…正直、試験で一番困難なのは、試験のパートナーの人間とうまくやっていけるかなの…次いで試験中の活動資金かな。これが両方解決よ。やったぁ〜」
エリスは両手の拳を振り上げてガッツポーズしながら言った。
「ずいぶんと時間もたったし、家に帰ろっか?」
健太はスマホに表示された時刻を見ながら言って、スマホ画面をエリスに向けた。それを見たエリスはわかったという風にうなずいた。
「じゃあ、話の続きは帰りの車の中で…」
「わかったわ、じゃあ行きましょう」
健太とエリスは席を立ちレジに向かった。会計は2240円だったが、当然ながら健太が支払った。
二人はファミレスを後にして駐車場に向かい、食事中に駐車していた軽自動車に乗り込んだ。二人を乗せた軽自動車は健太の自宅マンションに向かって走り出した。
「天使になる試験って、何をするの?」
健太はエリスの話を聞いてわからなかった事を質問した。質問されたエリスは待ってましたとばかり話し出した。
「試験は日本全国47都道府県それぞれの県庁、都道府庁所在地のある都市の代表格の駅全てを鉄道で訪問し、訪れた証拠としてその駅の写真を撮っておく事なのよ」
「はぁ〜なんだよそれは?」
「だって、私の試験を担当する試験官の大天使さまが、かつて天使として日本で活動していた時に、鉄道にはまったからなのよ」
「それで、こんな酔狂な試験を思いついたのか…」
エリスは、更に、健太がパートナーとして選ばれたのは、天上界のデータベースの端末を使い『鉄ヲタ 乗り鉄』で検索したら上位に健太の名前が出て来たからであると健太に説明した。
「何だよそれ?天上界には俺達のプライバシーは筒抜けなのかよ」
健太は半ば呆れ気味に言った。ただ、エリスが検索してなぜ俺が上位でヒットしたのかはわからないが、データベースも罪な事をしてくれたものだ。
「データベースの検索結果の表示順はね、検索内容に近い順なのよ、そして、検索内容の近さが同じものが多数ある場合、その表示順はランダムなの。つまり、あなたが上位で表示されたのは偶然だから」
エリスは健太の考えている事を読んで言った。
「偶然か…これも縁ってやつかな」
「フフッ、上手い事言うわね」
健太の言葉にエリスは微笑む。
「それで、試験はいつまでに終わらせなければならないのかな?」
健太は更に尋ねた。
「見習い天使が正天使になるための試験中に地上に降りている間は、『仮天使』という免許が与えられるの。その免許期間が一年間だから、失効までに終わらせれば大丈夫よ。来年の今頃までは免許は有効だから」
エリスはカードケースに入ったIDカードのような物をポケットから取り出して健太に見せた。
カードには健太には読めないような文字で何かが書かれており、また、カードの左上の方にはエリスの顔写真が貼られていた。
「天上界の天使は免許がないと地上には降りられないの」
「そうなのか、つまり、今は仮免って事か」
「そうなるわね」
「まぁ、その仮免の期間があと一年くらいあるなら、全都道府県を回るのは楽勝だよ」
健太はホッとしたような表情で言った。これが一週間で全国を回れというなら大変だったのだが、一年間の時間があるなら、何回にも分けて旅をして全国を訪問すればよいからだ。
「しかし、大事な試験のはずなのに、都道府県庁所在地の主要駅を回るだけで合格ってのは簡単すぎないか?」
健太からすれば、鉄道で各地を回るだけで正天使になれるなら俺にもなれるじゃないかと思った。
「実際、この試験は不合格にしてふるいにかけるというより、正天使になった後の事を考えて、地上界に慣れておくための訓練みたいなものだから、ほぼ合格するわ。私もここまで来るまでに、多くの試験を受けて、そこでふるいにかけられて生き残ったんだから」
「へぇ〜、もう正天使になるのはほぼ決まりなんだな」
「そうよ、凄いでしょ。見直した?」
「正天使になる事がどれだけ大変なのかわからないけど、きっと凄いんだろうなぁ」
「だから、協力してね」
「まぁ、出来る範囲で…」
ここで、自信満々に俺に任せろと言えないのは、健太が女性に慣れていないからである。
「ねぇ、君…」
「『君』とか言わないで、さっきからその呼び方が気になってたの。ちゃんと、『エリス』と名前で呼んでほしいわ」
「じゃあ、エリスさん…」
「『さん』はいらない」
「……エリス……」
「何かしら、健太」
健太は異性から自分が名前で呼ばれた事も、相手を名前で呼ぶ事もなかったので、かなり照れ臭かった。
「じゃあ、とりあえずもうすぐ家に着くから、家に帰ってから今後のプランとか考えようかな」
「えぇ、いいわよ」
こんな会話をしているうちに、軽自動車は健太の自宅マンションに着いた。エレベーターで4階に上がり、健太の部屋の前に着いた。
健太はキーホルダーを出して部屋の鍵を開けた。そして、ドアを押し開けると中に入りドアが閉まらないように押さえた。
「どうぞ」
健太はエリスを招いた。
「ただいま」
エリスは少しため息を吐いた後、嬉しそうに微笑みながら言った。健太もエリスのそんな様子を見て苦笑いした。
二人は靴を脱いで部屋の中へ入って行った。