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21時30分の女子高生

ご覧いただきありがとうございます。

今回は健太の仕事の話で、エリスは登場しません

7月上旬のとある平日、路線バス運転手の中野健太はいつも通りに会社に出勤していた。


この日は12時に出勤して、退勤は23時頃の予定である。予定というのは、路線バスというものは、道路の渋滞、車両故障、お客様とのトラブルなどの様々な要因で遅延する可能性があるからである。


健太は出勤すると、すぐに乗務計画の書かれた運行表を受け取る。一日分の乗務計画が1分単位で記載されている。運転手はこの運行表に従って乗務する。運行表にはバスの出発時刻だけでなく、休憩時間や福山駅のバス待機場にバスを停車する際には停車する位置まで細かく記載されている。


この日の健太の乗務は『A-34』という運行計画だった。ちなみに、Aは平日ダイヤの事である。他にもBは土曜ダイヤ、Cは日曜祝日ダイヤ、Dは正月やお盆の特別ダイヤというのがある。


出勤してまず運行管理者の点呼を受ける。体調に問題がないか、睡眠は取れているかなどの質問を受け答えして、免許を携帯しているかチェックを受ける。それから、アルコール検知器のチェックを受けてようやく乗務する車両のカギを受け取る事が出来る。


カギを受け取って車庫に停車している車両に向かい。車両が運行に使えるかチェックリストに従いチェックをする。チェックリスト全てが異常のないのを確認して、ようやく車両を出庫出来るのである。


出庫した車両は乗客を乗せるために、始発停留所である福山駅まで回送する。車庫から福山駅までは15分くらいかかる。ちなみに、車庫から福山駅までは回送であり、乗客は乗ってはいないが、運行表にはきちんと回送する時も時刻が決められてある。これは回送も運行の一種だからである。


健太がこの日乗務する『A-34』という乗務計画は、お昼から最終に近い時刻までの乗務で、日中は市内循環線や郊外の住宅団地を往復し、夕方からは福山市南部の町との往復を繰り返す乗務計画である。


今日も普段のルーティーン通りに点呼と運行前点検を済ませると担当車を出庫した。


今日の健太の相棒は『F10229』という車両である。ちなみに、Fは健太の勤める会社の本社車庫の別名である福山車庫の福山のFである。その後の数字は最初の1は路線バスの意味であり、高速用は2、貸切用は3、特定顧客用は4、非営業車は5となっている。つまり、本社車庫所属の路線バスの229番という意味なのである。


この車両は導入してから20年以上が経過したロートルであるが、エンジンの出力が高い型なので運転手の評判は良かった。


健太は車庫を出発して福山駅に向かった。福山駅までは回送であるから乗客はいない。


福山駅に着くと、行き先表示を回送から次に乗務する路線の行き先に変更してからバス乗り場に向かった。


健太がこれから乗務するのは市内循環線という路線で、福山市の中心部を一回りして福山駅に戻る路線であるが、人の流れと少しずれた場所を走るため乗客は少ない。


福山駅12時35分発市内循環線は乗客ゼロで出発した。もっとも、健太は過去に何度もこの便に乗務した事があるが、福山駅を出発する時はほぼ毎回乗客ゼロだった。


バスを定期的に利用する者の中には、必ず同じ便に乗車する者もいる。運転手もラッシュ時の客は覚えきれないが、空いた時間帯の便だと必ず乗ってくる乗客は覚えてしまうものである。


運転手の間でも、そのような乗客は雑談の話題になる事が多い。いつも乗ってくる乗客がある日たまたま乗らなかっただけで、なぜ乗らなかったのか運転手の間であれこれ理由を考察したりする。


実はこの便にもそんな常連客がいた。その常連客は80歳くらいのお婆さんで、途中のあるバス停から乗って来て、四つほど先のバス停で降りる。降りた後、お婆さんがどこに行くのは知らないが、月曜から金曜までほぼ毎日乗って来る。帰りは夕方前の便を利用している。


乗客ゼロのままそのお婆さんが乗るバス停までやって来た。そのお婆さんは当然バス停に来ていた。お婆さんはバスに乗ると入口の目の前の席が空いていればそこに座る。今日は乗客がいないので当然であるが入口の真正面の席に座った。


「発車します。ご注意下さい」


それまで乗客がいなかったので車内アナウンスはしていなかったが、乗客が乗って来たので健太はマイクのスイッチを入れてアナウンスをした。


四つ先のバス停の案内放送を流すとお婆さんはすかさず降車ボタンを押す。


「まもなく到着しますが、バスが完全に停車するまでは席をお立ちにならないよう、お願い申し上げます」


健太はマニュアル通りに到着時の注意喚起の放送をしてからバスを停留所に停車させた。


お婆さんは170円を払いバスを下りた。そして、バスの進行方向と同じ向きに歩道を歩いている。健太がバスを発車させるとすぐにお婆さんを追い抜いてしまい、じきにその姿はバックミラーでも見えなくなった。


お婆さんがこの後どこに行き夕方まで何をしているかはどの運転手も知らない。近くに病院があるわけでもなく、かといってスーパーもない。運転手の間でも、お婆さんが夕方前まで何をしているか、いろいろな推測がなされたが、結論など出るはずもなく結局わからずじまいであった。


健太の乗務計画では、この市内循環線を3回運行して、それから福山駅のバス待機場で待機という名の休憩が25分ほどある。これは連続乗務時間の規程があるため、必ず休憩をしなければならないという事になっている。また、バスが遅延した際に備えて運行計画に余裕を持たせているという一面もある。


健太はこの市内循環線を3便運行したが、いずれも乗客は限りなくゼロに近かった。


わずかな休憩を挟み、福山市南部へ向かう健太が勤務するバス会社の基幹路線を一往復する。


基幹路線だけあって、便数も乗客も多い。15時頃なので終点近くは買い物や病院帰りの高齢者が中心で、通勤通学客はまだ乗って来ないが、それでも福山駅で10人以上の乗客が乗り込んで来た。


終点まで40分くらいかかるのだが大半の乗客は終点近くまで乗っていた。終点ではすぐに折り返して福山駅に向かう。このあたりには観光地もあるので、観光地からの帰りの客を中心に数人の乗客を乗せて福山駅に向かった。福山駅までにけっこうな乗客が乗って来て、福山駅に着く頃には座席はほぼ埋まっているほどだった。


今日の健太の乗務計画では、ここで一度車庫に回送して約一時間の休憩となっている。時刻は16時30分すぎに車庫に戻った健太は乗務員詰所で休憩する事にした。出勤前に昼ごはんは食べていたのだが、勤務が終わって帰宅して晩ごはんを食べるまではまだ数時間ある、そのため小腹を満たすためにエリスに頼んで焼きそばを作ってもらっていた。


小さな弁当箱一杯に焼きそばが詰め込まれている。キャベツと豚肉がほどよく入っていてなかなか美味しい。エリスが住んでいた天上界には焼きそばがないため、地上界に来てから作り方を覚えたにしては上出来だろう。


焼きそばを食べた後は、詰所の外にある喫煙所でタバコを吸いながら時間を潰した。


規程の休憩時間を終えると、すぐに福山駅に戻らなければならない。夕方のラッシュの時間帯なので、福山駅まで余計に時間がかかり、駅に着いてすぐに乗り場にバスを停めて、乗客が乗ったらすぐに出発となってしまった。


この便は福山市の市街地を出て、高台にある住宅地へと向かう。18時05分発とあって、会社や学校帰りの乗客を中心に席がほぼ埋まるくらいの乗車率だった。


終点まで25分くらいで着きそのまま折り返して福山駅に戻る。ただ、この折り返し便はこの住宅地の中にある高校の前を通るため、高校生がたくさん乗って来るので、いろいろ大変な便である。


高台にある住宅地の一番奥の方まで行き、そこから折り返す。例の高校の前まで来ると、校門脇にあるバス停は歩道が塞がるほどバスを待つ生徒でごった返していた。


バス停に停車し後部乗降口の扉を開けるや、生徒達は我先にとバスになだれ込んで来た。座席はすぐに埋まり、通路に立つ生徒の数がどんどん増える。


「通路にお立ちのお客様、ドア付近に立ち止まらず、先の方にお進み下さい」


一人でも多く乗せるためには通路を有効利用しなければならない。健太はマイクを使い、通路の先から詰めて乗るようにアナウンスした。


しかし、通路もほぼ一杯になり、さすがにこれ以上は乗れない感じになって来た。バス停には、まだ20人くらい残っている。


「このバスは満員となり、これ以上はご乗車いただけません。次のバスがおよそ20分後にまいりますので、おそれいりましが、そちらをご利用いただきますようお願い申し上げます」


健太は乗れなかった生徒達に、次のバスを利用するようマイクで車外放送をして案内した。


それから、入口のドアを閉めて発車させた。


「発車します。お立ちのお客様は手すりをしっかりとお捕まりになりますよう、お願い申し上げます」


健太は発車時に立っている乗客に注意喚起してから発車させた。


立っている乗客が多い時の運転は特に気を使う。


バスの運転においては、『急』という言葉の付く操作は厳禁である。急ブレーキ、急ハンドル、急加速、いずれも車内事故に直結する。


そのため、運転時には常に先を読んで運転しなければならない。


また、普通は青信号を見れば誰もが渡ろうと思うはずである。しかし、バスの運転をする際には、青信号を見ても常にいつでも止まれる準備をしていなければならない。信号の手前までは止まるつもりで接近し、それでも何ら問題なく信号から先へ進めるという状況を確認して、ようやく交差点に入って行く感覚で運転しなければならない。


また、前走車が何らかの理由で急ブレーキを踏む可能性に備え、車間距離も乗用車を運転する時に比べ、はるかに広く取る。


こうして、充分すぎるくらい慎重に運転しながら、何十人もの高校生を福山駅まで運ぶ。下校時間にしてはやや遅い時間帯なので、この便に乗っている高校生はおそらく部活帰りなのだろう。ジャージ姿の高校生も多く乗っていた。


無事に高校生を福山駅まで送り届けた後は、15分の待機時間を挟んで福山市南部に向かう基幹路線を往復する。福山駅発の便は帰宅する人でそれなりの乗車があったものの、福山駅に戻る便は乗客も少なく、わずか2人だけであった。


福山駅で30分ほど待機して、また先ほど往復した福山市南部への基幹路線の運行である。


21時30分発、最終便の一つ前の便である。基幹路線とはいえ、さすがにこの時間帯になると乗客は帰宅するために利用する常連客が多い。


健太がバスを乗り場に停車させると、数人の客が乗り込んで来た。大半は見覚えのある乗客である。


健太はこの『A-34』という運行計画には月に3、4回乗務しているが、この21時30分発の便には健太にとって特に印象に残っている常連客がいる。


今日もその常連客は当然のようにバスに乗り込んで来た。


その常連客とは、女子高生の二人連れである。同じ制服を着ているその二人の女子高生は、平日は必ずこの便に乗っている事が他の運転手から聞いて知っていた。


なぜ、この二人が健太の印象に残っているかというと、二人は運転席に近い席に並んで座り、ずっとお喋りしているからである。そのお喋りの内容が、高校生らしく友達の話だったり、恋愛の話だったり、勉強の話だったりして、運転席から聞いていても楽しい。


21時30分という、高校生が帰宅するにはやや遅い時刻にバスに乗っているのは、以前に給料日について話していたのを聞いた事があるので、二人同じところでバイトをしているのだと想像出来た。


今日も二人の女子高生は運転席のすぐ後ろに並んで座っている。


この二人、名前はミサとマユというらしい。互いが呼び合うのを聞いただけだから、本当はミサは美沙子とか美佐恵かも知れないし、マユは真由美や真由子の可能性もある。


ミサと呼ばれる方は小柄で長いストレートの黒髪が美しい清楚な少女で、マユの方はセミロングの髪を軽く茶色に染めた背の高い少女である。


この二人は、毎日同じ便の運転手の後ろの席でずっとお喋りをしているため、運転手達はその会話を聞いて、彼女達の事はよく知っている。運転手同士で、どんな話をしていたか情報を交換しているので、運転手は皆が彼女達については詳しくなっていた。


彼女達にしても、まさか、自分達が乗っているバスの運転手一同、自分達の事をそこまで知られているとは夢にも思ってないだろう。


(さて、今日はどんな話をするのかな?)


21時30分になったので、健太はバスを発車させた。


「でさ、さっきの続きだけど、結局、アスカは彼氏と別れたんだって」


「これで何人目よ」


どうやら、彼氏と別れた友人の話らしい。話題の主であるアスカは、以前に健太がこの便に乗務した時にも話題になっていて、別のクラスの男子にコクられて返事に悩んでいると二人が話していた。今回別れたのは、その時の男子なのかどうかはわからない。


「アスカってわがままだし理想が高いから、誰と付き合っても長続きしないんだよねぇ〜ミサもそう思うでしょ?」


「そうかもね。アスカは何でも自分の思い通りにならなきゃ納得しないから」


「彼氏と長続きさせるなら、相手の短所をどれだけ妥協してあげるかだよ。アスカみたいに、何でも私の言う通りにしなさい、みたいなやり方じゃ、彼氏もたまったもんじゃないわ」


(俺もそう思う)


二人の会話に健太は心の中で同意した。


「それよりさ、ミサは彼氏とはどうなの?」


(何!? ミサちゃんに彼氏が出来たのか?)


健太が知っている範囲では、ミサに彼氏はいなかったはずである。これは他の運転手達もビックリするだろう。ちなみに、運転手達の間では、ミサとマユでは清楚なお嬢さん系のミサの方が人気がある。


「今度の日曜に、うちに遊びに来るんだよ」


「もう家に呼ぶの?」


「お父さんとお母さんは夜まで出掛けてるから大丈夫だからね」


「そっか」


(日曜日に彼氏連れでバスに乗るのか)


これは特ダネである。


「で、日曜はずっと家にいるの?」


「そうじゃなくて……」


『ピンポーン』


いいところで降車ボタンが押されてしまい、肝心のデートプランは聞けなかったが、これは仕事だからしかたない。


「次、停車致します。バスが完全に停車するまで席を立たないようお願いいたします」


健太は降車案内のアナウンスをしてからバスを停留所に停車させた。


乗客が降りてバスを発車させて、健太は再び二人の会話に聞き入る事にした。


しかし、既に話題はアルバイト先の事に移っていた。


最近、売り上げが下がってるとか、この商品が売れているとか健太にとってはあまり興味のない話題になったので、運転に集中する事にした。


やがて、バスはマユが降りる停留所に着いた。


「じゃあ、また明日」


「バイバイ」


マユはミサに挨拶をしてからそそくさとバスを降りた。


マユが降りた停留所の次でミサが降りる。ミサは降りる時に運転手にちゃんと挨拶をしてくれるので、運転手の間でも評判がいい。


「ありがとうございました」


「はい、どうもありがとうございました」


今日もミサは礼儀正しく挨拶をしてから、綺麗な黒髪をなびかせながらバスを降りて行った。


健太にとっては、二人が降りるとこの便の運行は終わったも同然であるが、バスは終点まで走らなければならない。健太はやや退屈さを感じながらバスを終点まで運行した。


普通は終点から福山駅に折り返すのだが、既に22時過ぎである。従って、福山駅には折り返さず直接車庫へ回送する。今来たばっかりの道を戻り、途中から違う道に入り車庫へと戻った。


駐車場にバスを停めて、運行後点検を済ませ、運行管理者の所に行き終業点呼をしてカギを返す。これでようやく今日の健太の仕事が終わった。時刻は22時55分だった。


翌日、健太が仕入れた特ダネを披露すると、ミサの彼氏がどんな男なのか興味を示す者、彼氏が出来てガッカリする者など反応は様々だった。


日曜日にこの路線に乗務予定の運転手達は、ミサちゃんの彼氏がどんな男か見ておくように仲間から厳命されたのは言うまでもない。

次回は健太とエリスが青春18きっぷの旅に出る話です


お楽しみに

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