富士山は霧の彼方に〜中部地方縦断の旅二日目・後編〜
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なかなか更新出来ずお待たせしてしまい、すみませんでした
健太とエリスは宿泊している長野市のホテルの1階にあるレストランに来ていた。時間は朝6時、朝食バイキングの開始時刻に合わせてレストランに来ていたのである。
「始まったばかりだから、ガラガラだと思ったけど、思ったより人が来てるな」
健太がレストランに入ると店内を見渡して言った。
広い店内には4人がけのテーブルが20以上おかれているので、空席はたくさんあるのだが、それでも20人くらいが食事に来ている。
「早く来て良かったわ。ゆっくりしてたら座れずに待ったかもしれないわね」
健太に続いて入って来たエリスが店内を見ながら言った。
「バイキングスタイルだから、好きな物を取ってきてよ」
健太がプレートを手に取りながら言った。
「わかったわ。先に取り終えた方が二人分の席を取る事にしましょう」
お盆を手にしたエリスが言った。
健太はお盆にプレートと小皿を乗せてパンのコーナーに向かった。エリスを見るとプレートではなく大皿と小皿をお盆に乗せている。
健太は食パン2枚とパック入りのジャム2つを小皿に乗せた。それからボイルソーセージを10個くらい取って目玉焼きを1枚、更にポテトサラダをプレートに乗せてエリスを探した。エリスは既に窓際の方に席を取って座っている。健太と目が合うとエリスは「ここよ」という感じで自分が座っている席の向かい側の席を指差した。
健太はエリスにうなずいてからコップを手に取りオレンジジュースを注いでから席に向かった。
「あぁ、カレーがあったのか」
健太は席に座りながらエリスの取ってきた料理を見ながら言った。エリスは大皿にカレーライスを小皿にグリーンサラダを取っていた。カレーライスはエリスの大好物なのであれば取って来るのは当然である。
「実はこれがあるからここに泊まる事にしたのよ」
エリスがニコニコしながら言った。朝から大好物を食べられるとあって上機嫌である。
「何だ、そうだったのか」
健太は苦笑いしながらパンにジャムを塗っていた。
「雨か……」
健太が窓の外を見ながら言った。窓の外は細い路地になっているが、ガラス越しにもはっきりとわかるくらいの大粒の雨が降っている。路地を通る人も雨具を使用している。
「けっこう降ってるわね」
「折り畳み傘はあるけど、小さい傘だからリュックサックは濡れそうだな」
健太がソーセージを食べながら言った。
「リュックサックは防水仕様だから、少しくらい濡れても平気じゃないかしら」
「でも、雨に濡れるのは嫌だな。それより、エリスもそのスカートは雨だと汚れそうだよ」
健太がエリスのフレアスカートを心配した。
「そうね。部屋で履くために持って来たショートのジーンズにするわ」
エリスは昨夜は履かなかったが、ショートパンツを持って来ていた。長時間列車に乗る時は座席で肌が擦れるので履かないようにしているが、スカートが雨で汚れるよりはマシである。
二人は朝ごはんを食べてから部屋に戻った。エリスはフレアスカートを脱いでショートパンツに履き替えた。リュックサックにフレアスカートをきれいに畳んでしまいこむ。
二人交代でバスルームの洗面台に行き、歯磨きと洗顔をした。
それから、忘れ物がないかしっかりと確認をしてから、二人共リュックサックを背負って部屋を出た。それぞれの手には折り畳み傘を持っている。
1階のフロントでチェックアウトの手続きをしてからホテルの玄関を出た。空からは大粒の雨が相変わらず降り続けている。健太とエリスはそれぞれが持つ傘を開いて道路へと出た。
健太もエリスも雨に濡れないようにと縮こまって歩いているが、それで濡れる範囲が狭まる訳がない。足元に注意しながら長野駅までの道を歩く。早く屋根の下に入りたいため、無意識に速足で歩いていた。
5分か6分あるいて長野駅の構内に入った健太とエリスは傘を閉じた。健太がエリスのリュックサックを触って確認する。
「やはり濡れてるね」
「これはどうにもならないわ」
長野駅から今日の旅が始まる。最初に長野から小諸へと向かう。
健太とエリスは自動券売機に向かい。しなの鉄道への連絡きっぷを購入した。
月曜日の朝8時過ぎとあって、長野駅構内は通勤通学客でにぎわっていた。特に高校生の姿が目立つ。
健太とエリスは自販機でそれぞれ飲み物を購入してから改札口からホームへ向かった。
健太はホームへ向かう途中、隣を歩くエリスを見た。特に変わった事はない普段と同じエリスがいる。しかし、今朝二人で一線を越えた後だけに、口では説明しづらいが、これまでとは何かが違って見える。
これまでは、様々な想いから互いに触れる事を遠慮していた二人である。それが、今後はいつでも触れ合える関係になったのだから違って見えて当然だろう。仮に、一線を越えた後に何も違って見えないのだとすれば、その二人の関係はそれ以上進展しないと考えてよい。
「あれかしら?」
エリスがホームに停車している電車を指差しながら言った。
「そうだね。福山でも山陽本線でよく走ってるのと同じ型式だよ」
健太が115系電車を見ながら言った。
「福山では黄色いのが多いけど、こちらでは緑とオレンジなのね」
「これは湘南色といって、昔はどこでもこんな塗装だったよ。俺の子供の頃は福山でもこの色の電車が走ってた」
「黄色一色より、こっちの方がいいわね」
二人でお喋りしながら電車に乗り込んだ。車内はまだ空席がたくさんあるので、四人がけのボックスシートに二人並んで進行方向に向かって座った。
もちろん、リュックサックは座る前に網棚に乗せてある。
本日の最初の列車である、長野駅8時23分発小諸行き普通列車が走り出した。篠ノ井までは信越本線を走り、篠ノ井からしなの鉄道になる。長野から篠ノ井までの区間は昨日姨捨から長野に向かう時にも乗車していたが、二人とも席に座れずずっと立っていたため、景色を眺める余裕がなかったが、今度は席も空いていたので景色も楽しめそうだ。
列車は新幹線の高架と並走しながら長野市の市街地を走っていたが、二つ目の川中島駅あたりから車窓には田畑が見えるようになる。
結局、信越本線としなの鉄道の分岐点である篠ノ井駅まで新幹線とずっと並走していた。
篠ノ井からしなの鉄道という第三セクターの鉄道会社の線路を走る。しなの鉄道は元々はJR信越本線だったのだが、長野新幹線の開業の際にJR東日本が手放したため、第三セクターとして存続する事になった。
新幹線開業で首都圏から軽井沢、上田、長野への利用客が新幹線を利用するため、信越本線の需要が減少するからというのがJR東日本の言い分だが、長野県内の短距離利用者の事は黙殺されている。JRからすれば新幹線開業をいい機会とばかりに赤字路線を切り捨てたというのが本当のところである。
このような現象は長野だけでなく、東北、北陸、九州でも起きている。JRだった時は、その路線が赤字でも他の路線で儲けて補填する事も出来るが、第三セクターになると他からの補填が出来ないために、その路線だけで出来るだけ利益をあげなければならない。そのため運賃はJRの頃より高くなってしまう。地元の人が日常的に新幹線を使うわけではないので、新幹線開業が地元の人にとって必ずしも有益であるとは限らないのである。
篠ノ井からしなの鉄道に入ったが、屋代あたりは住宅が広がっている。長野県民以外の人は、長野県は山が多く、主要都市以外はあまり人は住んでいないようなイメージがありがちであるが、実際は大きな盆地があり想像より発展している。
屋代、千曲と千曲市の中心部の駅に停まり、乗客が少しずつ降りたため、車内は少し空いてきて空席が目立つようになった。篠ノ井まで並走していた新幹線も少し離れた場所を走っているため見えなくなっている。
その新幹線が再び目の前に現れると、しなの鉄道沿線最大の都市である上田に到着する。
「乗ってる人のほとんどがここで降りるのね」
上田駅では乗っていた乗客の大半が下車した。入れ換わりに下車した乗客よりは少ないが、それなりの人数が乗車して来た。
時刻は9時05分、車内には通勤客や通学の高校生は見当たらず、所用や病院通いで移動しているであろう高齢者の姿が目立つ。
「いつの間にか雨が上がってるわ」
エリスが上田駅を出発する際に気が付いた。
「このまま降らなきゃいいけど、さっきスマホで天気予報を調べたら、太平洋側の静岡県は一日中雨が降るみたいだよ」
「静岡は乗り換えるだけだから、雨が降っても平気ね」
エリスは言ってから車窓に目を戻した。
上田駅を出てしばらくして景色が開けると遠くに浅間山が姿を現した。
浅間山を見ながら20分、列車は小海線との乗り換え駅である小諸に到着した。
小諸駅は終点なので全ての乗客が下車した。下車した乗客の多くは改札口から外に出たが、しなの鉄道で軽井沢方面に向かう者はすぐ隣に停車していた列車に乗り移った。
健太とエリスは長野から小諸までの切符を持っていたので一度改札口を出た。そして、今度は小諸から備後本庄までの切符で改札口から再びホームに入った。
健太とエリスが跨線橋を渡り小海線ホームへ下りると、列車の出発までまだ40分くらいあるのだが、既に数人が先にホームで列車を待っている。
乗車口の表示の下で待つ人か置いた荷物の列の後ろに二人はリュックサックを置いてからベンチに座って列車を待った。
しばらくして、銀色に黄色や青色の装飾の施された気動車が入線して来た。
健太とエリスはその気動車に乗り込み、四人がけのボックスシート部分に進行方向に向いて二人並んで座った。四人がけなので二人の正面にも席があったが、誰も座ってなかったので二人共足元がゆったりしていてホッとしていたが、発車直前になり、40歳くらいの夫婦らしい男女がやって来た。
「空いてますか?」
男女二人連れの男性の方が二人に声をかけた。
「空いてますよ」
「じゃ、失礼します」
健太が答えると男性は自分の荷物を網棚に上げ、連れの女性の荷物も網棚に乗せてあげていた。そして、女性を窓際に促して自分は通路側に座っていた。
この二人も健太とエリス同様に大きな荷物を持っている事から、地元の人間でなく旅行客ではないかと健太は想像していた。
月曜日とはいえ、車内にはそれなりの乗客がいて、立っている客はいなかったが、ボックスシート部分だけでなくロングシート部分も含め座席はほぼ埋まっていた。
10時13分、定刻通りに普通列車小淵沢行きが小諸駅を出発した。
「どれだけ景色が良いのか楽しみだわ」
動き出した列車の車窓を流れる景色を見ながらエリスが言った。
「一番景色がいいのは、小海線でも野辺山周辺だから、まだかなり先だよ」
健太は以前に小海線に乗った事があるので、景色の良い場所は知っていた。
「そうなの? それまではどんな所を走ってるの?」
「田んぼが広がる田舎だよ。山あいを走る路線といっても、山の中を走るのはほんの少しだけだよ」
健太がエリスの問いに答えた。
列車は二つ目の乙女駅までは、二人が先程まで乗っていたしなの鉄道の線路と並行しているが、東小諸、乙女の両駅は小海線には駅があるものの、しなの鉄道には駅がない。
乙女駅でしなの鉄道に別れを告げた小海線は広大な田んぼの中を走る。しかし、しばらくすると家屋が多くなってくる。
駅の周囲は街になっているようで、駅から離れると田んぼも見える。
しかし、美里駅の先からは、どこまで続くのかと思わせるような広大な田んぼのど真ん中を列車は走る。田んぼの中にポツンと存在する住宅地の中にある中佐都駅に停車し、中佐都を出発してもまだ田んぼがどこまでも広がっている。
そのうちに列車は田んぼの中の高い土手を走るようになり、更に高い場所に上がり高架上を走る。列車が高架に上がるあたりから、周囲は田んぼから住宅地になり、やがてマンションや大きなスーパー等が見えるようになると、小海線の下を新幹線の線路がクロスしている。その交差点に佐久平駅がある。
在来線と新幹線が交差する場合、普通は新幹線が上で在来線をまたぐのであるが、この佐久平駅は新幹線の上を在来線がまたぐという珍しい駅である。この佐久平でまとまった数の客が降りた。
列車は岩村田、北中込、滑津、中込と停車する。これらはいずれも佐久市にあるのだが、このうち北中込と中込の駅周辺は住宅や店も多く発展している。佐久平、北中込、中込のどれが佐久市の中心になるのかわかりづらい。
中込を出発すると、住宅地より田んぼの割合が高くなる。田んぼの中を列車は走りながらどんどん山へ近付いて行き、海瀬駅あたりから山と山との間の狭い谷間に入って行った。狭い谷間に川があり、川のほとりに線路と僅かな人家と田んぼがある。
やがて、列車は小海線の中間点といえる小海駅に到着した。小海この一帯では唯一の街らしい街であり、駅周辺はわりと賑わっている。しかし、ハイカーにとっては遅い時間であり、観光客が帰るには早い時間とあって、乗り降りする客はほとんどいなかった。現在、列車に乗っている客のほとんどは地元の住民を除き、小海線に乗るのが目的のようで、おそらく小淵沢まで乗り通すのだろうと健太は思った。
「ねぇ、また雨が降りそうよ」
ずっと車窓を眺めていたエリスが健太の方を振り向いて言った。
「太平洋側はもう雨が降ってるみたいだけど、この先山梨に入ったあたりも降りだすのかもしれないなぁ」
上田市あたりで雨は上がっていたのだが、天気予報では太平洋側の静岡県は雨の予報である。その雨が山梨にも広がっているのかもしれない。
「福山はどうなのかしら?」
エリスはもう福山に帰り着いた後の事を心配しているようだ。
「福山は晴れてるよ」
健太は福山の天気予報も既に調べていたのである。
「失礼、お二人は福山の方ですか?」
突然、健太とエリスの向かい側に座っていた中年夫婦らしい男女の男性の方が会話に割り込んで来た。
「はい。福山に住んでますが」
健太が答えた。
「私も生まれは福山なんですよ」
「そうなんですか? 福山のどのあたりですか?」
「市民会館の近くです。今は市民会館ではなくなってるようですが」
「あぁ、あのあたりですか、市民会館は今は中央図書館になってますよ」
「そうでしたね。綺麗な建物になっていましたね。あなたは福山のどちらですか?」
「備後本庄駅の近くです」
遠く離れた旅行先で福山市に縁のある者に出会うのは珍しい。それは相手にとっても同じだろう。
男性が話すところによれば、男性と一緒にいる妻も共に福山市出身で、小学生時代からの幼馴染みらしい。二人とも高校を卒業した後は大学からずっと東京住まいとの事だ。
大学を卒業してすぐに結婚し、高校二年生の男の子が一人いるそうだ。先週末から軽井沢に夫婦で旅行に来ていて、今日東京に帰るのだが、少し遠回りして小海線に乗ってみる事にしたらしい。小淵沢からは特急あずさ号で東京に帰ると男性は言っていた。
「こちらの素敵なお嬢さんは奥さん?」
今度は女性の方が話しかけて来た。この夫婦、男性の方は中肉中背でイケメンでもなくブサイクでもない。言わば平凡を絵に描いたような男性であるが、女性の方は40歳を過ぎているのであろうが、なかなかの美人である。若い頃はさぞモテたに違いないと健太は思った。
「いえ、まだ結婚してるわけじゃないので……」
エリスが白い頬を赤らめて言った。
「日本語お上手ですね」
女性はエリスの発音が日本人が話すのと変わらない事に驚いたようである。
「本国でかなり勉強しましたから」
「そうだったのですか、お国はどちらで?」
「イギリスです」
いつものように、エリスはイギリス生まれだという事にした。
「杉山さんは去年友達とイギリスに旅行したよな?」
夫婦の男性の方が言った。
「田村君も仕事が休めたら一緒に行けたのにね」
「そりゃ無理だよ。お盆前の繁忙期だったから」
どうやら、夫の方は仕事が休めず旅行には行けなかったらしい。だが、この夫婦の会話は何かがおかしいと健太は思ったが、他人夫婦の事にとやかく言うべきではないので気にしない事にした。
「あの……なぜ、あなた方は互いを違う苗字で呼び合うのですか?」
エリスもこの夫婦の会話のおかしな点に気づいたようだ。
(あんまり、そういう事聞くなよ)
健太はヒヤリとした。
「あぁ、これね。家で子供がいる時は『お父さん』『お母さん』と呼ぶけど、二人だけの時は苗字で呼び合うのよ。その方が恋人同士みたいでしょ」
「そういう事だったのですね。結婚されて長いのに、いつまでも恋人同士みたいな関係で居られるなんて素敵ですね」
エリスが目を輝かせながら言った。
「あなたの方がとても素敵な恋をしているように見えるわね」
「わかります?」
女性の言葉にエリスが照れている。
(しかし、エリスと付き合えるのは来年の4月までなんだよなぁ……)
健太は女性とエリスの会話を聞きながら複雑な心境だった。エリスはこの事についてどう考えているのかはわからない。しかし、来年4月の事を考えると、今を楽しむ事が大切だという事はわかる。
「しかし、もっと山奥を走るのかと思ってましたが、意外と開けた所を走るんですね」
今度は男性が言った。
「このあたりも、標高は高いのですが、谷間を縫うように走りますからね。山をトンネルで貫くような路線とは違いますよ。あと、長野県では山深いというのはアルプスとかになりますから、これくらいの山だと平気で人がすんでるのだと思います」
健太が車窓を見ながら言った。山と山との間の谷間を走っているが、人家はポツポツではあるが常に見えていた。
列車は佐久海ノ口駅を出発したあたりである。
このあたりはクニャクニャのした谷間に沿って走るため、線路もやたらカーブしている。そんな谷間にも田畑に人家があって、日本有数の山岳路線とは思えない風景ではあるが、実際には標高はかなり高くなっている。
小海の手前から付かず離れずといった感じで並走していた国道が離れて行き、風景はとたんに山深いものとなった。
佐久広瀬駅の前後は山の中を走るが再び人家が見えるようになる。実際は佐久広瀬駅から見える山の向こうには広い盆地があり、広大な田畑や農家が点在しているのであるが……
佐久広瀬駅から信濃川上駅の間も山の際をカーブしながら走り、信濃川上駅を過ぎると田畑や家が見え始めて、JRの路線でもっとも標高が高い駅である野辺山駅に到着した。
野辺山駅では野辺山高原への行楽客と野辺山駅を訪問する鉄道ファンが下車して車内は少し空いてきた。
「この駅が最も標高が高い駅なの? もっと見晴らしがいい駅だと思っていたけど……」
エリスが野辺山駅を出発した後、景色を眺めながら言った。どうやら、エリスは昨日訪問した姨捨駅のような風景を想像していたようである。
『この先にあります踏切がJR線の最高地点です。進行方向左側には最高地点を示す石碑があります』
車内にアナウンスが流れ、車内の乗客が左側の車窓に注目する。
「えっ? どこ?」
健太とエリスが座っているのは進行方向右側なので、石碑を見ようとエリスは立ち上がって左側の車窓を見ていた。
「次の踏切だよ」
健太がエリスに教えた。
それからすぐ、踏切を列車は通過した。踏切を通過する際、石碑を撮ろうとデジカメを構える乗客もいた。
「ここなのね」
エリスが感心したように言った。
「この先、台地の端に出るから、どれほど高い場所を走っていたかわかるよ」
健太がエリスに言った。
列車は清里に向かい走り続けていた。車窓にはのどかな高原の景色というより、ただの畑が広がっている。JRで最も標高が高いという売り物が無ければ小海線はただのローカル線にすぎず、鉄道ファンに人気の路線にはならなかっただろうと健太は考えている。
「エリス、向こう側の窓を見てごらん」
健太が進行方向左側の車窓を指差しながらエリスに言った。
「わぁ、すごい」
列車は野辺山高原がある台地の端までやって来た。左側の車窓は甲府盆地の方角である。甲府盆地からそびえる山の高さと、小海線が走る台地の高さがほぼ同じなので、まるで列車が山の頂上を走っているようにも見える。
「こんな高い所を走っていたんですね」
健太とエリスの向かい側に座った夫婦の男性の方が健太に言った。
「小海線で標高の高さを実感出来るのはここだけなんですよ」
健太が説明した。
そのうちに、列車はペンションで有名な避暑地の清里駅に着いた。ここでも、それなりの数の乗り降りがあった。
清里を出発すると、列車は山の中を走りながら下り坂を下って行く。そして、終点の小淵沢に到着した。
健太とエリスは小海線のホームから中央本線のホームに移動した。例の中年夫婦も同じホームにやって来た。
小海線の列車が小淵沢に到着したのが12時26分、健太とエリスが次に乗る普通列車は13時08分発であるから約40分待ちである。健太とエリスはベンチに座って列車を待つ事にした。
やがて、ホームにアナウンスが流れ、特急あずさ16号が到着すると告げた。
すると、健太とエリスから少し離れていた場所にいた。例の中年夫婦がやって来た。
「私達はこれに乗って行きますので」
「福山市の方と会うなんて、なかなかない事だから、お話出来て楽しかったわ」
この夫婦は特急で東京に帰るので、乗車前に健太とエリスに声をかけにきたのである。
「こちらこそ、楽しかったですよ」
健太が夫婦に笑顔で答えた。
「お元気で」
エリスが夫婦に言った。
「では、これで失礼します」
「お二人共、お幸せにね」
夫婦は乗車口案内の表示のある場所に歩いて行った。
あずさ16号はすぐにやって来た。カラフルで目立つ配色である。そして、健太達が乗って来た小海線の列車から降りた乗客の多くが、この列車に乗車していた。
あずさ16号が出発して、健太もようやくベンチから立ち上がり、ホームの乗車案内を見て、乗車口の表示がある場所に立った。あずさ号に乗らず普通列車に乗るために、ホームに残っている客は10人もいなかった。
あずさ16号の出発してから約20分後に、健太とエリスが乗る普通列車がようやく到着した。二人はこの列車に乗り甲府に向かう。
列車に乗り込んだ健太とエリスは空席を探し、二つ並んで空いている席を見つけて座った。
小淵沢から甲府までは約40分の乗車時間である。
小淵沢を出発し、長坂、日野春と停車するにつれ、車窓に住宅が増えていく。しかし、日野春から穴山までの間は山の中に入るのだが、山の両側には広い平地があり、人家もたくさんあるのにもかかわらず、わざわざ山の中に線路が敷かれているのである。
列車はその後韮崎駅に着くが、このあたりに来るとすっかり街の景色に変貌していた。
韮崎市は甲府市のすぐ隣であり、韮崎を出発して三駅で甲府に着いた。甲府着は13時47分である。
二人がこの後に静岡に向かうために乗車する特急ふじかわ10号は、14時36分発なのでおよそ50分の待ち時間がある。
健太とエリスはいつものように改札口から出ると、まずは駅訪問の証明として入場券を購入した。それから昼ごはんを食べる事にした。
旅行先では、何か地元の名物料理を食べるのが普通だが、健太は旅行は好きだがその土地の名物に全く興味がないうえに、異世界人であるエリスの口に合うかわからない。そのため、健太とエリスは旅行先だからといって、特に珍しい物を食べる事は少ない。ここ、甲府でも昼ごはんは駅前の牛丼屋で簡単に済ませてしまった。
「あぁ、とうとう降りだしたか……」
健太とエリスが昼ごはんを食べて牛丼屋を出ると、そとは小雨が降っていた。二人は小走りに駅の入口へ向かった。
駅に戻り、喫煙コーナーを探し、タバコを吸っているうちに時間は過ぎて、列車の出発時刻が近付いて来たので、二人は改札口から身延線のホームに向かった。
既に特急ふじかわ10号は入線していたので、健太とエリスは指定席車両である1号車に乗り込んで、予約してあった7番AとB席に座った。
ちなみに、特急ふじかわは373系という車両が使われているが、見た目が普通列車っぽくて健太はあまり好きではない。
ふじかわ10号は14時36分、定刻通りに甲府を出発した。健太とエリスが乗車している1号車は指定席であるが、車内には10人程度しか乗客がおらずガラガラだった。
列車は甲府の市街地を走り、5分ほどで最初の停車駅である南甲府に到着した。この特急ふじかわは停車駅がやたら多く、約10分おきに停車駅があるので特急列車らしくない。
南甲府を出発すると、車窓には徐々に田んぼが見え始める。列車が進むにつれ、田んぼの割合が高くなる。しかし、一面田んぼの一角が住宅地として開発されており、そのような住宅地が点在する中を列車は走る。そんな田んぼの中の住宅地のなかで、ひときわ大きな住宅地の真ん中に次の停車駅である鰍沢口に停車した。このあたりは、住宅地が出来る前はどこまでも続く広大な田んぼが一面に広がっていたにちがいない。
車窓には田んぼと住宅地が交互に見えていたのだが、鰍沢口駅を過ぎると列車は急に山の中に入って行った。
甲府盆地を取り囲む山の中に入って行った列車は速度も落ち、人家はもちろん、田畑も見えないような場所を走る。そして、山の中のわずかな平地には人家があり、そのような駅には特急列車といえどこまめに停車する。
それらの駅では乗り降りする客の姿は見えない。わざわざこんな小さな駅に停車する必要はないように思えるが、真っ昼間の時間帯には特急の利用者が少ないが、朝晩には甲府や静岡への利用者がいるのかもしれないし、単線区間なので、反対方向の列車とのすれ違いのための時間調整の意味合いがあるのだろうと健太は考えた。
列車は下部温泉という小さな駅に停車した。山の谷間にある駅で、駅周辺にはわずかな人家があるだけで、温泉がどこにあるのかわからない。実際は駅から車で数分の場所に小さな温泉街があるのだが、温泉の利用者がこんな小さな駅を利用するとは思えない、大半はクルマを利用するだろう。
下部温泉駅では、反対側のホームに下りの特急ふじかわ7号がやって来た。あちらも乗客はあまり乗っていなかった。
このあたりから雨脚が強くなり、車窓からも雨粒がはっきりと見える。遠くの方は霞んでしまい見る事が出来ない。
「天気が良ければ、この先富士山が見えるんだけどなぁ」
「富士山って、日本で一番高い山だったわね」
エリスも天上界で日本について勉強していたので、富士山という名前は知っていた。
「高いだけじゃなくて、山脈ではなく富士山だけがポツンとそびえているから、とても神秘的な姿の山なんだよ。天気が良ければ、あの山の向こうに富士山の頂上付近が見えて来るんだけどね」
「それは残念だわ」
「まぁ、いつか見られる機会もあるはずだよ」
今日は富士山は見えないが、この先、旅行で見られる機会もあるはずだから、その時見ればいいと健太は考えていた。
列車はこの身延線沿線の主要都市である身延に停車し、富士川にそって南下して行った。この富士川は水が流れている場所は狭いものの、堤防が高く河川敷も広い。二人が住んでいる福山市にも芦田川という大きな川があるが、川幅はその芦田川とは比べ物にならないくらい広いのである。今は水の量が少ないが、富士山の雪解け水が流れる時期には水量が増えるために、こんなに川幅が広いのかもしれない。
身延を出発してからも富士川のほとりを列車は走り続ける。川の向こう側には人家も多いのだが、線路のある川のこちら側には人家は少ない。
人家のあまり見えない場所を走るうちに、列車は山梨県から静岡県に入る。ずっと山に囲まれた谷間を走っていたが、突然、景色が開けて街が出現すると富士宮駅に到着する。
富士宮市はなかなか大きな街のようで、車窓から見るかぎり、かなり遠くまで街が広がっている。
特急ふじかわ10号は富士宮で少し乗客の乗り降りがあったものの、空いている事に変わりがないまま東海道本線と接続する富士駅に到着した。富士駅には列車は東京方面に向かって入線するため、ここから静岡に向かうにはこれまでとは逆方向にすすまなければならない。列車はクルマのようにUターンは出来ないので、このような際には運転士がそれまで一番後ろだった車両に移動して運転する。
健太のような西日本の人間は富士から静岡まではすぐ近くの距離だと考えがちだが、意外と離れていて途中の清水に停車して終点の静岡に到着するまで30分くらいかかっていた。
静岡駅に降り立った健太とエリスは、まずはいつものように改札口を出て券売機で入場券を購入した。
特急ふじかわ10号が静岡に到着したのが16時56分、次に乗る新幹線は18時10分発であるから、1時間以上の待ち時間がある。時間に余裕があるので、駅を出て少しブラブラしてみたいところだが、今日はあいにくの天気である。雨脚が強く、傘をさしていてもリュックサックはびしょ濡れになるだろう。健太とエリスはリュックサックが濡れるのは嫌なので、外には出ないで構内のカフェで時間を潰す事にした。
カフェでは二人共にアイスコーヒーとホットドッグを注文した。昼ごはんが牛丼だけではやはり小腹が空くのである。
カフェで時間を潰してもまだ時間が余っていたのだが、健太もエリスもずっと列車に乗っていて疲れていたため、待合室で休憩して時間がたつのを待った。
やがて、時刻は18時をすぎ、ようやく二人は新幹線ホームに向かった。二人がホームに出るとすでに列車は到着していた。
二人がこれから乗り込む、ひかり481号は18時04分に静岡に着いて6分間停車する。当然、指定席を予約してあったので席の確保の心配はない。
二人が乗り込んだのは12号車で席は11番のCとD席である。車内は7割がた埋まっており、夕方とあってビジネスマンらしい客も多く見られる。
健太とエリスはひかり481号で新大阪まで行くのだが、二人共疲れていたために発車するとウトウトしはじめて、エリスが京都付近で目を覚ますまで熟睡していた。
エリスが目を覚ましたのは京都駅を発車した直後で、終点の新大阪まではあとわずかである。健太はまだ熟睡していたため、エリスは新大阪に着くギリギリまで起こすのを待っていた。
「健太、起きて。降りるわよ」
エリスが健太の肩を揺さぶりながら耳元でささやいた。
「ん? 今どのへん?」
健太は目を開き、既に真っ暗になっている車窓を見ながら尋ねた。
「もうすぐ新大阪よ」
「じゃあ、降りるか……」
ひかり481号は終点の新大阪に停まるため、既に速度を落とし始めていた。
「熟睡してたわね。私もだけど……」
エリスがまだ欠伸をしている健太に話しかけた。
「今朝、思いがけず早起きしたからなぁ」
「そうね……」
エリスは今朝の出来事を思い出して赤面した。
20時ちょうどにひかり481号は新大阪に到着した。健太とエリスは20時09分発のさくら573号に乗り換えた。乗り換え時間はわずか9分しかないので、まっすぐにさくら573号の停車するホームに向かった。
定刻通りにさくら573号は新大阪駅を出発。福山までは1時間ほどである。
今回は一泊二日の旅行であったが、四つの駅を訪問出来たのはとても有意義だった。また、長野市のホテルで二人は肉体的に結ばれた事により、これからの二人の生活もより親密なものになるはずである。
疲れたものの、得る物も多かった二日間であった。
もっとも、その夜以降毎晩のようにエリスの『夜のおねだり』が始まり、健太にとっては嬉しいながらも体力的にはキツい日々の始まりとなるのである。
この話で登場した中年夫婦は『42歳のオッサンが一年間小学生をやる事になったら?』に登場する、田村英樹と杉山京子と同一人物です
次回はエリスがまだ一度も食べた事がない玉子に初挑戦するお話です。
お楽しみに




