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天使はホテルで不満顔〜南九州の旅一日目〜

ご覧いただき、ありがとうございます。

今回は健太とエリスの始めての泊まりがけの旅行です

6月最初の週末、中野健太とエリス・ローバーンは南九州へと旅行する事になった。


出発する前々日に、突然、健太の姉である中野瑞季が健太のマンションを訪れたのだが、その日のうちに帰ったので、旅行への影響はなかった。


しかし、瑞季はエリスに対し「健太ともっと深い関係になりたいなら、あなたから迫りなさい」とアドバイスして、エリスもすっかりその気になっていた。


エリスは泊まりがけの旅行で、気分が浮かれている時に健太に迫ってみようと決意していた。エリス自身、自分を美人だと自覚しており、いくら異性に対し消極的な健太といえど、自分に迫られたら拒めないだろうと考えていた。


旅行前日、旅行の用意は済ませていたのだが、エリスは旅行にあと一つ持って行く物を増やすために薬局に来ていた。


その品物だけを買うのはさすがに気が引けるので、まだ日にちはあるが、しばらく後必ずに必要になる生理用品を一緒に購入する事にした。


生理用品を買い物カゴに入れた後、エリスは目的の商品がどこにあるか探して回った。まさか女性用生理用品の隣に置いている事はないだろうし、風邪薬や胃薬や湿布と同じ棚にあるとは思えない。男性用化粧品など男性用の商品と同じコーナーを探してみたが、そこにも置いてなく、エリスは店内ウロウロしていた。


そして、レジ近くにそれらしいパッケージを見付けた。そして、レジに並ぶふりをして素早く買い物カゴにその商品を入れて、何食わぬ顔でレジに並んだ。


レジで生理用品は専用の黒い袋に入れられるが、もう一つの商品も一緒に入れられてしまった。エリスはそれが別に不都合ではないので、お金を払いそのまま持ち帰る事にした。


エリスはマンションに帰った後、生理用品は私物をしまっている戸棚へ入れて、もう一つの品物をスーツケースに入れておいた。


エリスが買ったもう一つの品物、紫色の小さなパッケージ入ったそれは男性用避妊具、つまりコンドームである。エリスとしては、間違いなく童貞であろう健太が、そのような物を持っているはずがないと思っていたし、実際に部屋で見た事もなかった。また、仮にどこかに隠し持っていたとしても、わざわざ旅行に持って行く事はないはずであると考えていた。


エリスとしては、健太の姉に焚き付けられてしまい、すっかりその気になっていた。


(これでよし。後は明日の夜、これをタイミングよく取り出すだけね)


エリスはスーツケースの前に立ち尽くしたまま、目を閉じて明日の夜の妄想に浸っていた。


(これで、健太ともっと親密になれるはずだわ)


エリスは自分が天使になってしまうと、日本に赴任する事になるだろうが、必要に応じて日本中どこにでも行かなければならない、今のように健太と一緒に暮らすなど望めるはずがない。


(それならば、来年4月までに一生分愛し合えばいいのよ)


そう考えると、エリスは胸のつかえが取れたのか、とても気分が良くなった。


旅行初日の土曜日の朝、健太とエリスは福山を7時58分に出発する『さくら543号』に乗って小倉を目指した。


普段は福山駅を使う時は、健太の自宅マンションのすぐ近くにある備後本庄駅から福塩線の列車に乗り福山駅へ行くのだが、朝のラッシュ時の福塩線は、通学の高校生ですし詰め状態なので、スーツケースを持って乗り込むのは困難なため、二人はタクシーで福山駅へ向かった。


この日は二人共早起きして、既に朝ごはんはすませており、食後の満腹感と早起きの疲れからか健太は新幹線に乗り、席に座るとすぐにウトウトしはじめた。


一方、健太の隣の窓際の席に座ったエリスは高速で流れ行く景色を眺めて楽しんでいた。


今回の旅行では宮崎駅、熊本駅を訪問予定である。本当は鹿児島中央駅を訪問したかったのだが、健太がどうしても日本三大車窓の一つ、肥薩線の大畑ループを乗りたかったので鹿児島中央駅を諦める事にした。


二人が乗った、さくら543号は9時12分に小倉に到着する。小倉からは9時48分発のソニック9号に乗り継ぐ予定だ。実はさくら543号の後のさくら545号でも小倉着は9時38分なので、時間的にはソニック9号に乗り継ぐ事は可能であるが、小倉で飲食物を買うために、時間に余裕を持たせて早めに小倉に着く事にしたのである。


売店に入り、健太はおにぎりやサンドイッチをどっさりと買い、お茶や缶コーヒーなどを5本買い込んだ。エリスは菓子パンを2つとミネラルウォーターを2本買って店を出た。


ソニック9号の発車時刻まではまだ15分くらい時間があるので、二人はホームに降りて乗車口近くのベンチに腰を下ろした。


「宮崎へは14時過ぎに着くんでしょ? そこから、今夜泊まる都城という町へ真っ直ぐ行くの?」


「宮崎駅で途中下車して入場券買って、少し観光をしてから都城に向かうつもりだよ。今持ってる乗車券を見てごらん」


エリスは健太から渡されていた何枚もの切符のなかから乗車券を取り出した。


「福山→青島と書いてあるわ。青島ってどこなの?」


「青島ってのは、宮崎から日南線というローカル線で少し行ったところにある観光地だよ」


健太が立てた計画では、青島で観光してから都城へ向かいそこで宿泊する事になっている。


翌朝、都城から吉都線を利用するのだが、宮崎に泊まると朝早く出発しなければならないので、必然的に早起きしなければならない。朝に少しでもゆっくりするために、一日目に都城まで行っておきたかったのである。


しばらくすると、ソニック9号が到着するというアナウンスが流れ、健太とエリスは1号車の乗車口の表示の場所に立った。


間もなく、青い車体の列車がやって来た。これがソニック9号である。


博多から小倉までは1号車は一番後ろの車両であるが、小倉で方向転換するので、小倉からは一番前になるのである。


この車両は883系という型式でソニック専用の車両である。


二人は1号車に乗車した。普通は乗車口は車両の左右の端にあるものであるが、この車両は車両の中央部に乗車口がある。乗車してデッキに立つと、目の前にトイレがあり、左右に客室へ通じる扉があった。


二人はグリーン車の表示がある扉から客室へ入り、予約してあった5番CとD席に座った。


なぜ、わざわざグリーン車を利用するのかというと、JR九州はグリーン料金があまり高くないので、普通車指定席を利用する料金に少し足すだけでよい。本州でグリーン車を利用すると、かなり高額なグリーン料金を払う事になるが、九州だと手軽にグリーン車を使えるのである。


グリーン車は1号車の半分だけで、一人掛けの席と二人掛けの席が横並びにあってそれが5列ある。つまり、この列車のグリーン車は15席しかないのである。


席に座るとすぐに列車が走り始めた。グリーン車とあって、わりとゆったりと座っていられるが、やや奇抜な形のシートは慣れない人には座り心地が落ち着かないかもしれない。


「この列車は大分行きよね? 大分で次の列車に乗り換えるのだけど、大分駅で入場券を買う時間はなかったの?」


エリスはせっかく大分駅に行くのだから、訪問を証明する入場券を買いたいのである。


「大分では次の列車が出発するまで5分しかないからね。それに大分へはまた来ればいいさ。景色のよい路線があるから、今度はその路線を使って行ってみよう」


健太は大分へはまた来ればよいと考えているようである。


ソニック9号はスピードを出して日豊本線を南下して行く。小倉近郊は住宅地だったのだが、すぐに車窓は田園風景に変わった。


ソニック9号は行橋、中津と停車した。停車駅の周辺はそれなりの街なのだが、それ以外は基本的にはのどかな風景だ。


ソニックには車内販売がないため、飲食物は予め購入してから乗車する必要がある。健太はすでに小倉で買ったペットボトルを1本飲み干していた。


「意外と海辺を走らないのね。九州の東海岸を走ってると思ったけど」


中津と別府の間にある宇佐駅を通過したあたりでエリスが言った。エリスは日豊本線は海辺を南下していると想像していたのである。


「大分より手前は海はほとんど見えないな。宮崎県に入ると海辺を走るけど」


大分より手前だと、中津の少し手前の宇島という駅の手前でわずかに海が見えるくらいである。後は別府あたりまでは内陸部を走る事になる。


すでに田植えの済んだ田んぼと、小さな集落が続く単調な風景にやや飽きてきた頃に列車は別府市街にやって来た。


別府は西日本最大級の温泉地であり、観光客もかなり多い。二人が乗るソニック9号も当然別府には停車する。


「別府は有名な温泉地だけど、天上界には温泉はあるの?」


「温泉はあるわよ。でも、日本の温泉とは違い、水着を着て入るのよ」


どうやら、外国にある温泉のような水着を着て入る温泉があるようだ。


「水着なんて着てたらゆったり出来ない気がするけどなぁ」


健太だけでなく、日本人は温泉は風呂の一種と考えているが、外国人は温水プールのような感覚で温泉に入る。


「いつか、二人で温泉行ってみたいね。部屋に専用の温泉風呂が付いてる豪華な旅館がいいな」


「専用の温泉とかいいわねぇ」


健太は温泉地を通る鉄道路線がどこにあったかを考えていた。健太としては、エリスと混浴出来る可能性があるので、是非とも温泉に行かねばという気持ちになっていた。



やがて、別府を出発したソニック9号は定刻通り11時06分に大分に到着した。列車を降りた健太とエリスは、すぐ隣に停まっているにちりん9号に乗り換えた。


にちりん9号もグリーン車の席を予約してあって、1号車1番AB席を確保していた。


「眺めいいわね」


にちりん9号はハイパーサルーンと呼ばれる783系という車両である。グリーン車からは運転席と前面の景色も一望出来るので、鉄道ファンは783系のグリーン車を利用する際には一番前の席に座るのである。


健太とエリスが座った1列目AB席の右側には、通路を挟んでC席があり、そこには健太に近い年齢の青年が座っており、スマホを出して動画を撮影している。


この青年はソニック9号のグリーン車にも乗っており、小倉で健太とエリスが乗車した時には既に車内にいた事から、おそらく博多方面で乗車したのだろう。そして、青年は手荷物を一切持ってない事から宿泊を伴う旅行ではないと推測される。


(おそらく、観光や仕事目的ではなく乗り鉄なのだろう。たぶん、宮崎まで乗り通し宮崎から高速バスで博多へ帰るんだろう)


健太は青年を見ながら想像していた。健太は自身も乗り鉄であり、日帰りで遠方の鉄道に乗りに行く事も多い。それこそ、このにちりん9号には一昨年に乗車した事があり、まさに青年が座っている1列目C席に座り前面展望を満喫した事があるのだ。


その時の景色がとても良かったので、健太自身もまた乗りたかったし、エリスにこの景色を見せたかったので、あえてグリーン車にしていたのである。


にちりん9号のグリーン車には健太とエリス、乗り鉄青年の3人だけで、他に客はいない。


健太は独り旅をしていた頃には、独りの方が気楽でいいと思っていたが、エリスを連れていると独り旅の人間に対し優越感に浸れるのだから現金なものである。


「そろそろ昼ごはんにしない?」


列車が最初の停車駅である鶴崎を出て、しばらくしたあたりでエリスが健太に言った。


「じゃあ、食べようか」


健太が小倉の売店で買ったサンドイッチやおにぎりを出しながら言った。


エリスは菓子パン2個だけなのですぐに食べてしまったが、健太はサンドイッチもおにぎりもたくさん買い込んでいたので、食べるにはかなりの時間を費やした。健太が昼ごはんを食べている間に臼杵、津久見と停車して、食べ終わる頃には佐伯の到着案内の車内放送が流れていた。


小さな港町である佐伯を出発した列車はどんどん山の中へ入って行く、ここは大分県と宮崎県の県境であり、線路は急な坂を登っていた。


このあたりは『宗太郎越え』と呼ばれる難所であり、人家の少ない山奥のうえに、県境を挟んでいるので通勤通学や買い物客の利用がほとんどないため、普通列車の本数が極端に少ない。特急列車は約一時間おきに走っているが、普通列車は一日数本だけである。


この区間は青春18きっぷを使い、普通列車のみで旅行をする者にとっては、乗り継ぎに困る鬼門である。佐伯から延岡の間だけは、わざわざ乗車券と自由席特急券を買い特急列車に乗る人も少なくない。


そんな山深い場所を一時間走り、ようやく延岡に着いた。延岡は人口の少ない地域にポツンと存在する地方都市であり、かつては陸の孤島と呼ばれる程に交通が不便な街だった。今は宮崎市から高速道路が繋がっており、多少は改善されている。


このあたりから、所々で車窓左側に海が見えるようになり、山深い場所ではなく田畑が広がるのどかな場所を列車は走るようになる。


「ここを新幹線が走ってるの?」


にちりん9号が走っている日豊本線の線路に並んで高架がずっと繋がっていて、一見新幹線のようにも見える。


「これは、昔リニアモーターカーという高速交通システムの実験に使われていたんだよ。今は使われてないけどね」


それから健太はリニアモーターカーについて色々とエリスに説明した。


そうこうするうちに時間が経って、最後の停車駅である佐土原に着いた。


「あと10分で宮崎に着くから、降りる準備をしておこう」


健太は飲み食いして出た二人分のゴミをゴミ箱に捨てに行き、エリスはお手洗いに向かった。


二人が席に戻ってすぐに宮崎への到着案内の放送が流れて来た。


そして、ようやくにちりん9号は宮崎へ到着したのである。


これから二人は青島へ向かうのだが、にちりん9号の宮崎着は14時12分、青島へ向かう日南線の列車の出発時刻は14時48分である。この36分の時間を利用して、二人は一度改札から出て、入場券を購入してから再び改札から中に入り、日南線の列車が出発するホームに向かった。


二人がこれから乗る、宮崎発14時48分発油津行きはまだホームには来ておらず、出発時刻直前にようやくやって来た。二人は並んで座った。列車はそれからすぐに出発した。


最初の停車駅である南宮崎から日南線に入ると、列車はやたら揺れて落ち着かない。田吉、南方と駅に停まるたびに周辺は市街地から郊外へ、そして田園地帯へと変化して行った。


宮崎を出発した時には2両編成の列車には座れずに立っていた乗客もいたが、南宮崎、田吉でかなりの乗客が降り、車内に立ち客はいなくなり、席も所々に空席が見られるようになった。


列車が青島に着いたのは15時16分である。青島では20人近い客が下りたのだが、大半は地元の学生や買い物帰りの客で、健太とエリスのように大きな荷物を持った観光客はわずかしかいなかった。


何もない小さな青島駅を出て、静かな住宅街を海に向かって歩くと国道があり、信号を渡り左右に土産物店が軒を連ねる路地を歩いたが、観光客の姿はまばらである。


昭和40年代には新婚旅行のメッカとして栄えた青島だが、21世紀に入るとすっかり寂れてしまい、ホテルが廃業するなど明るい話題が乏しくなっていた。


青島は島といっても陸と繋がっており、歩いて渡る事が出来る。


健太とエリスは歩いて青島に渡り青島神社へお参りした。ゆっくりしていたいが、時間があまりないので、植物園へ向かった。


そこは亜熱帯植物を集めた植物園であり、日本では見られない植物も多数揃えられている。


あくまで駅を巡る旅行であり、観光目的ではないために観光地でのんびりしていられないが、健太が独りで乗り鉄旅行をする際には、朝から晩まで、ひたすら列車に乗り続ける。それに比べたら、短時間とはいえ観光地に立ち寄るだけでもかなりマシになったとも言えよう。


また、健太もエリスもスーツケースを持ち歩いているため、重くてあまり歩きたくないのも観光地であまりウロウロしない要因の一つである。


植物園から出て青島駅へ戻り、駅の待合室で列車を待つ間に健太がエリスに提案した。


「スーツケースを持ち歩くのは重くて不便だから、コインロッカーに入れられないような所に行く時は、背負ってあるけるリュックサックの方がいいんじゃないかな?」


「その、コインロッカーって何なの?」


健太は話の腰を折られたような気がしたが、異世界人に文句を言っても始まらない。まずはコインロッカーの説明をした。その上で旅行にはリュックサックの方が便利かもと提案した。


「リュックサックだと服を上手く詰めるのが難しいけど、ずっとスーツケースを転がすよりはマシだと思うわね」


「じゃあ、福山に帰ったらリュックサックを買いに行こうか? それかネットで買う?」


「わざわざお店に行っていいのが無かったら困るから、ネットで買う方がいいんじゃない?」


今度の旅行はおそらくリュックサックを背負って出掛ける事になるだろう。


「そろそろホームに出ようか」


健太が促して上り線ホームに向かった。数分後に列車がやって来た。


「まぁ、カワイイ列車ね」


エリスが目を輝かせて言った。これから乗るのは、海幸山幸という列車で特急列車に分類される。


青島から乗り継ぎ駅である南宮崎までは20分の距離なので、わざわざ特急列車にのる必要はないのだが、ちょうどよい時間の普通列車が無かったのと、エリスを喜ばせるためにわざわざ特急列車に乗る事にしたのである。


白と茶色でレトロ風の見た目の列車は、車内もお洒落な造りであり、目的地に早く着くというより乗車する事を楽しむ観光列車である。


この海幸山幸には青島駅からは健太とエリス以外にも数人の乗車があった。


健太は指定席を取っていたので、席は確保出来たのだが、車内は満席に近くなかなか人気のある列車のようである。


列車が青島を出ると、女性のアテンダントが切符の確認に来たので、どうやら車掌は乗務しておらず、観光案内などをするアテンダントが検札もこなしているようである。


列車に乗ってエリスも疲れたのか、少しウトウトしている。乗車時間はわずか20分だからぐっすり眠れないだろうが、健太は南宮崎に着くまではそっとしておく事にした。


エリスがゆっくり眠る暇もなく、列車は南宮崎に到着した。南宮崎に着く直前に健太はエリスを起こして二人は列車を降りた。


青島から乗った海幸山幸が南宮崎に到着したのは17時09分、次に乗る特急きりしま17号は17時40分発である。約30分という中途半端な乗り継ぎ時間であるから、改札から出て駅の近くの喫茶店に入る事も出来ず、ホーム上で時間を潰すしかなかった。もっとも、長時間列車に乗る事に慣れていないエリスはややお疲れの様子なので、ホーム上でベンチに座って休んで正解だったと言えよう。


結局、ホーム上で列車を待ち、17時40分発のきりしま17号鹿児島中央行きに乗り込んだ。二人が乗り込んだのは3号車自由席だが、なかなかの混雑で二人並んで座れるほど空席はなく、ポツポツと空いていた席にそれぞれ座った。


健太が座ったのは二つ並んだ席の通路側で、窓側にはきちんと背広を着てネクタイを締めたビジネスマンらしい中年の男性が座っていた。


エリスが座ったのも通路側で、隣には缶ビールを飲みながらくつろいでいるおじいさんが座っていた。


きりしま9号は南宮崎を出発して数分で次の停車駅である清武に着いた。清武で数人の乗車があり、ほぼ満席となった。


健太は特急きりしまは乗客が少ないイメージを持っていたし、過去に乗車した時はガラガラに空いていたので、わざわざ指定席を予約する必要がないと思っていたので自由席にしたのだが、夕方とあって想像よりは乗客が多かった。


列車が田野という駅を通過すると、急に山深い所を走るようになる。次の青井岳駅までは家一つない場所を延々と走る。青井岳駅を通過しても山奥に変わりなく、昼間に太陽に照らされていると山の緑が映えて美しい風景なのだが、陽が傾く時間帯だと寂しさを感じさせる。


山之口駅を過ぎるあたりから再び人家が見えるようになり、人家がだんだん増えていき、それが街を形成するようになると都城に到着する。


健太は到着前に席を立ち、エリスに次で下りると教えてデッキに出て行った。列車のスピードが落ちて駅に接近したあたりでエリスもデッキに出て来た。


きりしま9号は18時25分に都城に到着し、健太とエリスは列車から下りた。宮崎から都城までの近距離利用者がかなりいるようで、都城では30人以上が下車していた。


改札で切符を渡し外に出た二人は駅を離れて歩き出した。


「晩ごはんを食べてからホテルに入る?」


健太がエリスに訊いた。健太はキョロキョロしながら晩ごはんが食べられそうな店を探している。しかし、都城駅周辺にはレストランや食堂が見当たらない。


「こんな荷物を持って店には入れないわ。ホテルに荷物を置いてから晩ごはんを食べに行きましょう。それに、ホテルならレストランがあるんじゃない?」


エリスはチェックインしてから晩ごはんを食べに行くのを提案した。


「今夜泊まるのは安いビジネスホテルだから、ホテルにレストランとかはないと思うよ。ホテルはすぐ近くだからさっそくチェックインしよう」


健太はホテルを目指し歩き始めた。エリスもそれに付いて行く。駅前の通りから大通りに出る手前にホテルがあり、健太は玄関から入って行った。


ホテルに入る前に、エリスは建物を見上げた。大きくはないが小さくもない建物であるが、見た目にはかなり古い建物である。エリスは贅沢な旅をするつもりはないので、宿にこだわりはないので古かろうが何ら問題はない。


エリスも健太に続きロビーに入ると、健太はすでにフロントに向かっていた。


「予約していた中野ですが」


「いらっしゃいませ。中野様ですね、お待ちしておりました」


フロント係は50歳くらいの男性で、宿泊カードを健太の前に差し出した。健太はテキパキと記入していきエリスの分も記入した。


「中野健太様、2名でのご宿泊でシングルルームが二部屋ですね。こちらがカードキーになります。最上階の705号室と706号室を用意いたしました。そちらのエレベーターで7階に上がっていただき、下りられまして通路を右に行った所です」


健太の後ろでフロント係の言葉を聞いていたエリスは耳を疑った。


(シングルルーム二部屋と言ったわよね? 健太とは別の部屋なの?)


エリスは今夜は健太と肉体的に結ばれるべく勝負をかけようと、わざわざコンドームまで用意していたのに、別々に泊まるとは拍子抜けもいいところである。


「じゃ、エレベーターで7階に上がろう」


エリスの胸の内など何も知らぬ健太がニコニコしながらエリスを促した。


「……ええ、わかったわ」


浮かない表情でエリスが言ったが、健太は先にエレベーターに向かっていて、エリスの表情は見ていなかった。


「二部屋予約してたのね」


エレベーターに乗ってすぐエリスが健太に言った。


「普段、一緒の部屋で暮らしてて、なかなか一人で過ごす事が出来なかっただろ? こういう時ぐらいは一人でくつろげばいいよ」


健太はエリスは喜ぶものと思い、親切をしたつもりである。


しかし、エリスとすれば登っていた梯を外されたようなもので、どうしても納得がいかない。


「そうなの……」


「ん? 何かいけなかったかな?」


「そ、そんな事ないわ。ありがとう」


健太はエリスがうかない表情なので首を捻った。


(ホテルが安っぽいから気に入らなかったのかな?)


健太は費用を節約するために、宿泊費が安めのホテルを予約したのだが、それがエリスには不満だったのかもと考えていた。


エリスとしても、わざわざシングル二部屋を予約したのは健太の親切心だけに、あからさまに不満を述べるわけにもいかず、ポーカーフェイスを保とうとするが、健太にはそれが逆に不自然に見えているのかも知れない。


「俺は705でエリスは706だな。これ、カードキーだから……」


部屋の前で健太はエリスにカードキーを渡した。エリスは受けとると、スタスタと706号室の方に歩いて行った。カードキーを持った方の手を肩から掛けたハンドバッグに入れると、そのままドアに向かって行く。


そして、エリスはそのままドアの中に吸い込まれてしまった。


(壁抜けか、珍しいな。疲れてるのかな?)


エリスは天上界で開発された近距離転移装置を持ち歩いている。ドアや薄い壁の向こう側くらいの近距離なら瞬間移動出来る装置であるが、地上界では他人に見られたらマズいので、普段は使わない。こんな場所で壁抜けを使うとは、健太はエリスが疲れてるのだと考えた。女性心理に疎い健太にエリスの心中を察しろというのは無理難題である。


健太は自分の部屋に入ると、スマホでエリスに電話をかけて、晩ごはんを食べに行く準備が出来たら電話するように言った。


健太は荷物を部屋の隅に置いて、小さなテーブルに向かって椅子に座り、タバコを一服しているとエリスから電話がかかって来た。健太はすぐにタバコの火を消して部屋から出た。


エリスは荷物を置いてすぐに出て来たようで、ピンクのシャツに白のフレアスカートという出発時と同じ服装だった。


「着替えなかったんだね」


「二日分の服と部屋着しか用意してないから」


エリスは荷物を軽くするために、洋服は少なくしていたのである。


二人でエレベーターで1階に降りてフロントに行き、レストランの場所を尋ね、一番近いファミレスに向かってホテルから出た。


ホテル前の路地から、大通りに出て数分歩いた所にファミレスがあったのだが、週末の夜8時頃という時間帯である。ファミレスは満席で入口横のソファには順番待ちをしている人が座っていた。


「待つ?」


健太はエリスに訊いた。


「すぐに食べたいわ。もう少し先に何かあるんじゃないかしら」


エリスは待ちたくなかったので、他の店を探すよう提案した。


二人はファミレスを出て、大通りを歩いて店を探した。しかし、なかなか食事が出来そうな店が見つからない。


「スマホの地図だと、この先の信号の所にレストランらしい店があるよ」


健太がスマホの地図を見ながら言った。


「あれかしら」


エリスが指差した先には、アパートがあってその1階に小さなレストランがあった。


入口に電気が点いているので営業しているはずだ。二人は入口のドアを開けて中に入った。


「いらっしゃいませ、お二人様ですか?」


「はい、そうです」


「では、あちらのテーブルにどうぞ」


ウエイトレスに言われるがまま、健太とエリスは奥の方の四人がけのテーブルに向かった。二人が座ってすぐにウエイトレスがメニューと水を持ってやって来た。


「お決まりになりましたら、お呼び下さい」


ウエイトレスはメニューに二つ、健太とエリスの前に置き、それから水をそれぞれの前に置いて戻って行った。


「さて、何を食べようかなぁ」


健太はメニューをめくってみた。メニューから判断すると、このレストランはステーキやハンバーグを扱っているようだ。


「やっぱ、ステーキがいいな」


「健太は決まった?」


「ここはステーキが自慢の店っぽいから、ステーキにしようと思う。エリスもステーキにしたらいいと思うよ」


健太はエリスが気を遣い安い物を選ばないように、先手を打ってステーキを勧めた。


「決まった?」


健太がエリスに訊いた。


「ええ、決まったわ」


エリスが食べる物を決めたようなので、健太はウエイトレスを呼んだ。


「エリスからどうぞ」


健太はエリスに先に注文させた。健太が先だとエリスが健太より高い物を注文せず、健太より安い物にしたり、健太と同じ物を注文するからである。エリスに好きな物を食べてもらうには健太より先に注文させなければならない。


「フィレステーキをミディアムレアで」


「俺はサーロインステーキをミディアムで」


「お飲み物はよろしいですか?」


「いいです」


「俺もいらないよ」


「かしこまりました」


ウエイトレスはお辞儀をして戻って行った。


「けっこう高い店だけど大丈夫なの?」


エリスはお金を出してもらう立場なので、健太の懐具合を心配していた。


「それは大丈夫だから」


健太はエリスが思っているよりはるかにお金を持っているので、少々の贅沢で困る事はない。


しばらくして注文した料理が運ばれて来た。二人ともお腹が空いていたので、黙々とステーキを食べた。


「美味しかったわね。いい肉を使ってるわ」


支払いを済ませ店を出てホテルへの帰り道、エリスは上機嫌だった。健太はチェックインした時にエリスが不機嫌だったので少しホッとした。


エリスはアテが外れて不満だったのだが、おいしい食事で少しばかり気分が良くなっていたのは事実であるが、不満が全て解消したわけではない。


ホテルに戻った二人はそれぞれの部屋に入った。


健太はエリスが安いホテルで不満があるみたいだから、次はもう少し豪華なホテルにしようと反省し、エリスは健太が親切心で別々の部屋にしただけに、不満を口にする事も出来ずモヤモヤした気分だった。


(健太って、ホントに『いい人』だわ)


エリスは独りでベッドに寝転びながら、少し皮肉こもったため息を吐くのであった。

次回は南九州の旅、第二日目です。

お楽しみに

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