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エリス特製!天上界弁当

ご覧いただき誠にありがとうございます。

今回は天上界の食べ物についての話です

ゴールデンウィークが終わり、世間が平静を取り戻した5月上旬の平日、中野健太は職場であるバス会社に、マイカーであるD社製の白い軽自動車で向かっているところだ。


助手席には弁当箱の入った手提げ袋が置かれている。


言うまでもなく、この弁当は健太の自宅マンションに居候している天上界から来た人物、見習い天使のエリス・ローバーンによって作られたものである。


エリスがやって来るまで、健太の昼ごはんは出勤途中にコンビニに寄って購入したパンやおにぎりだった。


エリスと暮らすようになってしばらくして、状況が落ち着いてエリスが料理をするようになると、健太はエリス手作りの弁当を持たされるようになった。


健太からすれば、昼ごはんはパンやおにぎりで充分なので、無理に弁当など必要ないのだが、エリスがどうしても弁当を作りたいというので、おのずから昼ごはんは弁当という事になったのである。


エリスの作る弁当は、彼女が天上界の人間だからといって特別な物ではなく、ごく普通の弁当だった。


傷まないように生物は使わず、おかずは揚げ物や焼き物が主体である。焼いたソーセージに焼き魚が入っている事が多いが、たまにエビフライやトンカツが入っている事もある。


ただし、弁当のおかずの定番である玉子焼きが入っていた事は一度もない。これは天上界では玉子を食べる習慣がないためである。


この日の健太の出社時刻は10時15分、出庫が10時30分、福山駅からの運行を開始するのは11時15分である。


昼ごはんを食べる休憩は14時10分から15時15分であり、退社時刻は20時45分の予定である。


この日は朝から雨模様で、普段は自転車を使う人がバスに乗って来る事もあり、乗客がやや多めだった。


また、雨の日は車の流れが悪く、健太の乗務するバスも少し遅延が発生していたため、休憩のために車庫に戻ったのは14時35分になっていた。


休憩後は15時15分には出庫して福山駅に戻らなければならない。休憩時間の開始が遅れたからといって、休憩時間の終了を遅らせる事は出来ないので、休憩前に遅延が発生すると、遅延した分だけ休憩時間が短くなるわけである。


車庫に戻った健太は、バスを所定の場所に停めてから乗務員詰所に戻った。


詰所は車庫に隣接した場所にある、健太の勤めるバス会社の本社の社屋の一階の裏側にある。広さは7メートル四方くらいで、私物を入れる棚と冷蔵庫と冷水器が置いてあり、中央にはテーブルが置かれている。


詰所に入った健太はトイレに行った後、手を洗ってから詰所の隅っこにある冷蔵庫から弁当箱を取り出した。それから、冷水器から冷たい水を備え付けの紙コップ一杯に注ぎ、まずはその場でグイッと飲み干して、改めて紙コップに冷水を注ぎ直してテーブルへと戻った。


詰所には細長いテーブルが二つ横並びに並んでおり、8人が着席出来るようになっている。運転手の数は多いが休憩時間がバラバラなので、このテーブルが満席になる事はほとんどない。


健太が昼ごはんを食べるために席についた時には、他に2人の運転手が座っていた。


「中野、今日も弁当か」


声をかけたのは、竹中正二というベテラン運転手で、既に60歳を過ぎており定年を迎えているのだが、バスの運転手は慢性的な人手不足なので、一年毎に更新される契約で再雇用されているこの道30年の熟練運転手である。


「毎日作ってくれるとは出来た彼女だな」


竹中が感心したように言った。


「中野さん、どんな彼女なんすか?」


竹中と共に休憩中だった松原恭平が聞いた。松原は去年入社した若手である。


「そんなんじゃないよ」


健太はエリスの事を上手く説明する自信がないので黙っておくつもりだった。


「じゃあ、ワシは出庫するわ。彼女、大切にしろよ」


竹中は冷やかしてから出庫のために詰所を出て行った。竹中がいなくなると、松原が健太の隣の席に移動して来た。


「おい、松原。隣に来たら落ち着いて飯が食えんから、あっち行けよ」


健太は松原を追い払おうとしたが、余計に松原の興味を引いてしまった。


「マジでどんな人なんすか? 中野さんは自分で弁当なんて作るような人じゃないし」


松原はどうしても健太の彼女について聞き出すつもりだった。


「まぁ、とりあえず飯を食わせろ」


このままでは、いつまでたっても弁当が食べられそうにないので、健太は松原を制して弁当箱の蓋を開けたのだが……


(なんだこれは?)


弁当箱の中には弁当の定番のおかずが入っておらず、予想外のおかずが入っていた。


「ちょっと変わった弁当っすね」


横から松原が弁当箱の中身をのぞき見して言った。


弁当箱の半分は白米で占められていたがそれは良い。問題は残り半分だ。


煮豆だろうか豆が二種類、それからステーキか焼肉かというような肉のかまたり、そして、キャベツを切ったというより、むしったようなキャベツの大きな葉が一枚入っている。


「豆が二種類とか珍しいっすねぇ〜」


松原が言った。


健太は箸を取り出すと、二種類ある豆の一つを食べてみた。


「うわっ!」


健太は声を上げた。


「辛っ!」


健太が食べた煮豆は香辛料たっぷりの味付けで、知らずに食べたため、思わず声が出てしまったのである。


「どうしたんすか?」


松原が驚いて言った。


「この豆、一つ食ってみろ」


健太は煮豆を指差しながら言った。松原は手で煮豆を一つつまんで口に入れた。


「うわっ、辛い!」


松原も辛さに驚いて冷水器に行き、備え付けの紙コップに冷たい水を注いで飲んだ。


「これは強烈っすね」


松原はあきれたように言った。


「これは、ご飯と一緒に食べるのかなぁ?」


健太は独り言を言いながら煮豆とご飯を一緒に食べてみた。


「どうすか?」


「……微妙だな」


ご飯と一緒に食べると、先程よりは辛さが和らいでいるのだが、味付けそのものがご飯には合わないのだ。


「こっちの煮豆はどうなんすかねぇ?」


松原がもう一つの煮豆を指差しながら言った。最初に食べたのと同じ豆であり、見た目も同じに見える。


「さぁ、どうだろうな」


健太はもう一つの煮豆を食べてみた。煮豆を口に入れた健太は怪訝な表情になった。


「全然味がしない……」


こちらの煮豆はただの水煮のようである。


「さっきの辛さで舌が麻痺してるんじゃないすかね。あまりに辛い物を食べると、その後に何を食べても味がしなくなる事があるっすよ」


松原が持論を展開する。しかし、健太にはこちらの煮豆は全く味付けしてないように思えた。



「キャベツで口直しするかな」


今度はキャベツを食べてみる事にした。健太は箸でキャベツをつまもうとすると、キャベツはベローンとしなびてしまった。


「生かと思ったけど、煮込んであるのかな?」


健太は首をひねりながら言った。もっとも、こんな大きな生のキャベツを食べるのは難しい。煮込んであった方が良いかもしれないと思った。


「ザウアークラウトじゃないすか?」


横から松原が言った。ザウアークラウトとはキャベツの酢漬けの事である。


「ザウアークラウトって、こんなフニャフニャになるか?」


健太にはこれがザウアークラウトには見えなかった。また、ザウアークラウトを美味しいとは思っていないので、違っていてほしいという思いもあった。


「これは絶対煮込んであるはずだ」


健太はキャベツを食べてみた。キャベツを口に入れた健太は、なるほどという感じにうなずいた。


「コンソメみたいな味で煮込んであるな。これは食べれる」


特に美味しくはないが、食べるには問題ない。健太はキャベツを全部食べた。残るは焼き肉かステーキかというような焼いた肉のかたまりだけである。


「いよいよ、メインディッシュっすね」


松原が大きな肉のかたまりに目を輝かせながら言った。しかし、見た目にはステーキソースがかかっていない。味は肉に直接付けているのかもしれない。


健太は焼いた肉のかたまりをじっと見つめた。見たところ、牛肉で脂身が少ない赤身の部分を、小さめのステーキ程度の大きさにカットして焼いているようである。


健太は牛肉なら大丈夫だろうと思いながら、肉にかじりついた。


「どうっすか?」


松原が興味津々の様子で聞くが、健太はモグモグと肉を食べながら、美味しそうにも不味そうにも見えない微妙な表情をしている。


「うーん……不味いわけじゃないけど、塩こしょうをたっぷりかけて焼いただけみたいだ。まぁ、ご飯と一緒に食べるならいいかな」


健太は肉とご飯を交互に食べる。しかし、塩こしょうだけの味付けなので、すぐに飽きてしまう。


「中野さんの彼女さんって、ちょっと変わった味付けをする人なんすね」


松原が健太に言った。


「まぁ、日本の料理は作った事がない人だから……」


健太はつい口を滑らせてしまった。


「えーっ!?」


松原が驚いて声を出した。


「何を驚いてるんだよ」


健太は松原が驚いた理由がわからなかった。


「中野さんの彼女さんって外国人なんすか?」


松原が言ったところで、健太は松原が驚いた理由がわかった。


健太はエリスの事は出来れば秘密にしておきたかったのだが、こうなってはしかたない。


「まぁ、日本人ではないな……」


健太は嘘は吐いていない。しかし、異世界から来たなどと言えるわけではないのだが。


「どこの国の人なんすか?」


「えーと、どこなんだろう……聞いてなかったな」


健太はエリスとの間で、こういう場合にはどう答えればよいかを決めていなかった。


「聞いてないって事はないでしょ?」


松原は健太が嘘を言ってると判断しているようだ。


「まぁ、いいじゃないか。お前はもう出庫の時間じゃないのか?」


健太は時計を見ながら松原に言った。松原は時計を見て慌てて自分の車両へ走って行った。


(やれやれ……しかし、こういう時にどう対処すべきか、エリスと口裏を合わせる必要があるし話し合っておかないといけないな)


健太はエリスの『地上人仕様』の設定を二人で話し合って決めておく必要性を感じていた。


健太は残った弁当を無理矢理かき込み、紙コップの水を一気に飲んでからバスの出庫のために詰所から出て行った。


健太が仕事を終えてマンションに帰ったのは21時30分頃である。


健太が帰るのを待ちわびていたのか、居間でくつろいでいたエリスが飛んで来た。健太から弁当箱を受け取ると、すぐにそれを流し台で洗い始めた。


「ちゃんと残さずに食べてるわね。口に合わないかもと思ってたけど」


エリスは健太が弁当を残さず食べた事を喜んだ。


「やっぱり、あれは天上界の料理だったんだな」


「ええ、そうよ。どうだったかしら?」


「あの豆以外はちょっと味気ないけど、食べるのは平気だったよ」


健太は昼間を思い出しながら言った。


「煮豆は苦手なの?」


「苦手じゃないけど、あれは辛すぎるよ。逆に、もう一つの煮豆は全然味が付いてなかったし。ちょっと極端すぎたかな」


健太が言うと、エリスは何かを納得したようで、大きくうなずいた。


「あれはね。二種類の煮豆を同時に食べるのよ。食べる時に、二種類の割合を変える事で辛いのが好きな人も、そうでない人もそれぞれが好きな辛さで食べられるのよ」


エリスが説明すると、健太はようやく納得したようである。


「それで煮豆が二種類あったのか。俺は天上界の人は豆が大好きなのかと思ったよ」


健太が言うとエリスは苦笑いした。


「まぁ、私たちは豆をよく食べるのは事実よ。それで、ちょっと困った事が起きたのよ」


今度はエリスが少し意地悪そうな笑みを浮かべながら言った。


「困った事って?」


「実は、豆をたくさん買ったから、まだずいぶん残ってるのよ」


エリスが言うと健太は驚いた表情を見せた。


「えーっ!? あの煮豆をまた食べるのか」


健太はため息を吐きながら言った。


そんな健太を見ながらエリスは居間へ向かい、居間から手招きする。


健太が居間に向かうと、座卓には晩ごはんが二人分用意されていた。


「これは……」


健太は用意された晩ごはんを眺めた。そこには、牛肉とキャベツと豆を使った料理が並んでいた。しかし、それらは健太も見た事がある料理ばかりだった。


「豆はチリソースで煮込んでるし、キャベツはちゃんと千切りにしてるし、肉にはステーキソースを用意しておいたわ」


エリスがニコニコしながら言った。


「これは美味しそうだなぁ」


健太もこれなら満足したようである。


「正直、私も地上界の味付けの方が美味しいと思うわね」


エリスが言いながら座卓の前に座る。それを見た健太も座った。


「いただきます!」


健太とエリスの幸せな晩ごはんの始まりである。


なお、翌日からの健太の弁当は普通の弁当に戻った。そして、同僚からは、弁当を作っている人はどこの国の人なのか聞かれる毎日だった。


健太とエリスはこのような時に備え、エリスの地上人仕様の設定を話し合った。その結果、エリスはイギリス人という事になったのである。


そして、健太の弁当にイギリスの代表的な料理であるフィッシュアンドチップスが入るようになったのは言うまでもない。これはエリスがイギリス人設定となったため、慌てて作り方を調べたのだが、かなり美味しくて、健太は会社の同僚からお裾分けを要求されるようになった。


エリスがイギリス人という事になったため、あの不思議な煮豆も自然とイギリス料理にされてしまったため、あまり美味しくないと言われるイギリス料理の評判を更に下げる事になってしまったのである。

次回は旅の話となります。お楽しみに

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