プロローグ
2017年4月のある日、広島県福山市は前日まで3日間降り続き、満開の桜を散らせた雨も上がり久しぶりに春らしいポカポカ陽気の晴天に恵まれていた。
広島県福山市というのは、広島県の東の端にあり、岡山県と県境を接する場所にある人口47万人の典型的な地方都市である。世界最大級の製鉄所、大手電機メーカーの主力工場、シェア1位の食品トレーメーカーの本社、紳士服チェーン店の最大手の本社がある都市である。
そんな福山市で生まれ育った中野健太は、先に挙げた福山市においては一流とされる企業に勤めているわけでもなく、福山市とその周辺にだけ路線を持つバス会社で路線バスの運転手として勤務している。
健太は現在28歳、両親は既に亡くなっており、福山市内のワンルームマンションで独り暮らしをしている。バスの運転手としてはまだ2年しか勤めておらず、それまではトラックの運転手だった。
この経歴だけを見ると、健太はクルマの運転が好きで、輪ッパを握る仕事以外はやりたくないようなタイプの人間だと思われがちだが、実際はそうではない。
健太が好きなのはクルマではなく鉄道だ。鉄道に乗る事が好きで、全国津々浦々にある鉄道に乗るためだけに、暇とお金があれば日本中どこにでも出掛けていたのである。
健太は世間で言うところの『鉄ヲタ』であり、鉄ヲタの中でも鉄道に乗る事に喜びを見出だす人種である『乗り鉄』というジャンルに分類される。では、なぜ健太は鉄道会社ではなく、バス会社に勤めているかというと、鉄道はあくまで趣味であり、仕事となると鉄道で働く事の嫌な面も見る事になり、結果として鉄道が嫌いになるのではないかと考えたからである。
健太は子供の頃から勉強の出来るタイプではなく、特に数学と理科は大の苦手、ただ、地図を見るのが好きだったため、社会…特に地理は成績が良かった。とはいえ、全科目を総合的に見ると、勉強が出来るタイプではないだろう。
健太はこのような成績を小学校から高校まで続けたため、大学に進学も出来ず、高校卒業後は就職する事になった。
お世辞にも手先の器用なタイプとは言えない健太は、工業高校に通わず、普通科高校に通ったため、卒業時に所持していた資格は普通自動車運転免許だけであった。
手に職を付けていれば就職にも有利であったのだが、健太は手に職など付けておらず、数ある資格の中でも初歩の中の初歩と言える普通自動車運転免許しか持っていなかったので、高校卒業後すぐに就職したのは親戚が経営する小さな食品工場だった。
食品工場で生産された商品を軽トラで得意先に配達するのが健太に与えられた仕事であった。
その仕事で自動車の運転が好きになり、22歳の時に大型自動車運転免許を取得しトラックの運転手に転職、その後バスの運転手に転職していたのである。
その日は健太は朝6時10分に出勤、当日の運行表を受け取り乗務する路線の確認をしてから運行管理者による点呼を受け、それから担当する車両を受け取った。そして、車両に異常がないか運行前点検をマニュアル通りにこなしてようやく出庫である。
この日の健太の乗務する路線は、健太が勤務するバス会社の主要路線である、福山駅と福山市南部の郊外を結ぶ路線を途中に何度か休憩をはさみながら延々と往復し、17時15分に福山駅に戻る便までを担当していた。その後車庫へ回送、運行後点検をして、運行管理者の終業点検を受けてようやく勤務終了となる。
勤務終了は17時55分であった。
退社後、いつものように自宅マンションへの帰り道にあるスーパーへ立ち寄り夕食を購入するのが日課である。
スーパーで夕食のお惣菜を数点と飲み物を購入し自宅マンションへと帰る。
健太はマイカー通勤であり、愛車は去年に中古で買った軽自動車である。会社から自宅マンションまでは自動車で約20分の距離である。
健太は18時30分には自宅マンションに着き、駐車場にマイカーを駐車して、先ほどスーパーで購入した夕食が入ったレジ袋を左手にぶら下げてマンションへと入って行った。
エレベータで自室がある4階に上がり、エレベータを降りて自室に着くまでの間に右ポケットからキーホルダーを出すのが通常のルーティーンだ。
やがて、健太は自室の前に着くと鍵穴に鍵を挿し込み鍵を開けた。そして、鍵を素早く抜いて右ポケットにしまい、ドアノブをこれまた右手で掴み右へと回す。
そして、ドアをグイっと前へと押し出した。
このドアが開いた瞬間こそ、人生が大きな転機となる瞬間である事を健太は知るよしもなかった。