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或る男の回想談

 私の妻は戦争で死んだ。

 本来ならばこんなはずじゃなかったのだ。その瞬間はすべてが闇に呑まれたような、気持ちのわるい寒気のする感覚を覚えた。私が初めて感じた感覚だ。視界が奪われ、頭はドロリとして、私はその現実を拒んだ。受け入れられなかった。こんなの嘘だと思った。これはわるい夢で、今現在起きている内の何もかもが全部虚構で、いつか目覚めればそこに、妻のあの美しい笑顔が見れるのだと、そう思った。


 そんなことはなかった。


 妻が死んだとき、私は何もできなかった。何もできないまま、私の目の前で息を引きとった。悲しいことだった。愛する者の死によって生まれる心の傷を、そのとき初めて知った。

 悲しくて、悲しくて、悲しくて敵わなかった。どうしようもなく重たい感情を、私は体の中に抱えてしまった。

 何をする気にもなれない。何をしても妻は生き返らない。これを絶望と呼ぶのだろうか。希望がないとはこういうことなのか。身体は池の底に沈んでしまったかのように動かない。涙も枯れ、脳味噌も灰のようだった。

 絶望か。

 きっと私は、そんな言葉のことを、どこか縁のないものだと決めつけていたのだろう。それだけに、今の私は傷付いていた。予期していないがゆえの痛みだった。

 妻を失った過去は、もう消えることもない。死人は蘇らないのだ。死人の眼は――二度と開かれないのだ。



 彼女のいない今、しかし私は、一人ではなかった。今、私のすぐ隣では、彼女の遺したものが、彼女によく似た顔で涙を流している。

 そうだ、私がこんなことでは駄目なのだ。

 私がこんなことでは、今度はこの子が苦しむだろう。

 そうだ、私はもう、十分涙を流した。

 十分悲しんだ。

 妻がきっとそう願っているように、私は、妻ができなかった分まで含めて、この子のために生きよう。何があっても、何が待っていても、この子を守ろう。


 それが私の選ぶ道だ。

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