ベースメント―――――オックスブラッド
ライブドとミーグが立ち去ったことによって、部屋はより一層冷え込み、静まり返り、また暗くなった。壁も床も天井も、更には空気も、無感情さに拍車がかかったようである。生気の消失はこんなにも多大なる影響を空間に与えるものなのかと、一人俺は感心してしまう。
部屋の扉手前の壁から続く小部屋に隠れて様子を窺っていた俺は、ライブドとミーグの退去からピッタリ六十秒を数えて、その小部屋を出る。
まず目が合ったのはシニカロレイヴ。いつもと変わらぬニヤニヤとした口元を、今だけは不気味に歪ませて、俺の方を見た。
そして次に目が合ったのは――
「どうして『ヴォルシア』だったんだ? 何か意味でも?」
「いいえ。意味はありませんよ。何となくです」
ライオンガイア教の教皇、ヴィオラウスだ。あの二人の前では偽名を名乗って正体を隠していた。
あいつらが果たしてヴィオラウスの名を知っていたかどうか、それは定かではないが、念には念をということなのだろう。彼が他でもない、ライオンガイアという宗教団体と関係のある――どころか、そのトップであることを知られては、まあまあ面倒なことになりかねない。
目的達成に支障をきたす。
世の中における嘘の存在意義はやはり大きいということか。嘘と呼ばれるものは、物事を潤滑に推し進めるための手段としては最適と言っても過言ではない強力な道具だ。
……という関係のない話は置いといて。
「あははは、悪いね。いやあ、本当に、悪いことをしてしまった。友人に、まるでゴキブリのような行動をとらせてしまったのだからね。まあ、あれも必要なことだったと思ってくれ、あはははは」
「ゴキブリだって俺よりかは幾分マシな行動をとるんじゃないのか。あの小部屋の不快さといったらなかったぞ。薄汚くて、おまけに臭う」
「だから、悪かったって。こっちだって、全てが計画通りに進むわけもないのさ。分かってくれって、レドラム」
■■■
「……あの小部屋、元々ここにあったようには思えないのだが?」
「はい、私が即席で作りました。計画の通りなら、そこには豪華な装飾の煌く大部屋を作る手はずだったのですがね……何分、力不足なものでして……」
と、ヴィオラウスが答える。
豪華な装飾云々の前に、即席で部屋を一つ作るなど疑問の絶えない所業ではあるが、それが彼によるものなのだとしたら、少しも不思議に思わない。彼がよく分からない人間であることに、もう慣れてしまったというか、半端に納得したというか。
気付けばヴィオラウスは、ベッドの上の人間に目をやっていた。
「……確かに、死んだか……?」
「死んだよ。蘇生の余地なく、完全に」
ヴィオラウスの横に俺も立ち、その死体を見る。足先から頭頂まで、その全体を脳に焼き付けるように。
「なんだい、この期に及んで、彼女の死を惜しむのかい。涙を誘っちゃうね、あはは」
シニカロレイヴが背後から言う。その顔に浮く表情は見なくとも想像できた。
「……はっ、違うさ……、確かめているのだ……」
「……何を」
部屋は暗い。室内の壁や扉の外では、松明の炎が揺れている。その光が辛うじてこの空間を明るくさせる。
ここにある松明の炎だって、俺がずっと暮らして来たあの地下空間の松明の炎と何も変わらないはずなのに、どうしてかそれは異質に感じられた。
「自分の妹の……生きた過去を。そして……現在の死を」
おそらくそれは、俺の心の中に、歓喜の炎が渦巻いているせいだろう。……妹であるノイズレッドの死に顔を前に、俺は舞い上がっているのかもしれないな。
「俺の夢の前に立ちふさがる者が……今日、消えた」
俺だって、世界の終わりなんて物騒なものを望んでいなどいないのだ。まさか十三年前に別れた妹が今日この日まで生きていて、しかも彼女の現在の状況をシニカロレイヴの口から聞くことになるとは、俺は少しも考えていなかったのだが……いや、そんなことはどうだって良いことだ。
それこそ、関係のない話だ。
ノイズレッドが世界を壊そうとしている。
俺の妹が、世界を呑み込もうとしている。
ならば俺は、妹の死を強く望むのだ。
それだけの話なのだ。




