告白
俺と奏はディアードの束縛から解放された相沢達へ近づき、指で一つの路地の方向を示した。
そして俺達は後続の追っ手を警戒してひとまず場を移すことにした。
「……大丈夫か? 相沢」
「……ああ、平気さ」
「そうか」
十数分ほど走ったところでそろそろ大丈夫かと思った俺達は一旦その場に立ち止まる。
そこで開口一番に俺は負傷している相沢へ声をかけた。
すると相沢は小さくではあるが言葉を返してきた。
声が小さいのは肉体的なダメージによるものか、それとも精神的な後ろめたさが原因か、この様子からだと判断できない。
「では改めまして……お久しぶり、相沢君。元気にしていたかしら?」
「…………」
奏も微笑を顔に貼り付け、まるで夏休みか冬休みでしばらく会っていなかった友達へ挨拶するように相沢へ向けてそう言った。
だが相沢は奏の顔から目を逸らし、俺の方をじっと見ている。
「何か私に……いえ、鋼に言うべき事があるんじゃないかしら?」
「…………」
奏の問いかけに相沢は答えない。
しかしその顔は沈痛な面持ちといったカンジだ。
「――脱走途中、鋼を昇降路から落としたわよね、相沢君?」
「「「…………!!!」」」
昇降路から落とした。
奏からそんな言葉が出た瞬間、周りにいたクラスメイト達が騒然とし始めた。
「あ、相沢が……?」
「嘘……だろ……?」
「だって白瀬が落ちたのは偶然だったって……」
俺が落ちたのは偶然だった。
どうやらそれがクラスメイト達の共通認識になっているようだ。
「偶然だなんて誰が言ったの?」
「そ、それは……相沢だけど……」
「ふぅん、偶然鋼”だけ”が落ちた。本当にそんなことがありえるのかしらね?」
「…………」
クラスメイト達は口を塞ぐ。
多分、それはあまりに出来過ぎてやしないかとでも考えているんだろう。
「で、でも相沢がそんな事をする動機なんてないだろ……?」
「あの時私達は全員生き残るつもりで逃げていたのに、なんでわざわざ白瀬くんを……?」
しかしそこで動機についての疑問が浮上した。
相沢に俺を殺す動機は無い。
もしも相沢が高杉ととても仲が良かったならば俺を恨む事にも筋が通るだろうが、別段その二人に親友的な友情は無かったはずだ。
「いいえ、あるわよ」
だが相沢には動機があると奏は主張する。
それを聞いたクラスメイト達は目を見開き、彼女から出る次の言葉を待ち続けていた。
「……私は相沢君の告白を断った事があるの」
「「「っ!」」」
そして奏は暴露した。
相沢がかつて奏にプロポーズをして断られたということを、クラスメイト達に告げた。
「そうよね? 相沢君」
「…………」
「無言は肯定と見なすわね」
「……っ」
奏の言葉に何も反論しない相沢は唇をグッと噛み締めている。
その様子から、彼女が言っている事は事実であると窺えてしまう。
つまり奏にしつこく言い寄っていたというのは相沢だったわけか。
それなら相沢が俺に対して敵意を持ったとしても不思議ではない。
「相沢君は私と付き合っている鋼が疎ましかったのよ。だから柳君達を扇動したり、鋼を昇降路から落としたりしたのよ、ね、相沢君?」
「……そうさ、全部、その通りだよ」
「「「!?」」」
相沢が奏の推理を肯定した。
すると周囲からどよめき声が出始める。
「おい……ちょっと待てよ……だったらお前は……俺達を利用したってことか……?」
その中の一人、柳が体を震わせながら相沢に詰め寄る。
相沢は俺を貶めるために柳達をけしかけた。
そのことは柳にとって衝撃の内容であったようだ。
「…………」
「何とか言えよ! 相沢!」
柳は相沢の胸倉を掴む。
けれど相沢はそれを振りほどかず、為すがままにされている。
「……元々は君達が言い出したことじゃないか。俺はそれに同調しただけだよ」
「う……」
だが、どうやら俺の疑惑については柳達が発端だったようだ。
相沢が静かに反論すると、柳は苦虫を噛み潰したような表情になった。
「それじゃあ柳君はそもそもどうして鋼が高杉君を囮に使ったと思ったのかしら?」
そこへすかさず奏が柳に畳みかける。
事の発端は何なのか。
柳達のその確信を持った言動はどこから出てきたものなのかを彼女は問いかけた。
「俺達は偶然……廊下で覆面連中が話してるところを聞いたんだ。18番が21番を見殺したっていう話を……」
「覆面連中だって……?」
すると多田野がそれに答える。
覆面連中とはすなわちディアードの仲間達のことだろう。
つまりこいつらは敵の情報をそのまま鵜呑みにしたという事なのか。
俺はそれを知り、僅かに苛立ちのようなものを覚えた。
だがこんなことが起こったのは、柳達から俺が信用できない人間だと判断されたからとも言えるので、俺の方にも非はあったとして反省して感情を抑える。
「あらそう。それじゃあまんまと君達はディアード達の策略に乗せられたってことになるわね」
「何……?」
「ディアード達は私達が自ら進んで殺し合うよう裏で糸を引いていたのよ。多分私達の心を折るために。その話もわざと君達に聞こえるよう話したのでしょうね」
「なん……だって……」
けれどそんな俺にお構いなく奏は更に言葉を続けた。
そして彼女の説明を聞き、柳達三人はその場でうな垂れる。
こいつらにとってその情報は許せないものだったのだろう。
また、そこから更に相沢が煽ったため、ディアード達が流した嘘は真実に置き変わり、俺を敵視し始めたという事なのか。
俺がこいつらに嫌われた理由がなんとなくわかってきたな。
そういうことならまだ俺達は歩み寄れる。
この出来事はディアード達が仕組んだ罠。
こう考えれば俺達の関係も修復できる。
「だけどよ……それだって絶対とは言いきれないだろ……?」
……と思っていたが、どうやら柳はまだ奏の言葉を信じたわけではないようだった。
「実際のところ……白瀬と高杉が戦ってる様子を俺達は見たわけじゃないんだから……ディアード達が嘘をついたかどうかなんてわからないじゃねえか」
「はぁ……柳君……君はまだそんなことを……」
柳の言葉を聞いて奏は呆れたと言わんばかりのため息をついていた。
俺も奏同様に呆れたい気持ちで一杯だ。
だが、俺にこの疑惑を打ち消すだけの確たる証拠を持ち合わせていないのも事実。
俺は柳達に対して「信じてくれ」と言うしかなかった。
「柳……俺は……」
「私は鋼くんを信じるよ」
しかし、俺が柳に声をかけようとしたその時、咲が俺の隣に来て「信じる」と言ってきた。
その言葉を聞いた俺はやや驚きつつも彼女の方に顔を向ける。
「鋼くんは友達を見捨てることなんて絶対しないって……みんなが信じなくても私は信じるよ」
「咲……」
ああ、そうか。
咲は俺の事を信じてくれるんだな。
柳達が、他のクラスメイト達が信じてくれなくとも、彼女は迷わず俺を信じてくれるんだな。
それだけで俺は救われたような気分になってくる。
こんなことを思うのは、多分俺はさっきまで柳達に信じてもらえなかったことで無意識の内に悲しんでいたという事なんだろう。
「勿論私も鋼を信じているわよ」
「奏……」
咲に続いて奏も俺を信じてくれるようだ。
それなら俺はもう十分だ。
たとえこの世界が、環境が、皆が俺につらく当たっても、彼女達が信じてくれるのなら俺はこれからも生きていける。
「ありがとう……本当に……ありがとう……うぅ……」
「ちょ!? 鋼くん!?」
「あら……」
どうしてだろうか。
俺は涙を流していた。
自分の感情が制御できず、珍しくも俺は泣いていた。
「ごめんな……みっともないところを見せて……」
「いいのよ。誰だって泣きたい時くらいあるものね」
「はい、ハンカチ」
俺が泣いたことに対し、奏は優しい言葉をかけてくれて、咲は涙を拭ってくれる。
正直男としてこの状況は情けないにも程があるが、今だけは彼女達に甘えさせてもらおう。
「……そういうわけだから、今後もし鋼に敵対するというのなら私達二人も敵になると思っておきなさい」
そして奏はクラスメイト達の方を向き、強い口調でそう言い放った。
「ちなみに私は鋼のように甘くはないから、腕の二、三本は覚悟して挑む事ね」
……しかもわりと物騒なことを言っているな。
いやまあ俺を思っての発言なんだから嬉しいといえば嬉しいんだが。
「鋼くんは私が絶対守るからね」
「あ、ああ……」
また、咲は俺が流した涙を全て拭い取ると、今度は俺の右手を両手で包み込むように握ってきた。
……するとそれを見た奏がピクッと眉を上げながら俺達に詰め寄ってくる。
「あらあら、葉山さん。私の男に対してちょっと馴れ馴れしくはないかしら?」
「…………む」
奏の言葉を聞いた咲は眉を寄せ、手に込める力を強くしてきた。
……あれ?
「白上さんには関係の無い事です」
「咲?」
今の咲は様子がおかしい。
彼女は奏に対して敵意のようなものがあるように見えた。
「関係無い? 私は鋼の彼女なのだから、そんなわけないでしょう?」
「……それも嘘のくせに」
「ちょっ待て咲!」
俺は咲にそれ以上の言葉を言わないよう制止を求めた。
けれど彼女は止まらず、奏に言い放った。
「鋼くんがつらい思いをしたのは白上さんのせいですよね。なのに未だ彼女面するのは誠意が無いと思います」
「…………」
確かに事の発端は奏が俺に恋人ごっこを依頼したところにある。
だから本来、俺は彼女の事を責める権利があるのだろう。
「……鋼。葉山さんには言ったのね?」
「ああ……すまない」
「いえ、いいのよ。元々私が諸悪の根源みたいなものなのだから」
「……そうか」
しかし俺も奏に何の断りも無く咲へ事情を話してしまっているのだからお互い様だ。
俺は彼女を責めないし、彼女も俺を責めない。
「……一体何の話をしているんだい?」
けれど今の話は他のクラスメイトからしたらチンプンカンプンだろう。
俺達の会話を聞いていた相沢がそんな疑問の声を出していた。
「……もう隠すのはいけないことよね」
また、奏はそう呟いて、相沢達の方を向く。
彼女はもうこれ以上嘘をつくことができなくなったか。
名残惜しいけれど仕方がない。
そんな風に思ってしまう自分は奏に随分毒されてしまっていたんだろうな。
「相沢君。私は君に一つ謝らなければいけない事があるわ」
「……俺に?」
「ええ」
謝らなければいけない事。
相沢は奏の言葉に反応し、首を傾げている。
どうやら奏の言いたい事が上手く予想できないようだ。
「私、本当は鋼と付き合っていないの」
「……………………え?」
そして奏は俺達の秘密を暴露する。
「あなたに私を諦めてもらうため、鋼にお願いして恋人のフリをしてもらっていたのよ」
俺達が本当は恋人などではないと、相沢を避けるためにあえて恋人のフリをしていたのだと奏は告げた。
「なん……だって……」
相沢は驚愕といった顔つきで奏を見ていた。
やはり相沢はそんな事を彼女がしたなんて全く考えていなかったようだな。
奏は相沢を避けるために俺と恋人関係を演じ、それを見た相沢は嫉妬心に燃えて俺を殺そうとした。
俺達の中で誰が一番ピエロだったかと問われれば相沢に他ならないだろう。
「そんな……馬鹿な……それじゃあ俺は……何のために白瀬を……」
相沢はそう呟きながら、がっくりとした様子で地面に膝と両手をつけた。
俺達はそんな相沢を黙って見つめる。
「君は確かに鋼を殺そうとしたけれど、その原因を作ったのは私よ。だから鋼への謝罪は私がするわ」
しかし、静寂に満ちた俺達の中で奏は相沢にそう言いだした。
その直後、彼女は俺に振り返って頭を下げてくる。
「ごめんなさい、鋼。私のせいで君にとんでもない迷惑をかけてしまって、本当にごめんなさい」
奏は俺に謝罪をしてきた。
しかし俺は頬を掻くばかりで困り果てることしかできない。
「いや、別にそんなことしてくれなくても……」
「いいえ、君は私を責める権利があるわ。私にできる事だったら何でもするから、どうか許してください」
何でもってそんな大げさな。
俺は相沢達に殺されかけたが、それで奏を恨むような事はしない。
「……俺は奏に対して怒っているとかそんなことは全然無いから」
「でも……」
俺は奏に対して怒りとかそういう負の感情は持っていない。
だから許すも何も無い。
「それに俺は奏と恋人ごっこをするの、案外悪くはなかったって思っているしな」
「鋼……」
むしろ奏との生活はそれなりに楽しかった。
時折突拍子も無いことをしでかす彼女に振り回されっぱなしだったけど、そんな彼女との時間は良い時間だったと振り返る事ができる俺の大切な思い出だ。
それに彼女がいてくれたからこそ、俺はあの施設の中でへこたれずに生きてこられたと言ってもいい。
「だから奏も悪いだなんて思わないでくれ。俺との恋人ごっこは奏にとってつらかったか?」
「……いいえ、全然。私も……鋼と過ごした時間はとても充実していたわ」
「そうか、それなら良かった。俺だけ楽しんでたんじゃ奏に申し訳ないからな」
奏の言葉を聞いて俺はフッと微笑む。
俺をからかったりして楽しそうにしていた彼女が本心では楽しんでいなかったとかだったら、からかわれた俺の面目が立たない。
だがよく考えてみると変な理屈だな。
俺は奏にからかわれっぱなしだったのにそれを楽しかったなんて思っているんだから。
もしかしたら俺ってマゾヒストか何かなのか?
「ああ……もう……やっぱり鋼には勝てないわね……」
「? どうしたんだ奏?」
俺が自分の性癖に疑惑を抱いていると、突然奏がそんな事を言い出して俺の傍に寄ってきた。
「鋼。真面目なお話があります」
「な、何だ?」
あまりに真剣な目つきをしている奏に圧倒され、俺はその場で直立姿勢をとる。
すると彼女は俺の首元に腕を巻きつけてきて囁くように声を紡いだ。
「……私は鋼の事が好きです。付き合ってください」
「え……か、奏? 何を言って……っ!?」
そして奏は俺に再びキスをしてきた。
それはとても優しくて柔らかく、彼女の思いが伝わってきそうなキスだった。
「ん……それで、君の返事を聞かせてくれないかしら?」
「……おいおい」
普通キスするなら相手が告白にイエスと言ってからだろう。
しかし返事をする前にキスをするというのも奏らしいと言えば奏らしいのかもしれないな。
「というか……本気か? ドッキリとかそういうのではなくて?」
深夜のスラム街。
ディアードを倒して自由を勝ち取った俺は、奏から突然の告白を受けていた。
彼女の鋭い眼差しを受け、俺はまごつきながらも周囲に視線を配る。
もしかしたらこれは何かドッキリの一種であり、近くにいるクラスメイトがニヤニヤしながら俺の様子を窺っているんじゃないかと思っての行動だった。
……けれどそこにいたのは微妙な表情をして俺達を見ている相沢達しかいなかった。
なんだこの空気。
「いつぞやの時も君はそんな風に周りを見回していたわね」
「……そうだったな」
「それじゃあその後、君が私に訊ねた言葉は覚えているかしら?」
俺が奏に訊ねた言葉?
それは確か……
「……つまり白上さんは俺の事が好きなのか?」
「その通りよ。世界で一番君が好き。勿論異性として」
「…………」
これはあの日の再現。
けれど奏の言葉は全く違う。
俺はその事実に胸を高鳴らせ、それと同時に気恥ずかしくなって奏から目を逸らした。
「あら、もしかして恥ずかしがっているのかしら? せっかく私が一世一代と言えるような愛の告白をしたというのに、そっぽを向かれると悲しくなってしまうわ」
「あ、す、すまない。そうか、本気……なんだな?」
「ええ、そうよ。私は本気の告白をしているのよ」
本気の告白。
奏は今、俺に本当の恋人になってほしいと言ってくれているのか。
それは……俺にとって……とても嬉しい事なんだろう。
「さあ、そろそろ君の答えを聞かせてくれないかしら……」
「あ、ああ……」
奏は俺の首元に腕を絡みつかせた状態のまま囁く。
彼女の顔がすぐ傍にある。
俺が少し前へ顔を動かせば彼女の唇に触れられるだろうと言えるほどに。
もしかしたら彼女は俺の答えを行動で示せと伝えているのかもしれない。
それなら俺がこれからどうすればいいのかなんて決まってる。
俺は彼女の唇へと――
「やっぱちょっとだけ考える時間をください……」
「え」
俺はへたれた。
奏のすぐ横で、ワナワナと肩を震わせている咲を見て俺はビビッてしまった。
「白上さん……いえ、奏さん。ちょっとお話があるんだけど、いいかな?」
「……あら、なにかしら。はや――――咲」
そして彼女達は互いを見始める。
二人の纏う雰囲気に圧倒され、俺はその場で震えることしかできなかった。




