医療行為
「…………」
「…………っ!」
朝、目が覚めるとすぐ近くにいる咲と目が合った。
昨日寝る際、俺は咲を抱き締めるような形で眠ったから咲の顔がすぐ近くにあることに驚きはしないが、彼女の方は少し驚いた様子で目を普段より僅かに大きく見開いていた。
「……ああ、咲。おはよう」
「! お……おおおひゃっ…………おはよう……」
俺が声をかけると咲は体をビクッとさせながらも返事をしてきた。
熱のせいでか顔がまだ赤いけれど、この様子なら昨夜よりも調子は良さそうだな。
だが一応確認のために俺は自分のおでこを咲のおでこに軽くコツンと当てた。
「ひゃぃっ!?」
「……熱は少し下がったようだな」
どうやら昨日飲ませた薬は不味いなりにそれなりの効果があったようだ。
咲の熱はまだあるものの、昨日よりは確実に下がっていた。
「あ、あ、あ、あの! 鋼……くん。な、なんか近くは……ない、でしょうか……?」
「? ……ああ、悪い。今離れる」
まだ朝の空気は寒いからまだしばらくはこうしていたいんだが、咲が嫌なら離れるしかないな。
俺は名残惜しくも毛布の中から抜け出し、その場に立ち上がって軽く伸びをした。
「あ~…はぁ。さてと、それじゃあ顔洗って店の方に行ってくる。朝食は何がいい?」
「…………」
「咲?」
朝食は何がいいかと訊ねながら咲の方へ振り返ると、彼女は毛布で顔を下半分ほど隠しながら俺を見つめている。
そして彼女は俺の問いに答えるでもなく、別の話を振ってきた。
「ね、ねえ……鋼くん……昨日の夜……私……何してた……?」
「何って……服を着替えて食事して眠った?」
本当はその過程がとんでもない事になっていたが、俺はあえてその件については触れなかった。
昨日の咲は夢現といった状態だった。
それならもしかしたら俺がしたアレコレも覚えていないんじゃないかと思ったんだが。
「えっと……それは……鋼くんに……してもらって……だよね?」
「…………」
……覚えていたか。
咲が覚えていなければ俺が意識しないだけで済んだんだが。
けれど覚えていたのなら仕方が無い。
正直に言って謝ろう。
「咲、昨日は無理矢理着替えさせたり薬を飲ませたり食事を食べさせたりしてすまなかった」
俺は咲に深く頭を下げながらそう言った。
昨日の出来事は咲からしてみれば不快なものだっただろう。
いくら彼女が俺に好意を抱いているからといって、勝手に服を着替えさせられたり、俺が咀嚼した食べ物を食わされたり、自分からとはいえ不衛生な人間の体を舐めたりというのは、冷静になって考えたらきついと思ったとしても不思議では無い。
「! う……ううん! いいの! き、昨日の事は……むしろ私が鋼くんに強いらせたような気がするし!」
「いや、最初にしでかしたのは俺の方だ。だから咲は何も悪くない」
「わ、悪いのは私の方だよ! 鋼くんは何も悪くないよ!」
熱がまだあるというのに、咲は大きな声で俺の謝罪に否定の言葉をかけてくる。
なんだか俺に気を使わせてしまったようで申し訳無いな。
「ああ……もうなんで私あんなことしちゃったんだろう……」
「…………」
そういえば咲は俺とヴィルヘルムの話していた事に関して何も知らないのか。
なら今の咲の慌てようも理解できる。
理由がわかれば咲も昨日の事は仕方がなかったと考えなおしてくれるだろう。
そう思って俺は、頭を両手で抱えて目をギュっと瞑っている咲にヴィルヘルムから聞いた内容を全て説明した。
すると咲は先程よりも若干落ち着いた様子で、はねた髪をいじりながらも俺に言葉を紡ぐ。
「そう……だったんだ。つまり私がその病気にならなければ……鋼くんにも迷惑をかけずに済んだわけだね……」
「いや、そもそも咲の法力が枯渇して体力も限界まで消費したのはここまで安全に逃げきるために仕方の無い事だった。だから自分を卑下するような事を言わないでくれ」
咲は俺達が施設の人間から逃げきるまでずっと加護を使い続け、そのせいで法力が枯渇した。
そしてここまで逃げる間、碌に休む事もできなかったせいで相当な疲労が溜まっていたはずだ。
枯渇病というものにかかっても仕方の無い状況だったんだ。
だから咲は悪くない。
「でも……嫌だったでしょう? 私なんかに……き、キス……するなんて……」
俺が咲の非を認めずにいると、今度はそんなことを言い出して毛布に顔をうずめだした。
枯渇病になった事は誰の責任でも無いという結論に達したから次はそっちに意識が向いたのか。
「嫌じゃないさ」
「え? そ、それって……」
「あれは医療行為であって嫌とか嫌じゃないとかの問題じゃなかったんだからな」
「あ、ああ……そ、そう……だよね……」
あの時は咲がうまく薬を飲めなかったから無理矢理流し込んだ。
むしろ俺の勝手な判断でそんなことをしてしまって咲には申し訳無いくらいだ。
「俺の方こそいきなりあんなことして悪かった」
「え……? ……あ、ああ! う、うん。私も悪いだなんて思ってないよ! だ、だって……医療行為……だったんだもん……ね?」
「そうか。そう言ってくれるとありがたい」
いくら好意があろうとも、突然キス紛いなことをされて不快に思ってはいないかと不安だったが、咲の方もあれは医療行為だったということでなんとか納得してくれたようだ。
「でもこれからはあまり加護を使い過ぎないでくれ。咲が倒れたら俺も悲しい」
「う、うん……わかった……気をつけます……」
そしてこの話の終わりに咲へ注意をして俺は立ち上がる。
「それじゃあ朝食を作ってくるけど、何かリクエストはあるか?」
「え、えっと……鋼くんの作ったものなら何でも良いよ……」
「それが一番困る回答なんだが……まあできるだけ胃に優しいものを作ってくる」
頭を掻きつつそう言った俺は外へ出ようとした。
「あ……朝ごはんも……医療行為……する……?」
「何をするって?」
「あ、な、何でもないよ! いってらっしゃい!」
「……いってきます」
なんか今、朝ごはんで医療行為はするかと聞かれた気がするが、多分気のせいだろう。
咲の意識がはっきりしている以上、昨日のような事をする必要性が無いんだからな。
強いて上げれば法力回復手段についてで俺自身にもできる事はあるが、それも今日聖水を買ってくれば解決する話だ。
俺はそんなことを考えながら、朝の時間帯となって結晶光が明るくなり始めた外に向かって歩き始めた。
「あ? 聖水を買ったらいくらするかだって?」
「はい」
朝の仕込み時、包丁で野菜の皮むきをしながら俺はガインさんに聖水の値段を訊ねていた。
ここから治癒院までは少し遠いから、行く前にそれがどれ程の価値があるのかを把握しておこうと思っての問いだった。
「なんだってそんな事知りたがってんだよ。あれは法術をよく使う奴が必要とするモンだろ」
「はあ、まあ……実のところ、俺の友達が枯渇病にかかってまして……」
「友達ってあれか。いつもメシを届けにいってる奴の事か?」
「そうです」
これくらいの情報は出しても問題ない。
そう判断した俺が軽く事情を説明すると、ガインさんは白髪の頭をガリガリ掻きながら渋い顔をし始めた。
「枯渇病か……面倒な病気にかかっちまってるな」
どうやらその病は一般的にもそれなりに知られているらしい。
だがなんでガインさんはそんな言いにくそうな顔をしているんだろうか。
「日によって値も多少上下するから今いくらするってはっきりとは言えねえけどよ……安いものでも聖水は大体銀貨50枚てのが相場だぜ」
「ご……ごじゅ……」
おい……それは俺の日給換算で12日と半分ということにならないか……
流石に高すぎるだろ……
「あー……それで、その友達っつーのは今どんな状態なんだ?」
「……え? ああ……今は昨日買った解熱剤が効いて熱のほうは少し引きましたが……」
朝の様子を見る限りだと少しは良くなっていると思いたいが、ただ単に薬で一時的に熱が抑えられたから多少元気に見えるだけなのかもしれない。
昨日の一件で少しは法力も回復したとは思うが、ヴィルヘルムの説明を聞く限りでは全快には程遠い回復量だろうし。
「そうか……めんどうだな……まあとにかく、ソイツにはちゃんとメシを食わせておけよ」
ガインさんは俺にそう言い残して店の奥へと歩いていった。
今のところはそうするしかないか。
銀貨50枚は今の俺だとそんなすぐに稼げる額ではないからな。
俺はその場で大きくため息を吐く。
「……どうするかな」
俺が朝の仕込み中に目を配りながら煮込んでいた、昨日余った野菜と鶏がらを使った胃に優しい野菜スープが店を開ける1時間近く前といったころにできあがった。
そして自分達で食べない分を他の従業員達の賄いとして提供した後、咲の下へと小鍋を持ちながら戻ってきた。
「あ、お、おかえりなさい……」
咲が俺の姿を見て小さく声をかけてきたので俺も軽く言葉を返すべく口を開く。
「……ただいま」
……が、微妙に俺の声も小さくなってしまった。
しかもそれを咲は目ざとく察知したようで、眉を下げて俺を心配するような表情になっている。
「どうかしたの……鋼くん……?」
「あ、ああ……えっとだな……」
ついさっき聞いた聖水の値段について咲にも言うかその場で少し迷う。
けれど彼女の真剣な問いかけに上手く誤魔化せるかわからなかった俺は、どうせ近いうちにバレてしまう事だと判断して正直に話した。
「そ、そうなんだ……う~ん……」
「…………」
俺のテンションが低い理由を知った咲は唸るような声を出す。
事情が事情なだけに、聖水を必要としている当人の彼女も暗くなってしまうかもと危惧したが、その様子は何か難しい事を考えているように見えるものの、そこまでショックを受けていないようにも見える。
「つまり……その……聖水を手に入れるのは……金銭的に難しいってことだよね……?」
「……そういうことになる」
「俺の稼ぎが少ないばかり苦労をかけちまってすまねえなあ」とか言うと似合いそうな場面だと思ったが、これは割と深刻な問題なので茶化す気にもなれない。
咲の確認するような言葉を聞き、俺は小さく答えるだけで精一杯だった。
「そっか……うん……そっか……」
その後しばらく下を向いてそっかそっかと呟いていた咲は、唐突に顔を上げて俺に目を向けてきた。
「鋼……くん」
「……なんだ?」
「重荷に感じたら……私の事……見捨てていいからね」
「…………っ!」
……何を言いだしているんだ。
重荷に感じたら見捨てていい?
冗談じゃない。
「……俺は、何があっても咲を見捨てないからな。だから二度とそんな事は言わないでくれ」
「う……うん……わかった……」
咲を見捨てるなんて論外だ。
ここでもしも見捨てたりなんてしたら、俺は一生後悔するだろう。
それに俺は理屈抜きで彼女を助けたいと思っている。
だからどんな理由があろうと、俺は絶対に彼女を助けるんだ。
「どんな事をしてでも、咲は俺が絶対助ける」
そして俺は宣言した。
この決心が揺らぐ事が無いよう、自分自身に釘をさすために。
「え、えっと……ど、どんな事をしてでも……?」
「どんな事をしてでもだ」
「そ、そうなんだ……えへへ……」
「…………」
だが何故だろうか。
俺の宣言を受けた咲は熱で赤い顔を更に赤くさせてモジモジし始めていた。
しかも毛布で顔の下半分を隠しているが、どことなくニヤニヤしているようにも見える。
……もしかして深刻に考えているのは俺だけなのだろうか。
「そ、それじゃあそろそろ……ごはんにしよ……今回は何を作ってきてくれたのかな……?」
「あ……ああ。今回はただの野菜スープだ。だけど具は小さく切ってあるから咲でも食べやすいと思うぞ」
若干気の抜けた雰囲気になったところで咲が朝食を催促してきた。
なので俺は気分を入れ替えて食事の用意を始めた。
「……そうだ。咲、食事をする前に薬を飲んでくれ」
解熱剤を飲んだだけでは治りも遅いだろうが、飲まないよりはマシだろう。
そう思って俺は部屋の隅に置いていた薬の入った試験管を咲の目の前に出した。
しかし咲はどうしてかそれを受け取らず、顔の顔をじっと見ている。
「……? どうかしたか?」
「え? ……あっ、う、うん……そ、そうだね……」
「?」
なんだかよくわからない間があったが、俺が訊ねると咲は慌てた様子で試験管を手にとった。
「…………」
けれどその後も咲は俺と試験管を交互に見始め、一向に薬を飲む気配が無い。
そんな様子を俺が訝しむような目で見ていると咲はまたも慌てだし、勢いよく緑色の薬をグイッと飲みこんだ。
「……っ! に、苦い……」
「ああ……我慢してくれ」
なんだ。そういうことか。
つまり咲は薬が不味いから飲むのを躊躇っていたのか。
別に今度も俺が口移しで飲ませるんじゃないかとか思って待っていたわけではなかったんだな。
そんな邪推をして少し焦りつつも、その後俺は咲と一緒に朝食を食べていった。




