賄い飯とやせ我慢
俺とガインさんの話し合いが終了したところに、ちょうどよく店の奥から若い男性の声が響いてきた。
「マスター! 食材の仕込み完了しましたよー!」
「おう! なら店開けるまで休憩でもしてな!」
「了解!」
その声を聞き、ガインさんは大きな声で返事をした。
思ってみれば、この店はまだ開店準備の段階のようだ。
つまり今はまだ昼というよりも朝と言ったほうが正しいのだろう。
……それにしてもいい匂いだ。
元々この匂いにつられて店の前に来たが、一体何を作っているのだろうか。
と、俺がそこで食べ物に思いを馳せたのがまずかったのか、その時突然俺の腹がグウゥと鳴り響いた。
「なんだ、腹が減ってんのか」
「……はい」
俺は恥ずかしがりながらもガインさんの問いかけに答えた。
腹が減っているのは事実だし、ここで嘘を言っても意味が無い。
「ちょっと待ってろ」
ガインさんはそう言うと席を立ち、店の奥へと歩いていく。
そして数分後、サンドイッチを乗せた皿を持って戻ってきた。
「食え」
「……いいんですか?」
「賄いありだって言っただろ。遠慮すんな」
「……! ありがとうございます!」
どうやら俺のためにわざわざ作ってきてくれたらしい。
目の前に置かれたパンには新鮮そうな野菜と分厚いハムがぎっしり挟まれており、これだけで一食分のボリュームがある。
俺はガインさんに感謝し、皿の方へと手を伸ばした。
「…………」
が、俺はその食事に手をつけるのを躊躇った。
それを見てガインさんが俺に声をかけてくる。
「どうかしたか?」
「いえ……その……」
俺はその場で悩んだ。
これは言ってもいいものなのか。
言ったらこの人の厚意を無碍にする事になってしまうのではないか、と俺は思って歯をかみ締める。
だが俺だけこの食事に手をつけるわけにもいかないという思いの方が勝ち、恐る恐る口を開いた。
「……すみません。これを持って30……いや、10分だけ席を外させてはもらえませんか?」
「何? どういうこった?」
「10分したら必ず戻ってきます。その後はちゃんと働きますから、どうかお願いします」
「…………」
これは「ただ飯貰ってとんずらする気か?」と思われても仕方のないお願いだ。
だが咲を残して俺だけ食うわけにはいかない。
俺は頭を下げてガインさんに言う。
「この飯が従業員のために作ったものだということは十分わかります。腹を空かせたまま働かせても能率は上がらないと思ったんですよね?」
「……ああ、まあそうだが」
「だから本来、この食事はこれからここで働く俺が食べるのが正しいということもわかります。ですがそこをあえて融通してください」
そこまで言うとガインさんは頭を掻き、渋い顔で俺に問いかけてきた。
「……つまりこの飯を他の誰かにやりたい……と?」
やはりこの人は察しがいい。
ガインさんは俺が言いたい事を的確に理解していた。
「はい。俺の他にもう一人腹を空かせている人がいます。俺はこの飯をその人に食わせてやりたいんです」
俺だけ一人で先に食うわけにはいかない。
それに朝の様子だと体調も崩しているようだ。
だったらなるべく早く栄養のあるものを食べたほうがいい。
俺はそんな気持ちを抱いて言葉を口に出していた。
「そうか」
「…………」
ガインさんは怖い顔で俺の目を見つめてくる。
だがしばらくすると「はぁ」とため息をついて再び店の奥へと入っていき、今度はビンに入った飲み物とバスケットを持ってきた。
そしてガインさんはバスケットの中にサンドイッチを移し変え、俺に渡してきた。
「さっさと行ってこい」
「……いいんですか?」
やけにあっさりとオーケーをくれたので、俺はやや気が抜けた様子で訊ねた。
普通持ち逃げをする可能性だとか賄いなのに他の人間に食べさせていいのかとか思ったりしないのだろうか。
「あんまみみっちいことは考えないのが俺のやり方なんでな。おめえは下手に嘘がつけねえようだしな」
「嘘がつけない……?」
「年を誤魔化したとき目が泳いでたぞ」
「う……」
どうやらガインさんは俺が嘘をついているかどうか簡単に判別できるらしい。
これは年の功というものなのか。
「それに俺も貧民街出身だから腹を空くのがとても辛いこともよく知ってる。だから腹を空かせてる奴を見るとどうも放っておけねえんだよな。それが高じて、俺はそんな奴らになるべく安くて美味い飯を食わしてやりてえって思ってここに店を構えたんだ」
「……そうだったんですか」
それはとても素晴らしい理念だ。
この世界で会った人間には碌な奴がいなかったが、中にはこんな良い人もいたんだな。
「ただし無償で施しを与える事は絶対にしねえ。戻ってきたら早速仕事を教えてやるからとっとと用事を済ませてこい」
「……はい!」
俺はガインさんが寄越したバスケットとビンを持ち、外へ向かって全速力で駆け出す。
この世界にも良心はあるのだと歓喜に震えながら俺は咲の下へと戻っていった。
「咲! 今戻ったぞ!」
「あ……鋼くん……ごほっ……おかえり……」
俺は咲のいる空き部屋に入るなり大きな声を出すと、か細い声で咲が返事をしてきた。
「……まだ調子は良くなさそうだな」
「うん……ごめんなさい……」
「いや、いい。咲はゆっくり休んでくれ。それと食事を持ってきた」
「食事……?」
「ああ」
咲が未だ不調な様子を見た俺は、なるべく優しい声になるよう意識して言葉を紡ぎ、バスケットとビンを咲の目の前に置いた。
「食欲はあるか?」
「ん……少し……」
やはり食欲にも影響が出ているようだ。
数日間何も食べていなければ少し腹が空いたどころじゃないだろう。
現に今の俺は顔に出さないもののかなり苦しい。
だが今は咲が優先だ。
体が弱っているのに何も食べないままでは体調が悪化するだけだからな。
「そうか。喉に通しにくいかもしれないが、何も食べないでいると体に悪いからちゃんと食べてくれよ?」
「うん……ありがとう……」
咲は俺に礼を言うと、バスケットを開いて巨大なサンドイッチをナプキン越しで手に取った。
すると彼女はサンドイッチが一つしか入っていなかったバスケットの中身を見て俺に訊ねる。
「鋼くんの分は……?」
「ああ、俺はもう食べたから。先に食べてごめんな」
本当はまだ何も口にしちゃいないものの、そんなことを言って咲の気を煩わせる必要も無い。
仲良く半分こにでもしようかとも思ったけれど、俺はまだ大丈夫なのだから彼女の方を優先する。
それなりに大きいサンドイッチだがこれを半分平らげたくらいでは焼け石に水もいいところだし、俺の食事はまた後で考えればいいだろう。
俺は両手を合わせ、嘘がばれないよう頭を深く下げて謝罪の言葉を出した。
こういうのを武士は食わねど高楊枝っていうんだろうか。
……いや、単にやせ我慢と称するべきか。
しかも無意味な我慢だし。
でもしょうがないさ。
これは結局、咲の前ではできるだけカッコつけたいなんて考えている俺の我侭なんだから。
「……ホントに?」
「本当本当」
「……うん……わかった……それじゃあ……いただきます」
そして咲はサンドイッチを小さく齧る。
その後彼女はゆっくりと咀嚼して喉に通すと、僅かに顔に生気が戻ったように微笑んだ。
「おいしい……これなら……全部食べれそう……」
「そうか、それならよかった」
不味いと言われたらどうしようかと今少しだけ脳裏をよぎったが、どうやらちゃんと美味いようだ。
まあ流石に美味い飯を食べさせようって言った店の賄い料理が不味かったら洒落にならないからな。
俺は咲の感想を聞いて安堵の息を漏らす。
「それじゃあ俺はそろそろまた出かけてくる」
「……え……もう……?」
どうやら咲は一人でいるのが寂しかったようだ。
俺が外へ出ようと立ち上がると、彼女は悲しそうな顔をし始めてきた。
「これから仕事があるんだ。気のいい店主が俺を雇ってくれてさ。そのサンドイッチも店主に貰ったんだ」
「そうなんだ……」
「ああ」
ある程度纏まった逃亡資金が無いとこれから辛いからな。
あまりここに長居するつもりも無いが、追っ手の影が無い今の内に稼げるだけ稼いでおこう。
日雇いの仕事であれば突然いなくなってもそこまで店に迷惑が掛かることもないだろうが、消える時は一言あの店主さんには別れの挨拶ができるといいな。
まあなんにせよ、咲の調子が良くなったからいつまでここにいるかを二人で話し合ってみよう。
「休憩がもらえたらまた戻ってくるから。それまでここで待っててくれ」
「うん……わかった……待ってる……」
咲がコクリと頷くのを確認した俺は再び外へ出るべく扉の方へと向かう。
「なるべく……早く帰ってきてね……」
「ああ、了解」
俺は咲に軽く答えて部屋を後にする。
そして俺は再び全速力で店へと戻っていった。




