寄り添う
「……よし、問題無いみたいだな」
俺達は今、無人の建物の一室にいた。
扉の鍵を壊しての不法侵入のためバレたら即逮捕されそうだが、部屋内部に警報装置のようなものはなさそうなので多分大丈夫だろう。
まあ魔法的な警報装置が仕掛けられていた場合は俺達じゃ発見できないから確実に安全であるとは言えないのだが、そんなことをくどくど考えていてもしょうがない。
バレたらバレた時考えよう。
この区域は道が入り組んでいるから、逃げ隠れするには不自由しなさそうだし。
と、そんな事を考えていた時、背後から突然「キュルルルル」というような音が響いてきた。
「…………ごめんなさい」
……今のは葉山さんのお腹が鳴った音のようだ。
俺が振り返ると葉山さんは両手でお腹を押さえ、顔を真っ赤にして俯いている姿が目に入ってきた。
「いや、別に謝らなくてもいい。俺だって腹は空いているし」
思ってみれば最後に食事をしたのは二日前のことだ。
腹が減るのも仕方がない。
しかし俺達が今いる場所は空き部屋で、何か食べられそうな物があるわけでもない。
食料を探すなら外にいく必要がある。
また、水については一応ここへ来る途中、公園らしき広場に設置された水飲み場や井戸がいくつかあったので問題は無かった。
ただ妙にサビ臭かった。それでも飲まないと俺達がもたないから我慢して飲んだが。
「でも食料調達は明日からにしよう。今は体を休ませることの方が重要だ」
「……そうだね」
ここまで碌に休まず移動し続けていたために疲労がかなりたまっている。
いくら身体能力が桁違いに上昇したといえど、体力の限界は必ずある。
それに今はおそらく夜の時間帯だ。
ドーム上に覆われた天井の結晶光が時間の経過と共に弱くなったり強くなったりしていたが、それは今が夜であるということを示すもののようだ。
俺自身も若干の眠気がある。
おそらく葉山さんもそうだろう。
「……とはいえ、休む環境としてもここはあまり良くなさそうだけどな」
ベッドや毛布等があれば質の高い休息が得られただろうが、生憎とこの部屋にそんなものがあるはずもない。
十畳ほどの広い部屋だがそこには木材や石材といったものが数点あるだけで、窓ガラスから漏れる外の結晶光が部屋の中のホコリを僅かに照らしている。
だが不法侵入なのだから文句も言っていられない。
俺は窓ガラス近くの壁に寄りかかるようにして座りこんだ。
「……はぁ」
どうやら俺は自分の体を上手く認識できていなかったようだ。
床に座った途端ドッと疲労感が全身に押し寄せてきた。
俺はそれを感じ取り、全身から力を抜いていく。
「……ふぅ」
そして俺が座りこんだのを見て、葉山さんも俺から少し離れたところの壁に背を預けて体育座りをした。
「これから俺達どうなるんだろうな……」
「どうなるんだろうね……」
俺達はぼうっと天井を眺めながら呟いた。
ここまではとにかく逃げなきゃいけないという思いで足を動かしてきた。
しかしいざ追っ手を気にせずに落ち着けるところまで逃げてこられたことで、他の事を考えるだけの余裕が生まれ始めた。
だがその余裕は決して良い意味ではない。
この先どうすればいいのか全然わからないんだからな。
葉山さん以外のクラスメイトが今どうしているかも不明。
ディアード達の組織から逃げ続けられるかも不明。
食べ物をどうやって手に入れるかも不明。
わからないことだらけだ。
こんな状態で何か考えるだけの時間を手に入れても、ただただ不安が募るばかりだ。
「……へくちっ」
「葉山さん?」
そんな時、葉山さんからくしゃみをするような音が聞こえてきた。
俺が目を向けると、彼女は体を縮こませて震えていた。
おそらく寒いのだろう。
ここは施設にいたときより暖かくない。
あそこにいた時はわからなかったが何気に冷暖房完備だったのだろうか。
昼間の間はそこまででもないが、夜中はかなり冷え込む時期のようだ。
今までは体を動かし続けていたからよくわからなかったけれど、汗を掻いた体が急激に冷たくなっていくのを感じる。
しかも俺達が休んでいる場所はベッドの上ではなく石でできた冷たい床の上だ。
これでは体の熱もどんどん奪われるだろう。
「葉山さん」
「……ひゃっ」
俺は葉山さんの隣に移動して彼女を抱き寄せた。
「こうしていたほうが暖かい。けど嫌だったら離れるから正直に言ってくれ」
至近距離にいる葉山さんを意識しないように努め、俺はなるべく平坦な口調でそう言った。
硬くて冷たい床の上に寝そべるよりも俺に寄りかかって休んだほうが葉山さんの負担も少ないだろう。
俺もこうしているほうが暖かい。
それに俺は竜崎さんから葉山さんに優しくしてやってくれと頼まれたこともある。
だからこの行動は仕方のない事で、合理的とすら言える判断だ。
俺は間違っていないはずだ。
……誰に言い訳しているんだって話だな。
俺が彼女の知らぬ間にこんな事をしていたところで怒ったりなどしないだろうに。
「……いやじゃないよ」
「そうか」
「うん」
俺が僅かばかり心の中で葛藤していると、葉山さんは強張っていたらしき体の力を緩め、頭を俺の左肩に乗せてきた。
彼女の静かな息遣いが聞こえ、ここまで走ってきたために掻いた汗の匂いが漂ってくる。
だが今の俺はそれらを不快に感じることもなく、むしろ彼女の存在がすぐ近くにあるのだと意識させられ、心臓の音がやや大きくなっていた。
意識しないようにと思っていたのに早速こんなでは格好もつかないな。
「……ごめんね、白瀬くん」
俺が平静を保とうと必死になっていると、葉山さんの口から謝罪の言葉が漏れてきた。
何故今彼女は俺に謝ったのだろうか。
どちらかというと下心は無いはずの行動なのにドギマギしている俺の方こそごめんなさいなんだが。
「何がだ? 俺は葉山さんに謝られるようなことはされていないぞ」
「でも……白瀬くんは白上さんの……恋人……なんでしょ?」
「ああ……そういうことか」
葉山さんは恋人でも無い俺にこんなことをさせているのが忍びないと思っているのか。
まあ確かにこれはただのクラスメイト相手にするような行動じゃなかったな。
「うん……やっぱり離れて休もう? 白瀬くんとこうして暖めあうのが嫌なわけじゃないけど……白上さんに悪いし……」
「…………」
そして葉山さんは奏に気を使い、離れるよう言ってきた。
……だが彼女はそんな言葉とは裏腹に俺から離れるそぶりもなく、俺の服を両手でぎゅっと握り締めている。
…………
「……奏と恋人っていうのはさ……実は嘘なんだ」
「嘘……?」
「ああ」
そんな彼女を見て、俺はつい口を滑らせてしまった。
「最近奏に付きまとう男子がクラスの中にいるらしくて、俺はそいつを追い払うために彼女と恋人のふりをしていたんだ」
「え……そんなことが……?」
「黙っててごめん」
俺は肩と腕に密着した葉山さんを動かさないよう軽く頭を下げた。
本当ならもっと早くに言うべきことだった。
けれど俺は葉山さんがあの手紙以外で関わってこなかったのをいいことに、彼女へ何のフォローもせずここまできてしまった。
今まで黙っていたのは奏の事情を言い振らすのはまずいだろうという思考が働いていたからというのもあるが、一番の理由は俺自身がはっきりさせたくなかったということがあるのかもしれない。
俺が誰をどう思っているのか、という俺の気持ちそのものを、はっきりさせたくなかったからなのかもしれない。
「ううん……いいの……そんな理由があったなら誰にも話せないよね……むしろ無理矢理話させちゃったみたいでごめんなさい」
だが葉山さんは俺を責めず、自分に非があるとして謝罪の言葉を出してきた。
「いや、本当なら葉山さんにだけはちゃんと話さなきゃいけなかったことなんだ。葉山さんは何も悪くない」
葉山さんは俺にラブレターを送ったのだから、俺は彼女に誠意ある対応をしなくてはいけない。
けれど俺は異世界に飛ばされるという異常事態にかこつけて、彼女との事をうやむやにするという行動を取ってしまっていたように思う。
それは今考えると彼女に対してとても不誠実な行為だった。
俺は何が何でも葉山さんに奏との間にある真実を伝え、その上で告白を受けるなり拒絶するなり、あるいは時間をくれと言うなりお友達からと言うなり、何かしらの答えを伝えなければならなかった。
「それなら……こうしていても……白上さんから怒られたりはしないよね……?」
葉山さんはそう言いながら、俺の肩と首筋の辺りで軽く頬ずりしてきた。
そしてそんな行為をしつつも様子を窺っているのか、彼女は目をちらっと俺へ向けてくる。
確かに俺は厳密には誰とも付き合っていないのだから、そんなことをしても怒る人間なんていないはずだ。
「ああ、そうだな」
強いて言うなら俺が怒るかどうかということになるが、俺は葉山さんに何かしらの不快感を抱いているということもないので怒ることもない。
だから俺は葉山さんの言葉に軽く頷いていた。
「でも……それって本当の事……なんだよね? 白上さんとは……恋人のふりをしてるって話」
「今更すぎて信じられないか?」
「ううん……白瀬くんは人を傷つけるような嘘はつかない人だって……私は信じてるよ……でも……」
葉山さんはそこまで言うと、俺の肩に乗せた頭を動かし、俺に顔を向けて目をじっと見つめてきた。
「……食堂で……その……白瀬くんと白上さん……キス……したよね……?」
「ああ……あれか」
柳と決闘騒ぎになった時、俺は奏に不意を突かれて滅茶苦茶濃厚なキスをされた。
その時はクラスメイトが全員あの場にいたはずだから、葉山さんが見ていたとしても不思議ではない。
「あれは奏が勝手にやったことだ。あの時は俺も内心でビックリしてたんだぞ」
「そうなの……?」
「ああ」
俺はそれが嘘では無いという事を証明するために、俺の目を見つめてくる葉山さんから目を逸らさない。
すると彼女は長い前髪の奥にある顔を薄暗い部屋の中でもわかるくらいに紅潮させつつも俺に再度問いかけてくる。
「それじゃあ……白上さんの事を名前で呼ぶのは……?」
「名前で呼びあったほうが親密に思えるだろ? それも恋人のふりをする一環だ」
とはいっても、もう奏の事は奏と呼ぶのが俺の中ではもう定着してしまっているから今更白上さんと言い直したりはしないだろうが。
「そうだったんだ……」
「信じてもらえるか?」
「うん……信じる。私は……白瀬くんを信じるよ……」
葉山さんはそう言うと、そこで途端に目をさ迷わせ「あー……」とか「うー……」とか言い始めている。
それはいかにも何か言いづらそうな事があるという仕草だった。
「そ、それじゃあ……白瀬くんは……その……私のことは……どう思ってる……かな……?」
……きたか。
話の流れで葉山さんが言わんとしていたことの見当はついていたが。
つまり彼女は今ここであのラブレターの返事を貰いたがっている。
「……その前に、葉山さんはどうして俺を……好きになったのか聞かせてくれないか?」
けれど俺はまだ、何故葉山さんが俺を好きになったのかを聞いていない。
だから俺は彼女へ率直に問いかけていた。
「あっ……そういえばそうだったね……いきなりすぎて訳わかんなかったよね……」
どうやら葉山さんもそれを話すのを忘れていたらしい。
俺が問うと彼女は俯き、恥ずかしかったのか目をギュッと瞑っている。
しかしその数秒後、軽く深呼吸をした葉山さんは再び俺に顔を向けて口を開く。
こうして彼女はゆっくりと、どうして俺を好きになったのかを語り始めた。