作為渦巻くプロローグ
今日の俺はモテ気が到来しているようだ。
白上さんとの話が終わり、下校しようとして昇降口にある下駄箱のフタを開けると、その中には手紙が入っていた。
見たところ手紙の封筒はピンク色で、「白瀬君へ」と丸っこくて小さい字が書かれている。
どう見てもこれはラブレターだ。
「おいおい、どうなってんだこれ」
白上さんと恋人ごっこをしようという段になってこんな物を出すというタイミングの悪い奴はどこのどいつだ。
しかも下駄箱の中にラブレターとか随分と古風だな。
もしかしてこれは悪戯か?
まあ何にせよ中身を読んでから判断しよう。
俺は僅かに訝しみながらも左手で下駄箱のフタを抑え、その手紙に向けて右手を伸ばす。
「――ッが!?」
すると突然――俺の右手にナイフのようなものが突き刺さった。
禍々しい形状をしたドス黒いそのナイフは右手の甲を突き抜け、下駄箱付近の床に俺の血が飛び散る。
「かっ……いッ……てぇ……」
何が起きたのかわからない。
なんで手にナイフが突き立っているのかわからない。
俺は周囲に意識を向ける。
どこからこんな刃物が出てきたのかわからないが、こんなものが何もないところから降ってくるはずがない。
誰かが俺の近くにいて、このナイフを刺してきたに違いない。
「く…………」
けれどそんな俺の想像は外れた。
下駄箱付近に人の姿は確認できず、耳をそばだてても俺の荒い息遣いしか聞こえる音はなかった。
「なん……なんだ……一体……くそっ……」
俺はその場で悪態をつきながら視線を自分の右手に戻す。
そして俺は二度目の驚きに会い、眼を見開いた。
俺の右手に突き刺さっていたはずのナイフは忽然と姿を消していた。
「え……?」
一体どういうことなのかさっぱりわからない。
俺の右手にはナイフが刺さっておらず、刃物で開いた傷口から血が流れ続けていた。
「どういう……ことだよ……」
一応足元にも目をやったが、刃物らしきものは一切確認できない。
俺はハンカチを持った左手で右手の甲の側を押さえながら、心臓より上に手を上げる。
傷口から出る血を抑える正確な対処法など知らないけれど、とにかく傷口を押さえて血の巡りを悪くするしかないだろう。
「ぐぅ…………」
ナイフがどこにいったのか謎だし誰がやったのかも不明。
しかし今手に走る激痛だけは本物だった。
俺は涙目になりながらもひとまず保健室へと足を向けた。
その後俺は保険室の先生に応急処置をしてもらい、そこから更に病院にまで行って手を12針縫う大事になってしまった。
あまりに突然の事でわけがわからなかったが、病院に迎えに来てくれた親と車で帰り、夕食を食べて一段落つくことができた。
やっと落ち着けた俺は、学校から出る時に回収しておいた物をポケットから取り出す。
それは下駄箱の中に入っていたあの手紙だ。
「……この手紙、葉山さんからだったのか」
手紙の裏に『葉山咲』という差出人らしき名前が書かれていたのを確認すると、俺は天井を見上げて物思いにふけった。
葉山咲。
前髪で目元が隠れ、長い後ろ髪を三つ編みにして肩から垂らしている、いつも女子グループから浮いているとても物静かな少女だ。
「…………」
思ってみればそれくらいしか思い浮かばなかった。
名前と雰囲気はわかるが、それ以外はあまり知らない。
クラスメイトという以外に接点がなかったからな。同じクラスになったのも今年が始めてだ。
けれどこうして手紙を寄越したということは、俺はどこかで彼女と接点を持っていたということなのだろうか。
まあいい。
一先ず手紙の中身を確認しよう。
俺はハート型のシールで封がしてあった手紙を左手のみで開け、中に納まっていた便箋を取り出す。
その便箋には『こんにちは。白瀬君と同じクラスにいる葉山咲です。突然ですが、私は白瀬君のことが好きです。できれば手紙ではなく直接お話したいので、もしよろしければ今日の放課後、体育館裏に来てください。待ってます』とだけ書いてあった。
「……随分シンプルな文面だな」
一応俺が好きだとは書いてあるが、俺のどこが好きになったとかも書かれていない。ラブレターとしては大分簡素な内容だった。
このラブレターはあくまで俺に気持ちを伝えるためだけで、詳しい事は口頭で伝えるつもりだったのだろうか?
それに今日の放課後か。
今は既に夜中の10時を回っている。
もう放課後というレベルじゃない。
葉山さんも諦めて帰ったことだろう。
なんだか滅茶苦茶タイミングが悪いな。
俺が怪我をしなければ葉山さんの話を聞くために体育館裏へいけただろうし、白上さんと恋人ごっこをしていなければ葉山さんと付き合っていたという可能性もあったかもしれないのに。
……そういえば、葉山さんはいつも俯いて髪で顔を隠したりしているからあまりわからないけれど、よく見るととても可愛いという噂が男子生徒間でされていたのを小耳に挟んだことがある。
まあ可愛いからといっていきなり付き合うというわけでもないが。
でもまずはお友達からということで彼女の事を知っていければ、もしかしたらそういうこともあっただろう。
普段孤高を気取っている俺だって別に彼女が欲しくないわけではない。
こういう機会はむしろ大歓迎だ。
葉山さんからの手紙だったら悪戯というわけでもないだろうし、そう思いたい。
だから俺は明日、白上さんに恋人ごっこの取り消しを頼むことにしようと考えた。
俺に恋人がいることとなっている状態で葉山さんと向き合うのは問題があるからな。
安請け合いしておいて取り消すのは不誠実だが、いきなり不都合が生じたんだからしょうがない。
白上さんには事情を話しながら精一杯謝罪して、何か別の形で埋め合わせを行うことにしよう。
それにもしもこの手紙が悪戯の類のものだったとしたら、その時改めて白上さんに協力すればいい。
なんだか事態を表面的に見ると、俺が白上さんをキープしつつ他の女性になびいてるようで嫌なカンジだが。
しかし白上さんの件は俺以外の人間でもカバーが効くけれど、葉山さんの件は違う。
葉山さんは俺が好きだと言ってくれたんだ。それに対する俺の回答が「俺、付き合ってる子がいるんだ」という定番の嘘台詞であるのはいただけない(まあ白上さんみたいな事情があったら嘘をつくというのもしょうがないと思うが)。
あの気弱そうな葉山さんが勇気を出して手紙を書いてくれたのかもしれないと思うと、俺も彼女にとって無意味な理由で嘘をつくわけにはいかないだろう。
「なんにせよ明日は白上さんからか……」
俺は明日の予定を考えつつ、ゆっくりと眠りに落ちていった。
翌日、俺は苦笑いを抑えられなかった。
俺が学校に登校し、教室の扉を開けた途端にクラスメイトの視線が一斉に俺の方に集まったからだ。
「なあなあなあ白瀬白瀬白瀬! お前白上さんと付き合ってるって本当かよ!」
高杉が俺に勢いよく訊ねてきた。
教室内は静寂に包まれている。
クラスメイトはほぼ全員、俺の言葉を待っているようだ。
……つまりあれか。
俺と白上さんが付き合っている事(嘘)をここにいるクラスメイトは全員知っているということか。
いくらなんでも早すぎやしないか。
昨日の今日だぞ。
俺はやや厳しい目つきで白上さんへ視線を送る。
すると白上さんは微笑を顔に浮かばせながら俺に軽く手を振ってきた。
あの様子だと俺が困惑しているのも全然わかってないな。
「なあ白瀬ぇ。アンタさぁ、奏と付き合ってるってマジなの?」
「……竜崎さん?」
俺がその場で立ち尽くしていると今度は竜崎さんが二人の取り巻きを引き連れて声をかけてきた。
なんでここで彼女が声をかけてくるんだ。
これも白上さんの影響力ということなのか。
ギャル系っぽい人だから、俺のような草食系男子には普段あんま話しかけてくることはないのに。
しかも先に話しかけてきた高杉がビビッた様子で若干後ろに引いてるし。
お前も草食系ということか。
「ほらさっさと答えな。奏は付き合ってるって言ってっけどぉ、アタシにはそう思えないんですけどぉ?」
「…………」
……なんか微妙に不機嫌そうだな。
なんでなのかよくわからないが、竜崎さんって白上さんと仲良かったっけか?
白上さんが誰と付き合おうが竜崎さんにとっては別にどうでもいいことだろ。
そして俺が誰と付き合おうとも彼女には関係ないはずだ。
だから俺は竜崎さんから目を逸らし、教室を見回してとあるクラスメイトの姿を探した。
「…………っ!」
「…………」
俺が探していたそのクラスメイト、葉山さんもどうやらこっちを向いていたらしく、俺と目があった途端に慌てて視線を手に持っていた文庫本の方へと移していた。
「……はぁ」
……やっぱりこの状況はどうしようもないな。
恋人ごっこの取り消しをする予定ではあったけれど、それは白上さんとしっかり話し合ってからするべきことだ。
だから今この場で白上さんとは付き合っていないと否定するわけにもいかないし、クラスに話が広まってしまったこの状況では後で取り消しをするのも難しい。
また、そうすると葉山さんにちゃんとした対応ができなくなる。
後々になって彼女だけに恋人関係を否定するというのも微妙な対応だ。
こんな状況になっている以上、既に広まった彼氏彼女の関係を突き通すしかない、か。
俺にこの事態を上手く鎮める手腕はない。今の流れに乗るしかないだろう。
すまない、葉山さん。
手紙は嬉しかったし、もしかしたら付き合っていた未来もあったかもしれないけれど、こうなった以上は先にした約束の方を取らせてもらう。
俺はため息を一つつき、竜崎さんと高橋に向かって答えた。
「ああ、そうだよ。俺と……奏は付き合ってるんだ」
「マジかよ……」
「うおおおお! すっげえマジだった!」
すると竜崎さんは眉間にしわを寄せて渋い顔となり、高杉はテンション高めに「マジかマジか!」と言い続けていた。
それに驚いているのはこの二人だけじゃない。
俺の答えにクラスメイト全員がどよめき、教室内は喧騒に包まれていった。
「……チッ」
悪寒が走った。
そんな騒がしい教室のどこかから、誰かが舌打ちをするような音が聞こえてきた。
何か嫌な視線を感じる。
その視線に気づけたのは、おそらくそれに敵意のようなものが含まれていたからかもしれない。
俺はそんな視線を向けてきたのは誰なのかを確認するため、再び教室内を見回す。
だがそんな時、俺達の足元が急に揺れ始めた。
「……地震か?」
俺達は一旦話すのを止めて、地震が治まるのを待っている。
地震大国たる日本において、ある程度の地震はもう慣れっこだ。
しかし今回起きた地震は何かが違った。
「……あれ」
「う、うお!?」
大した揺れではないはずなのだが、俺達は立ち続けることができず、その場に倒れた。
しかも机や椅子といった物以外が揺れているというような様子がない。
まるで教室内にあるものだけが揺り動かされているとでもいうような、そんな違和感が――
そして突如、教室内が眩い光に照らされた。
「……え?」
「ここ……どこだ……?」
「あれ……? 教室じゃ……ない……?」
気がつくと、俺達は薄暗くて教室ではない大きな部屋の中にいた。
そしてここから俺達36人の、熾烈を極めた戦いが始まった。