1-6 名の無い事務所
女性に連れられて来たのは商店街の奥まったところ。
そこそこの賑わいを見せている商店のその一つに、事務所はひっそりとただずんでいた。
「ほら、ここが事務所っすよ。」
駅前から引っ張られていた手をようやく離してくれた。
目の前にそびえ立つ事務所をさも自分の家のように紹介してくれた。
事務所は三階立てのビルになっており、本事務所は二階らしい。
一階にはチェーン店の牛丼屋が店舗を構えており、店内で牛丼を頬張っている男性が数人見て取れた。
「こっちこっち!」
女性は牛丼屋横にあった階段からこっちを手招きしている。
ビルの前で呆けていた私は追いかけるような形で階段に足を向ける。
慣れた足取りで階段を上がる女性を他所に、私は壁に掛かっていたビルの内訳を眺める。
「……事務所、としか書いてない。」
女性が入っていった二階に相当する場所には明らかに何か書けるようなスペースが開いているにも関わらず、そこには事務所とだけ書かれていた。
これでは何の事務所か見当も付かないし、誰がこの事務所を経営しているのかもまるで分からない。
疑問符を浮かべながら、階段をゆっくりと上がっていく。
「ふぅ……。」
二階のドアの前で息を整える。
目の前には昨日紹介してもらった事務所がある。
一歩踏み出せば、私の新しい環境がそこには広がっているのだ。
ふと、ここでも駄目だったら、と不安が脳裏をよぎった。
ドアを開けようとした手がピタリ、と止まる。
溢れ出したそれは止め処なく、私の心を埋め尽くしていく。
帰ってしまおうか。
このまま帰ったとしても、連れてきてくれた女性には申し訳ないが、また次のチャンスがある。
別に、今日でなくてもいつでも来てくれて構わないとコトネさんも言っていた。
伸ばした手を引っ込める。踏み出した足を、元に戻す。
今日はもう、帰っても。
「駄目だ。」
思いとは裏腹に、言葉が帰ることを拒否した。
まるで自分の口ではないかのように、無意識のうちに言葉を発していた。
ここで帰ってしまっては今までと同じだと、私は何も変えることが出来ないと。
もう一度、ドアと向き合う。
例え駄目でも構わない。
良かったのなら御の字だ。
当たって砕けろ、砕けてしまっても心を継ぎ接ぎするのは得意分野だ。
「よし、行くぞ!」
そうと決めたなら一気に決める。
ドアを開け放ち、大声で言ってやろう。
そう。
「お邪魔しま「ああぁぁぁぁ、コンゴウが、コンゴウがスリーマンセルで隊列組んで来たー!!!」
「冷静に対処しろ、コトネ。 私がそちらに向かうまで何とか持たせろよ!」
「早くしてよ、こいつら示し合わせたかのようにグルグルアタックを、あぁ、やばい、HP一ミリしか残ってない!」
「くっ、ならば逃げろ! さっさと回復して、私と合流だ!」
そこは言うなれば、戦場だった。
鳴り響く効果音、轟く人外の怒声、小気味良いボタン操作の音が室内を埋め尽くしていた。
「よーし、回復した!こっからじゃクソザル共ぉ、あ、待って、隊列組むのはやめて、あぁ!」
「おい、何死んでるんだ、駄マスター! もうリスボーン出来ないではないか!」
「しょうがないじゃない! それより早くヘルプミー! 残り時間があと20秒!」
「無理だな。そちらに行くのに10秒、残りの敵は総てそちらに、極めつけは私もHP僅か。詰んだな。」
「バッカ、諦めんな! 諦めたら試合終了だよ!? そのしっぽは見掛け倒しか!」
「無理なものは無理だ。そもそも私にこのゲームをやらせるというのがだな、あ。」
「死んだ……、あぁ、13回目の正直も、徒労に終わった……。」
部屋の中で言葉を交わしていた二人が気だるげにソファーに持たれかかる。
いや、正確には二人ではなくて、えぇと、一人と、一匹?
部屋の中心に向かい合わせに設置されたソファーの一方にはコトネさん。
対面には、その私の目が間違ったものを移していなければ、そこには。
「当然だな。そもそもこれは人のするゲームだろう。猫である私が出来るはずもない。」
そう、猫だ。
PSPを机に置き、器用に両前足でボタンを操作している黒猫が、そこにはいた。
「な、なな……!」
驚天動地、というのだろうか。
喋る猫が平然と自分の目の前にいるという事実。
夢にまで見たファンタジーの世界がそこにあることを否が応にも認識させられる。
「あぁ、やっと入って来たんっすねー。ほら、こっちに座ってゆっくりするっす。」
部屋の奥から先ほどの女性が顔を出すのが見える。
指差して、真ん中のソファーに座るように促してくる。
え、私にそっちに行けって言うのか、その人語を解する猫の隣に行けと。
「お?」
「む?」
室内にいたマンセル共がようやくこちらに気が付いたのか、一斉に視線をぶつけてくる。
「こ、こんにちわ……。」
「……。」
「……。」
静まる事務所。
緊迫する空気。
刺すような緊張感が私の胃を痛めつける。
幾ばくかの沈黙。
この沈黙が破られたとき、そのとき私は無事でいられるのだろうか。
「……ニャー。」
「誤魔化すのかよっ!!」
こいつ!
散々喋っておきながら、今更猫の振りしやがった!
あまりの衝撃に突っ込まざるを得なかった私に果たして罪はあるのだろうか?
「む、無駄だったか。ばれてしまっては仕方あるまい。私も無為に猫の真似などしたくはないしな。」
軽やかなステップで黒猫はテーブルを降りて、部屋の奥に消えていく。
なにやらそこはかとなくダンディさを纏わせた猫だ。
喋り方と渋い声でそう感じたのかもしれないけど、人間ならば執事とか似合いそうだ。
「いやぁ、まさかこんなに早く来るとはねぇ。私も予想外だったわ。」
あはは、と笑いながらコトネさんは頭を掻く。
彼女は部屋の中でもあの野球キャップを被っている。
ただし、今日は○ープではなく阪神だが。
「ご、ご迷惑でしたでしょうか?」
「いや、全然構わないよ。いつでも来ていいって言ったのはこっちだしね。」
「そういってもらえると、ありがたいです。」
「ほら、そんなとこに立ってないで、ソファーに座りなよ。自己紹介しないとね。」
「それじゃ、失礼します。」
促されるがままに私はソファーに座る。
「おーい、ツネコー、お茶菓子まだー?」
コトネさんはソファーに身体を預けて首だけを後ろに向ける。
「あんたのためにやってるわけじゃないっす!私はそこの可憐な三つ編み少女と語らいたくて、準備してるんっすよ。」
部屋の奥から出てきた女性はお盆を持ってこちらにやってくる。
ソファーの中心に置かれたお盆の上には、紅茶とケーキが人数分乗せられている。
「はーい、どうぞっす。」
「あ、ありがとうございます。」
ツネコと呼ばれた女性が私の前にケーキセットを置いてくれる。
紅茶のいい香りが鼻腔を擽り、張り詰めていた気を緩ませてくれる。
「ほら、これでいいっすか?」
「うーん、ありがと。でもツネコ、なんか私への当たり強くない?」
「気のせいっす。比較対象が出来たからそう感じるだけで、私は最初からコトネッチには辛辣っす。」
全員に配り終わるとツネコさんも向かいのソファーに座り込む。
これでこの部屋にいる人間は全員ここにいることになる。
「それじゃあ、改めて自己紹介しましょうか。」
改まって言われると緊張してしまう。
聞き漏らさないように、集中しなくては。
「もう名前は知ってると思うけど、私はサカガミコトネ。 ここの事務所の、そうね、社長みたいなものよ。」
それはなんとなく分かっていた。
昨日の口ぶりからも明らかに事務所が自分のものみたいな言い方をしていたし、この人はそういう立場の人だと感じていた。
「それでこっちは。」
「いいっす、自分で言うっすから。」
ツネコさんは少しずれた眼鏡を直して、微笑みながら自己紹介をした。
「私はジンザイツネコ。一応この事務所に席を置いてはいるっすけど、本業は別のところなんで、悪しからずー。」
「ツネコさん、ですね。よ、よろしくお願いします。」
形式的なところもあるが、一応深く礼をしておいた。
それを見たツネコさんは何やら興奮しているようだ。
「くぅ~、どうっすか、コトネッチ!この礼儀正しさ、おどおど感、イメージ違わぬMITUAMI!はぁ、はぁ、なんか開けちゃいけない扉開いちゃいそうだぜぇ……!」
「ツネコ……、あんたって人は……。」
息を荒くしているツネコさんにドン引きしているコトネさん。
かく言う私も現在進行形で身の危険を感じ中である、気が気じゃない。
「それじゃあ、貴女も名前教えてくれる? そういえば昨日聞いてなかったのよね。」
「あ、そうですね、そ、それでは。」
私は昨日頭の中で反芻した言葉を思い出す。
ここだ、この自己紹介でバシッと決めれば、私も友達が出来るはずだ!
「あ、あの、私はイセジマハリュコと申します!」
「「……りゅ?」」
やってしまった。
「……~~~~!!!」
声にならない声を上げる。
顔が真っ赤になるのが自分で理解できる。
まさか、自分の名前を噛んでしまうとは恥ずかしくて親に顔向けできない。
「あぁぁぁ、もう辛抱堪らん!!」
突如ツネコさんがものすごい勢いで立ち上がる。
息を荒くしている彼女の様子に私は少し引いてしまう。
「なんすか、誘ってるんっすか!? いいよ、いいのよ、私はいつでもウェルカーム!!」
真ん中の机を乗り越えてこようとするツネコさん。
その様子たるはまさに獣のそれ。
あれ、これまさか私貞操の危機ってやつのなのでは!?
「やめなさい。」
「ごはぁ!!」
隣にいたコトネさんから容赦ない鉄拳が飛ぶ。
ツネコさんの脇腹を捉えたそれは、彼女を横に飛ばすには十分な威力があったのだろう。
ルパンダイブの如く中空に放られたツネコさんの身体はいとも容易く横に吹っ飛んだ。
「……。」
まるで、ギャグ漫画でも見ているようだ。
起こっていることは常識ではありえなく、しかしそれ自体に笑いを起こさせるほどの滑稽さを帯びた何か。
私が先ほどモノローグで語ったものは、過剰演出とか比喩とかそういうものではなく、事実目の前で起こっていることなのだ。
勿論、普通の人が出来る動きではない。
「あたたた、ちょっとコトネッチ、酷くないっすか?」
吹っ飛ばされたツネコさんが脇腹をさすりながら立ち上がる。
「あんたが理性失うのが悪いのよ。ハルコちゃんにちゃんと謝りなさいよ?」
嗜めるように言うコトネさんにツネコさんはバツが悪そうに私に少し頭を下げた。
「いやー、ごめんっす。今のはちょっとやりすぎたっすね。あまりにハルコッチが可愛いから理性ふっとんじゃったっすよー。」
エヘへ、と笑うツネコさん。
それよりもさっきのコトネさんからのダメージは大丈夫なのだろうか?
結構な勢いで飛んでいってたし、常人であれば骨が折れていてもおかしくはない。
「い、いえ、私は大丈夫ですけど、その、ツネコさんは大丈夫なんですか?」
その旨を伝えると、ツネコさんがものっそい嬉しそうに両手を挙げた。
「大丈夫っすよ!こんなのじゃれてるレベルっすからね。でも、心配してくれて嬉しいっす!結婚しないっすか?」
「なら、よかったです。あとお断りします。」
「即答!?」
「へぇ、早くもツネコの扱い方が分かるとは、なかなかやるねぇ。」
感心するように頷くコトネさん。
ちなみに今の私の反応はお約束に沿ったものであって、私の正直な気持ちではないのである。
「うぅ、コトネッチはともかく、ハルコッチにも冷たくされるのは寂しいっす……。」
気を落としながら、ソファーに座りなおすツネコさん。
「さて、それじゃあ自己紹介も終わったところで……。」
「え、これだけなんですか?」
私はこの言葉を、この事務所にはこれだけしか人がいないのか、という意味で言ったのだけれど。
「あー、やっぱ話さなきゃ、駄目だよね。」
気まずそうに頭を掻くコトネさんはきっと、さっきの喋る猫は一体なんなのだ、という風にとってしまったのだろう。
すぐさま訂正しようとも思ったのだが、私自身あの猫のことが知りたかったし、なによりこの話題を展開することによって昨日の出来事も説明してもらえそうなのでこのまま黙っておくことにした。
「いいんっすかー、話して。ハルコッチはあくまで一般人、無用な情報漏洩は防ぐべきだと思うっすけど。」
ツネコさんの少しトーンの落とした声が響く。
彼女は言っているのだ。
もし話した場合、私がどうなるかわからない、と。
「どっちにしろ、私はハルコちゃんがここに来た時点で話すつもりだったよ。そうじゃなきゃ、ここに来ないだろうしね。」
見抜かれていたのか、それとも見透かされていたのか。
どちらにしろコトネさんには私の思惑はばれているみたいだ。
「でも、一応聞いておくよ。本当に貴女は、知りたいの?」
コトネさんの表情は変わらない。
威圧するでもなく、安心させるでもなく、自然な表情でこちらに問うてくる。
あくまでも決定権はこちらに委ねるみたいだ。
改めて考える。
私が先ほどから見ていることは、夢物語のファンタジーだ。
この世界の大半の人間は猫は喋らないと思っているし、人間はパンチ程度では吹っ飛ばないと思っている。
私が今から知ろうとしている世界はつまりそれが日常の世界。
今までの常識など一つとして役に立たない、「非」日常の世界なのだ。
それがどれほど危険なことなのか、多分今私が考えている300倍ぐらいは危険なのだと思う。
もしかすると命に関わることが日常的に行われている世界なのかもしれない。
私はそれに命を懸けることが出来るのか?
「知りたい、です。」
それは不自然なまでに、自然に出た言葉だった。
最初から決めていたということもあったが、何か引っかかる。
まるで、私じゃない何かが勝手に口を動かしたかのような―――。
「OK、分かった。愚問だったね。それじゃあ、話してあげるよ。」
コトネさんは紅茶を一口ほど含んで、元の位置に戻した。
「世の中に蔓延る、否定品とそれを蒐集家の話を。」
んー、ようやく名前が出ましたー。
こんな感じで、次回は説明会、ですかねー。
設定そこまで詰めてないんですが、まぁ臨機応変に頑張ります。