1-5 名の無い事務所
学校が終わった後、私はバスに乗り込んだ。
今日も今日とて学校ではいじめられたのだが、それを払拭するほどに私には楽しみなことがあった。
それを糧に今日一日を頑張ってこれたのだ。
バスに乗って街のほうに出るなんてめったにしないことをしているのも相まって、思わず鼻歌を歌ってしまうほどだ。
「えーと、住所は……。」
昨日の夜に貰った名刺を確認する。
帽子さん……もとい、コトネさんが少し乱暴に取り出したせいか、名刺の端は少し折れてしまっているのだが、それが逆に彼女らしさを髣髴とさせている。
彼女らしい、あまり女らしくない印象に。
「ふふ……。」
昨日の出来事を思い出してしまう。
ほんの少しだけの会話だったけど、自分にとっては相当大きい会話だった。
なんといてもしばらく友達が出来なかった私に友達が出来るかもしれないイベントなのだ。
気持ちが浮ついてしまうのは、仕方の無いことだと思う。
バスは住宅地を抜けて、駅に向かうために国道に入る。
道行く車通りが極端に増えるのがわかる。
バスをドンドン追い抜いていくのを横目に思考に耽る。
「そういえば昨日のアレは……。」
コトネさんとの会話の前。
あの家の中であった出来事。
普通に常識の中を生きてきた私にとっては、あれほど恐ろしく、そして鮮烈な出来事は今までなかった。
まるでファンタジーの世界のような、夢のような体験。
「アレも、なんだったのか聞いてみないと。」
きっと教えてはくれないだろう。
むしろ、忘れてしまったほうが私にとってはいいのかもしれない。
コトネさんもあの後にわざわざ説明するようなことをしなかったし、余計なことに首を突っ込まないように気を使ってくれたのかも。
「どうしよう……、でも、気になる。」
想いとは裏腹に、確かな興味が私の好奇心を擽る。
目の前に魔法の世界が広がっているというのに、このまま忘れろというほうが酷だ。
上手くすれば、私も一緒にその世界に関わっていくことが出来るかもしれない。
それは、なんて、すばらしいことなのだろう。
今までの世界での私なんて、カースト最下位のクズなのだ。
私なんてこの世界からいなくなってしまっても構わないような存在。
だから、私は新しい世界でまた一からやり直すのだ。
そして、誰からも笑われないような、一人前の人として立ち上がる。
「……ふぅ。」
盛り上がった願望はため息一つで霧散した。
これでも私は16年生きてきた人間だ。
身の程も知っているし、例えその世界に関われたとしても、現実と同じように足手まといになるだけ。
それも分かっている。
「終点犬飼駅前~、犬飼駅前~。」
「あ、ここだ。」
考えを巡らせているうちに目的地に到着したみたいだ。
お金を準備して、降りなくては。
財布を取り出して、指定金額を取ろうとしたとき。
チャリン。
「あぁ!」
急いでいたせいで100円を落としてしまった。
数少ない私のお小遣いをここで無駄にするわけにはいかない。
転がっていく100円を目で追っていくと、誰かの足に当たって止まっているみたいだ。
拾おうと近づいていくが、ここは終点の駅。
乗っている人の大半がここを目指していたわけだから、降りる人も必然的に多くなる。
「す、すいません、通してください!」
降りていく人を掻き分けて、お金があるところまで辿り着く。
ようやくあと一メートルというとこまで来たとき、100円に手が伸ばされるのを見た。
盗られてしまう、そう思って。
「そ、その100円、私のですぅ!!」
バス全体に響くような声。
夢中になって、必要以上に大きな声を出してしまった。
乗っていた人の視線を一身に受けてしまう。
「あ、あぅ……。」
また、やってしまった。
身を縮ませながらその手の元を見てみると。
「これ、君の?」
お世辞にも清潔感があるとはいえないボサボサの長髪を揺らした女性が100円を差し出してくれた。
プシュー。
バスのドアが閉まる。
女性からお金を受け取った私は急いで降りたのだが。
「いやー、間に合ってよかったっすねー。」
右手には先ほどの女性。
100円を私に手渡してくれたあと、自分もここに降りるのだと一緒に降りてきたのだ。
女性を観察してみる。
さっきも明言したように女性の髪の毛はボサボサでなんというか、妙齢の女性とは思えないほど容姿に無頓着なのを感じさせる。
次に目に付くのは大き目の黒縁眼鏡。
それもサイズが合っていないのか、それとも小顔のせいなのか、必要以上に大きい印象を与える。
せっかくの小顔、童顔なのにこの女性はいろんな意味で損をしている。
磨けば光る素材、とはこのことだろう。
「さっきは、ありがとうございました。」
一応お世話になったのだから、お礼を言っておく。
「いやいや、いいっすよ。もし君があそこで大声上げなかったら、盗ろうとも思ってた悪人っすからね。」
女性は意地悪そうな笑みを浮かべて、胸を張る。
どうして偉そうなのかは分からないが、胸を張ったお陰でその大きめの女性的な部分が酷く強調される。
この人……、やたら、すげぇ。
「それでも、結果的には拾ってもらいました。だから、ありがとうです。」
思惑ではなく結果で。
最終的に自分の助けになったのなら、私は悪人でもお礼は言うつもりだ。
「ふぅーん……。」
なにやら思うところでもあったのだろうか。
女性は顎に右手を当てて、値踏みするかのように私を眺める。
「な、なんでしょうか?」
そういう視線に慣れていない私は思わず後ずさってしまう。
女性は顎から手を離し、ヒラヒラと揺らす。
「あぁ、ごめんごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど。なんていうか君、最近の子にしては出来てるなぁって。」
「……へ?」
「いやぁ、最近の若い子ってお礼とかあんまり言わないじゃん? むしろどんどん我が道を行ってるっていうか。 そういうのって個人的にはあんまり気持ちよくないから、君が凄い新鮮でね。」
「……はぁ。」
まるで機関銃のように言葉を放つ女性。
見た目とは裏腹に、会話することが好きなのかもしれない。
「うん、いいもの見せてもらった代わりにお姉さんがご馳走してあげるっす!」
「……へ?」
なにやら雲行きが怪しい。
女性の中でこの先の予定がどんどん構築されていくのを空気で感じ取る。
「君、今から時間ある? 私今から事務所に戻るんだけど、ちょーっとお茶していかない?」
な、なんか誘われてしまった。
今まで初対面の人にこんなことされたことなかったので、混乱してしまう。
「え、な、なんで、私?」
私にはこれから予定があるんです、と言おうと思ったのにまったく別の言葉が出てしまう。
やばい、泥沼の気配がする。
「んー、まぁ単純に君ともっと話がしてみたいっすよねー。なんか、同じ穴の狢っつーか、同じ臭いがするっていうか。気が合いそうなんっすよねー。」
にゅふふ、と含みを持たせた笑みを浮かべる女性。
これはなんだ、もしかするとコレが噂の。
ナンパ、というやつなのか?
まさか同性からナンパされるとは思わなかった。
人生、生きてみるものである。
「で、でも、私、これからここにいかないと……!」
同性からのナンパ、突然のお誘いにパニック中の私は出さなくてもいいのに、コトネさんの名刺を見せてしまう。
「んん~、この見覚えのある名刺は……、あれ、君、事務所に用事があるの?」
「へ、貴女はコトネさんの知り合いなんですか……?」
女性からの思わぬ言葉にもはや驚きすら覚えない状態。
一週回って冷静になった私は直球の質問を投げつけた。
「知り合いっていうか……んー、まぁ、でもそれならいいか。案内してあげるっす!」
「え……、きゃぁ!」
女性は私の手を引いてズンズン歩いていく。
「ほらほら急ぐっすよー! 貴重な青春を無駄にしないように、ほら、ダッシュっすー!」
「ま、ちょ、待ってくださいー! 速い、速いですってばー!」
道行く人の視線を集めながら、私たちは駅前から商店街方面へと走り出した。
目立つことは好きではないのだけど、私にはこの女性を振り切るだけの力も度胸もない。
為すがままにされながら、私はまだ見ぬ事務所に向かっていくのだった。
しばらくは女子高生視点とコトネ視点を行き来します。
そういえば、まだ名前とかも出してなかったなぁ。
そろそろ出さないとやばいかも……。